七年目は完調した。
「あなたはそう、まるでエクストリーム・アイロンがけのように!!」
「なんでィ、それ」
「スポーツですよ、スポーツ」
始めて部下を持った沖田さんはドSを発動しまくっているらしい。それでも、部下に慕われているのは彼の人柄が為せる技だろう。 俺の筆(というかシャーペン)も調子が良くて、詩集はついに世界で売り出された。日本語だからこそ伝わる良さなのかと思えば、そうでもないらしい。戦争が一つ終わったのだからよしとしよう。
「あなたはそう、まるで復素内積空間のように!!」
「なんでィ、それ」
「俺にもよく分かりません」
「え、」
八年目も変わらなかった。 いつもと同じ風景、変わらないアパート。 あの人の部屋に手紙を投函しては自分の部屋に戻る毎日。
「俺の恋はまるで、幕下16枚目の全勝優勝のように!!」
「それってどんな」
「相撲で、下位リーグから上位リーグに上がらないギリギリのラインです」
「それって成就しないこと前提じゃね?」
「…マヨネーズ送っとこっと」
俺の中では何も変わっていない。 あの人が好き。ただ、それだけだった。 今日も返事の来ないラブレターを綴る。
「それはまるで、AMPA型グルミタン受容体のように!!」
「どうせ意味分かってねェだろィ」
「あとでググります」
九年目に、俺は、事故にあった。
「ひどく頭を打ったんでィ」
サラリーマン風の綺麗な顔をした男の人が説明してくれた。どうやら俺の隣人で、古くからの友人らしい。 事故にあった時に握っていた写真を見せてくれた。
「……俺、この人のこと、好き」
写真を見て、一目惚れした。 端整な顔立ちだけじゃない。この人から滲み出る人のよさに惚れた。 だって、マヨネーズ吸ってる写真にときめくなんて、好きなのだとしか思えない。 俺は、シャーペンを握った。
10年目も11年目も記憶は戻らなかった。
「沖田さん、毎日来なくてもいいんですよ?」
「もういい加減癖になってるからねィ。それに、ちゃんと来ねェと山崎、火事にも気づかねェし」
「それくらい気づきます」
入院中、付き添ってくれていた沖田さんは、俺が退院してもずっと一緒にいた。 俺がラブレターを書くのを何も言わずに眺めながら、それでも一緒にいた。
12年目も13年目も記憶は戻らなかった。 でも、まだあの人が好きだった。
「箱を見つけたんです」
「へえ」
「八桁の数字が暗号なんです」
「そうかィ」
「開かないんです」
「まあ、だろうねィ」
「番号、知ってますよね」
「知ってるぜ」
小さな金庫箱のようなそれは、どんな数字を入れても合わなかった。 古びたそれは、メッキが剥がれて、デコボコしている。 中身が知りたかった。蓋には、あの人の名前が書かれていたから。
「教えて下さいよ」
「ダメでさァ」
「なんで、」
「開けるのはアンタじゃない。アンタとザキは違うんでィ」
沖田さんがザキと呼んだ俺は、俺じゃない。記憶をなくす前、全部を知ってる俺だ。
「正確には、ザキも知らねェですがねィ」
「、え?」
「俺が設定して、アイツが持ってた。将来、あのマヨラーが、」
その続きは聞きたくなかった。 逃げるようにして部屋を出て、以来沖田さんには会っていない。
14年目も記憶は戻らない。 沖田さんのいない、始めての年だった。 まだ、あの人のことが好きで。 投函しないラブレターがたまっていって。 一年間、俺は部屋に引きこもった。 来ない返事がひたすら待ち遠しかった。
15年目に全てを思い出した。 思い出したら涙が止まらなかった。 沖田さんの部屋に駆け込んで泣きついた。
「……思い出したかィ」
「っ、はい…」
「泣け。俺が抱きしめてやらァ」
「うっ…ひっく…ふぇっ…」
そう、俺は全てを思い出した。
15年前に土方さんが死んだことも。
土方さんのマヨのシャーペンが欲しいと駄々をこねて。
そんな些細なことから全然違う大喧嘩に発展して。
別れてやると叫んで家を飛び出て。
泣きながら横断歩道を歩いていたら、暴走トラックがツッコんできて。
追いかけてきた土方さんに突き飛ばされて、俺の代わりに土方さんが死んだ。
シャーペンやるから、毎日手紙を書け。そう遺した土方さんに謝ることもできなかった。
「土方さんが、土方さんが…っ!!」
「アンタのせいじゃねェ。あのマヨラーが…土方さんはアンタを守ったんだぜ?恋人として、それ以上の名誉はねェだろィ」
ただ、ひたすら泣いた。 土方さんがいなくなってから、今までの分を全部涙に変えた。 ようやく、時が流れ始める。
ずっと、世界のどこかにいると信じていた土方さんが、また遠くなった。
小さな金庫箱の中に入っていた鍵で、自分名義に変えてある土方さんの部屋に入る。 記憶のないときには沖田さんがこっそり掃除してくれていたらしい。俺に気づかれないように金庫を開けていくなんて抜け目がない。怖い、怖すぎる。
一年目から十三年目まできちんと並べてある手紙の包みの横に十四年目と十五年目の包みを並べた。
「……十六年目かィ」
「そうですねえ。返事はまだ来ませんが」
「書くのかィ?」
「もちろん」
「ジジイになっても書き続けてそうでさァ」
「シャーペンが握れなくなる瞬間まではとりあえず書きましょうかねえ」
あなたに綴る思いの丈。 返事は、まだ来ない。
返事は、まだ来ない。
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