食堂の君






少し冷えた空気の、朝の匂いに自然と目蓋が上がった。







時計なんて便利なものは俺の部屋には置かれていないが




おそらくはまだ随分と早い朝だろう。






空は未だに白んでいて霧が濃かった。








そういえばあの少年。





鉢屋とか言ったな。








昨日、この部屋につれてこられる途中で言っていたが





どうやら私は朝と昼、食堂で手伝いをしなければいけないらしい。






働かざるもの食うべからずと言うったところか、




まぁ当然のことだろう。





朝は仕込みのせいもあり早いのだとも言っていた。














場所は確かこの部屋からでて真っ直ぐ行けばすぐに見えるところに位置していると聞いた。







今の時間が分からない分、もう向かうべきだろう。











身支度をしようと布団から起き上がってフと気づく。





そういえば昨日のままで化粧を落としていない。








ものすごく肌に悪いことをしてしまった・・・・





しかし、井戸の場所はまだ教えられていないのだ。








仕方ない。




食堂で働くという人に聞くしかないだろう。










白い寝巻きを脱ぎ捨て、昨日もらった淡い色の簡素な着物に袖を通す。









長い髪を結ぶ紐さえないことに気づいた。






昨日今日のことで当然のことではあるのだが



自分の周りに何もないことにおもわずため息が出た。









食堂で働くのならば髪は結んだほうがいいだろう。



申し訳ない話ではあるが、それも食堂の人に頼むしかない・・・










布団と寝巻きををたたみ、部屋を後にする。












歩き出すとやっぱり足はまだ痛たんだ。


















『・・・・すみません。』











やはりまだ早すぎただろうか、



食堂と表記された看板を見つけ、中に足を入れてみるも





そこは閑散としていて人の気配を感じられそうもなかった。








どうしたものかと、カウンターらしきつくりのところまで足を運ぶと、









「あら?」








と、女性の声が。





カウンターの奥にある裏口から、俺よりも2まわりほど年上であろう女性が顔をだす。




おそらくはこの人が食堂で働いている人なのだろう。









『・・・今日からお手伝いをさせていただく冬真と申します。

時刻がわからず、来てしまったのですが、遅かったでしょうか・・・』






早すぎたかとも思ったが、女性の手にはすでに洗い終えた野菜が籠いっぱいに入っていた。







「あらあら、まぁまぁ。全然大丈夫よ。むしろ早すぎるくらいだわ。」






随分と驚いたように目を見開き、物珍しそうに俺を見つめる女性。







しかし、現にこの女性はもう準備を始めているのだ。


俺の、洗い終わった野菜の入った籠の視線に気づいたのか


女性は顔の前で大きく手を振ってみせた。






「やあねぇ、私が早いだけよ。」






『そう、ですか。』




少しだけ納得できなくて首を傾けた。







「今日は初日だしね。慣れてもらうためもあって、あなたには仕事を見てもらって、配膳を頼もうと思ってたのよ。」








女性は優しそうな笑みを浮かべると、カウンターの中から小さく手招きをしてみせた。





どうやら無事、仕事を教えてもらえるようだ。








しかし、都合よくも


まだ時間があるらしい。






この際だから化粧を落とすために井戸の場所を聞こうか。






『すみませんが、井戸の場所を教えてもらえませんか?顔を洗いたいのですが、生憎まだ場所を覚えていないので・・・』





「あぁ、そうね。・・・けど、あなた・・・」





女性は明るく返事を返すも、徐々に口ごもるように視線を俺の腕へ向けた。





「そんな細腕で大丈夫かしら・・・それに怪我もしてるみたいだし・・・」




心配そうに包帯を巻かれた俺の腕をじっと見つめる。









確かに、水汲みとはなかなか骨が折れそうな力仕事だ。



俺も少し自信はないがそんなことも言ってられないのも事実。







『大丈夫です。水汲みくらいできないと・・・』






いくら元遊女だなんていってもそんな甘っちょろいことがいってられる立場でもないのだ。





これから先のこともある。



水を汲むくらいできるだろう。






「それもそうねぇ、いいわ。ついておいで。」





先ほど女性が顔をだした裏口から再び出て行く後姿を少し小走りに俺は追いかけた。















「この道を曲がったら・・・ってやだ!あなた裸足じゃないの。」





道案内の途中。不意に俺の足元へと視線をむけた女性は驚いたように声を上げる。





そういえば履いてきた下駄は逃げる途中でとっくに捨てていたし、



履物はもっていなかったことを思い出す。





本当に俺は何も持ってないな・・・






この身一つで逃げてきたのだから当たり前といえば当たり前なのだが。






「ちょっと待って、私のお古があるからすぐに取ってくるわ。」





そういうと、女性は小走りにもと来た道を駆け出していった。




少し申し訳ないことをしたなと。思わず首をさすって顔をしかめた。





怪我をしていたことを忘れていた・・・



















「はい。ちょっと大きいかもしれないけど・・・ごめんね。」






すぐに戻ってきた女性は突っかけのようなものを俺に手渡した。





『色々とご迷惑をおかけして申し訳ないです。』





少し眉を下げてそういえばまた女性は少しだけ目を見開く。





「あら、本当に今回は感じの良い子ねぇ・・・」




ぼそりと、そんな小さな声がもれた。














俺はありがたくそのつっかけに足を入れると、女性の案内で井戸にたどり着く。





「そこのバケツを下ろすのよ。」




女性に言われたとおり、木造りのバケツを井戸の底へと落とし、



縄を引く。






なかなか重かったが、なんとか水を汲むことに成功する。






水を手で掬い取り、顔を念入りに洗った。








冷たい・・・









洗い終わってからフと、吹くものがないことに気づいたが



その場にいた女性当然のように手ぬぐいを差し出してくれた。







「それは私からの初出勤のお祝いってことでいいわ。」





悪戯っぽくはにかむその表情に。



俺の頬も自然を笑みを浮かべた。






「まぁ・・・それにしても本当に綺麗ねぇあなた・・・私、遊女さんなんて始めてみたわ。」





少し赤く火照らせた頬に手をあて、感心したようにつぶやく女性。







『あなただって十分お綺麗で魅力的ですよ?』





思わずそうこぼせば





「え?・・・あらあら、まぁまぁ!口がうまいわねぇ。」





と、嬉しそうに笑う女性。




本当に綺麗な笑顔だと思う。




やっぱり女性はいくつになっても綺麗だ。











「私のことは食堂のおばちゃんって言ってくれていいわよ。」




食堂へ戻る道すがら、女性はにこやかにそう言った。






『・・・でも、おばちゃんは、ちょっと・・・・』





そんなこと俺には言えないぞ・・・



と、ちょっと困ったように眉を下げるも




「フフフッそんなこと気にしなくていいのよ。もうあだ名みたいなものだからね。」





と、返されてしまう。




しかしまぁ、呼び名がないのも困るし・・・仕方がないな・・・





『わかりました・・・食堂のおばちゃん・・・・』




「はい。」











あぁ、この人のそばは酷く落ち着く。













「そうねぇ、せっかく早く来てくれたんだから、皮むきくらい手伝ってもらおうかしら。」





食堂に戻ればおばちゃんはそうつぶやいて野菜に視線をやった。






この世界では遊女という職でわあったが、




男だったときは自炊も良くしたものだ。




随分と昔のことではあるが、動作は体が覚えて良いるだろう。




簡単な作業だ。







「包丁、使えるかしら。教えたほうがいい?」






『大丈夫ですよ、ここの野菜の皮をむけばいいんですよね?』





「えぇ、そうよ。ふふ頼もしいわねぇ。」






たかが皮をむく作業ではあるのだが、おばちゃんは嬉しそうに自分の作業へと取り掛かった。








なんだか久しぶりの感覚に、自然と笑みがこぼれ、嬉しくなってしまった。


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