穴に落ちたは幸か不幸か




「待ちやがれぇぇええ!!!」



















野太い男の怒声に、返事をする余裕なんてものは俺にはなく、


ただただ、足を走らせた。







『ハァハァハァッ』








心底走りにくい長く、綺麗に刺繍が施されている着物の裾を
必死に抱きかかえて、できる限り足を素早く動かす。







逃げろ、逃げろ、逃げろ。







ここで止まれば終わりだ。

死ぬ気で逃げろ。




下駄なんてものは走りにくい履物の代表みたいなもんで、
当の昔に捨て去った。



当然、裸足の俺は地面に落ちた小石や、
ガラスの破片をいちいち気にしているわけにも行かず

すり傷や擦り傷だらけになっていた。



俺がこの時代に来てすぐの頃も
たしか裸足で駆け回っていた。









その頃と今現在とで変ったのは





年月。






そう、俺がこの時代、というか世界?


に来てから、およそ8年近く月日が経った。



見た目だけの推定ではあるが、あの頃おそらく7歳程度だった俺も15になった。

俺が生きてた頃の歳まで後3年で追いつくくらいには成長していたのだ。





8年も経てば、そりゃあまぁ変ることというものは沢山あって、

もう、なんの迷いも無く"女"とよばれるものになってしまった俺。



当たり前だが、手足は昔よりずっと伸びていて


スラッとした細くて白い体。
日本人特有の緑まじりの黒髪。




顔は言うまでも無く、イケメンだった頃の俺とあまり変っていない。
要するに少し頬らへんが丸くなって、女っぽい顔つきになっているだけだ。






形のいい眉毛、

少しのタレ目も健在。
スッと伸びた鼻筋もあり、

ピンク色の唇。



文句などでない美女である。



成長過程を自分で見ていて、

案外俺女でもいけるんだな


とか、思っていた。





いや、自惚れてないよ。本当のこと。




って、そんなことはどうでも良くて・・・




覚えているだろうか、


俺は、この世界に来て
働き手が無く。生きていくために






遊郭に身売りした。







幸い?顔の作り良いおれは、すぐに禿として
遊郭の"太夫"などという大層な称号(?)のついいた
それはそれは美しい姉様の下につき、

お世話などをしていたのだが、





さっき言ったとおり、俺はもう15だ。



"禿"から"新造"なる、花魁候補になっていた。





正直な話、俺は体を売る気なんて初めから毛ほども無かったのだ。
しかし、この歳になってしまえば。

職場がここである以上。そういう話は出てくるもので・・・



そろそろ水揚げがどうのこうの


という話をついこの間耳にしてしまった。



俺ならば"振袖新造"という格の高い花魁となる将来が約束されたものに、
なれるであろうと、

散々回りの姉様方にもてはやされ、そのたびに苦笑いを浮かべていた俺。



しかし、その話が最近、早急に身近な話へとなっていたのだ。





そんなもんを聞いて、俺が黙ってじっとしていられるわけも無かった。


こうしちゃおれん。と、

すぐに脱出経路を探るために数週間を費やし、

実行するまでの作戦を練り上げたのだ。




そりゃあ、俺を可愛がってくれた姉様方や、
こんな俺を拾ってくれた店の主人に申し訳なさが無いこともない。



しかし、それ以上に俺は自分の身のほうが断然可愛いのだ。




綺麗な姉様方。

女性特有の良い匂いにつつまれる毎日に俺は至福を肥やしたが、


当たり前なのであろうが、品定めをするかのごとくの
女を買いに来た男共が酷く気に入らなかった。



俺が男のままであればあちら側にいたのかもしれないが・・・











いや、やっぱないな。
基本的に俺は女性に優しくがもっとうだ。


あんな下品な目つきはしない。
確実に。
自身を持って言える。



まぁ、今俺は体は女なわけで。


「たられば」の話をしても何の意味ももたないのだけれども・・・






要するに、何が言いたいのかというと




俺は今、自分の自由を手にするために遊郭から逃亡を図ったのだ。








生きるために働かせてくれと、自らここへ来たくせに

いざ体を売るとなると自由のために逃げ出すだなんて。


俺はとんだ身勝手野郎である。


あぁ、今は野郎じゃないけど・・・




まぁ、とりあえず、今の俺にとって世間体など糞の価値も無かったのだ。



遊郭でモラルだとかそんなこと言っとる場合じゃないだろう。






八年間。花魁になるべくしてここへ来た俺は
外の世界をまるで知らない。



コレでは初めの頃と何も変らないのだ。

だけど、妙に自信?とうかなんと言うか。



"なんとかなるだろう"という想いが強く俺の中にあったのだ。




昔よりも大きく美しく成長したのだ。


少しは人生甘くなっているもんだと、


自分でも、なんともなめ腐った考えだとか思いながらも

ここから逃げ出す作戦を実行したのだ。







まぁ、つまるところ、





ただいま俺は、その遊郭の管理のようなことをしている組織の
用心棒的な大男たちに追われているのだ。




当たり前だ、

遊女は身請けなどせぬ限り、遊郭で生涯を終える。





しかし、そんな苦痛の人生に

ゆとりで平和ボケした俺が耐えられるわけも無く。

そんな常識知ったことか!!


と、逃走を試みたのである。






せっかく女になったのだ。

この状況を利用して、いろんな女の子とキャッキャウフフしない手は無いのだ。



そんなこんなで俺は今必死に追っ手から逃げているのである。






どこか懐かしく感じる森の中を

不釣合いなくらい綺麗な着物を着て疾走する美女と野獣。





傍から見れば喜劇そのものである。



相手は体のでかい大男。

素早さでは勝てる自信はあった。

しかし、遊郭育ちの俺には圧倒的に体力というものが無かった。




そりゃあそうだ、小さい頃から、花も生ければお茶もたてる

和歌も詠むし、 書道もたつ・・・と、一通りの芸事は習得させられ

徹底的に古典や書道、茶道、和歌、箏、三味線、囲碁などを仕込まれているのだ。


全て座ってやるようなことばかりなのだ。
体力というものがそうそうつくことも無かった。





『うぅっ、いつまで走ればっ、いいんだよっ!!』




いい加減、走ることにも限界が見えてきた。


焦りを感じながらも、必死に足を動かしていると、


奥のほうの木々の間から白い壁が見えた。





何かの建物だ。



しめた。




俺はなんの迷いも無くその建物を目指す。
なんとかしてそこで匿ってもらおうと考えたのだ。



まぁ、こんな山の中に立っているのは後になって考えれば不自然だとか

色々と思うところはあるのだけれども、



そんなこと考えている暇も無ければ余裕も無い。
その場しのぎでもいい。

とりあえず今この状況を何とかしたかったのだ。




幸運にも、その建物の門は木々をくぐりぬけたすぐそこにあった。





『よしっ!』



いざ、その門まで必死になって走りつこうとした時、
















一瞬で視界がグルリと変り、


何もわけが分からないまま鈍い衝撃を体全体で受け止めた。





『ッだ!!な、何!?』




もう、パニック状態である。


突然のことに何が起こったのかさっぱりわからない。

視界に広がるのは薄暗い・・・土?






不意に、上を見上げれば

ポッカリとそこだけ空が切り取られたように綺麗に見えた。










どうやら俺は、穴の中に落ちてしまったらしい。





『なん、で・・・こんな、ところ、に穴とか、開い、てんの・・・』





ハアハアと荒い息に、心臓がバクバクと音を立てて脈打つ。



驚いて気が動転してしまったが。
コレは最悪の事態である。




穴の中はなかなかに深く、自力で這い上がることはまずできないだろう。


そうなれば、あの追っ手の大男たちに

逃げ場の失った俺は見つかってしまう。




ポッカリと、大きく開いた穴のことだ。
いくら奴らでも見落とすことなど無いだろう。




『や、やばい・・・どうし、よう・・・』





第二の人生も終わった・・・・


そう思ったとき、
フト、穴が向こう側へとつながっていることに気がついた。




そこに気がつけばやることは早い。

すぐにもぐりこむ様に穴の先に体を入れ、穴の続く限り奥へ奥へと


着物や体が汚れるのも気にすることなく進んだ。





まもなく行き止まりが見え、上を見上げるとまたしてもポッカリと開いた穴。



しかし、その穴には縄梯子のようなものがかかっている。





おそらく、この穴は

あの時見た建物の中へとつながっていたらしい。




なぜこんな穴が存在するのか。

まったく意味は分からないが、やってきたとんでもない幸運に

すぐさますがりつくように俺は縄梯子へと足をかけた。













『っしょ、っと』













上りきれば、目の前に広がったのは大きな家?のようなものだった。







そこは静かで、人がいるのかも分からなかったが



穴から這い上がった俺は少し歩いた先にあった

小さな茂みに腰を下ろし、息を整えた。






祈ったのは追ってのあの男たちがここまでこないこと。





ここが何処であるか、どんな場所であるかなんてことは

米の粒ほども頭の中に無かったのだ。








そうだ、とりあえず世の中なんとかなるもんだ。


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