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♪ 世界に、 けたたましい目覚しの音で目が覚めた。 なんだか寝過ごす予感がして昨日は目覚しの音量をMAXにしておいたのだった。 「……」 いまだぼーっとする頭ながらにも「あぁ、今日が例の日曜日か」なんて考えた。 ついに、来てしまった。 何に着替えようかと考えたのち、壁にハンガーで掛けてある鮫柄のジャージを手に取った。 このジャージのほうが、変に私服を身につけるよりも安心した。 「はぁ」 思わずため息が出る。 顔を洗うために一度部屋を出て、洗面所で洗顔と髪の毛を整えて、もう一度部屋に戻る。 この家に置いて私の拠点はここなのだ。 何気なくスマホを手に取れば凛からメッセージが来ていて、要約すれば「ばっくれんなよ」とのこと。それに適当に返事をして荷物を纏め、階段を下った。 「「あ」」 玄関に座る背中。その背中は双子の片割れのもので。階段を下る私の足音で気づいたらしい。こちらを振り返った瞳と目が合ってしまいお互いに声が重なった。 「……」 思わず舌打ちを零してしまうところだったのを飲み込む。 「えっと……おはよ。凄い顔、だよ」 「…………はよ」 でしょうね。 鉢合わせしないために早めに起きて、早めに家を出て適当に時間を潰してから橘の家に向かうはずだったのに。その努力が全て台無しになったのだから。なんとなく、刹香とは皆がいる場所で話そうと思ってたのだからこちらとしては気まずい。 しかしそれは此方だけの感情であって。いつでも双子の片割れは私のことに構わず前に進んでいくんだ。 「折角だし、一緒にいく?早めにハルちゃんマコちゃんと準備しようって話してたんだ」 「まじか」 まじか。 その一言に限る。凛もいないところでいきなり彼らの輪に入れと?いきなりハードルが上がった。 「………」 「………」 「…………」 「えっと……やっぱ難しい、かな」 「……」 「眉間に、しわ。凄いよ」 「…」 凛がそばに居てくれることに依存する。それはきっと私の中で自己防衛に近いことで。でも今日はそれじゃあだめかもしれないと、そう思った。 ズボンのポケットに入れていた手をぎゅっと握りしめる。今はこの手をそっと包んでくれる凛はいないけれど。少しの間だけ、一人で輪に入ることができるだろうか。 「私が、邪魔じゃないの」 「そんなことないよ!」 臆病な自分に、また嫌気がさす。 けれど 「私、お姉ちゃんが邪魔って思ったことない」 刹香が、こちらに手を伸ばす。 自分と同じ顔。 同じなのに、違う人間。 なんども妬ましいと思っていた双子の片割れ。 けれどそれは私達双子以外の人間に流された私個人の勝手な思い込みだったようで。目の前の片割れはどうやら、ずっと今のように手を差し伸べていたのだと気づいてしまった。 真っ直ぐにこちらを見る目が、眩しい。 「……あっそ、」 なかなか素直になれない私は刹香の隣に並んで靴を履く。 「行こ。」 「!」 素直に手を取ることは出来なかったけれど、伝わるだろうか。 私は、もう一度この片割れと一緒に笑ってみたい。 先に玄関を開けて外へでる。 あぁ、太陽が眩しい。 「そういえば、お姉ちゃん今日もジャージ、鮫柄のなんだね」 「……まぁ」 隣を歩く刹香を見ればおしゃれな私服。 その時点で女子力の違いを感じた。 いやいやいや、こんなところでめげてちゃダメだ。頑張れ私。 そんな虚しい声援も虚しいかな、七瀬の態度で打ち砕かれた。 「……フン」 「はぁ!?」 私を見るなりそうそう鼻を不満げに鳴らしそっぽを向きやがった。 「こんの……!」 橘の家に続く階段下で鉢合わせた七瀬はそのまま私の横を通り過ぎて橘家へ向かう。 「腹立つ!!!」 まさか、朝一番でこんなにさけぶハメになるとは思わなかった。覚えてろよ、七瀬。 「……心配して損だったな」 「でも、ありがと、ハルちゃん」 階段下で石を思いっきり蹴飛ばした私は七瀬と片割れの会話に気付くはずもなかったのだ。 「凛遅い」 「顔合わせて早々それかよ」 「刹李先輩、おはようございます!」 「江ちゃん、おはよう!」 何気なく江ちゃんとハグすれば凛から冷たい視線が送られてくる。どうせ「俺と江の差」とか思ってるでしょ、知ってる。 「あー江ちゃん達来たぁ!」 「待ちくたびれましたよ、凛さん!」 「いやいやいや、時間5分前だから。遅れてねぇし」 江ちゃんから分離した私は渚と怜にツッコミをいれる凛のジャージの裾を掴む。 意味はない。 凛もそれを知って、そのまま渚と怜との会話を続けている。 橘家に岩鳶水泳部が集合してから早速バーベキューの準備が整い、凛達が到着するまでに始める準備は万端だった。そのためか、早速橘や刹香が肉やら野菜をコンロで焼き始め、いい匂いが辺りに漂っている。 …微かに混じるこの匂いは鯖だな。 「ハル……。お前相変わらずだな」 「なにがだ」 凛も鯖の匂いを嗅ぎつけたようでその顔には「またかよ」と描いてある。面白い。 「凛も刹李も、良かったらそこの縁側のところに座ってなよ。立ってても疲れるでしょ」 気をきかせた橘が庭に面している縁側を示してこちらに話しかけてきた。 未だに凛のジャージを掴んだままの私は、そのまま「ありがとう」と橘にお礼を伝え縁側に移ろうとしたのだが 「真琴、手伝う」 さりげなく凛に見放された。 嘘でしょ ここにきて裏切るのか彼氏様よ。 「え…でも」 「ヘーキ。蘭と蓮の相手でもしてるだろ」 絶望に染まる脳内を激震させたのは双子の蘭と蓮の突進だった。 「ぐふぅ!!」 「刹李おねーちゃん!遊んでー!」 「ずるい!ね、なんで凛ちゃんと同じジャージなの?」 「刹李おねーちゃん、おにーちゃんと同じ学校でしょー?」 腰の痛みに悶えていてもちびっこは容赦ない。ガトリングの様に質問も集中放火してくる双子を背中で受け止めつつ質問に答える。 「私、部活は鮫柄の味方なの。だからたちば…真琴とは、敵」 「「えーー!!!」」 「…っ!」 耳元で叫ぶな!思わずそう叫びたくなる。耳がキーンとするなか、なんでなんでと身体を揺らしてくるちびっこ達にそろそろ殺意…ゴホン、苛立ちが…… 「蘭、蓮、その辺にしておけ」 大人気ない苛立ちが募り始めた頃。なんと救世主は七瀬だった。 「ほら」 差し出されたのは紙皿に乗った野菜やお肉。まさか七瀬が持ってきてくれるとは思わなくて慌てて受け取った。 「わっ、ごめん」 「別に」 そのまま七瀬は私の隣に座ると自分の分の鯖を食べ始める。…あいっかわらず鯖人間だな。 「ハルちゃん!何食べてるの?」 「僕も食べたいー!」 双子のターゲットが七瀬に移った隙に平和に食べてしまおう。そう思って肉を口に運べば今度は刹香が近づいてきた。次から次に…。 「お姉ちゃん、何飲む?」 「……ウーロン茶」 「分かった。ちょっと待っててね」 視界の隅で仁義なき食べ物の取り合いを繰り広げる渚&怜を捉えつつ凛を探せば、真琴と二人でニヤニヤしながらこっちを見ていた。私が見ていることに気づいた真琴は慌てて手を振って敵意が無いアピールをしてきたが、凛は益々ニヤニヤを深めるばかりだった。 「はい。お待たせ」 「ん、ありがと」 刹香からウーロン茶を受け取りズズッと飲む。 なんてことないウーロン茶が、何故か美味しく感じた。 「凛ちゃん、お姉ちゃんのことが大好きなんだね」 「ゴッホ…!!」 とんでもない不意打ちである。 全く悪意のない笑みでこちらを見る妹。 少し前までは、この顔が嫌いで仕方がなかった。 でも、今は、素直に「可愛い」と思う。それも…… 「…凛のお陰なんだ」 「え?」 真っ暗な感情の海に飲まれて、友人とか、家庭とか、私を包む小っぽけな世界が憎くて、怖くて仕方がなかった筈なのに 凛だけは一緒にいてくれて、私という個を認めてくれた。 水泳では《マネージャー》として。でも、きっと、《大切な人》として。 凛が沢山の大切な気持ちをくれて、一緒に過ごしてくれたから、私はこうして明るい世界で息をすることが出来るようになったんだ。 「……凛だけが、大切だった。多分、今も」 これからは分からない。 果たして今、妹やハル、真琴を大切な存在であるかと問われてもハッキリと答えられない。どう足掻いたって私の醜い感情は凛だけが特別だから。 「…そっか。うん。でも、きっとそれでいいんだよ」 どこまでも勝手な心情を双子の片割れは静かに笑って肯定した。 「お姉ちゃんが今も苦しいって感じてるならどうしよう…って思ったけど。凛ちゃんがいれば大丈夫なら、良かった」 綺麗に笑って、刹香が立ち上がる。 手には空になったコップと、紙皿。 「お姉ちゃん、次何食べる?持ってくるよ」 「………肉」 クスクスと笑いながら彼女が真琴達の元へと歩いていく理由がよく分からない。 なにかおかしなことを言ったのだろうか。 モヤモヤする思考と反対に、感情は、軽い。 手持ち無沙汰になった片手を眺めながらウーロン茶を煽る。 変に、喉が渇いた。 と、ふいに凛が真琴たちと別れてこちらにやってくる。 その顔はさっきのニヤニヤの笑みではなくて、私が大好きで、苦しくなるくらいの優しい笑みを浮かべていた。 「凛、」 「ん」 たったそれだけ。 それだけの言葉のやりとりで視界がにじむ。 いつからこんなに泣き虫になったんだろうか。 凛じゃあるまいし。 「ったく」 呆れたようにため息を吐きながら凛が隣に座った。 右隣がとても、暖かい。 きっとこの世界で私が息をすることが出来るのは凛が隣で支えて、時には手を引いて私を立たせてくれたから。 きっとそれはこれかも変わらないけど、これからは私は、この世界でたったのふたりぼっちじゃない。 「俺は、隣にいる。……見たこともない景色、見せてやるよ」 いつか凛がハルに言った言葉。 それが今度は私に向けられた。 静かに伝えられた凛らしい言葉にふふっと笑いが漏れた。 「うん。凛と、生きていきたい」 私の世界に貴方がいればそれで良いと思ってた。 でも、今はそのふたりぼっちな世界が寂しいと感じてしまった。 もう、この感情を知ってしまえば後には戻れない。 私は、 凛と一緒に 世界に、手を伸ばす。 back ![]() |