君の弱さを護らせて



審神者が風邪を引いた。
その事件はあっという間にして本丸を揺るがすには十分な衝撃だった。



君の弱さを護らせて



ゴホッ、ゴホッと響くのは雫遙の咳。
自室の布団の上に座る雫遙の背中はそれに伴って丸くなる。
「あー、ほら、横になり。やっと加州はん達も落ち着きましたし」
宥めながらその背中をするのは明石国行。現在の近侍である。
高熱のせいか触れた背中は熱を持っていた。
「…ダメだなぁ、私。皆に影響でちゃうよね」
先ほどまで布団にしがみ付いて離れなかった沖田組の様子を思い出し雫遙からは乾いた笑いが溢れた。
「死なないでぇぇ!」やら「見捨てないでぇぇ!」やら叫んでいた二振りは先ほど燭台切に連行されていったばかりだ。
「あー…大変ですなぁ、燭台切さんも」
明石もそんな様子を思い出したのか
雫遙と同じく遠い目をしたが、それも一瞬。明石はそっと雫遙の背に触れるとそのまま布団に寝るよう促した。
「ま、主はんは普段から働きすぎでっしゃろ。何日かサボったって誰も文句は言いませんよって」
「……後で皆に謝らなきゃなぁ」
「なんでそうなりますの」
雫遙は促されつつ布団に横になったものの、寝る気は無いようでポツリと言葉を溢した。明石にとってはその言葉が上手く理解出来ない。
最初自分を求めて三条大橋に何度も出撃に臨んだという審神者がこの少女だった事は少なからず明石にとっては衝撃だった。芯がしっかりしている反面何処か儚い雰囲気を漂わせる彼女が練度の高い洗練された刀剣男士を率いる審神者であることはその霊力からしてもハッキリと分かる事ではあったが、超がつくほど真面目な彼女の真面目な行動は明石にとっては少々窮屈であった。だからこそ、なぜ自分を彼女が求めたのか分からなかったのだ。
…最初のうちは。
最初はただ、雫遙の事を先述の通り超がつく真面目な審神者だと、ただそれだけを認識していた筈なのに。気づけばその内面に隠された弱さを知っていた。いつそれに気づいたのは定かでは無い。しかし雫遙の真面目な性格は、彼女の弱さを必死に隠すための鎧であることは確信しているのだ。そして明石にとって雫遙がただの主としてではなく、もっと深い、大事な意味で大切な存在であることにも自分自身で気づいていた。
だからこそ明石は雫遙にもっと弱音を見せてもらいたかった。この本丸に来て近侍を務めている間、彼女の前で明石がいわゆるニートを演じることで雫遙の肩の力が抜ければいいと思ったこともある。雫遙はニートをする明石を叱ったことは無かった。むしろ明石の思惑通り、大勢の刀剣男士を率いている時とは違う肩の力が抜けた様な表情になることに明石は気づいていた。でも、ただそれだけ。
初期刀の加州にも、この本丸で明石より永い時を重ねてきた他の刀剣男士にも雫遙は一度だって言葉で弱さを出していない。明石はそれがなによりも心配だった。
「主はんがなんで謝らないけんですの」
再度明石は雫遙に問うた。
「だって、私審神者だよ?ここの本丸の主。私がしっかりしてなきゃいけないの。…こんな、弱ってる場合じゃない」
その言葉は審神者としての雫遙の覚悟を何よりも表している。しかしその裏に隠された弱さを明石は知っている。
「……しょーもないお人ですなぁ、主はん。そんなのほっぽって寝てれば良いですやん」
「だから!それじゃダメなんだって!」
「この本丸で誰がダメって言いました?」
雫遙が言葉に詰まる。すっと雫遙は明石から目を逸らしたが明石は雫遙から目を逸らさない。なおも言葉を続ける。
「加州はんが風邪ひいてる今の主はんにもっと働け言いました?第一部隊の皆さんが主はんに出陣時の指揮を取れと強要してきました?…この本丸の刀剣男士はえろう真面目ですなぁ。風邪引いて動けない主はん働かせてまで…」
「違う!そうじゃない!」
雫遙は明石の言葉を遮るように叫ぶと、明石の緩く着こなされたシャツの襟元に掴み掛かるようにして起き上がった。
「違う違う違う!!私は!ここの主として責任がある!こんな、風邪とかで寝てて良い筈がないの!仕事こそが私の!私の存在意義なの!」
まるで癇癪を起こしたかの様に叫ぶ雫遙。そんな雫遙の様子を明石は眼鏡の奥の静かな瞳でじっと見つめていた。
あと少し。彼女の本音まであと少し。
「私は…!親にも捨てられて!ここだけが居場所で…!なのに、どうして…!私…!」
段々と言葉尻が弱くなるに連れてシャツをつかむ力も弱くなる。明石はそっと、そんな雫遙の肩を抱き寄せた。
「…ここの皆、だーれも“主はんが風邪引いた!使いもんにならへん!”なんて思ってませんよ。そんな真面目だと主はん、潰れてしまいますよ?」
「そんなの、分からないじゃない」
「えー…。主はんだって見たでしょ?さっきの加州はんと大和守はん。主はんのことが大切で大切でしょーもない表れでしょ。偶にはテキトーに、サボるくらいが丁度いいですって」
俯き、表情の分からない雫遙の頭をそっと撫でながら明石は思う。この審神者は働き過ぎだ。幼少期に強大な霊力の所為で審神者として本丸に送られた彼女にとって、確かにこの本丸で着実に実績を上げることは存在意義と同等なのかもしれない。でも明石や他の刀剣男士にとってそんなのは二の次なのだ。
「主はんが笑って、元気に過ごしてることが自分らにとって何よりも大事ですよって」
この本丸にいる全ての刀剣男士が雫遙の回復を願ってる。
「でも、私の所為で、皆が混乱して、」
「あー…。まぁその変は一部致し方ないと言いますか…。まぁでも今朝加州はんがこの部屋に来る前、主はんの代わりに指示出してましたし、大丈夫でっしゃろ。皆主はんのこと心配してるのは確かですけど、皆ちゃーんと働いてますよ」
だから、安心しぃ。
泣いているのだろうか、震えている肩をぎゅっと抱き寄せてやる。そして明石はまるで幼子にするみたいに雫遙の身体をゆっくり揺すりながら頭を撫でてやった。
「だーれも、主はんがサボったところで怒ったりしませんよって。まぁ自分なんかがサボってたら燭台切さんあたりが怒りに来るんでしょうが…。ここの皆さんは主はんに甘いですからなぁ。自分も含めて」
「わたし、」
「だからゆっくりと休むとええ。…自分が傍に居ります」
まだ何かを言いかけた雫遙の言葉を遮って、抱きしめた。
1人の彼女を慕っている者として、今はただ、ゆっくりと休んで貰いたかった。
きっと雫遙は心を休める術を知らなかっただけなのだ。
それを今日みたいにぶつけてもいい。どうかこれからは少しずつでも心安らかに過ごせる日々が続いて欲しいと、明石は思う。そして出来れば自分がその場所に成れればとも。
なんとなく、ただ本当になんとなくなのだが、明石は自分が彼女に求められた理由が分かった気がした。それはきっと雫遙自身も気づいていないこと。うぬぼれかもしれない。でもあながち間違ってもいないと、明石は思う。
なんて愛おしい。
気づかぬ間に疲れて眠ってしまったらしい雫遙をそっと布団に横たえ明石は雫遙の額にそっと口付けた。

「…いつでも自分は、主はんの鎧になりますよ。…この身が朽ちるまで、な」




(貴方の弱さを、貴方の哀しい強がりの代わりに護ります)


君の弱さを護らせて

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