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「寝れない」 時刻はもうすぐ日付を跨ぐところか。 ここ最近、わたしには自分ではどうしようもない悩みに頭を抱えている。 …いや、「どうしようもない」というよりかは「勘弁してくれ」と叫びたくなる、の方が正しいかもしれない。 明日は仕事。今日は休日でショッピングに出かけた。 つい先ほど、布団に潜るまでは「あー疲れたな、やっとお布団に入れるな。眠いぞ。寝る」と心地よい疲労度と眠気を抱えていたというのに。 布団に入った途端、目が覚めて、仕事のある明日がどうしようもなく嫌になって、消えてしまいたくて、付随して現実では起こりもしていないあれやこれやと嫌な想像が脳内を駆け巡り、結果寝付けない。 ここ最近のわたしの悩みはそれだった。 心許せる誰かと共同生活をして、他愛もない話をしながら眠りに落ちることでもできたら理想なのだが、生憎と一人暮らしの自分には程遠い理想の話だ。 …いや、いるといえば相手はいる。高校生の頃から、大人になった今までずっと、愛をくれている人間が。 しかしその人間は、わたしの安眠サポートをしてくれるような場所には存在していない。 オーストラリアだ。海の向こう側。 この日本と鏡合わせのようにして、地球の下半分にある国。 そこで自分の夢と真摯に向き合い、ぶつかっている。 そんな彼に「ちょっと寝落ちるまで相手してくんない」なんて言えるわけがない。 「はぁ〜〜」 ほぼ無意識に口からどんよりとこぼれ落ちるため息をそのままに、わたしはもう何度目かの寝返りをうつ。 自律神経に作用する系の音楽も、アロマも、色々試したけれどダメだった。 明日仕事があって、自分はそれに向けてしっかりと準備をしなければいけないと思うほどに、目が冴えていく。 そして、充分な睡眠を取れないままに出勤し、一日中クタクタになって働いて、帰ってきて寝ようとして眠れない。 毎日、毎日その繰り返し。 あぁ、無意識に涙が溢れて布団に吸い込まれる。 「ほんと勘弁してよ…」 彼は、自分がこうしてうだうだと眠れぬ夜に嫌気がさして、それでもどうしていいかわからずもがいている間にも、夢へ真っ直ぐと進んでいるのだ。 考え始めれば、心臓は早鐘を打ちながらもぎゅっと縮んでしまったかのような痛みをもたらす。 焦っているのか、絶望しているのか、恐怖なのか。 「昔は、こんなことなかったのに」 眠れなければ仕方ない。 起きている間、ずっと嫌な事ばかり考えてほのストレスに追いかけ回されるならつまらない動画でもみてぼんやりしていよう。 わたしはそう思いスマホで動画再生サイトを開き適当な動画を再生する。 暗闇で寝返りをうつよりも、ぼーっと何かで気を紛らわせる方が精神的にも楽だった。 あぁ、ほんとうに、勘弁してくれ 動画からは楽しそうな声。 はしゃぐ顔もしらぬ誰かの声。 大好きでしょうがない、海の向こうの彼の声を最後に聞いたのはいつだっけ。 たまに日本に帰ってくる彼と過ごす日々は穏やかで、その間だけは彼に包まれて安心して眠れることができたのに。 どうしてわたしは。 動画を見ているのか、見ていないのか。 内容は理解できず、ただ、自分の思考に没頭する。 思考の海でぼんやりと漂いながら彼の声を聞きたいな、なんて考えていればそんなわたしを海から引き上げるようにしてスマホの画面が切り替わる。 あぁ、これは夢なのか、とぼんやりとした頭で考える。 おかしいな、さっきまでつまらない動画を見ていたはずなのに。 なぜこのスマホは今、「凛」という一文字とともに着信を表しているのだろう。 相変わらず、夢の中でも思考ばかりが働いて脳みそが休まる気がしない。 けたたましく鳴り響く着信音を遮りたくて、わたしは緑のアイコンをタップした。 『……出るのおせぇよ』 あぁ、久しぶりに聞く、凛の声だ。 大好きな、大好きな、凛の声。 彼の声を聴くと、いつもわたしは限りない安心感に包まれる。 こんな心地になるならば、思考の海に溺れる夢も悪くないと感じる。 『何かあったのか』 そうだね、きっと、沢山あった。 眠れないんだ。ずっと。 やっと眠れても、すぐに目がさめる。 ずっとしごとの夢をみる。 どうしていいか、わからないんだよ、りん。 『またそっちに戻ろうかと思ってる。ずっと側にいてやれねぇかもしれないけど…』 あぁ、夢の中でまで凛に謝らせてる。 そういえばこないだも凛に八つ当たりのメッセージを送って、それに怒りもせずに「すぐ戻れなくて悪い」って謝らせてしまった。 ちがうんだよ、りん、わたしがだめなの 『眠れないのか』 凛はいま、貴重な睡眠時間でしょう。 「ちゃんと、ねないと、りん」 『ったく…寝ぼけてるのか?俺のことはいーんだよ。ひさびさに電話してみたら中々出ないし、なんやら寝言みてぇな事言ってるし…』 「んぁ」 『ほら、また』 あぁ、わたしの好きな、凛の苦笑まじりの声。 『寝落ちするまで付き合ってやっから。明日仕事だろ?…無理に寝ようとすると逆に眠れなくなるしな。羊でも数えるか?』 「凛、羊数えてもすぐにねちゃう」 『なんだ、起きたのか』 「ねむい」 『おー、寝ろ寝ろ』 「いつから、でんわ」 『お前…自分で受話器ボタン押したんじゃないのかよ』 まともな発話もままらないわたしの言葉を、凛は一つ一つ拾って返してくれる。 なんだか、すぐ隣に凛が寝転がっているようか気がして、不安と恐怖に縮こまっていた心臓がほぐれていく。 「りんのこえ、すき」 『……知ってる』 いま、照れたでしょう。 凛は照れると声のトーンが下がるけど、照れ隠しできていない。いつものこと。 『その、大好きな俺の声に耳傾けて、そのまま寝ちまえ』 「ろうどく、して」 『何がいいんだよ』 「てぶくろをかいに」 呆れた声で問うてくる凛に、夢うつつで浮かんだタイトルを告げれば『俺を泣かせる気か!?』なんて叫んでくるから、閉じかけていた瞼が開いてしまった。 「りんの、なきむし」 『うるせぇ』 ふふ、なんて口から溢れてくる。 ため息じゃない、その自分の吐息に驚いて「わらってしまった」と零せば、『おー』という気の抜けた返事が帰ってくる。 「寝かせる気、あるの」 『あるある。だからほら、目を閉じろって』 そのまま、一緒に考え事をしよう。 オーストラリアから戻ったら何がしたい 土産は何がいい コーチの筋肉話。 ゆっくりご飯を食べて、それで、いってらっしゃいと送り出したい、 おかえりって迎えたら一緒の布団に入って夢を見よう。 だからほら、 安心して 『おやすみ』 揺りかごに揺られたような心地よさの中で、凛の声が聞こえた気がした。 あぁ、いつからが現実で、いつからわたしは夢を見ていたのだろう。 現実にしてはやさしすぎて、夢にしては穏やかすぎる。 ねぇ、凛。 わたしはグッと腕を伸ばし、けたたましく鳴る目覚まし時計めがけて、振り下ろした。 back ![]() |