呪術 | ナノ




「聞いたか?」

 朝の登校時間。珍しくクラスメイトが全員集まって校舎へ向かう最中、パンダが真面目に、しかしどこか面白そうに切り出した。彼曰く、この日来るのは同級生を4人もロッカーに詰め込んだ男の子で、かなり血の気が多い奴らしい。この話だけを聞けば私は背が高くて髪の毛を染めていて、それから筋肉もりもりのいかにも不良少年……。そう、東堂くんみたいな子を思い浮かべる。世間一般的なイメージから外れてはいないと思うが、私は何故そこに収束させてしまったのだろうと自分の馬鹿さを呪った。多少問題児とはいえちょっと前までは同級生が増えると楽しみにしてはいたが、あれがこっちに来るのかと嫌な想像をして1人で苦い顔をしてしまう。
 真希はあっけらかんと殺したのかと訊き、パンダはそれを否定する。狗巻君はあまり興味がなさそうだった。私は3人の会話を聞き流しつつ先ほどまでの想像をリセットさせると、これまたすごい子が入ってくるんだなぁと欠伸をかみ殺すのであった。どんな手の付けようもない問題児でも、皆でシメるまでだ。真希ちゃんは毅然と言った。
 あまりにも期待値の低い事前情報を入手してしまったからか、五条先生に転校生を紹介するからと言われても皆どこか他人事の様に明後日の方向を見ていた。一般的な学校からしてみれば転入生とは色めき立つイベントなのに、まるでここは葬式みたいだ。テンション上げてと説得を試みる五条先生だが、真希の言葉ですぐに諦めて声高く転入生を呼び出す。ちらりと真希の様子を見れば、絶対に目を合わせないという強い意志が伺えて、警戒心の強い猫みたいだと苦笑する。しかし、ドアが開けられた瞬間、そうもいかなくなった。

「オマエ呪われてるぞ」

 話に聞いていたのはただの男の子のはずだった。なのに、何故こんな大物に取り憑かれているのか。そんな疑問よりも命の危機を感じた私達は警戒して臨戦態勢を取ると、真希ちゃんは低く唸る様にそう言った。

 結果的に言えば、私たちはその転入生くんにぼこぼこにされた。いや、それは語弊である。転入生くんの呪いに、されたのだ。鍛えていた上に五条先生の忠告もあってか、早めに離れた私は頬にかすり傷を付けただけだが他3人はそれなりに怪我をしてしまい、軽い治療を受け戻って来た真希はとてつもなく不満そうな顔をしていた。つい出来心で彼女ににやにやしながらちょっかいをかけると、般若の様な顔で思いっきり足払いされたのはいうまでもない。お尻が痛かった。
 改めて自己紹介をした転入生くんは乙骨憂太くんと言うらしい。おどおどしていてもやしみたいに白くて細くて、僕は善人ですみたいな被害者の雰囲気を出している。真希は嫌いそうなタイプだが、私はそこまで嫌いではなかった。自分に害はなさそうだから。それに、表面まで溢れてくるいじめられっ子の典型な彼は、恐らく優しい子であるのは間違いないのだ。あとはその暗い雰囲気を変えてあげるだけでいい。すぐには無理でもきっとこの学園で過ごしていく内に、明るくなっていくだろうと期待して。
 しかし、思いの外乙骨くんは少しではあるがすぐに変わり始めた。その日の午後に向かった実習で真希が病院送りにされてからだった。とは言っても彼女の怪我は酷いものではなく、巻き込まれた子ども達も無事だった。当の任務は乙骨くんの実力ではなく、彼の呪いである里香の実力によって完遂され、彼は己の目的に気が付いたのだろう。次に学校で会った時には彼の左手で指輪が光り、それと同じくらいに瞳にも強い意志を感じたのが記憶に新しい。
 それからはいろいろとあった。乙骨くんの任務でイレギュラーな侵入があったり、裏切り者の夏油傑が宣戦布告をしてきたり、本当にいろいろあった。でも、それまでは本当に、とてもとても幸せな日々だった。昼休憩に2人でこっそりコンビニに行って先生に鉄拳制裁で怒られたり、協力してパンダに奇襲を仕掛けもふもふを堪能してみたり、眠れない夜に屋根に登って星空を眺めたり。都心に居る学生では成し得ない青春をしていたと思う。
 だからか、こうして私と乙骨くんの距離が縮まるのも、当然だった。最初は目も合わせてくれなかったのに、いつの間にかしっかりと目を見て話をしてくれる様になった。気弱そうな所は変わらないが、人の良さそうな照れた笑みをくれる様になった。無意識に近くなった距離をパンダ達に囃し立てられ、2人して顔を染めて黙ったこともある。そして、星空を眺める時はお互いを確かめ合う様に手を握る様になった。
 幼い頃から一般家庭で育ち、呪霊というイレギュラーな存在が見えていた私は家族の中の腫物扱いで、親からはご機嫌取りの愛情しか与えられていなかった。だからか、初対面で見た彼のことは嫌いではなかったのだと思う。里香という存在でこの学園にやって来た彼に何か近しいものを感じたのだろう。こうしてスリリングに、そして穏やかな時間を共にして、お互いの心にある穴を少しずつ少しずつ、その存在で埋めていったのだった。

「もし、僕が里香ちゃんの呪いを解けたら」

 いつか、私が彼を乙骨くんから憂太と呼ぶ様になった頃のこと。その日も夜に寮の屋上で星を眺めながら、彼は私の手をいつもみたいに握って言ったのだ。

「僕の最期の恋、受け取ってください」

 嬉しそうな、それでいてどこか恥ずかしそうに頬を染めて。ああ、幸せだな。そう思っていたのに。

 ――なのに。なのに、どうしてだろうか。
 ヒューヒューと肺が機能していないみたいな、風船から空気の抜ける様な音がする。手足も鉛みたいに重たくて、たまに喉が詰まって咳をすると生暖かいものが口から溢れる感覚がした。胃液なのか血なのか分からないが、地面が赤いので多分血だろう。頭も割れる様に痛くて、流石にこのままじゃ死ぬかもしれないと漠然と考えた。

「――ちゃん!」

 視界の端っこで何かが動いた気がして、唯一動く目をそちらに向けると泣きそうな顔をした憂太が私の前に膝をついた。名前を呼ぼうにももう、声も出ない。頭の痛みはいつの間にか感じなくなっていた。彼の背後で夏油が狂った様に笑っている。逃げてと目で訴えてみるが、憂太には伝わらない。最後の力を振り絞り右手を動かすと、私は憂太の頬に触れてみた。白い頬に赤が移り、汚してしまったなとぼんやり考える。私がこのまま居なくなっても、どうか彼が里香の呪いを解き、平穏な生活を取り戻しますように。少しずつ暗くなる視界で、私はそう願う。完全に力が抜け意識が途切れる直前に見た憂太の顔は、泣きそうに歪んでいた。

「……あれ」

 規則正しく鳴る電子音で、目が覚めた。白い天井白いカーテン白いベッド。そして消毒液の匂い。病院かと納得する。随分と怪我をしたものだと起き上がろうとすると、何やら力が入らない。どうしようかな、と天井を眺めながらぼんやりと考えた。幸い、手だけは動かせそうだったので枕横に置いてあるナースコールを押そうとした時だった。ガラッとドアが開き、カーテンをスライドさせたかと思えば、黒髪の女の子が目を真ん丸にして私を見た。

「お、おま、」

 まるでお化けでも見ている様な表情だったので、失礼だなと私は眉を寄せる。そんな状況を掴めていない私に女の子はお前、5か月昏睡状態だったんだぞと私の手を握りながら叫んだ。それを聞いて身体が動かない原因が分かってああ、と納得した。そんな長時間寝たきりなら筋肉が衰えているのも無理はないなと。何故か平然とその事実を受け止められている自分がいた。

「それは、ご心配をおかけしました」

 手を痛いくらいに握り、彼女は泣きそうな顔をしている。しかし、いくら食い入る様に見ても私の記憶にはこの女の子のものがない。訊くべきなのだろうかと脳内で葛藤する。傍から見ればどう考えても空気の読めない質問だった。しかし、まるで旧友の再会を喜んでいるかの様な彼女に、私は訊かなければならない気がした。意を決し、良かったと呟く女の子にあの、と声を掛ける。

「すみません、どちら様ですか?」

 はっと顔を上げた女の子は信じられないという顔で私を見ている。その表情で自分は記憶喪失なんだろうなと気が付いた。そういえば今はいつなのだろうかと、カレンダーを見て驚愕する。どう考えても自分がが最後に見た日付から1年と半分、時間が過ぎている。ではまさか、この女の子は私の高校の同級生ということなのだろうか。私も彼女同様、信じられないという表情をしていたと思う。女の子は眉を寄せると、苦しそうに声を出す。

「私は、禪院真希。パンダと狗巻棘も、もしかして、」
「ぱ、パンダ……?」

 動物園に居る? と質問すると禪院さんは苦しそうにいや、と息を詰まらせた。しばらくの間、私と彼女に沈黙が走る。時間にして数秒、彼女は沈黙の間に何かを考えている様子で、表情からそのことを言うか言わないかを迷っているのが伺えた。きょとんとする私に、彼女は決心したのか深呼吸をして口を開く。

「憂太は。……乙骨憂太って名前、知ってるか?」

 その名前を聴いて、一瞬頭に痛みが走る。脳のずっと奥と、何故だか胸も痛んだ気がした。私は心の中でその名前を吟味する。初めて聴くのにどうしてか、馴染みのある名前だと思った。乙骨、憂太。それを繰り返し唱えてみても、暗闇の中からは何も出てこない。ただ一筋の光でさえもだ。
 ――何も思い出せない。頭の中に残っているのは、孤独で暑い、夏の日差しだけ。
 私の記憶はいくら掘り返しても中学3年生の夏で止まっていたのだ。あのカレンダーが間違っていないのであれば、どこの高校に入って、そして更にどうやって彼女達と出会いその生活を謳歌していたのも一切分からない。あるのは、今知った事実だけ。

「ごめんなさい、どなたか存じ上げなくて」

 私の言葉に禪院さんは何かを堪える様な表情で視線を落とすと、そうかとだけ呟いて私の手を離した。ごめんなさいと私は繰り返す。禪院さんは気にするなと呟いた。気を取り直した彼女は、そのまますぐに電話をすると部屋を出て行ってしまった。私は彼女の寂しそうな背中に、掛ける言葉が見つからなかった。
 1人残され、暇になった私は唐突に外の景色が見たくなって、首を反対側に動かしカーテンを開けようと手を伸ばしてみる。しかし、思っていたよりも動かない腕はすぐそこにあるカーテンにも届かなかった。そうしてすぐに限界を迎えた私の腕は、そのまま力尽きてベッドの上へと落ちるのであった。


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