呪術 | ナノ




「……どうしてあなたが居るのかしら」

 東京都市部の中でも一際高級だと有名な住宅街の一角に連れられ、案内された先に居た人物は私を見て不愉快そうに眉を寄せる。こちらもそんな表情をされては良い気になるはずもなく、上辺だけ取り繕った笑みを浮かべて視線を返せば彼女は余計に眉間の皺を深くした。隣に立つ補助監督はこんな空気になると思っていなかったのか冷や汗をかいて身体を縮こまらせている気配がして、若干ではあるが申し訳ないと思いつつも目の前の彼女から目を離すことはなかった。
 元々この任務は乙骨先輩が担当していたものだし、今日も彼が来ることになっていたので彼女もそれを期待していたのだろう。実際あの日とは違うタイプの清楚さが押し出された服装に、プロにやってもらったであろう髪型。頭の天辺から足の先まで手入れの施された姿を見れば一目瞭然だった。しかし、この場に彼は居ない。
 理由は単純明快。彼でなくてはならない重要な緊急任務が入ってしまい、その穴を埋めるべく彼の代理として白羽の矢が立ったのが私だった。それもつい3日前にも会い、深い溝を作ってしまった小百合さんの護衛に。もちろん話を聞いた時は必死に嫌だと学長に抗議したが、護衛対象と火花を散らしたことを何故か知っていた彼にその話を持ち出されて睨まれてしまってはそれ以上何も言えず。
 結果、しぶしぶ引き受けるしかなかった。その時に出そうになったマリアナ海溝よりも深いため息は、学長の手前もあったので心の中に留めておくことにした。

 一度学長から直々に任務を引き受けた手前すっぽかす訳にもいかず、素直に現場に来た私はもう今日は一切余計なことを言わずに時間が来るまで空気になろうと心に決めていた。どうせ予定はずっとこの家の中に居るだけで困ることはないだろうと楽観視する私と、相変わらず落ち着きのない補助監督。広いリビングで女同士の静かな睨み合いが続く中、先に行動を起こしたのは意外にも小百合さんの方だった。
 開いていた雑誌を閉じ、テーブルに置かれたコップの水をひと口飲むと彼女は取り繕うこともせずに言った。ただ冷たく、もう帰って良いわよと。先日聞いたあの甘い声は欠片も含んではいない。彼女の言葉に真っ先に反応したのは補助監督で、粗相でもしてしまったのかと顔を真っ青にしながらどうかされましたかと質問をしている。大口の取引先の機嫌を損ねてしまったのなら、彼の責任は重大である。
 彼女はちらりと補助監督の方を見た後、私と目を合わせてしばらくしてからゆっくりと答えた。貴方達では意味がないの。憂太さんでないなら、意味がないのよと。動揺か、条件反射か。後ろで組んだ手の指がぴくりと反応する。見えていないはずなのにそれに気付いたのか、彼女はゆるく口元に笑みを浮かべてひらひらと手を動かした。

「だから、帰って良いわよ。評価ならちゃんと良かったと言っておくから」

 今までも全員そうだったし、お休み貰ったとでも思いなさいな。野良犬でも追い払うみたいに慣れた様子で言う彼女を見るに、乙骨先輩が担当でない日は皆そうやって護衛を追い出していたのだろう。補助監督の表情は明らかに安堵の色が出ており、じゃあなんて言って帰ろうとしている。その様子からして護衛任務とは言いつつも、護衛が居なくても大して問題のない程度だということが伺える。腰を低くして何度も頭を下げながら行こうと小さな声で呼びかける彼の声に、私は動かず残りますと伝えた。
 外は初秋の涼しい気候で室内は空調も整っていて過ごしやすい温度のはずなのに、その一言を放ったせいか一気に室温が下がった気がする。しかし、気の所為だろう。……彼女の視線を除いては。
 全身に小百合さんの冷たい視線が刺さるのをポーカーフェイスでやり過ごし、冷や汗をかきすぎて干からびそうな勢いの補助監督の方を向いてにっこりと笑う。部屋の中で冷たい北風が吹き荒れる幻を補助監督の彼は見ているらしい。こちらを向いて必死に帰りましょうとまるで神に許しを請う信徒のように繰り返す彼に表情を変えないまま先に帰っててくださいと言うと、あからさまに安堵した表情を浮かべてすぐに部屋を出た。きっと泥棒でさえも見せないだろう早業だと感心してしまうくらいの身軽さだった。
 扉が閉まったことにより見えなくなった背中を見送り終わると、タイミングを図っていたのか小百合さんが小さく咳払いをした。後ろの方を向いていた顔を前に戻すと、明らかに不機嫌そうな彼女が足を組んで私を冷ややかに見ていた。

「どういうつもり?」
「任務を放棄する訳にはいきませんので」

 これで本当に戻ったら学長の鉄拳制裁が下るのも怖いし。目を少し逸らして心の中で付け加える。さすがに個人的な事情までは言えなかったが、彼女はこちらをじっと見た後すぐに興味をなくしたように勝手にすればと再び雑誌を開いた。そのままドアの近くに立ちながら考える。そういえば護衛任務なんて初めてやっているなと。
 ある程度は予想していたものの、実際やると想像以上に暇な上に建物の警備は天元様の力によって万全で、正直言うとここに私はどう考えても必要ないなと確信してしまうくらいには平穏だった。スマホを弄る訳でもなく彼女みたいに何か本を読む訳でもなく、部屋の中でただ立つだけというのはあまりにも味気なくて。乙骨先輩はいつもこんなに退屈な任務をこなしていたのかと尊敬の念を抱くばかりである。次は死んでも断ろう。
 ――そんなことを考えている時だった。

「暇でしょ。こっちに座ったら」

 何の気まぐれか、小百合さんは不意に視線をこちらに向けると自身の座るソファの左側を指差してそう言った。膝上にあった雑誌は閉じられ、テーブルへと移動している。さすがに予想もしていなかった言動に動揺し、咄嗟に言葉が出なかった。脳内では了承しても拒否しても上手くいくシナリオが描けず、こんなことになるなら補助監督と一緒に帰っておけばよかったかと一瞬後悔が過る。しかし、これ以上黙っている訳にもいかず、たった数秒だが考えた末に私は彼女の隣に座った。素人目にも本皮の高いものだと分かるそれは座り心地が良く、現実逃避のように五条先生の椅子に座った時のことを思い出した。
 緊張をひた隠しにして涼しい顔を取り繕っている私を、彼女は頬杖をついてじっと見た。全身をくまなく、例え髪の毛一本が抜け落ちるのも見逃さないと言わんばかりに。まさしく穴が開くように熱烈どころか灼熱の視線を注いでいるものだから、耐えきれなくなった私はそろりと彼女に目を向けるとどうかしましたかと訊いた。顔色を変えず質問をする私に、彼女はしばらく沈黙を置いた後に薄いピンクに色付いた唇から一言落とす。

「本当に、見た目は普通の子なのね」

 どういう意味なのかは分からなかったが、その表情にからかいの色は含まれていなかったのは確かだった。見えて戦えること以外、普通の人間ですから。当たり障りないことを返せば、彼女の口元に美しい弧が描かれた。

「父は私を普通だと言って接してくれるわ。おかしなものを見たり触れたりするのもいずれは絶対に治ると、腫れ物を扱うみたいに大切にね」

 それを本人は気付いていないところがまた面白いところだけれど。まるで他人事のように彼女は続ける。

「母は私を視界に入れたくないみたいで、無意識なのか話しかけると驚かれるの」

 暗闇から突然お化けが出てきた時みたいによ? 本当に失礼しちゃうわよね。さも愉快な話をしているみたいに小百合さんはけらけらと笑うが、聴いているこちらからしてみれば笑えるような内容ではないのは明らかだ。愛想笑いをすればいいのかと笑おうとしてみても口が引き攣るだけで上手くいかず、私はただその様子を見守った。彼女はそれは楽しそうにひとしきり笑い、しばらくして落ち着いたのか目尻に溜まった涙を指で拭うとだから、とこちらをじっと見て言った。

「初めて憂太さんと会った時は本当に嬉しかったのよ」

 彼女にとっては彼が特別に見えたのだろう。普通ではない自分と同じように見たり触れたりすることのできる乙骨先輩が。下心も恐怖もなしにただの人として接してくれる彼を好きになるのも、時間の問題だったのだと小百合さんは呟いた。
 その一言にどきりと心臓が跳ねる。どくどくと強く鼓動し、無意識に手を握り込むのに気付いたのか彼女は一瞬だけ視線を下に向けて戻すと、ふっと微かに笑った。

「きっと今後も私みたいな人が彼を好きになると思うわ。人の心は移ろいやすいもので、絶対はないのよ」

 ――あなたは今、後悔のない選択をしているの?
 微笑む彼女に私ははいと即答が出来ずに閉口した。そうして時折見せていた乙骨先輩のどこか寂しそうな表情を思い出し、ツキリと心に小さな棘が刺さるのであった。


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