呪術 | ナノ




 せっかく花も恥じらう女子高生であるのに、お洒落のおの字くらいしか身嗜みに気を使えないのはまぁ、仕方のないことだと思う。同級生と組手をすればせっかく可愛く結んだ髪だってすぐに鳥の巣みたいになるし、肌にも切り傷や打撲傷が絶えなくていつも七分袖か長袖ばかり。ならば指先くらいはと思ってネイルをしても、気がつけば一部剥げているし、いつもボロボロ。もちろん見付けた時にがっかりはしたが、職業柄仕方がないと諦めてそれ以来ネイルはやらなくなった。でも、たまにしか会えない好きな人の前では可愛く居たいという気持ちだって、捨ててはいないつもりだった。しかし、現実はそこまで甘くはないものなのだと思い知る。

 ――明日、お昼前に任務終わるから待ち合わせしない?
 ただなんとなく靴を買い換えようかなと呟いただけなのに、常時任務で忙しい片思い中の彼からデートと言っても過言ではないお誘いを貰えるなんて思ってもいなかった。その時はなんとか顔には出さなかったが、心のなかでは飛び上がりたいくらいに嬉しくて嬉して。服はどうしようかな。髪型は、アクセサリーは何が良いだろう。この前奮発して買った香水を付けていこうなんて興奮しながら考えて寝て、朝は約束の4時間前に起きて色々とああでもないこうでもないと準備した。それでも時間が足りなくて待ち合わせに5分程遅れてしまい、ごめんとメッセージで謝ったら彼はすぐに優しく大丈夫だと返事をしてくれた。むしろ怪我しちゃいけないからゆっくりで良いとまで気を遣ってくれて、もっともっと好きになってしまう。正直、それまでの人生で1番と言えるくらいに幸せだと感じていた。だが、その代償は中々に大きかった。

「お兄さん、誰かと待ち合わせ?」

 私より小柄ではあるが雰囲気からして大学生だろう雰囲気の女性が2人、乙骨くんに話しかけていた。長い髪の毛は綺麗に手入れされていて、毛先はふんわりと巻かれている。目元は華やかなグラデーションのアイシャドウが煌めき、頬は柔らかで自然な色が乗せられていた。方や私はというと日焼け止めと色付きのリップクリームを塗り、化粧はちょっと背伸びして軽く引いたアイラインと薄いオレンジのアイシャドウにマスカラだけ。唯一の自慢と言えば真希にやってもらった髪の毛の編み込みだった。高校生から見た大学生はとても大人でキラキラしていて、ただでさえ真希と野薔薇に比べても子どもっぽいのに太刀打ち出来そうもない。そんな彼女たちにナンパされている乙骨くんも大人っぽく感じてしまい、呪霊相手ならまだしも人間相手に強気に出られるはずもなくただ立ち止まって様子を窺うことしか出来なかった。

 乙骨くんは困った表情をしていたものの慣れた様子で彼女達のお誘いを断っていたが、それでも中々諦めてくれそうになく苦笑していた。時折連絡先を聞き出そうとしているのか、白くて華奢な手が彼の腕に触れている。ネイルが施された細い指が綺麗で、何もしていない自分が恥ずかしくて思わず手を握り込むと不意に顔を上げた彼が駅の方へ向けた目が私を捉えた。途端に花がほころぶように表情を明るくした彼の視線を追い、彼女達がこちらを向いた。

「ナマエちゃん」

 手を上げてこっちだとアピールする乙骨くんと、女が居たのかとつまらなさそうに眉を寄せる女性。気付かれてしまっては立ち止まったままでは居られず、小走りで彼の元へと向かえば彼女達はもう行こうとあっさりと彼から離れ、そのまま人混みに紛れてしまった。もしかして見られてた? 去って行った女性を気にもせず、近付いて来た彼が苦笑する。ちょっとだけと答えれば待たせてごめんねと逆に謝られてしまった。遅れた上に助けられず見ていたこちらの方が謝るべきなのに。慌てて首を振れば乙骨くんはほっとした表情で良かったと言って、行こうかと目的のお店のある方へ身体を向けた。

 結果的に言えばあの日のお出掛けはすごく楽しかった。気に入ったものも見つけた上に久しぶりに乙骨くんと2人で過ごせて本当に嬉しかったが、ずっと頭から離れなくて今でも引きずっていることがあった。はあ。午前の授業でまた生傷の増えた手を見ながら教室で大きくため息をついてぐるぐると頭の中で考えていると、パンダがいち早くどうかしたかと手を頭に乗せてくる。相談してみようかと一瞬黙って、すぐにする程の問題でもないなと考えを改め何でもないと返事をすればパンダはそうかとだけ言って、手を2往復させてから離れた。
 不器用ながらもパンダなりに心配して貰えたからか、途端に元気が出てきたのは言うまでもない。再び和気あいあいと会話を皆と楽しんでいると、ガラリとドアの引き戸を開ける音が割って入った。ぱっとそちらを向けばペットボトルを数本抱えた乙骨くんが立っていて、慌てて近づいて半分持てば彼はお礼を言って朗らかに笑った。
 真希さん、狗巻君、これはパンダ君。乙骨くんはそう言いながらじゃんけんで負けた罰ゲームとして自動販売機から買ってきたばかりの飲み物をそれぞれに手渡していき、最後に私にとペットボトルが差し出される。よく冷えて水滴のついたそれをありがとうと言って受け取ろうと手を伸ばした時だった。

 ――あ。

 開いた手をぐっと握り、慌てて背中の方へ隠してごめんと謝りお手洗いへ行ってくると断って教室を出る。え。あ、ナマエちゃん! ついさっきまでは普通にしていたのに急に変わった態度に乙骨くんは少し驚いた様子だったが、名前を呼ばれても私は立ち止まることはなかった。
 トイレを通り過ぎて自動販売機の前まで静かな廊下を小走りで移動する。まだ夏本番前ではあるが、暑さが肌を包んでじわりと汗がにじんでくる。急いでここまで来たから小銭を持っている訳もなく、手ぶらのまま近くのベンチに座って大きくため息をつく。好きな人に失礼な態度を取ってしまった罪悪感が今になって押し寄せてきた。しかも、個人的なくだらないことでだ。
 握り締めていた手をゆっくりと開いてその先を改めて見た。過去につけた小さな傷跡と、授業で土の地面についたせいでガタガタになった爪先。昔は磨いて整えていたのに今ではやっても意味がないからと切るだけで後は手入れもされておらず、お世辞にも綺麗とは言えない手だった。
 この手を見るたびに、あのデートをした日に見た女性の細くて白い手を思い出す。この季節らしい、ライムグリーンをベースとした綺麗なネイルが施されていた爪先を。それに比べて自分は……、まさに天と地の差だ。はあ。またため息をついた。
 数分して漸く冷静になった頃、なんて言い訳をしようかなとあれこれ考えながら教室に戻ろうとした時だった。

「――あ。いた」

 私を探して走り回っていたのか、少しだけ髪の毛を乱した乙骨くんが校舎から出てきた。その目は真っ直ぐに私を見ていて、どうしたのかと反射的に訊けば彼は心配になってとすぐに表情を緩める。もうそろそろ戻ろうと思ってたの。急に飛び出して来たことを謝りつつもそう言えば、乙骨くんは戻るのはもう少し後でも良いからと隣に座った。
 どうかしたの? どこか確信しているような口ぶりで彼は訊いてきた。先程から指を内側に握り彼から隠しているのにも気が付いているのだろう。その視線はじっと膝上に置かれた手に注がれ、暑さのせいだけではない汗がじわりと額ににじむ。遠くで聞こえる蝉の声が耳に入らなくなるくらい、恥ずかしさで平静を装えなくなりそわそわと落ち着かない。
 手が汚れていたから洗おうとしただけだよ。しどろもどろになりながら当たり障りないことを言ってみるが、彼には全てお見通しだったらしい。少しだけ自分より冷たい指先が手の甲に触れて肩が跳ね、思ってもいなかった行動に驚きと嬉しさが混じり合い心臓の鼓動が早まった。ばっと伏せていた視線を持ち上げて乙骨くんを見れば、彼は少し笑い本当は気付いていたのだと言った。

「あの日、よくネイルを見てるなとは思ってたんだ」

 ゆっくりと開かれる手の指に、彼の指先が伸び親指の爪先を柔らかくなぞる。綺麗にしなきゃと思っただけでガタガタのまま整えていないそれらが恥ずかしくて、手を引っ込めようとすると乙骨くんはやんわりと引き止める。強くはないが、決して弱くもない力だった。

「ネイル、似合うと思うよ。どんな色も」

 私の顔を下から覗き込むようにして微笑みながら乙骨くんは言った。いつの間にかしっかりと握られた両手が熱く、緊張もあって全体が汗ばんできた。私の気持ちに気付いているのか、それともわざと気付かないふりをしているのか、彼はどんな色が良いかなと思いつく限りの色を提案してきて楽しそうだった。
 きっと似合わないし、すぐに取れちゃうから意味がないの。短時間の訓練でもすぐにネイルが剥がれるのだ。綺麗にしても任務が入ってしまえばすぐに意味を成さなくなる。ため息をつきながらそう呟いて少し俯いていると、乙骨くんはフットネイルならどうかと訊いてきた。そう言われて、確かに足なら取れる心配もないし手程ではないが楽しめそうだと納得する。
 良いかもしれない。そう返事すれば、彼は満足そうに頷いて立ち上がり、じゃあ行こうと私の手を引っ張った。どこに行くの? 突然の行動に驚きつつも腰を浮かせると、乙骨くんは少し悪戯っ子のように笑ってネイルを買いにだよと返事する。

「今から?」
「もちろん。善は急げってよく言うでしょ?」
「でもお金、」
「僕が持ってるから大丈夫」

 どうせ午後の授業は全て自習だしこのまま学校を出ても問題はないので、断る理由は特になかった。スマホは持ってきているので真希達に連絡も出来るし、電車移動くらいなら不便はない。しかし、どうして私のために彼がここまでするのだろうか。ふとした疑問が脳内に浮かび、不思議に思いながら手を繋いだまま前を歩く背中を見れば彼はその視線に気付いてか何色が好きかとくるりと振り返った。突然言われてすぐに言葉が出ず少しだけ言葉をつまらせたが、しばらく視線を泳がせてから彼の瞳を見て青だと答えれば意図に気付いたのか彼はどこか照れたようにふわりと笑った。
 ネイル、買ったら僕に塗らせてね。雲ひとつない空のせいで太陽が眩しくて、私は目を細めながら浮かんだ疑問を彼に投げた。どうしてここまでしてくれるの? 乙骨くんは歩幅を私に合わせたままゆっくり歩き、問いにそれは、と1度口を開いたものの少しして閉じ、ゆるく笑みを浮かべ秘密、と静かに動いた。一見すればいつものたおやかな表情だった。しかし、珍しくどこかいじわるそうに口角を上げているように感じるのは気の所為だろうか。

「ネイル買って綺麗に塗れたら、また出掛けよう」

 その時は僕が贈った香水を使ってね。初夏の爽やかな空に負けないくらい、宝石のように青く澄んだ瞳が私を写す。
 絶対だよ。繋いだ手に微かに力を込めて繰り返す乙骨くんに、私は顔に熱が集まるのを感じながら頷くだけだった。


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