呪術 | ナノ




「ちょっと待て、モフるなら断っ然! 俺だろ!?」

 パンダの魂の叫びが、だだっ広い校庭に響いた。幾重にも木霊していく嘆きを聞き、漸く一点に集中していた7対の目がそちらへと向く。その反応は実に様々で、申し訳なさそうに苦笑する者もいれば、呆れてため息をつく者、興味なさそうに視線を戻す者とどれも今の今までパンダの存在を忘れていましたと言わんばかりである。
 パンダは思っていた以上に悪かった反応においおいと咽び泣いた。それはもう、盛大に……いや、かなり大げさに。もちろんその目から涙は出ていない。7人中4人にため息をつかれ、すぐに視線を逸らされてしまったらそうしたくなるのも無理はないだろうが、嘘泣きを見た4人の反応が良くなるかと言われればそんな訳もなく、ただでさえ白けた視線が余計に面倒臭そうに白くなってパンダを見ている。パンダは冷たい同級生と後輩の反応に尚更泣いた。今度は本当にちょっとばかし涙が溢れてきた。お前らさえ居なければ! そうして目に当てた腕からこの状況の元凶たる存在をぎっと睨む。
 柔らかそうな毛皮に包まれた2匹の生き物はナマエの腕に抱かれ、周囲から小さくて可愛いだのこのまま持って帰りたいだのちやほやされてそれらは良いご身分そうだった。パンダは相変わらず悔しさで溢れる涙を腕で拭いている。ナマエはそんなパンダの様子を見て気まずさを取り繕う様に薄く笑いながら腕に視線を落とす。欠伸したり前足を伸ばしたりよじ登ろうとしてみたり、混乱を招いた元凶はそんなことなんて1ミリも知らずに無邪気に遊んでいる。そもそも、どうしてこうなったのか。なんとかパンダを落ち着かせようと乙骨と虎杖が慰めている様子を見ながら、ナマエは今朝あったことを思い返す。
 ――そう、すべてはナマエが伊地知とばったり出会ったことから始まったのだったと。

 麗らかな朝の一時、ナマエは授業が始まる前の時間に自動販売機で最近お気に入りのレモンティーを買っていた。暑くもなく寒くもなく、気持ちの良い陽気で実に気分の良い朝だった。お金を入れてボタンを押し、ガコンと派手な音を立ててそれを取り出すと同時くらいに伊地知に名前を呼ばれ、振り返った直後に言われたのだ。

「すみません、こちら、しばらく預かっていただけませんか」

 忙しそうに時間を確認しつつ、彼がナマエに渡したのは可愛らしいバスケットだった。ナマエは目の前に差し出されたからか反射的に受け取り何ですかこれと訊いたが、彼は詳しく説明する時間がないと焦った声で返事をする。でも、と戸惑うナマエに構わず伊地知は反対側の手に持っていた紙袋をバスケットの上に置き、夕方にまた迎えに来ますと言うや否やスマホでどこかに電話をかけながら足早に去ってしまった。丁寧に扱ってくださいと言い残して。
 一体何だったんだ。嵐の様に現れて消えていった背中を呆然と見送り、ナマエは呟いた。バスケットを受け取った時、ナマエは運悪く両手で底の方を支える様にして持ってしまったせいで、バスケットがもぞもぞと微かに動くのがありありと伝わってきてしまい、ナマエは一瞬やばい物を受け取ったのではと嫌な想像を脳内で爆発させる。いや、しかし。腕を振り上げ落としそうになるのをぐっと堪え、ナマエは考えた。五条ならともかく、伊地知がそんなことをする訳がない、と。
 そうだ。真面目な彼のことなのだ、想像する様な物は入っていない、きっと入っていない。ナマエは耐えた。そして腕に乗ったままのそれを落とさず、中身を揺らさないスピートで可能な限り走った。その間ももぞもぞとダイレクトに伝わる振動にひぃと情けない声を漏らし、ナマエは高専の人数が少ないことに感謝をしながら足を動かした。目指すは教室。生贄……いや、仲間たちにこの中身を確認してもらおうと考えて。

「……なんだこれ」

 ナマエが教室に入り、机の上にバスケットを置いて一番最初に反応したのは真希だった。乙骨は顔面蒼白なナマエの心配をしている。ナマエは息を切らし大丈夫だと彼に伝え、視線をそれに向けて声を震わせながら伊地知さんから預かったんだけどと言えば、真希はふぅんと興味なさげに返事をしてバスケットを見た。中身はと真希が訊けば、知らないとナマエが言う。狗巻は時折動くバスケットに合わせてひっと怯えるナマエを落ち着かせようとお菓子を与え、乙骨は冷たい視線でバスケットをじっと見つめ、パンダは何かを感じ取ったのか終始遠巻きに彼女達の様子を伺っていた。
 非常に警戒した表情で、ただ静かに。ナマエはパンダの反応を見て余計に不気味に感じたのか、口に入れられたお菓子を咀嚼しながら少しずつバスケットから離れようとしていた。ナマエの怯える様子を見て目を据わらせ刀を取り出そうとする乙骨。このまま放っておけば預かったバスケットの中身が細切れになりそうだった。真希は深いため息をついて落ち着けと前置きしつつ、騒動の中心に近付いてその蓋に手を置く。

「まぁいい。とりあえず開けるぞ」

 言い切るや否や、待ってと制止するナマエの心の準備が終わるのも待たず、パンドラの箱は開かれた。終わった。その時ナマエは目を閉じ、無となった。どんな魑魅魍魎――ナマエにとっては虫か爬虫類の類だ――が飛び出すかとこの世の終わりを覚悟していた。……しかし、彼女が想像していた混乱はいつまで経っても起きない。恐る恐る目を開け、確認してみるとそこから顔を出したのは巨大な虫……ではなく、意外にも毛むくじゃらで小さな生き物。みぃ、と小さく高い声で元気に鳴くそれは誰がどう見ても猫で、生後1ヶ月程だろう子どもは2匹並んで好奇心旺盛に周囲を見ている。
 ――それに誰よりも真っ先に食い付いたのは、つい先程まで怯え戦慄いていたナマエであった。
 思っていた大量の虫が出てこないことに気が付き、次に聞こえた鳴き声にはっと我に返り即座に駆け寄る。そうしてしっかりと捉えたか弱い存在に目をハートの形にしたのは言うまでもないだろう。

「なんって、可愛いの……!」

 ナマエたっての希望で校庭の日当たりがいい場所にまでやって来た2年生は、太陽の下で無邪気に遊ぶ子猫を囲みそれぞれが思い思いに自習時間を楽しんでいた。真希はナマエの近くに座りただ眺めるだけだが、狗巻と乙骨はナマエと一緒に紙袋に入っていた猫じゃらしで子猫と遊んで楽しそうである。しかし、パンダは相変わらず2メートル程離れたところからその様子を観察するだけ。パンダのじとりとした雰囲気が少しずつ重くなっていく。だが、それに同級生達は気付かない。
 そうして上級生が楽しそうに集まっているものだから、教室からそれを見付けた後輩が興味を持つのも時間の問題だった。案の定真っ先に虎杖が気付いて声を上げ野薔薇に報告し、面白そうだと2人が伏黒を引っ張って校庭に飛び出して合流したのは言うまでもない。そうして総勢7人が一斉に子猫を囲み愛で始めたので、ついに我慢ならなくなったパンダの魂の叫びが辺りに響いたのだった。

「お前なぁ……」

 真希の呆れた様な声が静寂を割いたのを皮切りに、乙骨はパンダにごめんと謝り、虎杖はすぐに迎えが来るらしいしとなんとかフォローしようとしているがそのどれもパンダの心に届かなかったらしく、尚更おいおいと嘘泣きが大きくなっていくばかり。ナマエ以外の3人はどれも興味なさそうに子猫とまた遊び始めていて、それが彼の嘆きを増長させている様だった。こうなってはさすがに黙って見ぬふりをする訳にもいかない。ナマエは仕方がないと伏黒に子猫を手渡し、立ち上がってスカートに付いた土を軽く払い、地面に突っ伏して顔を隠すパンダの前でしゃがみその頭に手を置いた。本物の毛皮とは違うが、それに負けず劣らない柔らかい感触が手のひらを包み込む。太陽の光を溜め込み、とても温かいそこを1往復、2往復と腕を上下に動かしてナマエはごめんねと謝った。

「浮気者」

 2年の付き合いのある俺とあの毛玉、どっちの方が大事なんだ。まるで往年の彼氏の様な口ぶりでちらりと顔を上げたパンダは鼻水を垂らして恨めしそうに呟き、ナマエは言い返す言葉もなく謝るばかり。乙骨と虎杖はお互いの顔を見合わせて苦笑いをしていた。ぐすぐすと相変わらず鼻をすする音が響く。しかし、それも先程と比べれば弱いもので、もうひと押しだと確信したナマエが反省していますと追加で謝れば、漸く満足をした彼が身体を起こし分かればいいのだとぶっきらぼうに言い放つ。本当に感受性豊かなパンダである。自慢の毛皮が土で汚れていたので3人がかりで払ってやれば満更でもなさそうにパンダの鼻が鳴った。
 彼らの後方では伏黒の腕の中で子猫が相変わらず元気に鳴き、野薔薇と狗巻が楽しそうにきゃっきゃと遊んでいる。それを見てまたしても面白くなさそうに威嚇するパンダをナマエと乙骨、虎杖の3人が宥め、真希が何回やれば気が済むんだと面倒臭そうにため息をついて見ている。
 結局、夕方になるまでそのとりとめのないやりとりは続き、漸く迎えに来た伊地知に子猫を渡しながら、ナマエはもう次回は勘弁してくださいと顔をげっそりとさせて懇願するのであった……。


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