呪術 | ナノ




「僕をもっと利用してよ。どんなに酷いことをされたとしても、僕の手の届くところに居てくれるのなら僕は喜んで受け入れるから」

 彼があまりにも純粋に、そして慈愛に満ちた色で笑うものだから、私は何と答えて良いのか分からなかった。黙って頷けば良いのか、それとも怒って拒否すれば良いのか。どちらの答えも今の私には不正解な気がして、意を決して口を開いては違うと閉じてを繰り返すばかり。まるで砂浜から砂金を探すような、途方も無いことをしている感覚だった。何をしているの、口を閉じてただじっと、この場をやり過ごせば良いじゃない。頭の中の冷静な私がそう囁く。だけど、どうしてかそれも出来ずにいた。どうしてだろうと考えてちらりと彼を見上げると、彼は相変わらず無償の優しさで私を照らしている。やめて。思わず目を逸らしてぎゅっと閉じた。

「見ないで。お願い、私をそんな表情をして見ないで」

 反射的に私の口から飛び出したのは是でも否でもない、心の声だった。はっとすぐに両手で口を塞ぐ。しかし、出てしまったものはもう戻らない。自分でも自分をコントロール出来ないなんて、信じられなかった。聞かれてしまっただろうかと恐る恐る顔を上げれば、3歩は離れていたはずの彼がもうすぐそこまで近付いていて、どうして気が付かなかったのかと息を呑む。緊張と焦りで指先は氷の様に冷え、驚きで身体が固まってしまう。だから、ゆっくりと広げられた腕から逃れることも出来ず、私はすぐにその男性にしては華奢な彼に抱きすくめられてしまった。自分のものではない体温にかっと顔が熱くなり、即座に彼の胸を力一杯叩き離してと声を荒げる。しかし、背中に回された腕の力は動く程に逆に加わり、私は暴れるのをやめざるを得なかった。
 数秒して漸く息を荒げながらも落ち着きを取り戻した頃、彼は私の額に頬を寄せて囁く様に言う。

「見られなくないのなら、見ない。でも、僕から逃げないで」

 お願い。まるで神様にでも祈るかの様な切ない声だった。どうして、と溢れた言葉に、彼は擽るように笑って選んで欲しいのだと答える。選ぶって、何を。そう訊けば、彼は私を抱き締める力を緩め、頬に手を当てて顔を上げさせる。じっとこちらを見つめる黒い瞳に全て見透かされそうな気がして目を逸らせば、そちらからこちらを覗き込むようにして彼がにっこりと笑って言った。

「僕を唯一の人だって、選んで欲しいんだ」

 僕があなたを選んだ様に、あなたにも僕を。私の中に滑り込んだ言葉は、何にも塞き止められることなく、心に落ちて溶け込んでゆく。身体の隅々にまで染み込んで行ったそれに、私は。私は――……。

 ――この世にミョウジ家の娘として生まれた落ちた瞬間から、私の前にはしっかりと死ぬまでの決められたレールが敷かれていた。
 家の所有物たる私の行動には自由がなく、発言でさえも許可がなければ出来ない、一生家の言いなりの人生。そんな生活しか知らない上にそれがおかしいと指摘する人なんて居るはずもなく、私はずっと言われた通りに生きてきた。学校には通っていたけれど友人など出来もせず、家柄によって選ばれた同性の子としか会話も許されなかった。常に行動を監視されて、何か粗相をすればすぐに当主に報告されて罰と言われて折檻された。それも、普通なのだと思っていた。五条家の悟様と出会うまでは。

「ねぇ、君さ、おかしいとは思わないの?」

 15歳になったばかりのある日、両親に大切なお見合いだからとこの家にある1番豪華な振り袖を着させられ、初めて会ったばかりの悟様に開口一番そんなことを言われた。言われた言葉の意味が掴めず、おかしいとはと失礼にも質問を返してしまう。隣に座る両親は私のことをぎっと睨んでいたみたいだが、私は悟様の言葉の意味の方が気になって気が付かなかった。ただじっと静かに彼の返事を待っていると、お見合いの席にも関わらず胡座をかき膝に肘をついて大きくため息をつかれてしまった。一体、何がおかしいと言うのだろう。首を傾げて考える。しかし、その答えが見つかる前に悟様は立ち上がって私の両親を見下ろした。目隠しをしている彼がどこを見ているのかは正確には分からなかったのだが、なんとなく私はそう思った。そうして数秒してから顔を私の方へ向けると、にっと悪巧みをする様に笑って一言。

「待ってなさい。助けてあげるから」

 どういう意味なのかは分からなかったが、これから何かが起こりそうな予感のする物言いだった。お見合いだというのに意味のわからない言葉だけを残して、任務があるからと部屋を出ていく悟様。両親は慌てて立ち上がって彼の後を追っていたが、私はただ座ってバタバタと響く足音を聞いているだけだった。追いかけなければならなかったのだろうが、どうしても足が動かなかった。そうしたら案の定、数分後に部屋に戻ってきた両親に何故引き止めなかったと厳しく折檻されてしまった。しかし、私はそんな痛みよりも悟様の言葉の方が気になって仕方がなかった。夜になり腫れた頬を冷やしながら鉄格子の嵌められた窓から外を見れば、いつもよりも数が倍星が輝いて見える。こんなに夜空って美しかったかなと窓を開けて眺めれば、どうしてかドキドキと心臓が普段よりも早く鼓動してしまい、その日は中々寝付けられなかったのだった。
 その後、悟様が次に私の前に現れたのは中学を卒業した日のことで。卒業証書を持って家の車に乗り込もうとした私を、これから君を攫いますと担ぎ上げて本当に連れ去られたのは記憶に新しい。どうやって説得したのか、それとも脅したのか。想定していた家からの妨害もなく、実にすんなりと春から悟様のおかげで呪術高専の生徒となった。
 初めての一人暮らしは想像以上に大変で、しかしとても楽しくて。最初は生まれてから初めて体験する制限のない自由に戸惑いが多かったが、それも初めて出来た友人のおかげで次第に慣れていけた。半年もすれば家に居た頃には考えもしなかった悪いことも率先してやるくらいには、青春を謳歌出来ていたと思う。本当に楽しかった。
 ――しかし、それすらも束の間の自由だったと、この時の私は知らなかった。

 私に最悪の知らせが来たのは2年生の冬だった。その日は特段に寒く、外は頬を切りそうな程に強く冷たい風が吹き荒れていた。自室でレシピ本を開いて次はどんなお菓子を作ろうかと眺めて居た時、カタカタと風で動く窓ガラスの音をかき消す様に高専に入ってから真希とお揃いで買ったスマホが鳴り響く。画面を見れば非通知で、その瞬間にどうしてだか嫌な予感がして手を伸ばせなかった。出るか出ないかと躊躇している間にも着信は止まってしまい、安堵して息をつく。しかし、少しするとまた非通知で電話が鳴り響いた。今度は流石に無視が出来ないと手に取り、通話ボタンを押して耳に当てる。はい、と一言発すれば、電話の向こうから聞こえて来たのは幼い子のおねえさまとすすり泣く声だった。
 誰だ、とすぐには気が付かなかった。久しく聞いていない声だったのだから仕方がないのかもしれない。しかし、すぐに分かってしまった。私が昔仲良くしていた分家の子どもだったと。どうしたの。慌てて受話器向かってそう訊けば、電話の向こうから聞こえていた泣き声が遠くなり低い男性の声に変わる。父だ、と気付いた瞬間、背筋が凍りつく。条件反射だった。

「ナマエ、五条悟の子を産め」

 これは命令だと刃の様に鋭い声で言い放つ父の後ろで、おねえさまと泣く子どもの声。それだけで私は脅されているのだと理解した。しかし、どうして今になってこんなことを。嫌だと言えば良いのに、口を開いても声が出てこない。こうして自由になっても、未だに精神は家に縛り付けられているのだと己の無力さを思い知らされる。父は何も答えない私に分かったな、と念を押す。私は、はいと答えるしか他になかった。満足そうに、そして私を嘲笑うかの様にそうかと笑う声が聞こえる。そうして、すぐに電話が切られても、私はスマホを耳に当てたまま動くことができなかった。


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