呪術 | ナノ




 始まりはなんてことない、ありふれたきっかけだった。部屋で2人きり、気分転換のために映画をレンタルして観た映画が、思ったよりも感動的で涙ぐんだのだ。戦争で引き離された恋人同士が、ラストで再会を果たして結婚を約束するシーン。まだ学生ながらも呪術師という血生臭い業界で生きているからか、そういうシーンを見るとどうしても自分と境遇を重ねてしまう。五条先生がよく言っていた。呪術師の最期は孤独で、ろくな死に方をしないと。だから、珍しくオフの乙骨くんを誘って付き合ってもらったのに、たまたま選んだ映画がハッピーエンドで終わったからこんなにぼろぼろと泣いてしまった。本当に、ただそれだけ。
 スタッフロールが流れる中で、私は熱くなった目元を冷え性の指先で冷やしながら乙骨くんにごめんねと謝る。乙骨くんは首を傾げ、謝られる原因が分かっていない様子だった。

「つまんなかったでしょ。しかも隣でこんなに号泣されて困ったかなって」
「そんなことなかったよ。僕ももらい泣きしそうだったから」

 照れた様に笑う彼に、私は少しほっとする。それと同時に彼の心遣いが優しすぎて感動もした。良い意味でも悪い意味でも、頭のぶっ飛んだ奴が多いのがこの呪術師の界隈なのだ。そんな人達と接しているからか、乙骨くんのこの穏やかな優しさが少し眩しい。が、そんな彼も例に漏れず少しばかりではないくらいにぶっ飛んでいるのは間違いないのだけれども。
 まぁ、そんなことはさておき。再生を終えたブルーレイを取り換えながら、私は次は何を観ようかと候補を挙げながら乙骨くんに訊いてみる。手元にあるのはB級ゾンビ映画と去年流行ったアクション映画、あとは興味本位で借りたベタベタな恋愛もの。乙骨くんなら何が観たいかなと考えながらこれなんてどうと提案してみるが、乙骨くんの反応はあまりよろしくない。じゃあ、と残りの2つでましな方をと口を動かそうとすると、乙骨くんが私の手をやんわりと握って動きを止めた。

「どうしたの?」

 確かに外国に長い間居たからかスキンシップは激しめの彼だが、基本的には相手を尊重して日本用に接してくれていると思う。だからこそ、許可もなくこうして手を握られるなんて非常に珍しいことで驚いてしまった。
 反射的に彼の顔を見ると、乙骨くんはほんのりと頬を赤く染めてきゅっと眉を寄せて少し苦しそうだ。どうしたのだろうかと私は首を傾げる。すぐにはっと心当たりを見つけて、自分の顔に空いている方の手を当てた。まさか私の顔に何か付いていて言いづらいとか、と部屋に置いてある姿見で確認しようとした時だった。

「ナマエさん、あの、」

 意を決した様な必死さのある言葉だった。握られた私の指に、乙骨くんの指輪が当たる。乙骨くんも泣きそうだったって言ってたけど、里香ちゃんのことを思い出したのかなぁ。空気を読まずにそんなことをふわふわ考えていた私を、現実に戻すに相応しい言葉が覆いかぶさってくる。

「あの、……ナマエさんのことが好き、です」
「え」
「やっぱり、ちょっと照れるな」
「……え、え?」
「あ、びっくりしたよね!? ごめんね、返事はすぐじゃなくても良いから、まずは映画観よう?」
「え、あ、え?」

 勉強が苦手な私のちっちゃな脳では未だに彼の言葉が処理出来ていなかった。キャパオーバーで簡単な単語しか口から出ない私に、乙骨くんはお構いなしに「僕はこれを観たいな」と言って観るつもりのなかった恋愛映画をプレイヤーに入れて再生を始めてしまう。私は頭の中にはてなが大量に浮かびながらも、とりあえず彼の言う通りに一緒に映画を観た。こんなに機嫌が良いところを見るのは初めてかもしれないというくらいに、にこにこの乙骨くんに手を握られながら。結局彼は借りて来た映画を全部見て、明日任務だからと部屋に戻るまでずっと笑顔だった。ドアが閉まる直前まで彼は名残惜しそうに私の手を握り、するりと手の甲を指が撫でてから離されたが、私は最後まで、握られた手を先に解くことは出来なかった。

「……と、いうことなのですが」
「諦めろ。どのみちナマエじゃ憂太から逃げられねーから」

 気分よくさせて囲われるか、機嫌悪くさせて囲われるかどっちかだろ。後者は確実に束縛されるに一票。真希ちゃんはそう言ってにやりと笑った。
 結局、あの後はずっと夢見心地で寝た時のことをあまり覚えていない。恐らくずっと乙骨くんのことを考えていたのだろうが、あまりの衝撃に記憶が抜け落ちてしまっていた。こうしてただでさえぽんこつな私がさらにぽんこつになり、授業でいつも以上に怒られたのは言うまでもない。そんな私を心配してくれたのか、放課後になり教室に1人で座っていた私に話を聴いてくれたのが真希ちゃんだった。私は話した。思いの丈全てを。真希ちゃんはその話を全て聴き、あらゆる可能性を鑑みた上で答えを出したのだ。乙骨くんの気持ちに応えろと。

「いや、でも、ええ……? 乙骨くんには里香ちゃんが居るしさ」
「だからってもう2度と恋をしないって訳じゃないだろ。あいつだってまた人を好きになる。それがお前だったって話だよ」
「そっか。そう、かぁ……」
「嫌いじゃねーんだろ? ならダメな理由はない」
「そういうもの……?」

 そう呟いて納得しながらも、私は乙骨くんへの返事に困っていた。正直、乙骨くんはとても優しくてかっこいいし強いし、嫌いじゃない。むしろ、好きだ。里香ちゃんへの真っ直ぐな気持ちも素敵で、私にもいつかこんな人が現れたらと思っていた。しかし、こうして当の本人にこうして好きだと言われてみてどうだろう。言葉に言い表せないのだが、なんだか心の中がむずむずするのだ。嬉しいという気持ちなのだろうか。それにしては、そこまで純粋な気持ちではない気がする。

「なーに難しい顔してんだ」
「わ、わ! 真希ちゃん!」

 珍しく考え事をしていたからか、真希ちゃんは私の頭を無遠慮にぐりぐりと撫でまわす。髪の毛がぐちゃぐちゃにされるのを慌てて止めても、力では彼女に勝てないので私はやられ放題だった。そんな時、救世主が現れる。

「しゃけ!」

 ガララとドアが開いたと思ったら、狗巻くんが廊下を指して真希ちゃんを見る。どうやら彼女は夜蛾学長に呼び出されてしまったらしい。その内容は分からないが、真希ちゃんは何か心当たりがあるみたいで、大きく舌打ちをしながら立ち上がる。

「ま、なるようになるさ。頑張れよ」

 そう言って彼女はにやりと笑い、乱した私の髪の毛を手櫛で少し整えてから頭をぽんぽんして教室を出て行った。そのイケメンさにトクンと心を奪われている私に狗巻くんは手を振り、ついでとばかりに真希ちゃんに付いて行ってしまった。夕日が落ち始め藍色に染まり始めた教室は私以外にもう誰も居ない。そもそも自分以外にクラスメイトが4人しか居ないから当然だった。きっと真希ちゃんもあのまま寮に戻るだろうし、これ以上残っていても仕方がないので、私はため息をつくと鞄を持ち立ち上がる。1人だけの教室は椅子を引きずる音でさえも反響して大きく聞こえた。
 帰って録り溜めていたドラマを見てしまおう。そしてレンタルしたブルーレイ返して来ないと。そう思い廊下に出た瞬間だった。

「あれ、ナマエさん」

 任務が終わって帰ってきたばかりなのか、白い制服を少し汚した乙骨くんがそこに立っていた。血が付いていないところを見ると、怪我はしていないみたいなので安心する。しかし、昨日の今日で心構えが出来ていないというのに、あまりに急に現れるので私は彼の名前を呼ぶのに少しだけつっかえてしまった。そのせいで余計に緊張して鞄を握る手に力が入る。

「その、……おかえり」
「ただいま。もう皆は帰ったの?」
「うん、ついさっき」
「そっか」
「……うん」

 沈黙。
 私は私でどぎまぎしていて彼も彼で少し緊張しているのか気まずいのか、お互いに1秒以上視線が合わない。何を中学生みたいな反応をしているのだろうか、と自分でも思ってしまう。なんだかいたたまれなくなって、じゃあとその場を脱そうと声を出すよりも先に乙骨くんの靴音が耳に入った。その音にはっと顔を上げると、もう目の前を白い制服が占めていた。

「髪、乱れてる」

 とても自然な動きだった。それをするのが当然な様に、彼は私の髪の毛を手で梳き、耳に掛けた。露になった首筋に毛先が触れて少し背中がぞわ、と粟立つ。乙骨くんの顔を見れば口元だけを笑わせていた。

「誰かに触らせたの?」

 触られているのは指なのに、なぜか私は彼に刃を当てられている錯覚に陥ってしまった。どうしてか、冗談が言える雰囲気ではないのが分かった。

「ま、きちゃんに」

 引き攣る声でなんとか伝えると、途端に乙骨くんはへにゃりと目元を緩ませ、そっかと私の耳元から手を戻し離れていく。あの冷たい雰囲気も霧散していった。たった数秒のことなのに、私は彼に狩られる呪霊の気持ちが分かってしまった。そして、彼が呪術師として特級を冠する理由も。
 気が付けば外には自然の帳が降り、廊下は蛍光灯がないと歩けないくらいに暗くなっていた。なんとなくだが帰らないと、と無意識に呟いていたのだと思う。乙骨くんはその呟きを聞き逃してはくれなかった。

「一緒に帰ろうよ、ナマエさん」

 先ほどとは違う、人の好い笑みを浮かべた彼の提案を断るなんて、出来なかった。

「もうすぐ春だね」
「うん。お花見したいね、皆で」

 当たり障りのない返事だったのに、私の手を握った乙骨くんの手に少し力が入ったのが分かる。真希ちゃんの言葉を思い出した。
 ――諦めろ。どのみちナマエじゃ乙骨から逃げられねーから。
 あの言葉の意味が、少し分かった気がする。結局、私は乙骨くんの表面しか知らなかったのだ。気弱で優しくて、里香ちゃんに一途な同級生としての彼しか。逆に言うと、それくらいに交流が少ない存在の私に彼はどうして好意を抱いたのか気になった。いつもの半分の速度でゆっくりと暗い道を歩きながら、私は何度か口を開けては閉じるを繰り返す。訊いてしまえば応えなければならない気がしたから。それでも、好奇心には勝てなかった私の口は、ついに言葉を発した。

「乙骨くんはさ、なんで私が良かったの?」

 少し回りくどい質問だったかもしれないと、言い終えてから後悔した。もっとストレートな質問はいくらでも良かったのに、なぜこの言葉を選んでしまったのか。とはいえ、もう出てしまったものは戻せない。私は諦めて乙骨くんの言葉を待つ。すると、彼は歩みを止めてじっとこちらを見て言った。

「ナマエさんと初めて会った時に、消えそうだと思ったから」

 満開の桜の下で降る花びらと一緒に風に乗って、そのまま消えそうだったから掴んでいないとと思ったんだ。そう乙骨くんは言った。

「つまりは……」
「うん、有り体に言えば一目惚れ。でもずっと本気だよ」
「そ、そっか」

 一目惚れされたのなんて人生初めてだ。いや、そもそも告白でさえも人生初めてだった。本人から理由を聴いて自分の中でも納得したからか、急に告白されたという事実にドキドキし始めてしまった。おかげで体温が瞬く間に上がり、まだ季節的に寒いのに妙に暑く感じ始める。そうしたらやっぱり気になるのは握られた手で、手汗は大丈夫だろうかと急に心配になってきた。

「乙骨くん、その、」
「……どうしたの?」

 今まで大人しく手を繋がれていたのに、急に身動ぎし始めたからか乙骨くんは逆に逃げられない様に手に力を入れてしまった。ただでさえ真希ちゃんや狗巻くんにも力で勝てていないのに、乙骨くん相手となればぴくりとも動かなくなってしまう。素直に恥ずかしいので離してくださいと言うべきか悩んでいると、乙骨くんは少し屈み私の顔を覗き込んで不思議そうに呟いた。

「あれ。……もしかして熱、ある?」
「え、いや、な、ないよ」

 挙動不審もここまでくると体調不良に見えなくもないのか、乙骨くんは空いている手を私の額に当てて熱を測る。するとどうだろうか、彼はすぐに眉根を寄せて私を抱き上げて足早に歩き出した。

「わっ、ちょっと、乙骨くん!?」
「ナマエさん、熱あるよ。早く帰らないと」
「熱なんてないから大丈夫だよ!」
「だめだよ。暴れないで」

 優しい口調とは裏腹に私を抱きしめる力は強く、暴れさせてもらえない。私の負担にならない様に移動してくれてはいるが、この状況を誰かに見られたらまずいのではないだろうかと不安が過ぎる。特に、里香ちゃんは大丈夫なのだろうか。私はちらりと乙骨くんを見上げた。

「大丈夫、もうすぐ着くから」

 その言葉を聞き前を見れば、女子寮はもうすぐそこだった。いくら乙骨くんより小柄だとはいえ人間1人抱えてこんなに早く動けるものなのかと感心してしまう。そして場違いにも見た目よりもかなり筋肉が付いているんだなぁと思ってしまった。
 寮の前に着くと、乙骨くんは私を降ろして早めに寝て早く元気になってねと名残惜しそうに私の手を離した。その温もりが離れた瞬間、急に寒気を感じたのだから本当に熱が出ていたのかと驚く。これは彼に言われた通りに大人しく早めに寝よう、そう思って乙骨くんにお礼を言って手を振り、寮に入ろうとした瞬間だった。

「――ナマエさん」

 完全に背を向け、私は気を抜いていた。乙骨くんに名前を呼ばれ、私は振り返る。闇夜を背景に白い制服の彼は妙に存在感があって、私は熱もあってか咄嗟に反応が出来なかった。

「はやく、僕のことを選んでね」

 自分の熱より少し低い体温で柔らかさのある感触が耳元に残る。甘さと、少しだけ冷たさが込められた声が鼓膜を震わせた。以前と同様、あまりにキャパオーバーなことが起きると人間固まってしまうらしい。

「またね」

 そう言っていつもみたいに微笑んだ彼の背中を、私はしばらく見送るしか出来なかった。


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