呪術 | ナノ




 仕事だと言われたから、サングラスをした性格の悪い先輩について行っただけ。そうして古いアパートの前に居た彼を見た瞬間に、持っている方の人間なのだと理解して少しだけ嫉妬した記憶がある。誰も信じないという目で先輩を見ていたのに私を見る時だけは少しだけ警戒を緩めていたから、必要とされていると感じたから伸ばされた小さな手を取った。ただそれだけだった。呪術師としての才能なんてあってない様なものだと自覚をしていたので、彼が高校に入るまでにはきっと私は呪術師なんてやっていないだろうと予感していた。数年後、その通りに現実となって私は一般企業に就職をした。だからその前に彼とはお別れをしたのだ。もう私の人生にあなたは必要がないと突っぱねて、傷付けて去った。今でも振り返る前の、何とも言えない表情を彼がしていたのが忘れられない。でも、それで終わるはずだったのだ。もう、彼とはそれっきりだと思っていたのに。

「好きです。もう、離しません」

 突然、目の前に現れた彼は今まで見たことのないくらいに獰猛に唸り私の手を掴んでそう言った。ギラギラしている様でその奥底には底知れぬ闇がある様に感じて、私は狂気とも殺気とも言える眼光に思わず身をすくませる。狼を目の前にした兎みたいに自分が非力な存在に思えた。逃げようと力を入れても到底振り払えそうにない腕を見ながら、どうしてこうなったのかとただ考えるしかなかった。

 ――あれは何年前の話だろうか。

「ナマエさん、好きです」

 中学に入学したばかりの恵が、姉の居ぬ間に真剣な表情をしてそう言ってきたのは夏の夕方だった。津美紀は友だちとの約束があるか何かで帰りが遅れていて、私と恵だけで夕飯の準備をしていた時である。安かった塩鯖を焼きながら部屋の中が魚臭くなっちゃうな、なんて考えていた私にとっては青天の霹靂で聞き間違えだとしか思えなかった。だから、今なんて言ったのかと振り返った先に居る彼に訊くしかなかった。あまりに呆けた顔をしていたのか、彼はぎゅっと眉を寄せると今度はゆっくりとしっかりと、同じ言葉を口にする。聞いてなかったなんて言えない様に私をじっと見つめながら。

「ナマエさんのことが、好きです」

 今度はしっかりと耳へと入り込んだ言葉に、私はしばしの沈黙を経てからゆったりと笑ってありがとうと返す。10近くも年の離れた子どもからの告白なんて、ただの冗談としか思えなかった。分かっていたのか、それとも納得出来なかったのか、恵は苦い顔をして黙り込んだ。私は心の中で狡い大人でごめんねと謝る。真面目な恵があんな冗談を言う訳なんてないと分かっていても、冗談と捉えなければならないと思ったのもある。呪術師として働いてはいるものの、3級止まりでいつまでも準2級に上がれない私とは違って恵には才能がある。今後、その才能が花開いた時に生家に呼び戻される可能性も考えると、彼の隣に居るべきなのは私ではないのは明白だ。尚更、その心を受け止める訳にはいかない。
 ――どうすれば、こたえてくれますか。
 彼に背を向けこの話は終わりとばかりに料理を再開すると、音もなく真後ろにまで迫って来た恵はそう訊いてきた。炊きあがったご飯を混ぜ、小鉢にお浸しを取り分けながら努めて彼の顔を見ない様にそうねと呟く。ここで一生無理だなんて言っても彼は納得しないだろうと考えると、私が言うべき答えは1つだろう。

「恵が大人になったら、かな」

 随分と曖昧な言葉だと自分でも思ったのだから、恵もそう感じたに違いない。相変わらず眉間に皺を寄せているし、1ミリも納得が出来ないと表情で語っていた。まるで純情な少年の心を弄ぶ悪女の様でなんとも言えない気持ちになる。でも、私は明確な条件を言う訳にはいかない。いつかこの世界を離れる身であるが故に、未練を残してはならないのだ。こうして彼らの世話をするのも、もうそろそろ辞めなくてはならないだろう。中学生になった彼らにはもう、私の助けなんて必要が無いはずだから。
 恵は私の出した答えにしぶしぶといった雰囲気で分かりましたとだけ言うと、何かを考える表情のまま夕飯の手伝いをしてくれた。これ以上何かを言われる前にと、目線を落として彼の顔を見ずにやってほしいことをお願いしていく。後頭部をじっと見つめるその黒い瞳が私の心の奥を見透かしそうで怖かったのもあった。もし、もうここには来ないなんて言ったら彼はどんな顔をするのだろう。ふと浮かんだ疑問は、食器を洗う泡と共にすぐに消えてなくなった。
 ご飯に味噌汁に、魚に2つのお惣菜。テーブルに全てを並べて準備を終えるころには津美紀も帰って来た。何もなかったかの様に恵と私はいつもの通りに座って笑いながら3人で食卓を囲む。学校で今日あったこととか何をしていたとか、何気ない会話を楽しんではいたが、頭の中では違うことをぐるぐると考えてしまう。そろそろ五条さんに言わないといけないかなと。もうすぐ訪れる別れに寂しさを感じて心が痛くなるのだった。

 ――それから数年後、私は当時の予想通りに呪術師を辞め一般企業でエンジニアをしていた。あの告白された日から半年後には恵の前から消え、五条さんには絶対に情報を渡さない条件で窓として協力をしている。そうしてもうすぐ4年程経つだろうか。呪術師を辞め、一般人として日々生きていくのに必死だったからか時間が経つのが本当に早いと感じる。その分大人になったのかと問われれば、素直に頷けはしないものだから何とも言えない。
 この日も残業で定時より2時間遅れて会社を出た。平日の最終日である金曜はやはりそれまでの疲れが溜まっているからか、いつもより肩と腰が倍重く感じる。はぁ。やっと解放されたとため息をついて玄関を出ると、どこかで食べて帰ろうかななんて考えながらスマホを取り出した時だった。

「やっと、見付けた……!!」

 本当に久しぶりに聞く声音に身体が勝手に反応する。私だけでなく周辺に居た通行人でさえも振り返り、発生源をを確認する程に必死な声だった。視界の端で最初に捉えた姿に私は危険を察知して、すぐに逃げようと足に力を入れ逆に走りだす。やばい、見つかってしまったと。十中八九あの薄情な先輩が漏らしたのだろうと考えると反吐が出そうになる。今はとにかく逃げようと必死に足を動かすも、少し走っただけでも息を切らしてしまう程に衰えた私が現役の呪術師である彼に敵うはずもなかった。数秒後には肩を掴まれ動きを止めざるを得なくなり、私は息を整えながら名前を呼ばれる前に人違いですと先に言い放ち下を向く。がむしゃら且つ撒くことを優先に走っていたからか辺りを見れば広く薄暗い公園の中に立っていて、私たち以外には誰の気配もしなかった。ここまで来てしまったのなら、もう白を切るしかない。どうかこのまま帰ってくれと心の中で祈った。もうあなたと私では、生きる世界が違うことに気が付いてほしいと。

「ナマエさん」

 あの頃と同じ様に切なく呼ぶものだから、途端に懐かしさが込み上げて息が詰まる。反応をしない私に恵はもう一度名前を呼びながら、私の顔を両手で掬い上げて目を合わせた。数年ぶりにちゃんと見た彼は記憶に残っているものよりずっと成長していて、立派に呪術師をしているのだなと感慨深くなる。前はどこか固かった表情も随分と柔らかくなって、信頼できる仲間も出来たのだろうと安心した。それと同時に自分の存在はもういらないのだと痛感もさせられた。だからこそ私はもう一度その目をしっかりと見つめながら人違いですと伝える。しかし、恵はすぐさま違うと否定し、私に言い聞かせる様に言う。

「帰りましょう、ナマエさん」
「無理だよ、私はもう戦えない」
「それでもいい。俺の隣に居てください」

 真っ直ぐに私を見つめるその視線は、あの日の夕方を彷彿とさせた。どくどくと心臓の動きが早くなり、焦りが生じてくる。この状況を脱するためにはどうするべきかを考えて、五条さんの存在を思い出す。私の居場所を知っているのなんて、あの人くらいしかいないのだから。いっそのことこのまま抗議してやろうとスマホを取り出して電話を掛けようとしたが、させないとばかりに鞄を漁る手を止められる。本当に、今日は何もかもが思う通りに行かない。私は余計な期待をさせない為にも、恵を見てもう戻るつもりはないとしっかりと言い放った。しかし、彼は引かない。覚悟をした表情でとんでもないことを口にする。

「もうナマエさんが戻るのは決定しています。会社の方にも圧力がかかりました」

 明日にはもう通達されるはずです、五条さんに確認してみてください。相変わらず真面目そうな顔をしてえげつないことを言うなと思った。彼が私から一歩離れたので言われた通り、私はすぐにスマホを取り出してあの薄情な先輩に電話をする。コールし始めてすぐ陽気な声で電話口に出た彼にどういうことかと問い詰めると、彼はへらへらと笑いながら真相を話し始めた。次々と出てくる内容を聞けば聞く程に頭の痛くなることばかりで、特に私を連れ戻さなければ呪術師を辞めると脅されたからと言われた時は、流石に額に手を当てて深くため息をつくしかなかった。姉のこともあるのだから辞めるはただの出任せだと先輩も分かってはいただろうに、恐らく面白そうだからと了承したに違いない。結局自分は誰かのゲームの為に使われる駒に過ぎないのだと痛感した。
 電話を一方的に切りズキズキと痛む頭を押さえて恵の方を向く。彼は表情を変えず、しかしどこかで嬉しそうに私を見ていた。ああ、と思い出す。昔、彼の誕生日に好きなものばかりを作って出した時にも同じ表情をしていたなと。しかし、あの時の様な純粋さを感じないのは私の気のせいだろうか。嫌な予感がして先手を打とうと言葉を口にする。恵にも、自分にも言い聞かせる様に。

「戻っても、もう呪術師にはならないよ」
「それでいいです。元々その予定だったので」
「……随分と準備が良いのね」
「好きな人には近くに居て欲しいですから」

 随分すんなりと好きだと言う様になったなと思った。記憶に残る最初で最後だったはずの告白は、まだどこかに恥ずかしさと葛藤が残っていたはずなのに。こうして話をしているだけでももう私の手に余る程に成長を感じて、少しだけ危機感が出てくる。もう、彼には何もかも敵わないからだろうか。
 気持ちには応えられないよとその目をしっかりと見つめて伝える。理由は言わないが、きっと頭の良い彼のことだから気が付くだろう。彼は案の定言葉の意図を汲んだのか分かっていますと返事をした。良かった。思っていたよりもずっと素直な返事に安堵して、とりあえず今日はここまでと話を切り上げて彼を帰らせようとする。残業もした上に予想外に話し込んでいたからか時間はもうすぐ21時を過ぎようとしていた。

「条件は飲むから、また明日話をしましょう。もう今日は帰りなさい」

 たった1時間とちょっとで随分といろいろな情報が入って来た気がする。私にとっては良いと言えないものばかりで、一刻も早く帰って寝たいと身体が訴えているのか頭が余計に痛くなった。彼は連絡すれば迎えの車が来るだろう。深く息を吐いてじゃあと背を向ける。しかし、私の足は一歩踏み出す前にまた恵によって止められる形となった。まだ話があるのかと余裕のない私は振り返る。しかし、暗い公園の暗い街灯を背にした彼は思っていたよりも大きく、そして闇を携えている様に見えて背筋に悪寒が走った。腕を掴まれ、私のすぐ前まで詰め寄った彼は少し屈み、しっかりと聴こえる様にゆっくりと囁く。

「あなたから見れば、まだ子どもだと思います。でもすぐに大人になりますから」

 子どものする内緒話みたいに可愛らしいものではなかった。脅迫にも似た声音に喉が引き攣る。記憶に残る彼は、こんな人だっただろうか。現実逃避の様にまだあどけない顔立ちをしていた彼を思い出すが、すぐにその眼光に焼き消される。まるでその男はもう居ないと言われている様に感じた。掴まれた腕が痛くて、眉を寄せる。きっと彼も気付いているはずなのに、その力を緩めることはなかった。

「好きです。もう、離しません」

 ギラギラと暗闇の中でその瞳が光る。狼の様に獰猛に、そして気高い光だった。かつて私が仕事だと引き受けたのは、子犬ではなく猛獣の子だったのだろうか。あの先輩がこうなると知っていて私をあてがったのかは今となっては分からない。しかし、あの日初めて目を合わせた彼に魅せられ、惹かれる様に手を伸ばしたのは、もしかしたら私の方だったのかもしれない。決して離さないと食らいつく勢いで掴まれた腕を見ながら、私は他人事の様にそう考えた。


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