呪術 | ナノ




 ――あーあ、やっちゃった。
 車の後部座席にもたれ掛かりながら、自分の手を染める赤黒い色をぼんやりと眺める。時折喉が詰まって咳込むと、追加で新鮮な赤で手を汚すものだから困ったものだと私は顔をしかめた。隣に座る野薔薇はあとちょっとだからと、普段ではあまり見られない心配そうな顔をしている。そんな彼女を観察してみるとちょっとしたかすり傷しかないみたいで安堵した。思ったより平気だよ。拳を握り親指を立てて笑いながらそう伝えようとしても、咳に邪魔されて言い切ることは出来なかった。かっこ悪いなぁ。痛む腹部に眉を寄せながらボロボロの自分に呟く。
 簡単に言えば、今回の怪我は私のミスだった。1体だと思っていた呪霊が2体居て、迫りくる気配に気付けなくて吹っ飛ばされた。ただそれだけ。内臓が負傷して少し血を吐いてはいるものの、なんとか退治は出来たので良しとしよう。完了報告をして迎えに来た車に乗り込んで、私はただ高専に着くのを待つ。疲れたと目を閉じると、こんな状況前にもあったようなと頭の片隅で考えた。

 肩を揺すられ名前を呼ばれて目を開けると、いつの間にか車は校舎の入り口の前で停まっていた。のろのろと身体を動かして家入さんの居る医務室に歩き出す。野薔薇に支えられながら歩いていると、廊下の向こうから誰かが曲がって来るのに気が付いた。こんな場所で白い服を着ているのは彼しか居ない。血が足りなくてぼーっとしていた私は、不意に見つけてしまった彼の姿と、こちらを見て驚くその表情に右手を上げて自然と話しかけていた。本当に、無意識だった。

「あ、憂太〜。見て、怪我しちゃった」

 ピースサインを作り、にっと笑い、私は自然と彼のことを憂太と呼んでいた。言い切ってから、あれ、と真顔になる。隣にいた野薔薇に私今何と言っていたかと訊くと、彼女はいや覚えてるでしょと突き放されてしまった。ですよねー。そのまま先輩の方を見れば、信じられないと目を見開いて驚いていた。ごめんなさい。また失言してしまったと謝ろうとしてみたが、咳が私の言葉を邪魔してくる。相変わらず血が溢れ廊下にぽたぽたと赤いしみを作っていた。そろそろ全身の血がカラカラになってしまうんじゃないかと他人事の様に眺めていると、野薔薇が医務室に急ぐよと私の腰を支える手に力を入れる。しかし、今回ので思っていたよりも血を失いすぎたのか、頷いてはみたものの野薔薇の肩に回していた手に力が入らなくなってしまった。彼女の細い腕では突然全身から力を抜いた人間を急に支えられはしないだろう。支えを失い迫る地面に、私はもういいやと目を閉じた。
 しかし、思っていた衝撃と地面の冷たさは来ず、代わりに柔らかいけれども硬いなにかに支えられる感触がした。ゆっくりと目を開けて見ると、そこには白い布。それも私の顔が押し付けられたからかところどころに赤い染みが付いてしまっている。両肩を支えてくれているのは野薔薇ではない誰かで、すぐに乙骨先輩だと分かった。服を汚してしまったことと支えてもらったこと。2つの意味でごめんなさいと言おうとすると、彼は私を抱き上げて首を横に振る。私は半分意識を失いかけている頭でその意図を理解して、小さく頷くとそっと目を閉じて暗い闇の中に潜り込むのであった。

 次に目を覚ましたのは医務室のベッドの上で、私はこれも前にあったなと消毒液の匂いに懐かしさを感じた。手に違和感があったので持ち上げてみると、自分で吐いた血が固まって動きを阻害しているだけだった。制服の白い裾もどす黒く染まって肌触りが悪くて、流石に買い直しだなとため息をついた。そうして、はたと気が付く。そういえばお腹が痛くない。ベッドから起き上がり服を捲ってみるとそこにある皮膚は健康的な色をしていて、すっかり治療されたのだと気が付く。寝てすっきりしたからか、脳内もクリアで咳ももう出てこなかった。さすが反転術式、相変わらずすごいな。天地がひっくり返っても自分では出来ないであろう芸当にひとしきり感動してからベッドを降りて靴を履くと、閉ざされたカーテンを開けて家入さんを探す。椅子に座り何やら見ていた彼女は、私の気配を感じてこちらを向くと起きたのかと声をかけてくれた。

「痛みは?」
「ないです。ありがとうございます」

 そう言って頭を下げると家入さんは私じゃないよと否定する。

「え? でも反転術式は家入さんしか」
「居たでしょ、特級の彼」
「乙骨先輩が……?」

 運んで来たのも彼で、治療したのも彼。あなたより死にそうな顔してたよ。家入さんはからからと笑ってそう言った。そして、元気になったのなら会いに行ってあげてとも。私は考えるよりも先に再度家入さんにお礼を言ってから医務室を出ると、まだ残っているかと2年の教室に向かうのであった。

 まだ夕方になったばかりの校舎は明るくて、私は足早に廊下を歩いた。2年の教室なんて初めて行くはずなのに、その道順には身に覚えがあるのか迷うことなく足は進んでいく。頭は覚えていなくても身体が覚えていることは多々ある。あの日、彼と小指を結んだ時だって、そうだった様に。途中、ふとお手洗いが目に入って一瞬だけこの血で汚れた手を洗うかを迷ったが、結論が出るよりも先に足は目的の場所を選んだのか止まることはなかった。
 思っていたよりも早く歩いていたらしく、辿り着いた教室の前に立つと私の肩は酸素を取り込もうといつもより大げさに上下していた。きっと緊張のせいもあるのだと思う。流石にドアを開ける前に落ち着くこう。深呼吸して息を整える姿はどう見ても挙動不審で、こういう時ばかりはこの人の少なさに感謝するしかなかった。
 深呼吸を繰り返すこと5回。最後に大きく息を吸い、大きく吐くと私は意を決してドアに手を掛ける。彼がこの中に居るか居ないのか分からないはずなのに、どうしてか私は居るという確信を持っていた。きっとこれも身体の記憶なのだろうと結論付けて、いざ手に力を入れる。がらり。やけに音が響くなと思った。心臓をバクバクと跳ねさせ、私はその人を探す。白い服を着た目立つ背中は教室に置かれた机の右から2番目の席に座り、じっと黒板を見ていた。まるで魂が抜けたかの様に静かで、精巧に作られた人形みたいだと思った。

「先輩」

 私は彼に声を掛ける。私がドアを開ける音も、その前の足音でさえも聞こえていたはずなのに、彼はこちらを向かなかったから。しかし、彼は本当に気付かなかったかの様にびくりと肩を震わせると恐る恐るといった様子でこちらに振り返った。夕日に照らされていてもただでさえ白い顔色が更に青白く、これではどっちが怪我をしていたのか分からないなと苦笑してしまう。何かに耐える様な表情で動かない彼に、私から近付いて話しかけてみる。

「先輩のおかげで元気になりました。ありがとうございます」

 努めて明るく、元気にそう言ってみた。文字通り死ぬほど心配されているのが分かったから、そうしてみたのだが先輩は気の抜けた返事しかしない。乙骨先輩。私は名前を呼んでその手を取ろうと、自身の手を伸ばす。しかし、血が固まり見るからに汚い手で彼の手に触れるのを躊躇い空中で止めた。時間にして3秒ほど躊躇って、戻そうとした時だった。

「……ナマエちゃん」

 先輩は宙に浮いた私の手を取ったかと思うと、自身の頬に引っ張っていく。まるで存在を確かめる様に強く、それでいてどこか手を弱弱しく震わせながら。初めて触れた彼の頬は温かく、手を包む指先は少しだけ冷えていた。私は突然のことで動けなかった。いや、動かなかったという方が正しいだろう。先輩の微かな良かったという呟きに、私は床に両膝をついてその顔を見上げた。涙こそ出てはいないが、その手前といったところだろうか。初めて見たかもと勝手に感想が口から漏れ、ふはと緩んだ笑いが出る。その反応に先輩の目に光が宿り、驚きと希望の表情が生まれる。しかし、彼が期待している様なことはまだない。やっと、スタート地点に立ったところだろう。私は先輩の右手を取り、自分の頬に当てて目を伏せる。

「ごめんなさい、まだ記憶は戻っていません」

 期待していた言葉ではなかったのだろう。彼の雰囲気が残念そうに揺らめくのを感じ取った。だが、悲観するものでもなかったらしい。ちらりと見たその表情から希望は消えていなかったみたいで、安堵した私はほっと息を緩め、でもと続ける。頬に当たる彼の手は温かい。

「今はこう言わせてください」
「……」
「ごめんね。それとありがとう、憂太」

 言い切るが早いか彼が動いた方が早いか、言葉の終わりと同時にその大きな影は私に覆いかぶさった。床に膝をついた私に負担が掛からない様に強く、それでいて優しく。本当なら余計な期待をさせない為にも引き剥がさないとだめな状況だろうが、私はその背中を大人しく受け入れた。どこかで拒まれると思っていたのだろう。手を回すと一瞬驚いたのか、彼は息を詰めてぴくりと反応した。大丈夫だと伝える様に頭を軽く撫で、背中をさすってみると、安堵した様にその身体に入っていた力が弱まる。しかし、すぐに首に回る腕に離さないとばかりに力が入ってしまった。まるで大きな子どもだと思わず笑ってしまう。まぁ、今日くらいは良いか。少しずつ暗くなっていく中で首元にかかる吐息がくすぐったくても、私はただただ彼が落ち着くのを待つのであった。


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