呪術 | ナノ




「先生、今日も好き! 大好き!」
「うんうん、どうもありがとねー」

 教室から校庭を眺めている時に遠くの方で五条先生を見つけると、私は授業中にも関わらず窓から飛び出してその背中を追うのはもう日常茶飯事だった。後ろから聞こえる怒声には耳も貸さず校庭を突っ切って校舎に入る直前の、その広い背中に思い切り抱き着いて今日も私は大胆不敵に愛の告白をする。ぐりぐりと背中に額を押し付けながら深呼吸して私はいつも思うのだ。はぁー、今日もかっこいいしいい匂いだしこの引き締まった腹筋も最高、と。まるで変態みたいに全身で五条先生を堪能する私の対応にもう慣れてしまったのか、先生は乾いた笑いと決まった返事だけをして腕を自分から剥がすとまた歩き出した。何もなかったかの様に上機嫌で鼻歌なんて歌いながら、またどこかで買ってきたお土産を揺らして。通算405回目の私の告白は、またしても門前払いで終わってしまった。今日もダメだったか。ぽつんと残された私は地の底に付きそうな程に肩を落とし、とぼとぼと教室に帰る。ドアをそろりと開けて中を覗くともちろんそこで待っていたのは眉間に青筋を作った夜蛾学長で、へらへらと笑いながら謝る私は容赦なく呪骸パンチを貰うのであった。

「ナマエってほんと後先考えないわよねー」
「だって今日も先生かっこよかったんだもん……」
「だめだこりゃ」

 昼休憩。相変わらずぼっこりと腫れた頬を氷嚢で冷やしながら、私はめそめそと今日もだめだった机に突っ伏した。耳にタコができるくらい同じ愚痴を聞いていた野薔薇は、私のあまりの話の聞かなさに彼女は諦めのため息をついて遠い目をしている。こいつにはもう何を言ってもだめだとどうやら悟ったらしかった。私が持参したポッキーをぽりぽり齧って残念なものを見る目で私を眺めているので、ひどいと手で顔を覆って嘘泣きをして見せる。そうしたら舌打ちをされたのですぐに止めておいた。もう野薔薇は私のことを慰めてくれなさそうだ。口を尖らせながら改めて今日の予定表を見ると、午後からは悠仁だけが五条先生と1対1の稽古。なにこれ。無意識に心の声が漏れる。壊れた人形の様に頭をゆっくりと動かし恵と楽しそうに会話する奴のところまで大股で近寄ると、それは低い声で名前を呼んだ。

「ゆ、う、じ、くぅん?」
「え。……あ、やべ」

 私の表情と手に持ったスマホから、何やら察してしまったらしい。悠仁は視線を泳がせると恵にトイレと見え透いた嘘を残して窓から飛び出た。おい待てや悠仁!! あまりにも華麗な逃げ足に一瞬気を取られるも、すぐに我に返った私はスカートが翻るのも気にせずに窓枠に足を掛けてあのピンク頭を追い掛ける。窓を乗り越え校庭に出た時にはもう悠仁の姿は米粒の様に小さくなっていて反射的に舌打ちをする。もちろん私にあの超人を捕まえられないのは重々承知だが、このぶつけようのない気持ちを発散するには丁度いいだろう。ただっぴろい校庭で、めちゃくちゃに悔しいやら代われやらと叫ぶ私の声が2年生の教室にまで響いたとか響かなかったとか。結局、午後の授業が始まっても悠仁は逃げたまま教室には帰って来なかった。

 その日の放課後、やっと学生の本業から解放された私は校舎をくまなく練り歩き、文字通り隅から隅まで目を光らせていた。目的はもちろん五条先生の捜索で、特級という忙しい身分であるので居ないと分かりつつも、もしかしたらという淡い希望を持って足を伸ばしてしまう。それを1年とちょっと繰り返せば、最早日課と言っても過言ではないだろう。そんなこんなで先生の居そうな場所を探して、私はひたすらに広い校舎をただ歩く。
 保健室、先生の個室、備品室、放送室、校庭のベンチ。過去に何度か遭遇したことのある場所を順に回ってみるが、今日はどこにもあの目立つ白い髪の毛は見当たらない。朝にお土産を持って帰って来たから、今日はもう任務が無いと思っていたのに。もう帰ってしまったのだろうかと少し落ち込んでしまう。最後に図書室に寄って、居なかったら諦めよう。そう思ってダメ元で訪れてみれば運命の女神が私に微笑んでくれたらしい。図書室の片隅、本棚で隠れたその場所で、五条先生は資料を開いたまま眠っていた。

「……五条先生」

 起きるかな、と思い頬杖をついたまま寝ている先生の肩を軽く突いてみる。声も出来る限り抑えてはみたが、静かな図書室ではそれなりに大きく聞こえて口を噤む。寝にくそうな体勢で寝ているのでちょっと近づけば起きると思ったが、疲れているのか寝息は変わらず穏やかで起きる気配もない。どうしよう。私は座る先生の隣に立った状態で、困ってしまった。寝ている人を無理やり起こす程に鬼畜ではないつもりだし、でもせっかく会ったのだから話をしたいと思う乙女心もある。天使と悪魔が、心の中で対立していた。
 私はしばらく悩んだ後、悪魔が支配してしまった頭の中でちょっとくらいなら良いよねと、誰に許可を取るわけでもなく考えて手を伸ばす。目指す指先は、秘密を携えた目隠しだった。目を瞑っているから瞳は見られないけど。本当に出来心で黒いそれに指を引っ掛ける。僅かに振れた肌に、ドキリと心臓が跳ねる。起きたかなと様子を伺うが、寝息は一定の速度を保っていた。緊張で手のひらがじっとりと濡れ始めたが、私はもう後には戻れないとばかりに目隠しを引っ張った。頬が広がり、伏せられた睫毛が長くて私は思わず息を呑む。睫毛や眉毛まで白いことにも驚いた。もう少し近くで見たいなぁ。そう思いゆっくり顔を近づけた瞬間だった。

「ナマエのえっち」

 寝ていると思って気を緩めていた私は、開かれた瞼とその向こうの瞳に身体を凍らせた。久しぶりに見た美しいそれはいつもならば嬉しくてもっと見ようと迫っていたはずなのに、まるで先生の寝込みを襲っている様な物言いをするので私は慌てて離れて否定をする。先生は目隠しを戻して背伸びをすると、慌てすぎとけらけら笑った。相変わらず私は先生の手のひらで弄ばれていて、悔しく感じてしまう。ちょっとの恨みを込めた目で睨むと、先生は気付いていない様に私にどうしたのと訊いてくる。その声音が優しくて、私は結局そんなところも良いのだと先生を好きになるしかなかった。
 足を一歩前に踏み出し物理的な距離を詰めて、ほんのちょっと手を伸ばせば触れられる距離に立ってみた。いい加減、良い返事が欲しいです。資料をパラパラと捲り読んでいるのかいないのか分からない彼に、私は独り言の様にお願いをした。どうせ無視されるか、適当に流されるのだろうと返事は期待していなかった。いっそのことこっぴどく振られれば未練はあるかもしれないけれど完全に諦めもつくのに、先生はただの1度も否定の言葉をくれない。かといって、気持ちに応える素振りもないくせにそれなのに毎日優しくて私は困っているのだ。

「ねぇ、先生」

 資料を眺めたまま動かない先生に我慢の出来なくなった私は手を伸ばす。こうして自分の気持ちを押し付けているのも、返事をくれとだだをこねているのも、ただのわがままだと理解している。少しくらい気持ちを汲んでくれたって良いのにと、ただ意地悪をしてみたつもりだった。しかし、伸ばした手は先生の肩に触れる前に、その大きな手で捉えられる。あまりにも急で身体をすくませていると、先生はイラつきを隠さない声で私に笑いかけた。

「ナマエはさぁ、鈍いって言われない?」
「え、え……? 言われ、ないです」
「いや、鈍いよ」

 そこらへんちゃんと自覚しておいてよ。握られた手は引っ張ってみても離してくれそうになかった。ただならぬ雰囲気と声音に少し怖くなり、身体を引こうとする。しかし、その行動が気に入らなかったのか逆に先生は手に力を込めて私を引っ張った。わ、と予想もしていなかったことに驚きの声を上げて私は先生の方に倒れこむ。いつもは背中にしか抱き着いてこなかったから、こうして正面で膝の上に座らされ抱きすくめられるとどうしても落ち着かない。混乱する頭でとりあえず離れないとと思い身体を起こそうとしても、今度は両手でがっちりと背中まで手を回されどうしようもなくなる。

「あの、せんせい」
「ほら、言ってみなよ、いつもの」
「え、あの、」
「ほーら、言ってみて。僕のことだーい好きだってさ」

 上から降る声は楽しそうであるが、普段の冗談を感じさせる様な音色ではなかった。私はどうすべきか分からず、かといって先生に反抗することも出来ず。いろいろと解決策を考えている間にも早く早くと彼は急かしてくる。数秒後に覚悟を決めた私はちょうど手のひらに当たる黒い服をぎゅっと握り、まるで子猫の様な声を絞り出して言った。

「せんせ、のこと、……だいすき、です」
「そうそう、よくできました」

 えらいねぇ。先生は上機嫌に私の頭を撫でてそう言った。まるで子どもをあやす様に、そしてそれが正解だと教え込む様に。私は恥ずかしさと緊張で目に涙を溜めて先生の行動を待つ。どうしてこんなことになったのだろうと考えながら。先生はイラつきが治まっても私を離そうとはしなかった。私の髪の毛を梳く様に指を通し、首筋に滑らせる。指先が皮膚に触れる度に私が少しだけ息を詰めるのを、手の主は楽しんでいる様子だった。いつまでこうしていれば良いのだろうか。脱出を諦めて先生の肩に頭を乗せて考えていた時だった。ナマエはさ、と名前を呼ばれて私は反応する。もちろん、身体はがっちりと抱き込まれたまま、はいと返事をしてみる。

「全然僕のこと分かってないよね」

 首に触れた指先が、背中へと流れて背筋にぞわりと波が走る。艶めかしい触り方に、突然わき腹に回っているもう片方の手の感触が途端に生々しく感じた。分かっていないって何がと質問する隙も与えてくれず、手は背中を抜けるとそのままスカートの方へ伝ってゆく。そこで初めて体感する男の存在に、お腹の底がぞくりと蠢いた。先生は手を止めずスカートの端まで這わせた手を今度は潜り込ませて進めていく。地肌の、それも今までに出来た彼氏でさえも触れられたことのない場所へ流れる指の感触に思わず声が漏れた。

「僕が忍耐強い男で、ナマエは本当に良かったね」

 くつくつと愉快そうに笑う先生は言い終えるか否か、私の上半身を起こし顔を見る様に顎をくいと動かす。いつの間にか目隠しを外していたのか、さらさらと髪の毛は下へと流れ神秘的な瞳は惜しげもなく晒されていた。あまりにも至近距離で見たそれが美しくて、蜜に吸い寄せられる様に私は近付いていく。先生はいつもみたい私を止めもせず動かず、ただ静かに笑っていた。

「僕が君にだけ術式を解く理由、今なら理解してもらえた?」

 顎から耳元へ動いた手が、まるで逃がさないとでも言うかの様に力が込められる。ただされるがままに近付いてくるこの世で最も好きな人のかんばせに、私はゆっくりと目を閉じた。


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