どうして相手のポケモンは元気に立っているのに、自分のガーディは地面に倒れてぐったりしているのだろうか。しかし、すぐにその状況を頭が理解する。

 ――私、負けたんだ。

 頭の中を真っ白にしながらもなんとか体を動かしその小さな体を抱きしめると、ルリナさんに頭を下げて涙をこらえながらポケモンセンターへと走った。ジョーイさんにガーディを預け、受付のソファに座りさっきまでのことを思い出す。何が悪かったのだろうかと。だが、答えなどわかり切っていた。どう考えても私の考えが浅はかだったのだ。

 ぼろぼろこぼれ落ちる涙を手のひらで拭う。それでもズボンにはシミが広がっていった。余計に悔しくて、涙が止まらない。声だけは漏れないように唇をぐっと噛み締め先程の試合を思い出す。

 ――この日、私は生まれて初めての敗北を味わった。

・ ・ ・

 ことの始まりはつい10日ほど前だった。春にスクールを無事卒業して、ジムチャレンジのためにキバナさんに推薦状を書いてもらって、頑張れよと応援してもらって。パパとママからは新しいリュックを買ってもらい、今までお手伝いをして貯めたお小遣いを持った。

 キバナさんから貰ったヘアゴムは使いすぎて金具が壊れてしまったので、パパにお願いしてネックレスに変えてもらった。胸元でキラキラと光るネックレスは、見るだけで幸せになる。そうして初秋となり、開催が始まったジムチャレンジの参加証を貰うと、私は早速初めのジムのあるターフタウンへ向かった。

 ナックルシティからエンジンシティまでは絶対に列車で移動しようと心の中で決めていた。大きな窓の外で流れる景色は新鮮で楽しくて、私はかじりつくように眺める。満足すると今度はスマホロトムを出してSNSを確認した。このロトムはパパに定期的に連絡してくれと渡されたものだった。

 フォローしたキバナさんのページを見れば、さっそくトレーニング中の写真を上げていた。フライゴンは後ろでキバナさんの真似をしてダンベルを持って遊んでいる。見ている方にも楽しさが伝わる写真で口元が緩む。なにか反応したいと指を動かすもリツイートまでする勇気はなく、ハートマークを押して自己満足した。それと同時に社内にアナウンスが流れる。エンジンシティに到着すると私は弾むように列車を飛び出した。

 3番道路に踏み入れると、初めは飛び出すポケモンに逐一びっくりしたり、目が合う度にトレーナーにバトルを申し込まれたりととにかく大変だった。持っている傷薬もすぐに底をついてしまい、ターフタウンに行くためにガラル鉱山までたどり着いたは良いものの、その日のうちに中に入るのは断念した。幸い、道中で木の実をいくつか入手が出来たので、鉱山より少し手前でキャンプを広げる。カレーを作りガーディと一緒に食べると一人旅の疲れか、夜になると私はポケモン除けのお香を焚き瞬く間に眠りについた。

 翌日、目が覚めて元気になるとすぐに行動を始めた。ガラル鉱山の中は思っていたよりも明るく、岩に埋まった鉱石が光を受けてキラキラと輝いていた。道が複雑なのに壁が綺麗で見惚れたせいで何度か迷子になり困ったが、鉱山内で働いている人とバトルをしながら出口を教えてもらってなんとか脱出できた。今回はなんとかガーディと一緒に切り抜けられたものの、彼の負担になっているのは目に見えていて少し申し訳なくなった。

 4番道路を抜けてターフタウンに着くと最初のジムに挑戦する前に、一度休んでおこうとポケモンセンターに向かった。ジムチャレンジをするトレーナー向けに、無料で宿泊施設を提供してくれるためだ。ジョーイさんに話しか鍵を受け取ると、早速指定された部屋へ向かい備え付けのベッドに倒れ込む。

「うー……。つかれ、たぁ……」

 やはり慣れない1人旅はいろいろと辛いものがあった。テントを張るのにも少しは慣れたが体力がいるし、食事の用意も洗い物も全て1人でやらなければならないので時間がいくらあっても足りない。いつもママがあっという間にしてくれたことでさえも、手間取ってタイムロスになってしまう。ママの偉大さを痛感した数日だったと思う。

 ボールから抜け出してきたガーディが、仰向けになった私を労るように頬を舐めてくれる。それだけで頬が緩み少し元気が湧いてくる。ありがとうとお礼を言いながらその小さな身体を両手で持ち上げ、胸に抱き入れると私はこれからしなければならないことを頭の中でぼーっと考えた。

 ーーえーと、傷薬を後で買いに行ってご飯を食べて……、久しぶりにお風呂でお湯にも浸かりたいなぁ。それにパパにも連絡しないと……、

 それから、それから、と考えているうちに頭の中は次第に霞がかかったかのように白くなっていく。あ、このままだと寝ちゃう。そう気付いた時には時すでに遅く、すっかりと重いまぶたに視界は覆われた。そして私は夢を見る。見事このまま勝ち進み、キバナさんとポケモンバトルをするという夢であった。

 次に起きたのは、日が沈みかけた夕方だった。マナーモードのロトムが震え、私に着信があるのを知らせる。少し寝てすっかりと頭が冴えると、私は上半身を起こしてロトムを呼び寄せる。ガーディは警戒心なく、お腹をおっぴろげにしてくぅくぅ寝ていた。その様子に思わず吹き出し、ロトムに写真を撮ってもらう。しっかりと撮影された大きなお腹に満足すると、先程の2件あった着信の内容を見た。

「パパと……、んん? これ誰だろ……」

 パパからの安否確認の連絡の他に、家族にしか知り得ない私のメールアドレスに知らない人からのメッセージが来ていた。パパには先程のガーディの写真を添付してから、今はターフタウンに到着して明日ジムミッションに挑戦する旨を書いて送信する。送信しましたという文字を確認してから、もう一度メッセージ一覧の画面に戻り2つ目のメッセージを確認した。

 ーー立場上あまり贔屓出来ないけど、応援してるぜ!

 短いメッセージの最後にある“キバナ”という文字を見て私の心臓は一気に高鳴りだした。その下にはフライゴンとキバナさんが笑顔で手を振っている短い動画が添付されており、私は思わぬサプライズにこれは夢の続きだろうかと確かめるために頬をつねる。

「いたい」

 自分でつねった頬が痛くて、これは夢ではないのだと確信する。こんなに嬉しいことがあって良いのだろうか。私はすぐにキバナさんに返信すると、湧き出たやる気を使ってなすべき事をすべく行動を始めた。

 翌日、私は朝一番にジムを訪れ支給されたユニフォームに着替え、ジムミッションに挑戦した。ウール―をゴールまで転がすのはかなり難しかったが、なんとか制限時間以内にクリアしてみせる。途中のジムトレーナーとのバトルもガーディの圧勝で終わった。この調子ならヤローさんにもきっと勝てる。そう確信してガーディに傷薬を使って体力を回復させる。

「いくよ、ガーディ」

 ガーディが元気よく私の声に返事をした。左手についたダイマックスバンドが震える。初めてのダイマックスを交えた戦いに期待する私は武者震いした。私はその頼もしい声に頷くと、歓声の沸くスタジアムに踏み出した――。

・ ・ ・

 試合は苦戦しながらもギリギリではあるがガーディの勝ちで終わった。全力で試合に挑み体力を使い切ってしまった私は、全身から汗を流しながらその場にへたり込む。ヤローさんは腰が抜けてしまった私の近くまで歩み寄ってくると、握手を兼ねて引っ張り起こしてくれる。生まれたてのドロバンコのように足をぷるぷるさせながら、笑顔で勝利の証であるジムバッジを受け取った。緑の葉をモチーフにした初めてのバッジに感動して胸に抱くと、私はヤローさんに深く一礼をしてスタジアムを後にした。

 ジム戦の勝利をパパとママ、それとキバナさんにも同じくこの喜びを写真付きで知らせる。すると両者ともすぐにお祝いの返事が来て私は反射的に笑顔になる。その日は観戦に来ていたおじいちゃんとおばあちゃんに挨拶をし、一緒に食事を取るとすぐにバウタウンへ向かうべく旅を開始した。

 5番道路を歩いて行くと、巨大な橋の手前に育て屋があるのに気付き足を止める。つい興味がわき外にある柵の向こうを見ると、何匹かのポケモンが楽しそうに遊んでいた。スクールで教わったことを言えば、育て屋にポケモンを雌雄2匹預けると運が良ければ卵が見つかるということだろうか。私はまだガーディしかパートナーが居ないので、また彼のお嫁さん候補が見つかればいつか利用してみたいと思った。

 随分と興味津々に眺めていたからか表に居るお姉さんと目が合ってしまい、軽く会釈して前を通り過ぎようとする。

「ねぇ、タマゴ欲しくない?」

 しかし、その前に声を掛けられて足を止めた。自分の他にも誰かいるのかと周りを見渡しても、私以外には誰もいない。再びお姉さんを見ると、彼女はくすりと笑って「あなたのことよ」と手招きした。その腕に抱かれたタマゴに、ついふらふらと近寄って行く。目の前に立つと、お姉さんはタマゴを差し出して言った。

「この子、お客さんがさっき置いて行っちゃったの。これも何かの縁だと思って、あなたが育ててみない?」

 触れるとほのかに暖かいタマゴに、私は戸惑いお姉さんの顔を伺う。するとお姉さんは私の腕の中にタマゴを押し込み頷いた。

「タマゴは大事にしてね。どんな子が産れるかは、お楽しみよ!」

 胸に抱いたタマゴについてこれ以上なにも聞けないまま、私は歩みを再開した。たまに後ろを振り返ればお姉さんが手を振っていて、引き返すことが叶わなくなってしまう。教科書で読んだ孵化方法は、ただタマゴを抱えてひたすら歩くことだった。

「突然だけど、よろしくね」

 まだ動きのない、彼か彼女か分からないタマゴに語り掛ける。ガーディと2人きりだった旅が、思わぬ出会いに余計楽しくなってくる。バウタウンまであと少し。橋から見えるワイルドエリアを眺めながら、次のジムではどんなミッションが待ち構えているのかとワクワクした。

・ ・ ・

 バウタウンに着くと、ターフタウンと同じようにポケモンセンターに向かい部屋を借りて一泊した。お風呂に入りさっぱりすると、両親にタマゴを貰ったことと街へ着いたことを連絡する。キバナさんにも写真付きで連絡をすると、ジムミッションの応援と共にどんなポケモンが産れるか楽しみだなと返事がきた。そうやってベッドでゴロゴロしていると、急いで歩いた反動からか疲れが一気に押し寄せてきてしまった。まだ晩御飯も食べていないのにと、どこか他人事のように考える。結局、翌日の早朝になるまで私は一度も目を覚ますことがないまま、惰眠をむさぼることとなってしまったのであった。

 翌日、元気になった私は晩御飯をすっぽかされすっかりご立腹のガーディに平謝りして、朝ご飯を食べた。お金の節約をするために近くのお店で買ったサンドイッチでお腹を満たす。ガーディにはポケモンフードを用意したのだが、本当はカレーが食べたかったみたいで少し不満そうに鳴いていた。

「今日勝ったら、うんとおいしいカレー作るからね」

 元気づけるためにそう言って彼の頭を撫でると、やる気が出て来たのかガーディは大きく吠える。この調子なら、今日のジムミッションも上手くクリア出来るかもしれない。水タイプのポケモンとは相性が悪いが、頑張ろう。そう心の中で考えた。

 海の傍の町であるバウタウンは、外に出ると潮の香りがする。陸地ではあまり見かけないポケモンが数多くいて、散歩するだけでもとても楽しい。しかし、ジムチャレンジ中の身としてはそんなに観光する余裕がなく、私はわき目も振らずに目的地へ向かった。

 ジムに到着してチャレンジャー用ユニフォームに着替えると、早速ジムミッションが始まる。色のついたスイッチを押すごとに、対応した水管から降る水が出たり止まったりするパズルだった。最初はどこを押すと止まるのかが分からずてんやわんやしたが、数回試すとその法則が見えてきてすんなりとクリア出来た。次はいよいよ、ルリナさんとのバトルだ。数年前の開会式に見て以来だっただろうか。足元に立つガーディに頑張ろうねと励ますと、彼は力強く頷いて前を向いた。

 2つ目のジムクリアまであと少し。私はぎゅっと拳に力を入れると、大きく一歩を踏み出した。

 ――しかし、現実はそんなに甘くない。

 ルリナさんのポケモンは、私のたった1匹の手持ちであるガーディには荷が重すぎたのだ。ジムトレーナー戦ではなんとかなったガーディでも、ジムリーダーの複数いる手持ちには歯が立たなかった。ダイマックスをしても、その猛攻にガーディは耐えられなかった。

 目を回して倒れるガーディを見て、私は思考が止まる。

「……大丈夫?」

 ルリナさんの言葉にハッとすると、なんとか対戦のお礼を言ってガーディを抱き上げる。零れそうになる涙を見せたくないので、ずっと下を向いたままだった。ジョーイさんにガーディを預け、回復するまでの間受付で座って待つ。

 ――負けた。負けてしまった。

 ぐるぐると敗北という文字が頭の中に浮かぶ。これで、今年の私の挑戦は終わりだ。2つ目のジムで躓いている私に、最強のジムリーダーであるキバナさんとのバトルなんて夢のまた夢だ。こんな形で、キバナさんが遠い存在なのだと実感させられるなんて。負けたことが悔しくて、私はタオルを取り出すことも忘れて、ポケモンセンターの片隅で1人声を押し殺しながら涙を流した。

 その後、私は負けたことをパパに伝えると、パパはすぐにアーマーガアタクシーで私を迎えに来てくれた。たった数日だが、久しぶりに見たパパの優しい笑顔にまた涙が溢れてきてしまい、その胸に飛び込むと私は思い切り声を出して泣いた。パパは「家に帰ろう」と優しく抱きしめてくれた。

 その年のジムチャレンジが終わっても、私はまだキバナさんに会いに行かなかった。いや、行けなかったという方が正しいだろうか。きっとキバナさんも私からの連絡がないことと、ジムミッションに現れなかったことで途中で敗退したのを知っているだろう。何度か元気かどうか確認するメールが来ていたが、私はそれに返信する勇気がなかった。どう返信して良いかもわからない。

・ ・ ・

 秋ももうすぐ終わりのまた1つ年齢が上がった頃。休日になると私は朝にタマゴを抱え、ガーディと散歩をするという習慣が出来ていた。散歩と言っても近くの広い公園を2、3週する程度の短いものだ。平日はガーディとバトルをしにワイルドエリアへ行っているので、タマゴを持ち歩けないためだった。相変わらず週に一度のフライゴンへのお菓子とキバナさんへの花は、ちゃんとヒトミさんに渡してもらっている。直接渡さないのかと一度訊かれたが、その時余程私が困った顔をしていたのかヒトミさんはそれ以上何も言わずに渡してくれているみたいだった。そのお礼として、私はヒトミさんが好きだと言っていたコーヒーをプレゼントした。

 時間はもうすぐお昼になる頃か、私はガーディにそろそろ帰ろうかと言う。いつもはそこで返事をしてくれるガーディが、なぜだか今日は立ち止まって後ろを振り返った。

「どうしたの?」

 それにつられて後ろを向くと、久しぶりに見たその顔に一瞬息をのんだ。

「……キバナ、さん」
「よぉ」

 思わずタマゴをぎゅっと強く抱いて下を向く。合わせる顔がない。申し訳なくて、今にも逃げ出したかったのだが、なんとか踏みとどまる。程なくして、私が下げた目線の先にキバナさんの脚が入り込んだ。もうすぐ冬だというのに、露出した肌は寒くないのかなと関係ないことを考える。

「ほら、顔上げろ」

 軽い現実逃避をする私を逃がさないとでも言いたそうに、キバナさんは言った。しばらく下げたままの頭を動かさなかった私に、キバナさんはもう一度「ほら」と促した。

 おずおずと顔を上げると、そこには以前と変わらない優しい表情のキバナさんが居た。キバナさんの所まで行くって約束したのに、私は負けたのに。じわじわと再び溢れ出て来た敗北の悔しさと、その変わらない彼の表情に対する安堵で涙腺が緩む。タマゴを抱えているので拭えない涙は頬を伝い、タマゴの表面へぽたぽたと落ちていく。好きな人の前で泣くなんて恥ずかしいし、ぶさいくに決まってる。そうは思っていても、涙はとめどなく流れ止まらない。

「悪い、泣かせるつもりはなかったんだ」

 急に泣き出した私に少し慌てながらも、キバナさんは持っていたハンカチでそっと私の頬を拭ってくれた。キバナさんが謝ることなんて一切ないのに、また触れてしまった彼の優しさに心がいっぱいになる。まるで小さな子どものように泣きじゃくる私のことを、彼は何も言わず傍に居て慰めてくれた。私はルリナさんに負けて悔しくて、情けなくて連絡出来なかったことをキバナさんに謝った。キバナさんはパパから何度か連絡をもらったみたいで、知っていたと静かに言った。

「でも、出来ればそこはアツバさんからじゃなくて、リーシアから直接聞きたかった」

 少し困ったように笑ったキバナさんに、私は連絡しなかったことを後悔してごめんなさいと謝る。キバナさんは笑って「いいよ」と許してくれた。

 思い切り泣き涙がようやく枯れて落ち着くと、キバナさんは私の大好きな笑顔で「おかえり」と言ってくれた。私は出来る限りのとびきりの笑顔を浮かべると、「ただいま」と返した。

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