「…………」
「…………」

 道端で一番出会いたくなかった奴と目が合い、私は人違いですよとばかりに先に視線を逸らす。頼むからそのまま通り過ぎてくれと必死に祈る。しかし、思い通りに動いてくれない男、それがキバナだ。けっこう距離があったにも関わらず、奴はいつの間にか目の前に立つとニヤニヤしながら通せんぼしてきた。

「どうしたんだよその恰好」
「…………おバ……お姉さまが」おババさまと言おうとしたらどこからか鋭い視線を感じたので言い直す。

 キバナはへぇと相変わらず憎たらしい笑顔を浮かべながら私の頭の天辺からつま先までをじろじろと見ている。女性に対してその視線、失礼だと思わないのだろうか。昔から変わらない無礼な男だと私は心の中で悪態をついた。そもそも、こうして私が振袖を着させられて街中を歩いているのには深い深い理由があった。

・ ・ ・

 この日、仕事が休みだった私は二度寝をこれでもかというほど満喫していた。外は快晴で普通ならば出掛けるところだが、昨夜に職場から持ち帰った仕事を片付けていたら寝るのが明け方になってしまったのだ。疲れて深い眠りにつく私が、文字通り連れ出されるなんて思いもしないだろう。お気に入りの遮光カーテンで真っ暗なはずの部屋が急に明るくなったので、眩しさで夢の世界から釣り上げられる。目を開けた先に居たのは見慣れたおババさまで、私は寝ぼけたまま呼んだ。

「なんで、おば……」

 ばさまが。全部言う前に手に持った杖が頭に飛んできた。傍にいるマホイップは心配そうに様子を見ているが、手助けをするつもりは毛頭ないらしい。痛みが私の脳内をクリアにしてくれたおかげで、私は失言を心の底から後悔した。とりあえず寝かせられていたベッドの上で土下座をして誠心誠意ポプラお姉さまに謝る。ふん、と鼻を鳴らすとお姉さまは満足そうに振り返り部屋を出て行った。どうやら許してくださったようだ。安堵して立ち上がる。部屋を見渡せばここはお姉さまの家の客間だった。一体全体どうやって連れて来られたのか……、私はよれたTシャツに短パンと部屋着のままだった。髪の毛に至っては寝ぐせで爆発している。眠気を早く追い払わねば。使い慣れたお姉さまの家の洗面所へ向かった。

 洗顔を終わらせると、そばではマホイップがタオルを持ってスタンバイしていた。ありがたく受け取り水けをふき取ると、使うようにと置いてある化粧品でスキンケアを始める。さすがジムリーダー様だ。使っている化粧品がどれも高級品で恐れ多い。いつもよりもしっとりとする肌に満足してリビングへ向かうと、テーブルの上に用意されてある朝食を食べるようマホイップに誘導される。至れり尽くせりだが、何やら嫌な予感しかしない。

「うん、おいしい。おいしいけどさ……」

 もう帰って良いかな。マホイップに訊くと、彼女はにっこりと笑って頭を横に振った。ふるふると揺れる柔らかそうな体が途端に憎らしく感じる。締めに彼女がグラスにブラッドオレンジジュースを注いでくれたので、飲み干す。食事も済み胃が満たされると、マホイップは私の手を引いてリビングから二つ隣の部屋へ案内してくれた。ドアの前に着き、開けるようマホイップが鳴く。帰りたいという呟きは、マホイップに聞き流されてしまった。

「やっと来たのかい」

 待ちくたびれたとばかりにお姉さまがため息をついた。急に連れて来られたのは私なのに……。そんな反抗など出来ず、私は腑に落ちないながらもすみませんと謝罪する。なんかおかしいよなぁ。そんな疑問は浮かべど口に出すことは許されない。お姉さまに指示されるがまま、指定された場所へ立った。

 ウォークインクローゼットに入って行ったかと思えば、お姉さまは紙に包まれた何かを取り出して帰ってきた。何だろうかと見つめていると、お姉さまが一言。

「振袖だよ。ジョウトで買ってきてもらったのさ」
「フリソデ……」

 聞いたことも見たこともない物に疑問を浮かべていると、近くの大きなテーブルで紙を開き始める。すると出て来たのは真っ赤な下地に金糸や銀糸で描かれたホウオウだった。図鑑でしか見たことのないポケモンと、その美しさに息をのむ。

「綺麗……」私は思わず呟いた。
「ほら、服脱ぎな。パンツも……と言いたいところだけど、ブラジャーだけでいいよ」

 もちろんそれはブラジャーも脱げということらしい。嫌だ無理だと抗議しても、お姉さまのうるさいで全て一蹴される。最後は半泣きで私はほぼ全裸になって立たされていた。私の涙には目もくれずお姉さまは次々と振袖を着せていく。これは振袖の中でも中振袖と言い、独身の女性しか着られないのだと説明された。着るのは一枚だと思っていたその服は、真っ赤なそれを着るまでにいろいろと身に付けさせられた。胸が無いから着させやすいと呟いたお姉さまの声は聞こえなかったものとしよう。

 着付けが始まって1時間。ようやく最後のオパールが嵌った帯締めをエメラルドグリーンの帯の上で締めると、お姉さまは終わったよと息をつく。

「……すごく、重いのですが……」

 重い、苦しい、動きづらいの三拍子だった。肌触りは最高で私にでも良いものだと分かるが、説明もなしにこうして着飾らせられたのは一種の拷問だろうか。これから一体どうしろと、とお姉さまを見る。私の視線は鉄壁のリフレクターで跳ね除けると美容師も真っ青な技術で私の顔に化粧を施し、髪の毛は複雑に編み込みセットをしてこれもジョウトで買ったらしい髪飾りで飾る。ああ、今度は身体だけでなくて頭も重くなってしまった。あれよあれよという間に全身が綺麗に仕上がることに脳がついていけない。気が付けば私はお姉さまによって豪華な草履を履かせられ小ぶりな鞄を持たされ、外に待たせてあったアーマーガアタクシーに乗せられるとナックルシティに輸送されたのである。そうして、何がどうなっているのだと混乱しているときにキバナと出くわしたのだ。

・ ・ ・

「一番あんたに会いたくなかった」
「おいおい、つれねーこと言うなよ」

 オレさま悲しい。なんてぶりっ子みたいにわざとらしく泣き真似をするキバナは最高に私の神経を逆なでしてくる。一言くらい素直に可愛いとか言えないのかと、呆れてしまい隠すことなく大きなため息をついて見せた。こうしている間にももの珍しいのか私たちの周りに少しずつ人だかりが出来ていく。キバナも居るとなればそのスピードは加速していくばかりだった。ただでさえ重いし動きにくいのに、囲まれたら出られなくなってしまう。私はロトムを呼び出すとソニアに連絡をした。

「なんだ、用事あんのか」

 とりあえずその場から移動しようと歩き出すと、キバナはその長い足でゆったりと着いて来ながら私に訊いた。

「そうです。ほら、さっさとどっか行ってよ」

 しっし! 虫を払うようにキバナに手を動かす。しかし、キバナはへらへらとしたまま、懲りずに纏わりついてくる。こいつはまとわりつくでも覚えたのかと心の中で舌打ちした。しばらく歩いていると、先ほど連絡したソニアが何故かいつもの格好ではなく、カジュアルなドレスを着て私を迎えに来た。今日のお姉さまと言い、ソニアと言い、一体全体どうしたのだと目を白黒させる。近づいてきたソニアにどうしたの、と言いかけると彼女はキバナに見えないようにシーッと人差し指を唇に当て、喋らないようにとジェスチャーしてくる。訳が分からず言う通りに黙ると、ソニアはわざとらしくロトムを確認しながら言った。

「あぁ〜ら、たいへーん! 急いで、リーシア! お相手がもう来てるみたいよ!」

 それはもう大げさに、大きな声で女優かと思うほどの演技力だった。相手? 来ている? 一体何のことだ。言っている意味が分からず私の頭は混乱するばかりだったが、キバナは何かを感じ取ったのか表情を険しくさせて「それ、どういうことだ」とソニアに訊いている。ソニアはその問いには答えず、私は彼女に手を引かれ歩くスピードが上げた。私たちが居なくなったことで、キバナはファンに囲まれてしまい身動きが取れなくなったらしい。後ろで声は聞こえるが姿は見えないのできっともみくちゃにされているのだろう。いい気味だと私は心の中でほくそ笑んだ。

 その後、ソニアに連れて行かれたのはナックルシティでも有名な高級レストランだった。受付でソニアの名前を出すと、お待ちしておりましたと個室へ案内される。部屋に着き中へ入ると大きなテーブルに椅子が数脚設置されており、そこにはソニアと同じように正装のダンデと各ジムリーダーが着席している。更にはこの前誕生したばかりの新チャンピオンのユウリちゃんまで座っていた。一体何事だとソニアを振り返る。

「え、まだ気付いてないの!? 今日はリーシアの誕生日でしょ!」
「え……。あっ」

 言われてみればそうだったと、私はようやく思い出した。明け方に寝た時も、仕事に忙殺されて今日はとんでもない誕生日だとぼやいていた気がする。つまり、今朝のお姉さまは私をお祝いするためにこうして準備をしてくれたのだとやっと理解した。そうなると、途端に感動して涙が目の奥からあふれ出てくる。ソニアは慌ててハンカチを取り出し、せっかく綺麗にしてもらったんだからとそっと目を抑えてくれた。

「今日は一段と綺麗ね、リーシア」ルリナが立ち上がり、私に近づくと手を握って言ってくれた。

 綺麗なのはどう見てもルリナの方だよと返す。ルリナはこの鈍さをなんとかしないととため息をついていた。その後はダンデやヤローさんにカブさんにと、次々に立ち上がり私におめでとうと伝える。最後はユウリちゃんが、可愛い笑顔で私にお祝いの言葉をくれた。こんなにも豪華な面子に囲まれて誕生日を祝われ、今の私は世界一の幸せ者だと心の底から思う。和やかな雰囲気になり、さぁこれから料理を堪能しようと席に着いた時だった。

 ――お客様!

 部屋の外が何やら騒がしい。ウェイター数人の声に加え、聞き覚えのある憎たらしい声が近づいてくる。十中八九キバナだった。そういえば全ジムリーダーとチャンピオンが一堂に会するこの場に、唯一最強のジムリーダーが居ない。そういえばあいつも一応ジムリーダーだったかと思い出す。この計画をしたであろうソニアを見ると、てへっとあざといポーズをしながらロトムの画面を私に見せた。

 ――にて、13時よりリーシアがお見合いするよ☆

 レストランの名前と部屋名、時間とありえない要件が、その画面には表示されていた。それを見たせいか、キバナは血相を変えてここに来たらしい。私は何をそんなに驚く必要があるのだとため息をついた。

「おい、リーシア! オレさまが居るのに見合いなんてありえねーだろ!!」

 中の様子もろくに確認せずにキバナは勢いよくドアを開けて叫んだ。部屋に居る全員が、静寂に包まれる。当然キバナも思っていた現場と違って固まって声も出なくなったみたいだ。その身体の後ろでキバナを止めようとしたウェイターは、申し訳なさそうに縮こまっていた。

「……とりあえず、中へどうぞ」

 このままではらちが明かない。私は仕方がなく立ち上がると、キバナを中へと引き入れウェイターを解放する。彼らは失礼致しますと頭を下げると、足早にその場を後にした。中でポツンと立つキバナは、状況が把握出来ておらず2度3度と部屋を見渡す。きっと、私と見合い相手しか居ないと思っていた場に、顔見知りが全員居るものだから理解が追い付いていないのだろう。すぐにソニアのメッセージは嘘だと、彼に教えた。すると彼は力が抜けたようにしゃがみ込むと「マジかよ……」と頭を抱えて呟く。別に私がお見合いするだけなのに、そんなに慌てること? と私はキバナに訊いた。

「キバナ、そろそろちゃんと伝えた方が良いんじゃないのか?」

 私の問いかけに答えないキバナに、ダンデが言う。キバナは顔を上げてじとりと私を睨むと、後でまた来ると立ち上がり部屋を出た。一体何だったんだ。キバナの不審な行動を理解できずにいる私は怪訝な顔をしていたが、私以外の皆は――ユウリちゃん以外――生暖かい目でキバナを見送っていたらしい。結局、キバナは30分ほどでまた姿を現した。服はスラックスと白いシャツの上に黒いジャケットとシンプルなものだったが腹が立つくらい似合っていて、あれでも奴は腐ってもイケメンだからなと改めて実感する。部屋へ堂々と入り真っ直ぐ私の所まで歩いてくると、座る私を見下ろして言う。

「リーシア、手、出せ」

 せっかく食事を楽しんでいるときに、何なんだ。ぐっと眉間に皺を寄せると、私はしぶしぶ手を突き出した。すると、キバナはその身体で隠していたらしい真っ赤な薔薇の花束を私の腕に乗せた。ずしりと重みが腕に加わり、慌てて両手で受け止める。中はスプレータイプの小ぶりの花だが、合計で100本ほどあるだろうか。お祝いのつもりなのだろうが、一体どういう風の吹き回しだろう。私は疑心暗鬼でキバナを見る。

「おま、それの意味分かってんのかよ」

 せっかく持ち運びやすいように小ぶりなのにしたのに。キバナはため息をついた。意味が分からなくて、ソニアを見ると彼女はにやりと笑ってこっそりと耳打ちしてくる。

 ――赤い薔薇が100本って、結婚してくださいってことよ!

「…………は?」

 一瞬だけ固まる私だがすぐにそれを否定するため「いやいやいやいや、何言ってんのソニア!」立ち上がって叫んだ。どうしよう、何故だか顔が熱い。いや、気のせいだ。そう自分に言い聞かせる。冗談だよね? そろりとキバナを見れば彼の表情はいつになく真剣で、助けを求めるために周りを見れば皆楽しそうにキバナを応援している。やっと言ったなー! 遅いんだよ〜。その様子を見て、どうやら皆はキバナの気持ちをずっと前から知っていたのだと悟った。

「いや、ちょっと、考えられないんだけど……」

 もちろん混乱もあった。しかし正直言うと、今は大変だけど仕事をするのが好きで結婚はおろか恋人を作ろうと考えたことはなかった。それなのにいくら幼馴染とは言っても、恋人すっ飛ばしていきなり結婚してほしいだなんて。未だ戸惑う私は思いつく限りのことをキバナに伝えるが、彼は彼で一歩も譲らない。

「オレは、リーシアのことがずっと好きだった。結婚して欲しいと思ってる」

 どうしよう。顔に溜まる熱と薔薇の香りで頭がくらくらしてくる。いくら勉強しても、いくら情報を詰め込んでもこんなことにはならなかったのに。今日は情報量の多さと寝不足も相まって、脳が限界に達したらしい。

「――あ、おいっ!」

 私は花束をしっかり抱えたまま、その場で気を失ってしまった。

・ ・ ・

 次に目が覚めて見たのは、キバナの顔だった。花束は近くの机の上に置いてあり、私は簡易ベッドの上で寝かされている。嗅ぎなれた独特な匂いで、ここがナックルスタジアムの医務室だとわかった。服は相変わらず着物だったが襟と帯がわずかに緩められているので、気を失う前よりも呼吸が楽になっていた。

「……脅かすなよ、ほんと」

 キバナがぼそりと呟く。私はごめんと謝った。いや、そもそも原因はソニアだし私は何も悪くないと思ったが、さすがに言えない。キバナはオレも突然悪かったといつになく殊勝に謝ってきた。なんだか彼らしくなくて思わず吹き出すと、キバナは大きなため息をついた。

「オレさま、結構アピールしたつもりなんだけどなぁ……」

 薔薇の花束を見つめて、彼はぼやいた。その様子を見て、少し申し訳なく思ってしまう。なぜだか私は彼との関係が幼馴染がゆえに、彼は私を好きにならないという先入観があったのだ。恋愛対象にもなっていないと思っていた。多分それは、ソニアとルリナにも言われたが私が鈍いせいもあるのだろう。さすがに少し反省する。気まずくて黙り込む私を見てキバナは気にすんなと笑う。

「これから頑張れば良いって話だろ? 長期戦は元から覚悟してたし、今日はこうして気持ちに気付いてくれただけでもいいさ」

 これは宣戦布告だからな、とキバナは付け加えた。さて、と彼が立ち上がり部屋のドアへと歩き出しドアの前で立ち止まると、こちらを見ずにキバナは言った。

「今日の格好、似合ってる。すごく綺麗だ」

 これから改めてお祝いするから後で来いよ、と言い残し彼はドアの向こうへと消えて行った。革靴の音が離れていくのが聞こえる。緩んでしまった帯を直すために、キバナはロトムでお姉さまを呼んでくれたみたいだ。そのまま彼が部屋を出てドアが閉まると、しばらくしてお姉さまが入って来る。マホイップも一緒だ。ベッドの上で座り俯いている私の顔を覗き込むと、一言。

「おや。……若いって良いわね」

 薔薇の香り漂う部屋で、この美しい振袖にも負けないほどの赤い顔を私はたまらず両手で隠した。

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