小説 | ナノ

 09

廩饂はしゃがみこみ、誰もが目を伏せるようなそれを顔色一つ変えずにまじまじと見た。ふと、胸元の深い傷に目がいった。まるで鋭利な刃物で抉られたようであった。しかし刀や鎌にしてはその傷はあまりに深く、大きすぎる。

「この傷は人間の仕業ではないな。熊か…?」

一方で平八は莎介の姿を探した。この場にはいないようだ。嫌な予感が脳裏を過(よぎ)るが、頭(かぶり)を降ってそれを振り払った。
廩饂にその場を託し、莎介を探して慌ただしくなった街道を走った。すれ違う人を見ては建物に目を移した。そして、この国では名の知れた橋の前までたどり着き、足を止めた。莎介は無事だった。その足元では異様な形の…、ただの獣と言うには大きすぎる体を持った何者かが長い舌を垂らして事切れていた。額の部分には角らしきものがある。このような生き物には見覚えがあり、背筋が凍った。数年前の大戦の発端でもある化け物にそっくりだ。

莎介は刀を鞘に納めようとはせずに、既に息絶えたそれをズブズブと耳を塞ぎたくなるような音を立ててひたすら突き刺し続けていた。返り血か、はたまた莎介の血か解らぬ血液がこびりついた顔の表情を伺ってみれば憎悪の念がはっきりと見て取れた。

平八は歩み寄って振り上げた莎介の腕を掴んで静止させる。まるで何かにとり憑かれて、それが術師によって解かれたようにはっと我に帰り、平八を見上げる瞳が恐怖に揺らいだ。

「あ、あぁ…、あぁ!奴らだ!何故なのだ。何故、命懸けで討伐したあの化け物がこの国にいるのだ!!」

荒々しい息遣いで歯をぎりっと食いしばり、石畳を爪痕が残るくらい強く掻いた。

「美鵺のあの大穴に堕とし、封じたのではなかったのか?くそっ、忌々しい鬼獣め!」

恨めしげに発せられた鬼獣という言葉。それこそが人間を窮地に追いやった獣の名だ。

あの日、大戦が始まって早々に城主が鬼獣に殺され、国として立ち行かなくなった美鵺を人々は捨てる覚悟をした。化け物相手に昼夜問わず戦ってきた人々は疲れきっており、続々と運ばれてくる怪我人の治療すら間に合わない状態が続いていた。そして、死者も数え切れない程出ていた。
残った三ヵ国の城主は、このままの状態が続くとなるとこちら側が不利になることを見越し、美鵺に大穴を掘りその穴に鬼獣を堕として封じることにした。まんまと誘きだされ、雪崩のように堕ちた鬼獣共は南国、阿佐織の名の知れた術師によって永遠に封じられた、はずだった。

まさかまだ地上に残党が残っていて、こうして餌を求めてこの地にやってきたのだろうか。または…
この時最悪の事態が頭を過った。

封が破られたのか。

莎介が落ち着いた後に平八は屋敷の者を呼び、鬼獣と思われる獣の死骸を運び出させた。死骸が片付けられた後も生臭い匂いは消えなかった。

屋敷に戻ると門の前に廩饂が立っていた。二人を見るなりほっとして表情を緩ませたが、それも一瞬のことで、すぐに厳しい顔つきに戻った。



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