ハロウィン

なんとなく浮き足だった空気がそこかしこで感じられる。何が、と言っても特にこれといった何かがあるわけでもなくて、ただ色んな店のディスプレイが黒とオレンジを基調とするものになる日、というだけである。
外国のお盆に訪ねてくるのはご先祖ではなく死霊なのだそうだ。それから魔のもの。詳しくは知らないが、魔女だとか吸血鬼なんかのことをそう呼ぶらしい。ちょっとどころでなくすごく会いたくない方々だ。
そう、つまり今日はハロウィンなのである。
仮装することばかりが有名になっているが、その起源は蘇った死霊たちに生者とバレると襲われて死霊にされる――つまり、殺されてしまうから、紛れるために死霊たちと同じ姿をしたことらしい。それがどうしてお菓子を貰いに回ることになったのかは忘れてしまったが、とにかく神無月の最終日に、西洋の行事が少しずつ根付きつつあることをぼんやりと実感する。
実感しても、自分には特に関係は無いのだが。
そういえば家々を回るときに合言葉のようなものがあったはずだ。残念なことに英語の成績は芳しくないが、響きだけはなんとなく耳に残っている。英語教師の熱心な教育の賜物というべきか。
何と言うのだっただろう。えーとと唸りながら思い返してみるが、喉の少し下で詰まってしまって出てこない。
「トリ、トリック、オア、だっけ。オア?イン?いや、インじゃないな。えーと、トリック、オア…オア…なんだっけ」
「トリック、オア、トリート」
聞き取りやすいようにゆっくりと区切りながら発音されたのは、ちょうど頭を悩ませていた合言葉だった。
「そうそれそれ!トリックオアトリートだ!」
「ずいぶん大きな独り言だったな、風丸」
「誰かいるとは思ってなかったんだよ」
切れ長の目をいたずらっぽく歪めるチームメイトが口の端を上げる。日に焼けた肌は健康的だが、髪の色だけはいつ見ても眩く光を反射する。銀というよりも金に似た輝きの髪は、プールの中から見上げた太陽の色に似ている。
「それで?」
ほのかに笑いながら手が差し出される。何を意味しているのか分からなくて手と顔を交互に見れば、笑みが深くなる。あまり見ない表情なだけにまじまじと見つめると、今度は不思議そうな顔をした。
「もしかして、分からないのか?」
「何が?」
質問に質問で返すと、呆れたように差し出していた手で首の後ろを押さえる。
「さっき、俺はなんて言った?」
「さっき?独り言がデカい」
「その前」
前に何か言っただろうかと首を捻る。合言葉が思い出せなくて唸っていたら豪炎寺がやってきて独り言がうるさい、と。合言葉?
「あ。え、あれそのつもりだったのか?」
「せっかくだから乗っておこうかと思ったんだが、もういい」
「ちょっと待てって。確か飴かクッキーフレーバーが…」
ポケットとカバンに手を突っ込んで捜索するが、指先にお目当てのものは引っ掛からない。乱雑に物を詰め込むことを後悔するのはこういうときだ。
「悪い、見つからない」
「だからもういい」
「待てよ。いたずらしないのか」
「して欲しいのか?」
驚いた顔で見つめられる。はっきり言う。さっきのは失言だ。別にいたずらして欲しいわけはない。というか避けられるなら遠慮したい。だが、こういった行事に無縁そうな人間の口からそんなことを言われて何もなく終わらせてしまうのは、なんだか勿体ないと思ってしまったのだ。それに、正直なところそんなひどいいたずらをするように思えなかったのもある。
黙って見つめ合うこと数十秒。
「……お菓子が無いなら、いたずらだ」
呟いて、豪炎寺が一歩近くなる。目にかかる前髪を指がすくい上げて顔が寄せられる。吐息は唇を掠め、頬にぬくもりがたどり着く。
キスをされたのだ、と気付くには、少し時間が必要だった。
「よく似合う」
「え?」
身体は離れたのに前髪が下りてこない。こめかみの辺りに金属があることを指先に触れた冷たさが知らせてくる。ヘアピンか何かだろう。
「なんでこんなの持ってるんだよ」
「なんでだろうな」
含み笑いを浮かべて肩をすくめる。もしかしなくとも女子の雑貨だ、可愛い飾りがついているのかもしれない。
「お返しやろうか」
「いらない」
「トリック、あ、逃げるなよ!」
「聞こえない!」
フィールドと同じように軽やかに身体を翻して駆けていく背中。競走なら負けないと強く地面を蹴る。お菓子かいたずらか。後者を選んで困らせてやろう。そのためにはまず捕まえなくては、あのいたずらものを。

2012/10/31 23:58()

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