氷輪に口づけ(半豪)

2011/03/19

※ちょっと未来



「もう、やめることにしたんだ」

豪炎寺の言葉に、半田は耳を疑った。
二人は月の光がぼんやりと照らす道を歩いていた。雲は薄く空にかかっていて、その網の隙間から星が零れてきそうな夜空に、吐いた息が白く昇っていって新しい雲になりそう、そんな不思議な雰囲気があった。
豪炎寺は晴れ晴れと、ではないが荷物を下ろしたようにすっきりした顔をしていて、半田には何がなんだか分からなかった。
だって、豪炎寺がやめると言ったのは。

「嘘、だろ?」

半田の声は震えていた。寒さからではない。半田にもよく分からない理由で震えていた。

「サッカーやめるなんて、嘘だろ?」

はは、と乾いた笑いが漏れたが、半田にはどこか遠くのほうから聞こえたような気がした。豪炎寺は答えない。いつものように少し大人びた顔で、微かに笑顔を浮かべている。

「だって、お前がどんなになってもやめられなかったものだろ」

豪炎寺は静かに歩いていくだけで、立ち止まってしまった半田はどうしたらいいか分からなくなってしまった。
中学を卒業してから、豪炎寺はプロチームの下部組織でサッカーをしていた。父親と少し揉めたと聞いた。ただ、中学のときとは違う事情らしいが。
中学の頃からずば抜けていた豪炎寺はやはり、そこでも一目置かれる存在になっていた。スカウトもひっきりなしで、誰もがプロデビュー一号は豪炎寺だと思っていた。
半田も、豪炎寺たちには及ばないながらも高校のサッカー部で奮闘していた。努力しか出来ないが、頑張った。
高校卒業を目前にして、豪炎寺のスカウト競争は激しさを増す。海外からも声がかかったという噂も流れたが、豪炎寺ならと納得した。
それなのに、豪炎寺はサッカーをやめると言う。

「半田?」

豪炎寺が振り返った。二人の間の距離。現実はそれ以上に隔たっている。

「……なんで」

喉が熱い。色んなものが込み上げてきて、吐き出せなくて苦しい。
豪炎寺は半田のところまで戻ってきた。サッカーを捨てて、豪炎寺はただの平凡な少年になろうとしている。半田と並ぼうとしている。
半田は豪炎寺の胸ぐらを掴んだ。

「なんでだよ!」

つかえていたものが叫び声になって飛び出す。

「お前にとってサッカーってそんなもんだったのかよ!大事じゃなかったのかよ!辛くなるくらい好きだったんじゃなかったのかよ!」

顔を歪める半田と対照的に、豪炎寺は穏やかに微笑んでいる。

「ああ、好きだった。今も好きだ。大事だ、すごく。本当に」
「じゃあ…!」

半田を宥めるように豪炎寺は首を振った。諦めではない。もっと違う感情が浮かんでいる。

「もういいんだ。楽しいサッカーをやって、好きにさせてもらった。満足してる。そろそろ親孝行しなくちゃな」

半田は悟った。豪炎寺は本当にそれでいいと思っている。嘘でもなんでもなくもう充分だと、思っている。
半田はだらりと腕を下ろした。胸に込み上げていたものは、喉より上にいった。鼻の奥がつんとする。目が痺れたようになって視界の端が歪む。
あ、と思ったときにはもう遅い。涙は驚くほど呆気なく頬を伝った。一度溢れてしまえば、涙は次から次へと頬を濡らす。悲しい。悔しい。それ以外にも色んな気持ちがどんどん爆発するように出てきて、半田は息苦しさを感じる。

「泣くなよ」

豪炎寺が呆れたように笑う。優しい顔をして、優しい声で、優しい手で半田を慰める。違うだろ。そう思ったのに、言葉は出てこなかった。

「全く」

豪炎寺は半田の涙を拭ってやる。ぽろぽろ零れる滴は甲に流れて袖の中に消えていった。頬に触れる手をそっと掴む。冷えた指先が、今二人の共有するもの。

「ごめ、ん。俺、俺」
「ああもう、だから今まで黙ってたんだ」

豪炎寺は泣きそうなのをこらえた顔で笑っていた。なんだよ、お前も泣きたいんじゃないか。
丸みを失って大人の輪郭に変わりつつある頬を両手で包む。豪炎寺のほうが少し身長が高いから、半田はこっそりと背伸びをして額にそっとキスをする。常に露出しているそこは夜の空気に冷やされていて、冷たかった。

「……お前がサッカーしたくなったら付き合うから、いつでも呼べよ」
「そうする」

豪炎寺は笑った。半田は乱暴に涙を拭うと、豪炎寺の手を握る。そっと握り返された手は少しだけ温かかった。



―――
ツイッターで書いていたものです。お題はいいきっかけをくれますね。
昨日はついつい寝てしまったので更新し損ねました。うっかり。

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