ソファ(大人風豪)

2020/09/01

豪炎寺が出ていった。

高校を卒業と同時に同居を始めて、少なくとも五年は一緒に暮らしていた計算になる。どうして同居に至ったのかは覚えていない。ただ、とても自然な流れだった記憶だけがある。
はじめのうちは本当にただの同居人という関係だった。互いにプロのサッカー選手として活動するようになって、二人の関係が変化して、同棲になった。
穏やかで、平凡で、ありふれていて、ぬるま湯のような日々だった。
元々、豪炎寺と風丸の仲は良好なほうだ。性格が似ていたとは思わないが、性質が似ていたのだろう。同居だった頃も居心地の良い空間を共有していたし、そのために努力をしているということもなかった。

だから、豪炎寺が出ていくと言ったとき、風丸はその言葉の意味が理解できなかった。

「……は?」

思わずといった風に漏れた間抜けな声に、豪炎寺からの返答はひどく素っ気ない。

「一応、次の部屋の目星はつけてある」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」

どうして、そう問うた風丸に、豪炎寺は昔よくしていた顔をした。
少年の頃、彼らはなんでも出来て、何も出来なかった。世界を救っても、たった一人の少年すら救えない。
諦観の混じった寂しさの匂いのする、遠くを見る目で、泣きもしなければ笑いもしない。
夏の日、日本一になった後に全てを奪われたあの頃の、14歳の豪炎寺がそこにいた。

「このままじゃいけないんだ」

あの日、豪炎寺を見送ったのは円堂だった。

「このままだと、俺たちは一歩も動けなくなる」

荷物を纏める彼に、自分は何と言っただろう。

「立ち止まることが全部悪いんじゃない」

ありきたりの言葉すら、言えなかったような気がする。

「でも、俺たちにとってそれは良いものじゃない」

病院のベッドの上で再会したとき、彼はどんな顔をしていただろうか。

「だから、俺たちは離れないといけない」

何を言っているのか、風丸にはさっぱりわからなかった。
豪炎寺は時に、詩的な言い回しをした。文学的表現を好んでいるからというわけではなく、言葉選びがあまり得意でないせいで、足りない言葉があることがそう感じさせるのだ。
普段の風丸なら、その抜けてしまった言葉の見当をつけることもそう難しくないし、彼の言いたいことを汲み取ることもできた。
けれど、今はわからない。どうして豪炎寺がそんなことを言い出したのか、何を考えているのか、何を思っての行動なのか、何一つわからない。

「たぶん、すぐにわかると思う」

豪炎寺はたまに、風丸の胸の内を見透かしたような言葉を投げかけてくる。
普段はそれこそ人の機微などピッチの上でしかわからないような、鈍感な人間のふりをしておいて、こんな風に言ってくる。そのたびに風丸は、豪炎寺修也という人間がわからなくなる。
まともに考えられないでいる風丸を置き去りに、豪炎寺は部屋を出ていった。

それが、三ヶ月前のことだ。

彼がいなくなってからというもの、何につけ彼を思い出す。
彼は物を多く持たない人間だった。服と、仕事の道具と、段ボール箱にしたら三つに納まるような荷物だけ持っていった。それなのに、この部屋には彼の跡ばかりだ。
家具は、同居をするからと二人の共用として買った。二人がけのソファは、男二人が並ぶからと大きなものを選んだ。意外と怠惰なところのある豪炎寺は、それでよくうたた寝をしていた。風丸のクッションを抱え込んで、不思議なバランスで身体を丸めて寝るのが好きなようだった。
食器は豪炎寺が選んだ。白い皿に薄く青い線が縁取りされたものがお気に入りで、理由は風丸の髪の色のようだから。そう言われて笑った日のことを、思い出す。
テレビのそばにある置物は、豪炎寺の友人からの土産物だった。そういえば、なぜこれは置いていってしまったのだろう。
一つ一つ数えるごとに、胸の中に何かが降り積もる。窒息してしまいそうな量が積み上がって、それに沈んで、ようやく気付く。

「……寂しい」

違う。悲しい。それも違う。気持ちの判別すらできなくなっている。

「お前と話をしたいよ、豪炎寺」

嫌われてしまったのだろうか。ただ一緒にいるだけで心地のよい空間を、共有することができていると思っていたのは自分だけだったのだろうか。彼に負担をかけてしまっていたのだろうか。
風丸の思考はあちらこちらへ飛んでいく。
カーテンの色は豪炎寺が選んだ。
テーブルは風丸の提案が採用された。
テレビは豪炎寺が譲らなかった。大きな画面で試合が見たい、と言い張った。
代わりに風丸は空調機器を妥協しなかった。体調管理は風丸の担当だった。
ソファは、二人の意見が一致した。二人のものだった。
この部屋は、二人のためのものだった。
痕跡ばかりの部屋は痛々しい。もういない人間の匂いを色濃くさせておきながら、いないことをまざまざと見せつけてくる。
今日は水曜日。テレビに搭載された録画機能が勝手に動く。海外のスポーツ番組、サッカー特集はいつも水曜日だ。豪炎寺が予約をして、いつもそれを一緒に見ていた。酒をあまり好まない風丸に合わせて、コーヒーを飲みながら。
大きなソファに二人で並んで、時には戦略で言い争いにもなった。何度言っても豪炎寺が風丸を前線に上げたがるから、鬼道に電話して巻き込んで、酔っ払いどもめ、と悪態を吐かれた。電話を切って大笑いをして、それからまた戦略の話をして。
幸福に満ちていた。
幸せだった。
お前は、何が、だめだったんだ。
テレビが動く音を聞きたくなくて、いつも出掛ける準備をする。外で長居も出来なくてすぐ戻ってくるのに、出掛けずにはいられない。
近くの店で少しだけ買い物をして、開けた冷蔵庫に落胆する。
豪炎寺がいなくなってからも、彼が好きな食べ物をつい買ってしまう。毎週買って、誰も食べないまま賞味期限の前日になって、仕方なくそれを食べる。
ずっと、繰り返している。
いつまでも未練がましいと思っているのに、いつか帰ってくるかもしれないと、望みを捨てられない。
テレビの録画が止まる。
ひとりきりのソファの広さに慣れることの出来ない風丸を置き去りに、水曜日は終わりを告げた。
ドアの開く音は、しない。



ーーー
生きてます。生きてました。
風丸と豪炎寺の相性は悪くないのに、豪炎寺が不安になりやすく風丸に強引さが足りないせいでこんなことが起こる。
結局元サヤだけどな!

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