朽ちる(風豪パラレル)

2013/07/23


ぱり、何かが裂ける音がして目を覚ますと、豪炎寺の右目は見えなくなっていた。
目が機能していない、その事実に豪炎寺は恐怖した。愛し続けたサッカー、今や彼はそのプロとして生計を立てている。命のように思っていたスポーツは正しく豪炎寺の命となっていた。
右目が見えなくなれば、必然的に右側の情報を受け取るのは耳が主となる。しかし音だけでは右の動きに正確に対処できない。一瞬の判断が勝敗を左右する世界で判断材料が減ること、それは死を意味するのと同義だった。
何が起きている、と右目に触れようとした豪炎寺の指先に皮膚よりもすべらかで冷たい何かの感触。咄嗟に押さえた手のひらに丸く、形を感じた。
知りたいのに怖い。目を押さえた右手を離せないまま、豪炎寺は携帯を使って十年来の友人でありチームメイトを呼んだ。彼が駆け付けたのは、早朝にも関わらずそれから半時も経たない頃だった。

「豪炎寺…」

どこか呆然とした声で風丸が呼び掛けてくる。豪炎寺はようやく手を離すことが出来た。

「風丸、目が、右目が見えないんだ」

片目だけが結ぶ焦点を頼りに伸ばした手は風丸に触れることは無かった。


髪を下ろし右目に被せ、その上を長い布で柔らかく覆う。東南の民族がするような風体を違和感なくさせたのは、呼び出した友人だった。
片目を覆った豪炎寺の手を引き、病院まで連れて行く。それだけのことに疲れ果てた顔をしていた風丸は、病院で話を聞いて魂を手放したようになった。

「……はい?」
「ですから、この病気は最近見つかったばかりで一切の原因も対処法も分からないんです」

豪炎寺は瞬きも出来ない目が乾きを訴えないことをようやく疑問に思った。

「その青い花は眼球に生えています。根を張っていますが栄養を得ている訳ではない。ですが除去には痛みを伴い、失明の危険があります」
「今見えていないのに、失明?」

意味が分からない、そう言わんばかりの声で問う豪炎寺は花弁をそっと指先でなぞった。右目に咲いた花は青く、風丸の髪よりもただひたすらに青い。意識して右を見ると視界の端に辛うじて花弁が少し入り込んだ。触っている感覚は指先にしか無い。肉体の一部ではないのだから当然ではあるのだが、花弁は何も伝えてこない。
医師は頷いた。まるで出来の良い生徒の質問を喜ぶ教師のようだ。

「眼球の機能は生きています。ただ、花が麻痺させている。それだけです」
「どうしたらいいんですか」

豪炎寺が訊ねる。彼の目は彼だけの目ではない。チームの、時には日本の人びと全ての目となる。サッカーという一点において、豪炎寺は平凡な一選手ではなかった。黄金時代と呼ばれた少年期からそのまま成長し続けた、至宝とすら評される一流のストライカー、それが豪炎寺という男だ。
何より、家族や仲間以外全てがサッカーで埋められていると言っても過言ではないほど、豪炎寺はサッカーを愛していた。彼の半身と言ってもいい。神に愛された才能の塊は、神に愛されるに相応しいだけの愛を自らを構成するそれに注いでいたのだ。
サッカーが出来るようになるにはどうしたら良いか、豪炎寺が訊ねるのは当然であった。

「それは分かりません」

医師の冷静な声は無情のホイッスルにも似た響きで部屋の二人を打つ。項垂れる豪炎寺の肩をそっと風丸が抱いた。立っているせいで寄りかからせてやることも出来ない。悲嘆にくれる友人を安易な言葉で慰めることなど以ての外で、泣き出す姿を見たことのない彼の涙は花に吸われてしまったのだなどと夢物語のようなことを考えるくらいしか、許されていなかった。


その日のうちに、豪炎寺は所属するチームに引退を申し出た。試合に出られない自分に価値を見出だすことが出来なかったからだ。
現役の、しかもまだこれからという選手の引退は世界的なニュースとなり、豪炎寺は会見場に引き摺り出された。花を隠さず現れた姿にこの奇病は瞬く間に誰もが知ることとなり、研究機関が立ち上げられたと聞く。また、不謹慎ながら瞳に花を咲かせた姿に倒錯的な美や興奮を覚えたものが少なくなかったのか、彼と明言されないもののモチーフにした映画やドラマ、小説、絵画などが次々と生まれた。
だがしかし、それら全て彼の意識の外である。豪炎寺にとって価値を見出だせる物では到底なかった。

「また寝てないのか」

風丸が訪ねてきたのを出迎えれば、呆れたような苦い顔で豪炎寺の目元を親指で優しく撫でる。頬を包むように添えられた残りの指先が冷えている。まだ冬まで遠いのにと終わったばかりとは言い難い季節の寒さを思い出そうとする。青い花は枯れるだろうか。問う代わりに返事をする。

「眠くない」
「嘘」

間髪入れずに返ってきた単語の鋭さに苦笑を隠せない。確かに眠くないというのは嘘だ。正確に言うなら、眠れない。肉体が眠りを必要としないのだ。目の下を撫でられたということは隈でも出来ているのだろう。
最近、花の茎が伸びた。ゆらりと視界の端で動く花弁を見ることが出来るようになって初めて知った。風丸に聞けば伸びた茎は枝分かれして新たな蕾をつけているという。
豪炎寺はようやく、あの朝聞いたのは蕾が花開く音だったことに気が付いたが、気が付いたところでなんだというのか。今すぐに枯れ落ちて右目の視力が戻ってくるのでなければ、咲こうが咲くまいが知ったことではない。
右目の視力が戻るまで鏡を見るつもりの無い豪炎寺は、以前より格好に頓着しなくなった。どうせ外には出ないからと日がな一日寝間着でいることもしばしばあるが、風丸はそれを黙って許した。病院に行くときだけ口を出すが、豪炎寺がただぼんやりと片目だけに許された視界の中回遊魚のように惰性で生きているのを、彼は咎めなかった。
風丸とて知っているのだ、豪炎寺という人間からサッカーを取り上げるとどうなるか。少年の頃に実例を見ている。それがほんの少し、強く反応が出てしまっただけのことだ。人形のような日々を送っていた頃があるのも聞いていた。だから、これくらい大丈夫。まだ生きている。

「眠ろうとしても出来ない。眠り方を忘れたらしい」
「なら目だけでも閉じろ。少しは疲れも取れるから」

俺がいてやる、と手を引き、風丸は部屋の中に勝手に上がり込んだ。豪炎寺は何も言わない。風丸が部屋に来るのはいつものことだからだ。
そのままベッドに引き摺り込まれてとんとんと仰向けの胸を叩く指の細い手。心地良いリズムだが眠りの誘いはやってこない。ぼんやりと眺める天井は何も変わらず白いままで、そろそろ飽きたと思っても瞬きの間に変わってくれる訳でもなく、視界にいつもと違って入り込む碧い髪に視線を動かす。横たわる豪炎寺に寄り添うように風丸がベッドの上に座っている。

「目を閉じろって言っただろ」
「閉じてる」
「じゃあなんで目が合うんだ」
「なんでだろうな」

閉じろ、そう言って風丸の手が左の瞼に触れる。反射で下りる薄い肉に阻まれて視界は黒に染まる。開いたままのはずの右目にはやはり何も映らなくて、豪炎寺は静かに落胆した。知りたくないから目を閉じたくないのだとは言わない。つい一瞬前の記憶を頼りに伸ばした手を先の冷えた指が掴む。

「今日からだろう」
「何が」

閉じた瞼を撫でる動きがくすぐったくて指から逃れようと頭を振るが、置かれたままの指は少しも離れてくれない。嫌ではないように、しかし絶対に離れない、それはどこかこの関係にも似ていて、気が付いた途端豪炎寺は振り払えなくなってしまった。

「……合宿」
「ああ、そうだな」
「ここにいていいのか」

手放せない指先には触れずに空いている手でその上に続く甲から手首を覆う。体温はさほど変わらない。末端に比べれば充分過ぎるほど温かい風丸の手を引き寄せようとして止める。瞼から離れていく指を想像してしまった。風丸が笑う気配がする。

「通っていいって許可はもらってきた。俺がお前の世話を焼いているのは誰だって知ってるしな」

知っているか、そう言って以前風丸から聞かされた週刊誌の三文記事を思い出す。風丸が通い妻で豪炎寺とはただならぬ仲であると騒ぎ立てる内容の陳腐さには思わず笑ってしまったけれど、二日と開けずに家に来る風丸が特別な存在になっているのは確かだった。海外で試合となればきっと彼は豪炎寺を連れて行く。誰かに託すよりも自分の手元に置いておこうとするだろう。風丸にとって豪炎寺とは何なのだろう。怪我をした小鳥か何かと同じくらいの立ち位置なのかそれとも。
ふ、と瞼から指先が離れた。追い縋ろうとした手をすり抜けて頭の横でベッドが微かに凹むのを感じる。左目を開くと風丸が至近距離で豪炎寺を覗き込んでいる。こつり、額が触れ合い祈るように瞳が閉じられた。
誰に祈る、何を祈る。

「お前が嫌だと言っても俺はここに来るよ。お前と走る日が来るまで、俺は何度だって会いに来る」

視界の端で青い花が揺れる。風丸の髪が触れでもしたのだろうか。薔薇ではない、名前も花言葉も知らない花は豪炎寺にとっては絶望の形である。
実を結ばぬ花を見ないふりをして、近過ぎて焦点の定まらない目で輪郭を探す。握られた手に力を込めることで自由な手が風丸の背中に回るのを押し留めた。



―――
前回同様にツイッターの診断結果に触発された謎話です。
ちなみに結果はこれ↓

豪炎寺修也は右目から真っ青な花が咲く病気です。進行すると眠りにつくことができなくなります。花の種が薬になります。

立豪じゃなかったのは立豪と並行して考えていたからです。あと青い花だから青繋がりで風丸さんかな、と。立豪の次くらいに風豪が好きです。
不親切な話かつ雰囲気話過ぎるけど結構お気に入りです。電波電波ー。

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