ヤマアラシ(狩屋と豪炎寺)

2013/01/10


「苦しく、なかったんですか」

子供から少年へと一歩を踏み出したばかりの深みも低さも足りない声が、下から背中にぶつかった。どこか豪炎寺を試すようなその質問に、振り返って彼を見る。
海の色に似たほんの少し緑味を帯びた青くて長い前髪の隙間から、吊り上がった目尻の双眸が覗いている。革命を起こした新しい風の一員である彼は、豪炎寺を真っ直ぐ見据えることはせず、目を反らした。
聞きたいことがあるのに怖い。知りたいことがあるのに逃げたい。そう言っているようなその素振りが小さな獣のものに見えて、ああ、と豪炎寺は嘆息した。
微かに零れた吐息に少年は肩を震わせる。そう、このくらいの子供は大胆で臆病で傷付きやすくて逞しい。相反するものが繊細なバランスで同居しているのだ。ガラスのような鉄で出来ていて、まだ熱く柔らかい。形作られるときを迎えていない未完成の可能性。

何よりも、守りたかったもの。

「……何が、聞きたいんだ」

豪炎寺が努めて穏やかに声をかけると、少年ははっとしたように顔を上げてまた目を反らした。松風や西園といたときには生意気そのものという表情をしていたのに、今の探るように距離を測る少年は迷子の子供のようだ。
豪炎寺が大人だからか、それとも聖帝イシドシュウジだったからか、はたまたそのどちらでもあるのか、ないのか。
きょろきょろと忙しく目を動かしながら、少年は声を絞り出す。

「……聖帝、じゃなかった、豪炎寺さんは、その……アレだったじゃないですか」
「ああ」
「……円堂監督たちに嘘ついてたの、苦しくなかったんですか」

それは針のようにか細く、鋭い言葉だ。些細なことでありながらひどく痛い、触れてほしくないところにピンポイントで突き刺さる。
ただ、そこには既にかさぶたが出来ている。自分でつけた傷と、この少年のように問うた人からの傷と。膿むこともなくふさがりつつあったそれは、ほんの些細な刺激でまだ新しい傷口を見せる。

「苦しかったよ」

まるで何でもないことのように、豪炎寺は答えた。大人になれば傷は増える。とうに癒えた傷も、痛々しい痕の残った傷も、全てが選択の結果として刻まれている。痛みに慣れたわけではない。昔よりも痛みを受け入れられるようになっただけのことだ。そして、この傷のことも。

「じゃあなんで」

ですか、と食い気味に重なった言葉は終わる頃には勢いを失って、地面に転がり落ちた。頭を撫でてやりたいと思ったが、手を伸ばしたらきっとこの少年は怯えるのだろう。豪炎寺はほのかに笑う。

「俺にしか出来ないことだったからな」

目を丸くして、少年が豪炎寺を見上げた。幼い、と言葉が喉を衝いて飛び出しそうだ。十三歳とは、こんなにあどけないものだっただろうか。自分は。答えはない。

「円堂は嘘をつくのに向いていない。鬼道ならもっと上手く立ち回っただろうが、円堂をサポートして欲しかった。染岡には日本のことを気にしてほしくなかった。いや、皆にあんなことをしてほしくなかっただけだな」

俺のわがままだ。呟くと、少年が詰め寄る。今度の声は、強く、はっきりしている。

「でも下手したら嫌われてたんですよ。それでも、自分にしか出来なかったからって言うんですか。本当は皆が嫌いになるはずが無いって確信があったからやったんじゃないんですか」
「確信が無いと動いたらいけないのか」

静かな声で聞き返すと、う、と言葉を詰まらせて少年は俯いた。しまった、と思った。怖がる彼を突き放すのはこの場では最もしてはならないことだ。しかし、声になった言葉はもう彼の耳に届いている。取り消すことは出来ない。
豪炎寺は首をゆるく振る。後ろで束ねた髪が乾いた音を立てた。

「……悪い、この聞き方は意地悪だったな。正直に話すなら、嫌われてもいいと思っていた。いや、むしろ嫌ってくれないかと思っていた」
「どうして」

ぽつりと少年の唇から零れ落ちるのはきっと、彼がずっと抱えていた思い。どうして、と誰かに尋ねたくて、そして尋ねる人がいなかった。どうして、その言葉に対する問いを、待ち続けていたのだ。陽だまりのようなあたたかさが満ち溢れるようにと名付けられた場所で、多くの家族が出来たその日から。
ふ、と細く息を吐く。こんな話をすることになるだなんて思っていなかった。豪炎寺の中でこれは誰にも触れられず、誰にも明かすことの無いものとして傷と共に風化させるはずの思いだったのだから。あらわな首の裏をてのひらで撫でる。指先が冷え切っているのが分かった。

「予防線だ。覚悟はしていたんだ。革命が起きても起きなくても、俺はフィフスセクターの支配を壊すつもりだった。そのためには荒っぽい手も使うつもりで。失望されるだろう。軽蔑もされるかもしれない。そんなことを気にするくらいなら、嫌ってくれているほうが楽じゃないか」

じっと豪炎寺を見つめていた少年が口を開いた。小さな動きだったが、意外にはっきりと言葉は空気を震わせる。

「……ずるいですね」
「ああ。大人っていうのはずるい生き物だからな」

しれっと答えて、口角を持ち上げる。少年も調子を取り戻したのか、にやりと子供らしい表情を浮かべた。

「円堂監督も?」
「あいつはだいぶずるいぞ?昔からだが、自分の敵はいないと思ってるからな」
「なにそれ」

耳を貸せ、そう言って屈み込めば無防備に晒される白い耳殻。手を口元において豪炎寺は顔を寄せる。ひそやかに紡がれる話は二人だけの空間にゆるやかに溶けていった。



―――
ヤマアラシジレンマってのがテーマだったはずが最終的に迷子になりました。終わります。

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