窓を覗けば、一面雪の風景がずっと続いていた。
目的の場所、風花城へ行くため、映画スタッフと第七班一行は現在 各部屋備え付けられた大型車に乗っている。車後方に位置する部屋_そこのベッドでうずくまっているのは、小雪だった。彼女はそうして窓の外の様子を見つめていた。

降り積もる雪は、それだけ、小雪の心を重くしていく。ふるさとの景色のはずが、懐古は薄く、より大きいのは失望だった。
十年前と何も変わっていない。雪降る景色は、幼い頃の記憶と全く合致している。あれだけの悲劇がーー国中を震撼させ、小雪の涙が枯れ果てたほどの惨劇があったというのに、この国はまったく変わっていないのだ。
だからこそ、思い出す。幸せだった頃を、あの業火を。
小雪がもう二度と触れたくなかった記憶の断片がちらちらと見え始める。

一層小さくうずくまる。

ナルトとカナの妙に希望に満ちた光は、小雪の心に馴染むにはまだどうにも早過ぎて、熱いほどだった。ここから逃げ出したい気持ちが尚一層強くなる。目を背けたい引け腰な思いが浮き彫りになる。成功するか否かではなく、そんな細かい事情も忘れたいがために、今すぐに小雪は、ここから走り去りたかった。


ーーーコン、


しかし、そんな小雪の考えを遮るかのように音をたてたのは、この部屋の扉だった。小雪はそっと目を向けるが開く気配はない。かと思えば、またコン、コンと不規則なノックが聴こえてくる。

「...開いてるわよ」

覇気のない声で言う小雪。しかし、返答はドアの開閉ではなく、逆に開閉を頼む声が聴こえてきた。

「すみません、開けてもらえますか?」

小雪はその途端 眉根を寄せていた。たった数日間の付き合いではあるが、相手を想像するのは容易い。映画スタッフが打ち合わせにでも来たのかと思われた予想は外れていた。気が進まないものの、無視することもできない。小雪はしかめっ面をしたままその要求に応えてやった。
現れたのは思った通りカナだった。その両手を塞いでいるのは湯気がたったマグカップ。

「ホットミルクです。飲みませんか?」

数時間前の口論など気にするふうもなく、カナはそう微笑んで、マグを掲げてみせた。
そんな表情をされてしまえば、小雪のほうが戸惑いは大きい。だがそんな感情をちらりとも見せないのも小雪の得意分野である。「入れば」とだけ言った小雪は、マグカップを受け取ってから、再びベッドの窓辺に座り込んだ。
小雪の言葉に甘え、入室したカナは、傍にあった椅子に座った。数十秒そうして、二人のホットミルクをすする音が場を占めていた。ちょうどいい温度のミルクを口に含みつつ、横目でカナを見やった小雪は、ようやく話しかけた。

「どうして...アナタがここに?」
「? それを渡すためですよ」
「そうじゃないわよ。なんでその為にアナタが来たのか、って話をしてるの。用意したのは三太夫でしょ?」

小雪の読み通り、この二つのマグカップをカナに頼んだのは、小雪のマネージャーである三太夫だった。大型車に乗り込みすぐのことだ。七班と共に談笑していたカナは、三太夫に呼ばれ、ホットミルクを渡された。

『...? なんでしょう?』
『ホットミルクです。それを、姫様に渡してくれませんか?』

簡潔に依頼されたところで、カナの頭をもたげる疑問は、今の小雪と同じく、それだけで解決されるものではない。小雪の元へ行くなら彼女をよく知る三太夫のほうが適役なのでは、と。
意味をとらえかねているカナに気付いたのだろう、三太夫は穏やかに微笑み、言葉を付け加えた。

『ナルト殿ももちろんですが...先ほどのこと、本当にありがとうございました。姫様はああいう方ですが、お二人の言葉にはきっと感じたところもあるかと思います...私ではできぬことでした』
『そんなこと...』
『だからこそ、もっと姫様とお話しして頂きたいのです。あなた方なら本当に姫様を変えることができるかもしれない。...カナ殿、どうか姫様を、お願いします』

三太夫の買いかぶり過ぎなところもあると思うのだが、カナはそれを断りきれず、わかりましたと頷いた。
ちなみに彼はナルトにも頼んだらしいのだが、ナルト自身は小雪と相容れないと思っているようなので、了承は得られなかったという。確かに穏便に話をするどころか口喧嘩に発展してしまう様子が想像できる。
一人苦笑してしまったカナは、ばっちり小雪にその様子を見られ、怪訝な顔をされてしまった。

「...大丈夫?」
「あ。...ええ、大丈夫です......」

カナが更に苦い笑いを零したのはいうまでもない。
質問したわりにはそれほど興味もなかったのか、小雪もそれ以上 尋ねる気はないようだった。「ふうん」とだけ応えた小雪は、再びホットミルクを飲み、体を温めた。

時折車が揺れる。それに合わせて、マグの中のミルクも跳ねた。再び会話がなくなった室内で、音といえば、それだけのものだった。
小雪はまたカナを盗み見る。そのカナの瞳が見るものは、小雪は厭う、真っ白な雪。本当に綺麗なものだと思っているかのように、カナはぼうっとそれを見つめていた。

ーー小雪の中の氷が、ごろりと存在感を主張し始める。

小雪はカナから顔を背けた。背けるしかなかった。小雪にとって、カナの囚われない視線は、あまりに痛かった。その瞳が"雪"に向けられていることが酷く重かった。



車が徐々に速度を落とし始める。やがて窓の景色は流れなくなった。ホットミルクを飲んでいたカナが、気付いたように顔をあげた。「車...止まりましたね」。
何気ないその一言は、きっと何らかの応答を小雪に期待していただろう。だが、小雪はやはりカナの顔に視線を戻せず、ただ両手で持っているマグカップを見下ろしていた。



車が停止する。途端、開いたドアからわらわらと人が出てきた。
その中の一人であったナルトは、体を伸ばすことが目的であったわけだが、広大な純白の自然に目を輝かせる。雪だるま作り?雪合戦?とぱっと思い浮かんだもので、仲間たちを呼んで遊んでやろうかと思ったが、ふと辺りを見回したナルトはぴたりと止まっていた。

目についたのは、車の前にそびえる大きな洞窟だった。向こう側の光は見えない。どれだけ長いものなのか。

「どうかされましたか?ナルト殿」
「おっちゃん。この先はどこに繋がってんだ?」
「この大洞窟の向こうに、我が同志たちの集落があるんですよ。何年ぶりでしょうか......みな、姫様のご帰還を心より待っております」

にこやかに説明してくれた三太夫。聞いたナルトはというと、「ふうん」と口を尖らせて相づちを打っただけだった。
ナルトが目論んだ雪合戦は、遊びに来たんじゃないんだぞとカカシに諭された。当然である。ナルトは渋々ながら再び乗り込み、車は再出発した。



車は大洞窟の中を進んでいく。とある一室で、ナルトとサクラは興味深そうに窓の外の移り変わりを見つめていた。洞窟であるため、積もっている雪は少ないが、氷柱が垂れ下がっている。それを物珍しそうに見ていたナルトが、ふいと視線を変えて首を傾げた。

「全然 出口が見えてこないってばよ?」
「ええ、とても長い洞窟ですから。...昔はここに鉄道が走っていたのです」

三太夫が朗らかに応える。「てつどう?」とサクラが聞き返すと、三太夫は頷き、二人と同じように窓の外を見やった。

「今は氷柱が伸び放題ですが、氷の下にはちゃんと線路があるのですよ」

氷の下?とナルトは窓を覗き込むが、特に何も見えない。完全に氷に覆われているようだ。
なにより、"てつどう"も"せんろ"もナルトにはわからないものである。博識なサクラでさえそうなのだから仕方がない。尋ねようと思って振り返ったナルトは、ちょうどその時 自分の感じていた違和感を探し当て、「あれ?」と漏らした。

「カナちゃんってば、どこ行ったんだ?」
「あんた...それ、今更?」
「...さっきの休憩の前からいないぜ。...で、あんたのあいつへの頼みって一体なんだったんだ?」

サスケが目を向けた先は当然、三太夫だった。ナルトとサクラは首を傾げる。三太夫がカナに依頼をしていた時、サスケだけが少しだけ耳にしていたのだ。
鋭い視線を向けられ三太夫は目尻を下げる。その様子に助け舟を出したのは、腕組みして立っているカカシだった。

「カナなら小雪姫のところに行ったよ。...お話をしにな」
「!? ...なんであのねーちゃんのとこなんかに...」
「コラ、ナルト。失礼でしょ」

途端にぶすっとしたナルトを見て、サクラは制裁のチョップを加えた。少なくとも彼女の付き人である三太夫の前では禁句だ。それでもぶつくさ言うナルトはあまりダメージを喰らってないようだが。
_三太夫は一人、窓の外に視線を流していた。

暗い洞窟は、まだ抜けられない。



再び揺れ始めた車内。カナは飲み干したマグを膝の上で持ち、じっと俯いていた。
三太夫の言葉が脳内に巡る。やはり、彼の過大評価に過ぎないと、カナ自身は思う。密かに小雪を見つめてみる。綺麗な横顔に浮かんでいるその憂慮を消し、彼女を変えて欲しいと三太夫は言った。けれど、いっかなその方法が思いつかない。
カナにできるのは、気負わず話しかけようと努めることだけだ。

「あの...」
「居心地悪いんでしょ」
「え?」
「そうじゃないの?ずっと黙り込んで。頼んだわけじゃないんだし、仲間のところに戻ればいいじゃない」

言われた言葉に瞬いて、「そんなことないですよ」とカナは苦笑した。自分の不甲斐なさが垣間見えたが、ぐっと自己嫌悪を留める。黙ってしまえば肯定しているようなものだ。それに、居心地が悪いだなんて思っていないのも確かだった。

「ごめんなさい、考え事してて。...小雪姫様が嫌でなければ、ここにいていいですか?」
「..."姫様"なんて言わないでよ。あたしはそんなのじゃないんだから」

一層むすっとした小雪は、ゆっくりと溜め息をついた。小雪も小雪で、特別カナに出て行って欲しいと思っていたわけではなかった。

「...そうね。正直言ってしまえば、アナタの放つ雰囲気は嫌いじゃないわ。...だけど、一人になってさっさと逃げ出したいとも思ってる」
「...また、逃げるんですか?」
「そうよ。あの場所に連れて行かれるだなんて真っ平御免だもの」
「...自分の生まれた国なのに...」
「生まれた国だけど...それだけじゃないのはアナタも聞いたでしょう?あたしにとって嫌な思い出がある場所でもあるのよ、ここは」

小雪はマグカップをくいっと上げて飲み干し、空になったそれをカナに手渡した。受け取ったカナは、かちゃりと二つのマグを重ね、見つめる。どれだけ三太夫が嘆願しようとも拒絶していた小雪、数時間前のあのやり取りは、カナの耳に残っている。

「...でも、幸せな思い出だって」
「どんなに幸せだったことを思い出しても、あの時の業火がそれをもやに隠してしまうの。...いいでしょ、もう。説得しようとしたって無駄よ。...あたしは、あなたじゃない。あなたみたいに自由になれない」

ーー『...あたしは、飛べないのよ。...あたしは、はばたく翼をもぎとられた鳥...』
数日前、夕暮れ時の港で聞いた言葉が、カナの脳裏に甦った。小雪はその後、はぐらかすように自嘲した。だが間違いなくあれは彼女の本心だったのだとカナは確信している。上辺だけの言葉ではなかった。_それは今、改めて確かめられた。

けれど。

「...小雪姫様、...小雪さんはこの前、言ってましたよね。...自分は羽をもぎとられた鳥だって。自分の思うままに、自由に飛んでみたいって」

カナが言えば、小雪も思い出したようで、不快そうに眉をひそめた。小雪にすれば、あの時ぺらぺらと喋っていた自分が憎らしい。「だからなに?」と口に出た言葉は刺々しかった。
カナは然程気にせず暫くマグカップを見つめ続けていた。_しかし唐突に、思い立ったように顔を上げて、真っ直ぐな視線を小雪に向けていた。

「それは...違うんじゃないでしょうか」
「...どういう意味よ」
「小雪さんは、飛べないんじゃなくて、飛ぼうとしてないだけじゃないですか?」

ハッとして息を呑んだ小雪は、だがすぐにカナを睨みつけていた。何か言い返そうとして、_言葉が出ないことに気付く。それはまるでカナの言葉を肯定しているようで小雪には苛立たしい。カナの目も見ていられず、拳を握りながらふいと目を逸らす。だが耳ばかりは逸らせない。

「小雪さんは、どこに飛びたいと思って、私にああ言ったんですか?」
「...決まってるじゃない...!雪の国なんて見えない...ずっと、遠いところよ。この国のことなんて考えなくてもいいような、そういうところよ...!」
「...それで自由になれるのなら、もう十年もこの国から離れてたはずです。...でも、まだ小雪さんは、この国のことを覚えてたんでしょう?__」

小雪の心を縛っているものがある。
それがなくならない限り、小雪はきっと、小雪自身が言う"自由"にはなれないはずだ。
そしてその鎖は、間違いなく、この国にあるのだ。

みなまで言わずとも、小雪はカナが何を言わんとしているのか分かった。小雪は否定しようとして、言葉が出てこなかった。カナの言っていることが違うというのなら、
何故炎を見るたびあの時の自分の無力さを思い出すのか。
何故六角水晶を手にしてしまうのか。
自由になりたいと思うたび、邪魔してくるものがあった。それがいつも、平和だったころの、雪の国の民たちの顔だったのは何故かーー。


「......出て行ってよ」


ぽつりと、小雪が最終的に出した結論は、それだった。
小雪はいつしか両足に顔を埋めていた。だから、カナにはその表情は読めない。冷えたマグカップを片腕に抱えたカナは、静かに椅子から立ち上がる。そうしてカナは無言で部屋を退出していた。

温かな風がどこからか吹いてきて、小雪の黒髪を揺らしていた。







映画スタッフと第七班を乗せた大型車はやがて止まった。大洞窟を抜けて暫く走ったところだ。
車のドアを真っ先に開けたマキノが「よォし!!撮影を始めるぞォ!!」と張り切る。その後ろからぞろぞろとカメラマンたちが降車し始め、すぐさま準備に取りかかっていた。

騒ぎは、第七班も全員下車し、暫くした後に起こった。


「か、監督ゥ!!大変ッス!__また、また雪絵が逃げましたァ!!!」
「なにィ!?」


ーーーいち早く反応し、三太夫がまず視線を送ったのはカナのほうだった。気付いたカナは、下唇を噛んで深く俯く。すみません、という言葉が喉まで来て、それは遮られていた。

ぽん、と温かな手がカナの髪を撫でた。ーー「行くぞ」、とサスケがぼそりと呟いていた。

 
|小説トップ |
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -