雪絵の意識は絶えたままだった。悪夢でも見ているのか、顔色も悪い。
ひっそりとベッドに横たわる雪絵の傍には、カカシが息を殺して立っていた。サイドテーブルに置いてある雪絵の水晶を手に取って、目を細めて見つめる。

「あれから...もう、十年も経つのか...」

小さな呟きを遮るように、ちょうどドアの開いた音がした。

「港に到着しました」

振り返ったカカシは三太夫の姿を認め、頷く。持っていた水晶を元の場所に戻して。
カカシがドアへと歩を進める間、六角水晶はその場で密かに煌めいていた。



数日間の渡航の末、一行はようやく雪の国に到着した。寒空からしんしんと雪が降っている。火の国では滅多に見ない気候だ。
まだ雪絵の意識は戻っていない。彼女が目を覚ますまでは動けるはずもなく、一行はそれまで滞在するしかなかった。船のとある一室に暖をとるため集まっている彼らの中、カナは窓辺に立ち、真っ白な雪が地面に消えていく様子を眺めていた。


「三太夫さん...あなたは知っていたんですね」

話し始めたのはカカシだった。全員の視線がそちらへ向く。
テーブルを囲んで座っているそれぞれのうち、長椅子の一番端に座っている三太夫は小さく頷いた。既に覚悟は決まっていたようだ。カカシは眉を寄せた。

「彼女が雪の国に帰ってきたらどんな事態になるか...予想できたはずだ」
「...姫に...この国に帰ってきてもらうためには、こうするしかなかったのです...」

何気ない三太夫の言葉にその場にいるほとんどが疑問に思った。
姫、その言葉が指す人物は雪絵で相違ないだろうが、雪絵は飽くまでも"風雲姫"という役柄を与えられているだけだ。「...姫?」とカナが怪訝そうに言ったのを皮切りに、ナルトが笑った。

「何言ってるんだってばよ、カカシせんせー!ねーちゃんが本物のお姫様なわけじゃねーのに」
「...いや、本物のお姫様なんだよ」
「え?」

目を瞬いた者は多い。

「女優・富士風雪絵とは仮の名...本当はこの雪の国のお世継ぎ、風花小雪姫様なんだ」

呆気にとられ固まってしまったナルトとは対象的に、「ええ!?」と叫んで机をばんと叩いたサクラ。サスケは相変わらずだったが、カナは他の映画関係者の者たちと同様に、ぽかんと口を開けた。
第七班だけでなく、それなりに付き合いがあるだろう者たちも知らなかったのだ。

「彼女も三太夫さんのことをご存じなかったようでしたね」
「...私がお傍におりましたのは、姫様がまだご幼少の頃でした...覚えていないのも無理はありません」
「三太夫さんも、この国の人だったんですか...!?」
「左様...先代の御主君であった、風花早雪様に仕えておりました」

まだ驚きを殺しきれないサクラが問い、三太夫は厳かに頷く。懐かしいとばかりに目を細める彼の脳裏には、十年前の雪の国が思い出されていた。
雪降る中 堂々とそびえた風花城。三太夫を含め、臣下であった者たちの集会の途中、開いていた扉の隙間から見たことのある光景。

「雪の国は、小さいながらも平和な国でございました...」

穏やかな顔をしている早雪と、その手を握って笑っている雪絵ーー小雪。早雪は時折 小さな娘に声をかけ、優しく頭を撫でる。小雪も無邪気な様子で、姫でありながらも、年相応の子供らしく跳ね回る。微笑ましい光景だった。

「早雪様は姫様を大層可愛がられており、平和な日々を送られておりました...。...しかし、十年前のあの時、早雪様の弟であったドトウめが、雪忍たちを雇って反乱を起こし、この国を乗っ取ってしまった...!」

突然 顔を強ばらせた三太夫。その様子に、誰もが彼が味わった辛酸を感じた。
_その日、風花城は落とされた。炎に焼けていく風花城は平和な頃の見る影も失っていた。武装兵がいたところで、忍に敵うはずがない。城中で戦闘が起こり、それが静まった時には、既にドトウの手に侵されていたのだ。

「美しかった風花の城は焼け落ち...。早雪様も亡くなり...姫様も同様、お亡くなりになったものとばかり思っておりました...。映画に出演されていた姫様を見つけた時、どんなに嬉しかったことか...!」

膝の上で拳を震わせる三太夫を見て、カカシも僅かに目を伏せていた。
カカシもまた、当事者の一人だったのだ。ーーその日、小雪の逃走経路を作ったのがカカシだった。

雪で覆われた丘を犬ぞりで駆け抜けていく。その犬を動かしていた暗部時代のカカシ。カカシはその写輪眼を露にしながら、後ろに乗っている幼い少女に言った。
ーーーー『顔を出さないで!敵に気付かれます_!』ーー
小雪は燃え盛る風花城から決して目を離さず、ぼろぼろと泣きながら、父を求めていた。_カカシは止まるわけにはいかなかった。雪忍たちと争わぬよう、小さな姫を護り抜く必要があったのだ。

カカシにとっては苦い思い出だ。任務は成功したが、その一言で片付けられるはずもなかった。
その苦悩に追い打ちをかけるが如く、今まではなかった声が割って入った。


「あの時、死んでれば良かったのよ」


_誰もが視線を移す。扉の傍で腕組みをする雪絵、もとい小雪姫の姿がそこにあった。
冷ややかに三太夫を見る彼女に、ナルトなどはムッとしたが、三太夫は涙を流しながら懇願した。

「そんなこと仰らないで下さい...!私たちにとって、姫様が生きておられたことは、何よりの希望だったのです!」
「...生きてはいるけど、もう心は死んでる...」

だが小雪が応じることはない。

「あの時以来...あたしの涙は枯れてしまった」

そっと俯く小雪。黙って見つめていたカナはきゅっと拳を握った。三太夫の言葉に否定ばかり突き付ける小雪は、今にも崩れそうだった。そのまま視線を三太夫に流す。ハンカチで目元を抑えた三太夫は、映画に出演していた小雪を見つけてから、陰ながら支え続け、マネージャーにまで至ったのだと言う。
それから、どうにか小雪を雪の国に連れて行く機会を待っていたのだと。

「...ってことは、オレたちはアンタに利用されてたってこと...!?」と助監督が思わず本音を口にする。ハッとした三太夫は「騙していた事はお詫びします、しかしこれも雪の国の民のため...!」と弁解しつつ、立ち上がり 小雪の足元の床に両手をついた。

「小雪姫様!ドトウを打ち倒し、どうかこの国の新たな主君となって下され!!」

小雪はやはり動揺もない。三太夫は上げていた頭を床につけた。

「この三太夫、命に代えても姫様をお守りいたします...!どうか、我らと共に、立ち上がって下され!!」

民のため__国のために。頭を下げる三太夫は、どうにか小雪の心を動かさんと、必死だった。
だがそれでも、小雪は無表情を突き通す。そしてあっさりと、三太夫の嘆願を切って捨てた。

「嫌よ...冗談じゃない」
「ッ...し...しかし、雪の国の民は!!」
「そんなの関係ないわ!...お断り」

「姫様...!」_顔を背けた小雪に、それでも三太夫は諦めきれない。ちらりとその顔を見た小雪は、まだ自分に縋るようなその視線に苛立ち、頭に血を上らせた。

「いい加減、諦めなさいよ!馬鹿じゃないの?アンタがいくら頑張ったって、ドトウに勝てるわけないじゃない!!」

「__どうしてですか?」
「!」

突如 介入してきた声に、小雪は目線を上げる。扉の傍にいる小雪と対になるように窓辺にいるカナは、ただ真っ直ぐ、小雪を見つめるばかりだった。他意はないのだろう。本当に、それだけ。
小雪は密かに拳を握る。カナのこの目はどうにも苦手だった。

「何よ...、アナタには関係ないじゃない」
「ごめんなさい。けど...どうして三太夫さんの頑張りが無駄だと思うんですか?」
「...だってそうでしょ。風花城は一度 ドトウに負けたの。何でもう一回やって勝てると思うの?」
「...でも、三太夫さんがずっと願い続けていたから、」

カナは言って 小雪に微笑んだ。ーー「私たちが、ここに来ました」。
その意味が汲み取れず小雪は顔をしかめる。苦手だと思ったカナのふわりとした微笑みも、次第に小雪の苛々にくべる薪となる。

「何を...」
「今、ここに私たちが一緒にいるのは、三太夫さんが諦めないでいてくれたから」
「!」
「だから...この間の戦闘も。なんとか切り抜けられたのは、三太夫さんの想いのおかげだと、そう思いませんか?」

言い返せない。そう思った時、小雪はもう冷静に対処することはできなくなった。ふつふつと沸き上がる怒りは、最早、誰に向けるものかも不確かなものだった。

「だから何だって言うのよ!!それで、アナタたちがドトウに勝てるっていうの!?この前も結局逃げただけでしょう!?次があったら、きっと今度こそ負けて、最後は後悔するだけに決まって...!」
「負けるだとか諦めろだとか、気安く言ってんじゃねえよ!!」

それはナルトの怒声だった。一同の視線は小雪からナルトへ向けられる。机を強く叩いたナルトは、勢いよく立ち上がり小雪を睨んでいた。

「このおっちゃんは、自分の命をかけて夢を叶えようとしてんだ!!馬鹿呼ばわりするヤツはオレが絶対許さねえ!!」

ナルトの言葉が響く。三太夫がカナとナルトを代わる代わる見つめ、「お二人共...」と感極まったように呟いた。ナルトの台詞に同調する者はこの中に多数いる。フッと一番に笑ったのは、今の今までじっと黙っていた、監督マキノだった。

「諦めないから夢を見られる...夢が見られるから未来がくる。いいねェ、風雲姫完結編にふさわしいテーマじゃねえか」
「か...監督!?まさか、撮影続けるつもりじゃないでしょうね!?」
「言ったろう?この映画は化けるって。考えてもみろ...本物のお姫さまを使って映画を撮るなんて、そう滅多にあるもんじゃねえだろう」
「...!」

そんなァ、と一時情けない声を上げた助監督も、マキノのその台詞にはぴーんときたようだ。

「そうか...話題性抜群!メイキングを出してもウケる!!これを公開したら、ヒット確実ッスね!!」

手の平を返したように笑顔になる彼に、暫く呆気にとられていた小雪が「ちょっと!」と慌てる。もちろん、これが決定したら、雪の国に行きたくないという小雪の願いは敗れ去る。_しかしすぐさまカカシがその小雪を制す。

「残念ながら、もう選択肢は一つしかない。ドトウたちに存在を知られた以上、どこにも逃げる場所なんてありません。_戦うしか、アナタが生き延びる方法はないんだ」

重々しい言葉に小雪は息を呑む。最早、この空間に小雪の味方は誰一人いなかった。
その合間にナルトが機嫌を直したのか、カカシの判断に即座に乗って「オッケー!」と腕を振り上げた。

「任務続行!風雲姫は雪の国に行って、悪の親玉をやっつける!!」
「そうして無事平穏を取り戻したお姫様は、その後も幸せに暮らしました...って感じかな」
「ちょっと、なによそのおとぎ話?遊びなんかじゃないんだからね!?わかってるの二人とも!」
「ウスラトンカチ...共が」
「んだとサスケコラァ!!」
「サスケくんに当たんなナルト!」

いつもの調子で言い合いを始める二人と、ナルトだけに怒りを向けるサクラ。カナも同様に貶されたが、何百回と言われてきただろう罵倒に今更怒る気力もなく、やいのやいのと騒ぐ三人をなんとか止めようとする。相変わらずな下忍たちの様子をカカシが肩をすくめて見ていれば_今度こそ、「ふざけないで!!」と激怒する雪絵が空気を裂いた。

「現実は映画とは違う!ハッピーエンドなんかこの世のどこにもないの!!」
「んなもんは気合い一つでなんとでもなる!!」

_しかし、それもすぐにマキノの気迫の前に消え去った。
思わず黙り込んだ雪絵を一目見て、だが何も声をかけることなく、カカシは下忍たちを見下ろした。

「これだけの任務だと、一度里に戻ってもっと人数を集めるべきなんだが...」
「...時間の無駄だ。こんな任務、オレたちだけで十分だ」
「やりましょう、カカシ先生」

サスケ、カナが言うと、カカシは力強く頷いた。
「皆様方...!」と三太夫が震える声で漏らす。マキノは「決まりだな!」とニッと笑った。小雪以外は全員意見合致だ。

「ハッピーエンドの映画にしましょうね!!」
「おう!!」


助監督に笑って同意するナルト_そしてゆったりと微笑んでいるカナを、小雪はじっと睨んでいた。
ーー小雪の心はまだ、凍らされたまま。あるいはそれを融かすべく、第七班は任務を続行する。

 
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