澄んだ川が静かに流れる。毛並みの綺麗な白馬が水を飲んでいる。その隣で小さくなって座っているのが、深い青色の瞳で水面を見つめている、風雲姫_富士風雪絵。
どことなく虚ろな目をしていた彼女は、ゆっくりと顔を上げ、かさりと物音のしたほうを見た。

「お怪我はありませんか...姫」

そこに妙に生真面目な顔をして立っていたのは、オレンジ色の服を身にまとい、金髪を風に揺らしている少年。...つまるところナルトは、暫く普段の幼さを隠していたものの、すぐにニカっと笑って「なんちゃってなー!」と頭の後ろで両腕を組んでいた。

「なあ姉ちゃんってばさ、本物の風雲姫だよな!」

_その言葉が引き金となったように、雪絵はぴくりと眉を動かした。明らかな嫌悪の感情が顔に現れ、雪絵はすっと腰を上げ、背の高い馬に手をあてる。「オレさ、オレさ!姉ちゃんの映画見て、すっげえ感動したってばよ!」...まだなんとかかんとか言っているナルトの話なんてほとんど聞いちゃいない。

「"諦めないで"...なんちゃってさ!その後 虹色のチャクラがバーってなって!涙が止まんなかったってば....ってうおあっ!?」

その一瞬で、突っ込んできた白馬に仰天したナルトは、間抜けにも川に転がり落ちていた。
ドボーンと、水しぶきが上がる。しかし雪絵は素知らぬ顔で馬を走らせるばかり。衣装が衣装なだけに、白馬に騎乗していればそれだけで映画の一場面のようだ。...その表情の固ささえ考慮にいれなければ。
しかし、雪絵は次の瞬間、耳を疑って振り向いていた。背後から追いかけてくるような足音と声が聴こえてきたのである。

「姉ちゃんの映画見てたらさー、オレもなーんかやる気が出てきたんだってばよ!!」

馬の脚力に余裕で付いてくる少年ナルトは、川に突き飛ばされたことなど蚊ほども気にしていないようだった。
雪絵は信じられない気持ちを押し止め、馬に鞭打つことで更に速力を上げたが、それも無意味。あっという間に追いついたナルトは、遂には雪絵の後ろに乗っていた。

「何があったって、ぜってー諦めねぇ!オレも頑張って、ぜってー火影になってやるってな!」
「...!」
「あ、火影ってのは、うちの里で一番偉い忍者のことなんだけど.......しっかし姉ちゃん、手綱捌きも一流だな!」

「流石 火の国一の女優!」ーーそのセリフで、またも雪絵はぴくりと眉根を動かした。その心に渦巻いた黒い感情に、雪絵が逆らうことはない。あわよくばナルトを振り落とさんとばかりに、更に馬の速度を上げた。「うわっ...!?」
最初はまだ問題なかった。ナルトもただでは落ちやしないし、周囲に障害物もなかったからである。しかし走っているうちに状況は変わる。白馬は商店街に突入し、人々の悲鳴があがった。置いてあった商品に雪絵の服が引っかかり、風雲姫の衣装の裾がビリリと裂けた。

「お、おい姉ちゃん!?スピード出し過ぎだって!」

そんなナルトの正論にも雪絵は聞く耳持たず、ただただ前を見据えるばかりだった。ーーーしかし。
唐突に角から曲がってきた子供たちの姿には、雪絵もぎょっとした。

「危ねェ!!」

ナルトが叫ぶと同時に雪絵は咄嗟に手綱を引く、しかしあまりの速度ゆえに急停止に耐えられなかったのか、白馬は凄まじく身を高くし、雪絵とナルトを振り落としていた。
ドサッ__地面と衝突二人...というよりは、地面に衝突したナルトと、その上に落ちた雪絵。相当ダメージを喰らったナルトは身を起こすのも遅かった。いてて、と呟きながら頭を上げた時、一人さっさと行動を起こしていた雪絵は、既に子供たちに囲まれていた。

「風雲姫だ!本物の!」
「すごい、画面から出てきたみたい!」

無邪気に言う子供たちは、たった今 馬に踏みつぶされそうになったことなど忘れてしまったらしい。だが、そんなあどけない子供たちに対しても、雪絵の態度は相変わらずだった。「あたしは風雲姫なんかじゃないわ...!」_重い一声、だが子供たちはまだそれに気付かない。

「知ってるよ、女優の富士風雪絵でしょ!私、ずっとサインが欲しかったの!」

今 目の前にいる、普段はスクリーンの向こう側に住んでいる人物に、子供たちはただ釘付けだった。一人の少女が帳面を出したのをきっかけに、他の子供たちも倣ってノートやらペンやらを取り出し、一斉に「サイン、サイン!」とねだる。挙げ句の果てにナルトまで「オレもオレも!」などと宣い始める。_雪絵は苛立たしそうに眉を吊り上げた。

「あたしはサインなんかしないの!」ーーだが、それでも子供たち(+ナルト)はまだサインサインと騒ぎ立てる。
__そして決定打は、「女優なんだからサインぐらいしてよぉ!」と不満げに言う、ある少年の言葉だった。


「いい加減にして!!」


びくり。さすがの子供たちも、その怒声には反応せざるを得なかった。雪絵の冷たい瞳を見て、サインと迫る声はぴたりと止まる。ナルトは怪訝そうに、子供たちは戸惑いが滲んだ顔で、雪絵を見上げていた。

「あたしのサインなんかもらって、何が面白いの?どうせどっか片隅に置き忘れられて、埃でも被ってるのが関の山でしょ!何の役にも立たない、くだらないものじゃない!」

「...馬鹿みたい」。雪絵はそれだけ吐き捨てると、子供たちを押しのけて商店街の更に奥へと進んでいった。
子供たちの引き止める声一つない。いつしか走り出した雪絵の背中を見て、愚痴愚痴と言い出したのは、一部始終を見ていた大人たち。ーーそのそばでナルトはただ、じっと雪絵が去って行く姿を見つめているだけだった。



「ナルトは大体分かるが...カナはどうした?」

ーー映画作成所にて。

「アイツはナルトを探しに行ったっきりだ。迷う可能性は否定できないがな」

ぼやくようにサスケが返せば、「あ、そ...」とカカシは頭を掻いて相づちを打った。
関係者以外立ち入り禁止のこの場所に現在 部外者が許されているのには理由がある。椅子に座っている二人の部下の隣で、「(こりゃ後で捜しに行くしかないな...)」と内心 肩を落としたカカシは再び口を開いた。

「任務のことだが....今回は、風雲姫を演じる映画女優、富士風雪絵を護衛してもらう」
「護衛?」
「ま!護衛というよりは、護送と言ったほうが良さそうだけどな」

カカシの隣には人の良さそうな眼鏡の男が立っている。何を隠そう今回の依頼人であるこの男・浅間三太夫こそ、女優 富士風雪絵のマネージャーなのである。加えて今 この場に集っているのは映画"風雲姫の大冒険"を仕切るマキノ監督と助監督。助監督は不満そうに口を突き出した。

「今度の風雲姫は初の海外ロケなんスよ...でも、肝心の富士風雪絵があの調子でねぇ...」

咎めるような口ぶりで言われ、三太夫は慌てて「申し訳ございません」と頭を下げた。それを黙ってみていたマキノは、ふうっと煙管の煙を吐き出して「それにしても...」とカカシを見上げて続ける。「流石は木ノ葉の忍者だ。ボディガード兼スタントマンとして雇ったうちの手だれ共を、ああも簡単にやっつけちまうとはなぁ」「はぁ...恐縮です」。
加えてなんだかんだと言われているカカシを横目に、サクラはしきりに目新しい世界を目に焼き付けていた。
運び込まれるたくさんの機材。きらびやかな衣装をまとう美男美女。忙しそうに話し合っている姿まで、全てサクラの興味対象である。感嘆の息しか漏れないさなか、サクラは更なるものを目にしていた。

コルクボードに針止められている数々の写真。主に風雲姫にまつわるものばかりだった。記念写真だったり撮影風景だったりする中で、一際 サクラの目に輝いたものがあった。
青々とした空を突っ切るようにそびえる、氷の世界。

「...すごい絶壁...」
「それは雪の国にあるっていう、虹の氷壁さ」

唐突に返ってきた声に、サクラはぱっと振り返った。そしてそこにいた人物に目を瞬く。「鰤金斗役の、キンちゃん!」今まではスクリーンの向こう側の住人だった役者である。更に、

「今度の完結編のラストシーンはそこで撮影するんだよ」

獅子丸役のヒデロー。
サクラの反応はもう言うまでもないだろう。興奮して目を輝かせるチームメイトとは真逆に、隣のサスケは表情一つ動かさず 二人を見上げた。「雪の国とはまた、随分遠くまで行くもんだな」_その言葉には助監督が応える。

「ここにいる、マネージャーの三太夫さんのお勧めでね。この虹の氷壁は、春になると七色に輝くんだそうッスよ」

にっこりとサスケとサクラに笑いかける三太夫。サクラはといえば、それはそれはロマンチックな光景になるだろうその様子を脳内に思い描く。...だが、それをあっさりと破壊したのはカカシだ。

「でも、それはただの言い伝え。実際の雪の国には春がないからな」
「...春がない?」
「ずっと冬のままってこと?」

二人の教え子の疑問符にカカシは黙って頷く。その様子にマキノが片眉を上げた。

「カカシさん、だっけ?聞いたよ、アンタ 雪の国に行ったことがあるんだってな」
「...昔の話ですがね」

カカシはすっと瞳を閉ざす。いつも通りのポーカーフェイスだが、さすがに長期間 共に行動してきたこともあって、サクラとサスケはその些細な上司の変化にも気付く...が、サクラに至っては、気付いてすぐに頭から抜けていた。
サクラの背後でコツンコツンと小気味よい足音。それと同時に聴こえた声に、サクラの頬はいっぺんに染まった。

「それに、雪の国は貧しい国だっていうじゃない?」
「す、すす、助悪郎役の、ミッチー様ぁ!!」

...両目は既にハートマーク。おまけに狙ったようにミッチーはキランと歯を輝かせるので、サクラを落とすのには十分だった。

「なんでも、前の殿様が大のからくり好きで...道楽にのめりこみすぎたおかげで、財産破綻したとかなんとか」
「おい暖房ぐらいあるんだろうなァ...。オレ、寒いとこは行きたくないぜ」
「じゃ、お前も逃げてみるか?雪絵みたいに」

ミッチーに続いてだるそうに言ったヒデローに、キンが冗談混じりに笑い飛ばす。だがそんな軽口でさえ、助監督の心臓には悪い。「ちょっと、勘弁してくださいよ!!」と半ば涙目で駆け寄る始末である。
そのあまりの必死さに、ようやくハートマークから復活したサクラがおずおずと口にする。

「雪絵さんって...あの、いつもこんな感じなんですか?」

対するミッチーは、少々困った顔をして 他の二人の役者と顔を見合わせた。「...まあ、ね」。サクラと似たような調子で苦笑いしたのはキン。しかし、「...ほんと、やる気とか覇気とかって言葉と無縁だよね、雪絵ちゃんて...」と同僚に同意を求めるような声は、マキノの厳しい視線に制された。

「だが、仕事をすっぽかすような女じゃなかった」

重々しい声で言うマキノは写真の中の雪絵をじっと見つめていた。

「私生活がどうだろうが知ったこっちゃない。カメラを向けた時に最高の演技ができりゃぁ文句はねぇ。...あいつは、生まれついての女優だ」

マキノの言葉に役者たちも記憶を巡らせる。この大人気長編物の映画の主役に抜擢された女優・富士風雪絵の名演技の数々。普段の常に気怠気な姿勢は、カメラの前では完璧に姿を消す。雪絵自身とは真逆な"風雲姫"を、雪絵は完全に演技しきってきたのだ。

「...そういえば、雪の国に行くって言ってからっスよね......雪絵が、逃げ回るようになったのは」

助監督のその言葉は、三太夫の胸に突き刺さった。



雪絵はある店から慎重に足を踏み出した。その身には既に仰々しい衣装はまとっておらず、今は店の香りを漂わせて服を身につけている。服に帽子、眼鏡、コート、靴......完全に変装しきった雪絵はひっそりと通りを歩き出した。ーーが。
サッと雪絵の背後で影が動く。決して振り返らないものの、雪絵もそれだけは感じ取っていた。

コートのポケットから取り出されたコンパクトが、雪絵の背後の電信柱の影に隠れている少年ーーナルトーーをこっそりと映し出した。
完全にストーカーである。

雪絵はすぐさま走り出していた。だがもちろんナルトもそれに続く。一般人と忍者という明らかに無謀な追いかけっこと分かっていても、雪絵は諦めきれなかった。
路地裏に入っていき、暗い道を走り続ける。一旦 足を止めて振り返っても、やはりまだ壁の影に隠れているナルトがいる。それを確認した雪絵は再び走り始める。ーー慣れないことに足が痛もうとも、酸素不足で息がきれようとも、日が落ちかかっていようとも、雪絵は必死だった。

しかし、やはり忍者との体力勝負は無謀だった。

走り続けて数分。足を止めずに振り返った雪絵の瞳に映るものはなかった。だが、_いない?そう思った矢先。前方に目を戻した途端、間近に現れた人の顔にぎょっとして、雪絵は上ずった声をあげて尻餅をついてしまったのである。
言わずもがなその人物・ナルトは、工事にでも使っているのだろう木材を積み上げている柱に、チャクラ吸着でぶら下がっていた。

「.........」

呆気にとられてナルトを見上げる雪絵に、ナルトは黙ってサイン色紙とペンを前に出す。ナルトの要求、それはこれである。...その執念深さに観念したのか、雪絵は溜め息をついて答を出した。

「...分かったわよ」
「いやったぁィ!!」

途端 笑顔を振りまいて地に下りるナルト。上体を起こす雪絵に遠慮なく色紙とペンを差し出す。気怠そうにそれを受け取った雪絵が「名前は?」と訊くと、ナルトは目を爛々と輝かせて「うずまきナルト!」と名乗った。
「はいはい、うずまきナルトさんね」。
きゅきゅっとペンが色紙に字を書いていく。その様子をナルトは満足そうに見ていたが、_不意にとんでもないことを口走った。

「...姉ちゃん、いいにおいするな...」

ただ、ナルト自身に邪心はなかったのだが。...無言でサインを書き続ける雪絵、お構いなく雪絵を覗き込むナルト。その視線はいつしか雪絵の胸元...より少々上、首元あたりに向かっていた。
そこには、きらりと光るペンダントがあった。水晶のようなそれに、ナルトは知らず知らず惹かれてしまう......

が。

「んなァッ!?」

雪絵が唐突に髪をかきあげイヤリングに手をかけた途端、ナルトはもろに何らかのスプレーをふきかけられたのである。

「うがっ...な、なんだコレッ...!」
「痴漢撃退用のスプレーよ」

そんな雪絵の言葉がナルトに届いたかどうか。顔にかかった刺激物を払おうとするのに必死になっていたナルトは、更に運がなく。背後にあった木材を支えていた柱にぶつかってしまい、お約束通り...「うわあああっ!!」...木材の下敷きになっていた。
気絶でもしたのか、動く元気すら押しつぶされたのか、それ以降ナルトはぴくりとも動かない。

"女優"はそんなナルトを冷たい目で見た後、持っていたサイン色紙をびりびりと破り、踵を返した。

「ばっかみたい」

そう、一言吐いて。





空を見上げれば、もう夕空だった。銀色の髪が今ばかりは輝きも薄い気がする。_極度の方向音痴少女はもう何度目かしれない溜め息をつく。「地図なんて知らない...」吐き出された一言は切実だった。

海の匂いと共に風が吹く。それを感じて少女、カナは僅かに目を細めた。淡い赤色に染まった髪がなびく。クー、と聴こえたカモメの鳴く声に惹かれるようだった。
ふっと海の方向に目をむけたカナは、偶然にも、堤防に座っていた彼女_富士風雪絵を目に映していた。

同性のカナでさえ数秒 惚ける。雪絵の整った顔立ちに、さらさらと風に流される黒髪。憂いを帯びた表情は逆に雪絵を引き立てる。海を見つめるその瞳は、周囲を吸い込むようだった。
弄ばれている水晶の首飾り。カナは自然とそちらに足を運んでいた。また風が吹き、カナの髪をさらっていった。

「...綺麗な銀色ね」
「...ありがとうございます...雪絵さんの、黒髪も」

交わされた会話に、意味はない。
数秒カナを見上げていた雪絵は再び海に視線を戻す。カナも動揺することなく、適度に距離を開け、堤防に腰を下ろしていた。沈黙は痛いわけではなく、二人とも暫く赤色に輝く海を見つめるばかりだった。
静けさを最初に破ったのはカナでも雪絵でもなく、ばさりと空から舞い降りてきた一羽のカモメ。察したカナが腕を掲げると、カモメは満足そうに捕まり、クー、と一声笑った。

「...あなたも、忍者なの?」

問いかけられた言葉に、カナは微笑んで頷いた。

「はい。それを知ってる...ってことは、彼に会いましたか?金髪碧眼の、ナルトって男の子なんですが」
「...ああ、あの騒がしいガキね。悪いけど、彼は今頃 大量の木材の下敷きよ」

「...あはは...そうですか...」なんとなく意味が分かった気がして、カナは苦笑いする。その間もカナの手はカモメの羽毛を撫でていて、雪絵はそれを見つめていた。

「...随分 慣れてるのね」
「え?」
「鳥って、普通 人間を怖がるものでしょ?それなのにその様子......その子、あなたのペットかなにか?」
「あ......いいえ、ペットなんかじゃないですよ」

相変わらず表情の乏しい顔で質問を重ねる雪絵に、カナは柔らかく笑って応える。すると雪絵が更に疑問符を浮かべてしまうことは否めない。すっと水平線を見やったカナは、静かに、「風羽一族...って、私の血族なんですけど」。銀色が穏やかに煌めいた。

「私の中に流れているこの血は、不思議と鳥たちに好かれるから...この子たちとはすぐに友達になれるんです」

ばさり、とカナの腕からカモメが離れていく。しかしカナの頭上の遥か上にはまだ、カモメが数羽 上機嫌に歌っていた。それを見上げふわりとカナは微笑み、「私も、鳥たちは大好きだから」と口にする。その姿は、___雪絵の目にも、子供とは思えないくらい綺麗な少女に見えた。
鳥のように、今にも翼を生やして飛んでいきそうな、真っ直ぐに希望に満ち溢れた少女に。

「...なんだか...羨ましいわ」

ぽつりと雪絵の口から漏れた言葉に、カナは首を傾げる。

「...何が、ですか?」
「...自由で...自然な、あなたが、よ」

雪絵は今も飛び続けているカモメを目で追った。夕焼けに紛れ、眩しく、もうあまりよく見えずともーー。
何にも縛られず、何にも怯えることもなく、自分の意志を貫き通す、真っ直ぐに飛んでいくあの姿。

「...あたしは、飛べないのよ。...あたしは、はばたく翼をもぎとられた鳥...」
「......」
「籠に閉じ込められて...翼を奪われて。ずっと、自由になれずにいる鳥...。...一回でも自分の思うままに飛ぶことができたら...」

雪絵は一通り話してから、綺麗な黒髪を払って「何言ってるのかしらね、あたし」と自嘲するように呟いた。
それを見つめていたカナは何も言えずにいる。映画で見た"風雲姫"とは似ても似つかない、雪絵の瞳の奥の闇に気付いたからかもしれない。スクリーン越しに見る女優とはまるで違う女性がここにいる。
ーーまだ自分を秘めたままの女性がここにいる。

「...さて、と」

ゆっくりと立ち上がった雪絵は、コートを翻しつつ歩こうとする。カナは慌てて立ち上がった。だが、どこに行くんですかと問うても、返ってくるのは「あなたには関係無いでしょ」とのそっけない返事のみ。
しかし、変装もそこそこに街を歩いていく雪絵を、カナはどうしても放っておけなかった。

先に歩き始めた雪絵を、カナは小走りで追いかけた。

 
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