気絶したナルトと、抵抗できない小雪。二人の安否の為に動けないカナは、大人しく雪忍に誘導されるがままとなっていた。
小雪とは引き離され、意識のないナルトと共に連れて行かれる。冷たい印象を与える通路をひた歩き、いつしか到着したのは暗い牢が並ぶ空間だった。その一つにはナルトが、天井からつり下げられた手錠に拘束される。その向かいの鉄格子に入れられたカナは、つり下げられることはなかったが、前で手錠をはめられた。

「逃げようなどと思うなよ。さもなければ、わかってるな」

ミゾレはそれだけを言い残し、さっさと牢から去っていった。
残されたカナはじっと踞っていた。静かな空間に一人きり、いつもは騒がしいナルトもまだ意識を取り戻さないまま。じめじめとした空気に侵食されるように、カナの脳裏によぎる映像。あの雪の斜面で、何人もの人々が朱に染まっていた光景。

「(また、護れなかったよ、朱雀。私、なんにも変わってない)」

目を瞑れば自然とあの世界が見えてくる。いつも通りそこにいた紅色の鳥にカナは泣きごとを零していた。「いつもいつも、後悔ばっかりで、変わらない」と、無意味な言葉を漏らしていた。望んでいるのは励ましの言葉ではなかった。叱咤だった。

ーーー後ろを振り返らず......立ち止まらず。それが主の忍道だったと記憶しているのだが?

朱雀は静かにカナを刺した。朱雀の言葉は、カナを前に向かせる。

ーーーぐずぐずと泣くくらいなら、勇気ある戦士たちの意志を継ぎ、姫を護れ。

それだけ言って、朱雀の気配はすうっと消えていく。目元をぬぐいながらカナは何度も頷いた。自分にできることはそれだけしかないのだと、言われる前から知っていた。「(小雪さんを、助けなきゃ......!)」ーー
その時、くぐもった声がした。ハッとして見やれば、ナルトが吊るされたまま身じろぎしている。未だ焦点の合ってない瞳でゆらりと顔を上げていた。

「ナルト!」
「ん......カナちゃん? ......オレってば、捕まっちまったのか」

がしゃり、とナルトを繋ぐ手錠が存在を主張する。とりあえずナルトが目を覚ましただけでも安心し、カナはひとまず吐息を吐いた。

「平気?お腹のそれ、ついたままだけど、痛くない?」
「うん、今は大丈夫みてーだ。気持ち悪ィけど痛くはねえってばよ。それより、カナちゃんこそあれからなんかされなかったか?」
「大丈夫...。......さっきはナルトが来てくれて助かったよ。ありがとう、ナルト」

もしあのまま、頭に血が上ったままドトウと本気で戦うことになったら、どうなっていたか。危なかったのはカナだったのかドトウだったのかは微妙なところだが、どちらにしても望む結果にはならなかっただろう。
もう一度繰り返すようにありがとうと言えば、ナルトは「べ、別にお礼を言われることなんかじゃねーってばよ!」と照れたように言う。そしてはぐらかすようにガシャガシャと手錠を鳴らしてみせた。

「ま、まあとにかく、早く脱出しねーとな!まずこの手錠から...」
「うん。ナルト、ホルスターに手は届く?」
「へ?ホルスター?」

意味がわからないながら、なんとか足を持ち上げてホルスターに手を伸ばしたナルトは、真っ先にその存在に気付いていた。ナルトの手の中に残ったのは、金属製のヤスリだった。

「何かに使えるかと思って、ナルトが気絶した後に入れといたの。手錠をどうにかするには、あまりに頼りないけど...」
「いや、サンキュー、カナちゃん。これでなんとかしてみるってばよ」

そう言うや否や、ナルトはヤスリに噛み付き、それを手錠に擦り始めた。気の長い作業だが、とりあえずはそれでどうにかするしかない。カナはカナで、ホルスターに手を伸ばそうとした。ナルトより課題は楽だ。どうにかして手錠のカギを外せればーー。


ギィ___


不意に二人の耳に届いた音は、この牢が並ぶ部屋の扉が開く音だった。そして三人ほどの近づいてくる気配を感じる。二人は互いに目配せし、ナルトはヤスリを口に含み目を閉じ、カナは眠ったかのように床に転がった。
三人分の足音。そしていつしか聴こえたのは、カナのいる牢が開けられた音。目を瞑ったままカナは冷や汗をかく。企みが感づかれてしまったのかーー。

しかし、それは杞憂だった。牢が再び閉まった音がした。そして、二人分の足音が部屋から去っていった。
カナが目を開けると、そこには思い描いていた通りの姿があった。

「......小雪さん」

カナが呟けば、小雪はうずくまったまま目だけで相手を確認した。その次に向かい側の牢にいるナルトへと目を向ける。その口から漏れたのは一切覇気のない声だった。

「忍者二人揃って、いいざまね」
「アンタこそな」

ナルトが皮肉めいた声で返す。だが意外にも小雪は言い返さず、ただ「そうね」とぼやくだけだった。ナルトに何か言われるたびに食って掛かったあの姿は見えない。ドトウに捕まったことで本当に何もかも投げ出したのか。ナルトはその様子を受け入れ難い目で見ていたが、不意に口を開く。

「春がないって...なんだよ」

その話は、先ほど小雪が飛行船で連れ去られる前、カナが気絶していた時に交わされた内容だった。小雪はやはり大きな反応を示さない。自分の足先を見つめたまま、小さく言う。春になったら見えるって、父が言ってたのよ、と。
小雪の脳内には何度も思い返した映像が再び流れ始めていた。


『父上、"はる"ってなあに?』

父の口から飛び出した初めて聞く単語に、幼い小雪は首を傾げていた。冬しかない雪の国で四季の単語が使われることは少なかった。『そうか、小雪は春を見たことがないのか』。小雪の父親、早雪は優しく微笑む。そして幼い娘を目の前に呼んだ。『目を閉じてごらん』と素直な少女に促す。

『一面のお花畑を思い浮かべるんだ......ほうら、キレイだろう?その上を思いっきり走ってごらん』

小雪に脳内に、雪国でもかろうじて咲く花々が現れ、それが奥へ奥へと広がっていく。草原の緑を下地に、色とりどりの花々、そこまで思い浮かべると自然に爽快な空の青が滲むように広がった。小雪の表情は自然と柔らかくなる。早雪はその様子を満足げに見た。

『どうだい。ポカポカしてきて、幸せな気持ちになれただろう?』
『うん!』
『それが春さ。諦めないで、未来を信じるんだ......そうすればきっと、春は来る』


その時の幼い小雪には難しい話だった。諭すような父親の表情に、当時の小雪は何も言えなかった。
だが、今の成長した小雪にとって、そんなものは全て世迷い言に過ぎない。

「この国に春はない。...父が死んで、この国から逃げ出して...あたしは、信じることをやめた。逃げて逃げて、嘘をついて、自分にさえ嘘をついて、自分を演じ続けてきた...こんなあたしには、女優くらいしかなれるものがなかった」

希望に溢れていた幼かった自分を払いのける。今の小雪は完全に自己嫌悪の塊だった。誰もが一度は憧れる、女優という職業さえ、今の小雪にとって自分を否定する材料だった。父親を信じられなくなった自分を。
カナは何も言えなかった。ナルトもそれは同じようだったーーーだが、ナルトはそれでも、自分なりの答を表した。

ガキン、と耳障りな音が耳に障る。再びヤスリを噛み、なんとか手錠を壊そうと試み始めていた。「ナルト...」と呟くカナの傍で、小雪は僅か睨むようにそれを見る。手錠は太く頑丈だ。それに小さなヤスリ如きで対抗しようとしているナルトは一見無謀だった。

「そんなことしたって、なにも変わらないわ」

諦めたような声が響く。それでもナルトはやめない。ヤスリを強く噛んで、力任せに手錠を擦り続ける。やっと小さな傷跡がついたという程度。それをわかっているのにも関わらず懸命に続け、ーーーカラン、とごくごく小さな音が響いた。
手錠ではない。ナルトの口からヤスリが逃げ出し、届くことのない冷たい床に落ちたのだ。

「...ほらね。結局、諦めるしかないのよ」
「諦めちまったら...楽なんだろうな、きっと」

その声はいつになく小さかった。いつもの強気なナルトらしくない声だ。
落ちたヤスリを見続けるナルトの脳裏には暗闇が広がっていた。途方もなく遠くに見えるのは、関わったこともない、自分の里の住人たちだった。話したことも、目を合わせたこともないーーーなのに誰もが、ナルトを嫌い、蔑み、汚い物を見るような視線をよこしていた。

「誰にも相手にされなくって...別にいいやって思っても、なんかすげえ辛くって...世の中にオレのいる場所なんてないんだって気がしてた」

カナは気付く。ナルトが語っているのは、彼自身の過去だ。その瞳の色に広がる闇を、カナもまた、味わったことがある。けれど。ーーカナを救ったのは、そんなナルト自身だった。
「でも」、と吐き捨てるように言ったナルトは、ぎらりと手錠を睨みつける。そして力任せに壊そうと__だが、そのせいか、ナルトの腹に植え付けられているチャクラ制御装置が発動した。電流が迸るような感覚に「ぐぁッ!!」と叫び声が漏れ、「ナルト!」とカナが悲鳴を上げる。しかし、尚もナルトはギラついた目をしていた。

「でも、だけど!! カナちゃんとか、サクラちゃんとかサスケとか、カカシ先生とか、たくさんの仲間ができて...!諦めないで頑張ってたら、いいことあった!!」

流れ続ける電流にも負けず、ナルトは腕にこめる力を止めない。空色の瞳に宿るのは誰よりも強い、諦めない意志。遠目に見続けるしかないカナの横で、小雪は目を見開いていた。

「諦めたら夢も、何もかも、そこで......終わりだ!」

一層強く叫んだナルト、その体に走る、目に見えるほどの迸る電流。またもナルトが苦痛の声をあげるーーカナはそれに声をあげようとして、直前に振り返った。小雪がカナの肩を掴み、悲痛の表情でナルトを見ていたのだ。「やめ...、やめてよ、もう!!」大きく声を荒げる小雪。先ほどまでの意気消沈していた彼女ではない。だがいくら言われようと、ナルトは変わらない。

「アンタの、父ちゃんが...!三太夫のおっちゃんが、間違ってねえことを!オレが、証明してやるってばよ!!」

電流は流れ続ける。その音と、手錠の不協和音が木霊している。痛みに顔を歪めながら尚もやめないナルトは見ているだけで痛々しい。

「...ナルト...」

__そう、彼の名を呼んだのは、カナではなかった。小雪がカナの肩を握りしめながら、初めて少年の名を口にした。その手に、カナは不自由な自分の手を重ねていた。びくりと反応した小雪は、その表情のまま、また呟く。「...カナ」、と。諦めない少年の仲間である少女は、仲間の苦痛を思って表情を歪めながらも、励ますような笑みを浮かべていた。

「小雪さん。...ナルトは今まで、言ったことを一度も曲げたことがないんです。ナルト自身が満足するまで。絶対に、諦めたり、しない」


ガキィン___!!

その直後だった。ナルトの手錠は見事に壊れ、大きな金属音をたてて床に落ちる。それを追うように、ナルトもどさっと床に倒れた。
小雪が息を呑む。その後は、ナルトのかすれた笑い声が聴こえた。休憩する間もなく、電流で痺れた体に鞭打ち、ゆっくりと立ち上がる。「姉ちゃん...、今、助けてやっからよ...」と、自分の身を省みず、のっそりと鉄格子に歩み寄った。
ナルトの手が、その鉄に伸びるーーー瞬間、


「っぐぁあああああああ!!!」
「ナルト!!?」

ナルトの咆哮が響いた。カナも小雪も顔色を変えて叫ぶ。
ナルトの体に迸った電流は、先ほどまでの比ではなかったーーーカナはすぐさま鉄格子を確認した。その端に目立たぬよう貼付けてあったのは、"雷"と書かれた札。この鉄格子に触れれば強力な電気が流れだす仕組みになっていたのだ。
どさり、と倒れ込む音が響く。大声で呼びかけても、もうぴくりとも動く様子がない。気を失ったのかと、それを確認した時、小雪はまたも項垂れ、うずくまってしまった。
希望が見えた気がした___だけどそれが再び、暗雲に呑み込まれていく。

それを寸でのところで止めたのは、小さな声。

「...小雪さん。私のお願いを、聞いてくれますか」

顔を上げれば、カナがじっと見下ろしていた。小雪が何も言えずにいると、カナはそっとしゃがみ、ホルスターをつけている足を前に出す。「この中の物を...」と、言われるがままに小雪はそこを探る。出てきたのは、頼りがいのカケラもない、細く小さな金具だ。

「それで、私の手錠を外して下さい」

カナは静かな声で両手を差し出した。小雪は一瞬怯む。たった今倒れたナルトが浮かんだ。

「無駄よ...そんなことしたって。手錠を外したって、この檻が阻んでる。今のナルトを見たじゃない」
「...確かに、無駄かもしれません。でも、ナルトは、手錠を外そうとしたって無理かもしれなかったのに、それでもナルトなりにやれることを全てやったんです。その結果、今は気絶してしまったけど、手錠だけは外れました。ナルトは、ちゃんと一歩進めた」
「だけど...、どうせ...!!」

カナは一言一言を強めて言った。カナが言っていることは、全て、今倒れているナルトから学んだことだった。ナルトはナルトなりに、全てをやりきった。ーーそれを継ぐものがいなければ、ここで終わってしまうだけだ。

「...どうして、あなたたちは、そこまで希望が持てるの...」

小雪が震える声で問いかける。まだその手に金具を持ったまま。カナは、手錠を差し出したまま、その体勢のままで応えた。

「誰だって、未来のことはわかりません。先にあるのは、希望かもしれないし...絶望かもしれませんね」
「......そんなの、怖いじゃない。動きたくなくなるじゃない」
「怖いですよ。とても、怖い。だけど、わかっていることは一つだけあります。ナルトが教えてくれたこと」

幼い頃から孤独だったナルトは、いつしか笑い始めていたことを、カナは知っている。それが作り笑いだったとしても、その変化を知っていた。ナルトは"イタズラ小僧"と呼ばれることで、変化を望んだのだ。それがナルトなりの、"壁"のぶち壊し方であることを、カナは知った。

「なにもしなければ。なにも変えられない、と」

カナはずっと両手を差し出し続けていた。その瞳に当てられて、小雪は呆然とカナを見つめていた。

自由だと思っていた少女が目の前にいる。どこへでも羽撃ける軽い身で羨ましいと思っていた。なのに、死者の前に尋常じゃなく泣き崩れていた姿や、ドトウに立ち向かったがむしゃらな姿がその思いを邪魔し始めていた。この少女は、ただの自由な鳥ではなかった。
ちゃんと背負っていた。色んなものを背負いながら、それでも羽を休めることなく、未来を目指しているのだ。

「...強いのね」
「......そんな、まさか。小雪さんとなにも変わりませんよ」

微笑む顔が眩しい。小雪も吊られるように笑ってしまった。
相変わらず差し出してくる両手に、小雪はようやく手を伸ばした。ーーー諦めない。

 
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