もし暁を選んだら
あの時。
自分がとんでもない思考に陥っているのは分かってた。しかしそれから脱するすべを私は見つけることができなかった。見せつけられた強さ。誇り。力。その全てが弱い私を追って来て、追い込んでいた。心が揺らいでるのが分かった。自分が馬鹿だと、よく分かった瞬間だった。
その時目の前にいたキレイな顔の人。彼は、自身の問いにすぐさま応えない私に、怪訝な表情を向けていた。私は唇が震えていた。何を戸惑ってるの?応えるべきことは一つでしょ?そう思いつつ、けれど言葉が出てきてくれなかったんだ。
何だっていうんだろう。私は一体どうしたっていうんだろう。そんな馬鹿の一つ覚えのような自問だけが次から次へとあっただけ。
『......おい』
いい加減痺れを切らしたのだろう目の前の人が、低い声でそう言った。睨んでくる目もまた答を急かしてくるようだった。そして私はついに、言ってしまったんだ。
馬鹿なことを、でも、嘘じゃない言葉を、口にしてしまったんだ。
『......力が、欲しい......!』
そして、今。
この雨の中、私は今、誰よりも大切だと言える人の前に立っていた。
雨の中。どしゃぶりの、雨の中。
ぼろぼろのこの人を目の前にして。私は、彼に縋り付くことも、捕らえようとすることも、依然として、しなかった。
私は馬鹿なんだ。馬鹿だから、なんて言い訳で済ませられるほど軽くはない、大馬鹿。
彼、私の幼なじみは、この沈黙が下りる前に私が言った言葉に、今までにないほど目を見開いていた。
「......今......なんて、言った......」
いきなり大人になってしまったかのように思うほど、子供っぽさがなくなった低い声。私は唇を噛み締め、拳を作る。爪が痛いほど手の平に突き刺さる。こうでもしないと、私の決意はすぐ鈍ってしまいそうだった。
「......聴こえなかったの?」
「お前、正気か......!?」
「正気だよ」
言いながら、私は酷く目頭が熱くなるのを感じていた。身勝手だ。私は泣きそうになってるんだ。たった今、決別を告げたのは自分のほうなのに。今までずっと一緒だったこの幼なじみといれなくなってしまうことが、怖い。
「何でだよ......!!」
久々にこの人の熱くなった声を聞いた気がする。
何で?......あなたを見てきたからかな。
「力がいるなあ......って思っちゃった」
「お前は、そんなこと考えるヤツじゃねえだろ!」
「サスケは知らないでしょ。サスケが寝てる間、私に起こった色んなこと。私はすごく弱かった。何も、何もできなかったんだ」
目の前の人。サスケは、震えてるようだった。寒さにでも、恐怖にでもない。
怒りに。
「だからって......!何で"暁"なんだ、カナ!!」
自分は大蛇丸のところへ行くくせに。サスケがそんなふうに言ったものだから、私は小さな笑みを漏らしてしまった。今サスケがこういうふうに、私のことを考えて怒ってくれてるってことが、なんとなく嬉しいなとか、思ってしまった。
「イタチお兄ちゃん」
「!」
「お兄ちゃんに、鬼鮫って人に、爆弾を使う人、傀儡の術を使う人。......信じられる?私、サスケが寝てる間に、四人もの"暁"に会ったんだよ。それで......全員に完敗した」
「それがなんだってんだ......アイツらは犯罪者だ!そんなの当然の、」
「経験の差?......でも。誰かを守りたい時、そんな言い訳は通用しない。力がある人だけが、自分の信念を貫けるの。守りたいって思うだけじゃ、どうしようもないって......分かっちゃったんだよ」
それにこの気持ちは初めて持ったものでもなかった。悪い病気の再発みたいな、そんなもの。悪いものだと分かってるのに逃れられないから、病気。初めてかかったのは、あの事件が終わった後。一族が殺された後、私は"力"に絶対的な服従をさせられかけた。
それが今まで抑えていられたのはおじいちゃんの存在も大きかったけれど......一番は、やっぱり。
「......私は、間違ってたのかもね」
情けない声。サスケの顔が怪訝なものに変わる。こんなこと、思いたくないけれど。
「大切なものができちゃったから......力が欲しくなる。でも、力が欲しくなれば欲しくなるほど、私は今まで通りにはしてられなくなる。どっちが、正解だったのかな。大切なものなんて、作らなければよかったのかな」
サスケは何も言ってくれなかった。愛想つかされたのか、何も言えないのかは、雨で視界が揺れてるからよく分からない。......違う、言い訳だ。雨じゃない。私の目に溜まってる涙があるからだ。
想えば想う程、一緒にいられないだなんて。太陽みたいに明るいナルトや、花のように笑うサクラや、温かい瞳で見てくれるカカシ先生。それに誰より、不器用で、優しい、この目の前の人。七班。このチームメイトでいられて、楽しかったのに。
そこでサスケに負けて倒れているナルトには、結局何も言えないで。門前で肩を震わせていたサクラには、またね、なんて確証のないこと言って。さっき戦ったカカシ先生には、サスケを連れ戻すだけだから、なんて嘘までついて。それから、今、眼前にいるサスケには。
「ごめんなさい」
こんな中身が見えないような言葉と。
「今まで、ありがとう」
精一杯のお礼と。
「......これからも変わらず、サスケのことが......ずっと、大好きだから」
聞いたって嬉しくもないだろう告白。
私はそれだけを残して、後ろを向いて歩き出した。もうサスケの顔がわからないほど私は泣いていた。逃げ出そうとしてる張本人が、泣いていた。サスケが後ろでどんな表情をしていても、私にはもう関係ないのだと。
思い込んだ。
「別れの挨拶は済ましてきたのか?」
「......はい。約束通り来てくれてありがとうございました」
「フン。オレは待たされねェ限り約束ぐらい守ってやるよ。じゃあ、行くぜ」
「......それで、もう、教えてくれますよね。あなたの名前」
暗い森の奥。私が指定した場所でちょうど同じタイミングで来た彼に、私は問いかけた。赤い髪色に私に似た茶色の瞳。無表情の彼は、私の銀色の髪を弄びながら、赤砂のサソリだと呟いた。
暁色に染まっていく私。振り返ることは、ゆるされない。