『お父さんとお母さんと一緒に、美術館に行くの』

イヴはそう言って、いつもと変わらない笑顔を浮かべてた。可愛らしいんだけど、もうちょっと子供らしくしたら?ってくらいの、小さな笑顔は、いつもと変わらなかった。イヴはいつでもそう。大人しくて、どっか大人びてて、いい子でいい子でいい子で...。先生にも叱られないし、誰かと喧嘩したりもしない。友達はいっぱいいて、でも付き合いはあさーくひろーく。何の問題もない女の子。

『へえ。イヴって芸術とかに興味あったの?』
『...ううん、よくわからない』
『あら、そう...。ちなみにどんな人の作品が展示してある美術館?』

そう言ったら、イヴは暫く考えるように首を傾げてから、『...多分、ゲルテナって人、だったかな』と応えた。ただ、残念ながら私も芸術に興味なんてないから、そんな名前聞いたってわかんなかったんだけど。『ふーん...ま、楽しんできなよね、イヴ』取り繕うようにそう言ったら、イヴはまた同じ笑顔を貼付けるだけ。『(変わらないわよねえ...)』私は溜め息をつきたい思いだった。



・・・ん、だけど。



「ティゼ!あのね!」
「う、うん...なに?イヴ」
「昨日約束したからね、今日ねーーー」

なんか思いのほかあっさりその"いつも"は覆されてた。それもいつの間にか。
イヴがそのゲルテナって人の美術展に行くって言ってから、休日を挟んで、すぐに私は違和感に気付いた。だってなんかこう、あのイヴの笑顔がキラキラしてるっていうか...。珍しくイヴから私の机のほうへ寄って来て、色んな事を話すようになったんだもん、私からしたら驚くことばっか。

「なあに、今日もその人のお話ー?...ほんと、仲いいのね」
「うん!今日は迎えにきてもらって、放課後にマカロン食べにいこうって約束したの」
「...イヴ、ほんとに大丈夫?男の人なんでしょ、その人」
「おとこのひと?...うん、多分」
「は?多分ってなによ」
「...ううん、なんでもない。でも大丈夫だよ、ティゼ。ギャリーは大人のひとだから」

ほんわか笑うイヴ。その笑顔は以前よりもっと素敵になったんだけど...。「(わかってないんだから...)」机に肘をついて唇を突き出すと、イヴは首を傾げるばかり。「...綺麗な顔が台無しだよ?ティゼ」。・・・あらそう。さらさら流れるイヴの茶髪を眺めて、私はなんとはなしに溜め息をついた。
ーーーどう考えても、イヴがこんなに明るくなった原因は。

「...ねえ、そのギャリーって人、どういう人なの?」
「ギャリー?...うーん...背が高くて、ちょっと変な髪型の人...かな」
「いや、その人の容姿は正直どうでもいいんだけどね...ちゃんとした方なの?お仕事とか」
「...それは、よく知らない」
「ってことは別に、あんたのお父様繋がりのお偉い方ってわけでもないのね。美術館でお知り合いになったんなら、そこのオーナーとか?」

するとイヴは、今度はきっぱりと断言する。それはないよって。
じゃあ一体どうやって顔見知りに...と訊こうとしたところで、チャイムが鳴って、担当の先生がいらっしゃった。タイムオーバー、時間切れ。「ほら皆さん、席におつきになって」と仰る先生のご指示に従い、イヴも自分の席に帰っていく。・・あんまり根掘り葉掘り訊くようなことはしてはいけないんだろうけど、気になるものは仕方ないじゃない。学園でも男子と仲良く話すようなイヴじゃなかったのに、一体どうやったらイヴが男性の方と親しく...。

「(...いいわ。今日 ここにいらっしゃるというなら、直に見てやればおしまいなんだものね)」

私は密かな決意をして、ちゃんと授業に集中し始めた。



俗にいうお嬢様お坊ちゃん学園、なのだと思う、自分で言うのもなんだけど。だだっ広い敷地には綺麗で豪華すぎる校舎だけでなく、きちっと整えられた芝生ーー勿論 日除けベンチなども備わっているーーや、何もかもが美味しいカフェ、高級品ショップ、世界各国の様々な本が多く置いてある図書館 その他諸々備わっていて、誰もがそれを何の違和感もなく使っている。とはいえ私はといえば自分からここに通いたい!と両親に言ったわけじゃないんだけど。ここらへんではお金持ちの子供はこの学園!なんてジンクスみたいなものがあるだけで。
でもまあただなんとなく通ってるだけとはいえ、ある程度は愛着だって湧いてるし、判ってる。...から、授業も終わってイヴと校門へ向かっているとき、私は真っ先に違和感に気付いた。

「...なにあの人、不審者?」

この学園に立ち寄れるのは生徒の両親か有名人とか、何にせよ相当な身分の方だけなのに、私の目についたその人の格好はといえば。...顔は格好いいんだけど、なんか物凄いボロボロのコートを着てるし、なんかこの高級感漂う学園に物凄く戸惑ってるみたいだし、どことなく貧弱そうだし、変な髪型だし、変な髪型だし、変な髪型だし...。

「...イヴ、ちょっとあの人が消えるまで待たない?なんか危なそう、」

だけど、そう言ってちょっとイヴの服を引っ張ったのも束の間、イヴは突然 ものっすごく辺りに花を咲かせて、私を置いて走り出してた。...って、え!?

「ギャリー!!!」
「あっイヴ!」

.........え?

「お待たせ!...ギャリー、いっぱい待った?」
「そうでもない...けど、本音をいうと、すっごい居心地悪かったわ......イヴ、アンタほんとにお嬢様なのね」
「おじょうさま?」
「ええ、きっと貧乏って言葉すらしらないくらいのお嬢様」
「びんぼう?...あっティゼ、こっち!」

はっきり言うけど、きっちりこの学園の制服を着こなしているイヴと、あの男性のペアは全く全然これっぽっちも似合わない。イヴがやっと私に向けて手を振ってくれたからよたよたそろそろと近づいていくけど、周りの視線も痛いし、イヴがどう思ってようとその人完全に不審者なんじゃ...。
しかも、イヴが唐突にとんでもないことを言い出してくれた。

「あっ......お母さんに貰ったレースのハンカチ...」
「アラ。あのハンカチ?もしかして、忘れてきちゃったの?」
「うん...ごめんなさいギャリー、もうちょっと待っててくれる?ティゼも一緒に!」
「えっ」
「すぐ戻ってくる!」


・・・本当に、とんでもない子になってしまったわ、イヴ...。
私はギギギと男性を見上げる。彼はにこやかにイヴのほうに手を振ったまま。...ていうかイヴ、ギャリーって、ギャリーって言ってた?この方がアンタの人生を変えたっていうの?...本当にどうやったらこういう方とお知り合いになれたわけなの?

「ティゼ...だっけ?イヴのお友達なのね」

それとイヴ、一つ言っとくけど、変なのは髪型だけじゃなくて喋り方もよ。

「...御機嫌よう、初めまして。そういうアナタは、ギャリー様でよろしくて?」
「様?...アハハ、そんなかたっくるしく喋らなくて結構よ、お嬢さん。見ての通りお金なんてない貧乏な独り身だしね。それともティゼちゃんはイヴともそういう喋り方なのかしら」

まるで女性のような口調。だけどなんか全く違和感を感じないのは一体何故なのだろう。肩を竦めてくすくす笑うこの方にはどうも毒気を抜かれる気分......私の警戒のハードルが一段階、下がった。「いいえ。じゃあ普通に喋らせてもらうけど」けどやっぱり周囲の視線が五月蝿いのは変わらないので。

「ちょっと場所を変えましょう。アナタが不審者じゃないのならね」
「...本人の前でそういう事言う?」
「あと、反吐が出るからちゃん呼びはやめて」
「きっつい子ね!全く...じゃあそこにアタシの車があるから」

アタシの車ならイヴも気付くだろうしね、と言ってのけたこの方に、半ば頭がくらっときた。...ほんと危機感持っててよ、イヴ...お父様以外の得体の知れない男性の車に乗り込むなんて。
ちょっと歩いた先にあった普通の車は、目も当てられない程汚くはなかったから、若干ほっとした。もしそうだったらイヴ連れて逃げ出そうかと思ってた。・・・あれ、ていうかなんで私 こんな人の車の助手席に...?あれ、なんでイヴは私に待っててって言ったの!?

「(...頭が痛い)」
「ん?大丈夫?ティゼ」
「平気.........ただまあ、人物像が呆気なく崩れ去った事だけが大分ショック」
「フフ、もしかしてイヴからアタシの事聞いて、こんな言葉遣いじゃないもっとしっかりした男をイメージしてたの?」
「もしかしなくても、そうよ」

残念だったわねえ、とからころ笑う彼は自分のコートを探ってキャンディを取り出す。いる?と聞かれたけど首を横に振った。あらそう、と言って、彼は躊躇なく自分の口にあめ玉を放り込む。男性のわりに白い肌のほっぺたが一部分だけ膨れた。
「(ほんと、イメージだだ崩れ...)」。...悪いのは勝手に想像した私なんだろうけどさ。こんな色んな所を放浪してそうな人がイヴに影響を与えたなんて。

車内に暫く落ちた沈黙。イヴはまだ帰ってこない。ていうか私が帰りたい。

「...ティゼは」

唐突に彼が喋り出したので若干驚いてしまった。

「イヴよりも少し、お姉さんなのね」
「...うちの学園じゃ、クラスを決めるのは年齢じゃなく能力だから」
「へえ。それって、イヴが頭いいってこと?それともティゼがちょっとおばかさんなのかしら」
「失礼ね、前者よ。イヴってかなり頭いいんだから」
「.........まあ、それには納得するけど」

納得?私は片眉を上げて隣を伺ったけど、彼は苦笑しているだけだった。...やっぱり、わからない。イヴが美術館に行くんだって言ってから数日、イヴは見る影もなく明るくなった。けど、たった数日なのに。どうしてこんな、イヴになんの接点もなさそうな不審者っぽい男性が、最早 一緒にティータイムを過ごす程仲良くなってるの?

「アナタはイヴや私たちよりもだいぶ年上のようだけど」
「?...ええ、そうね」
「...すごく興味があるのだけど、聞いてもいい?何故アナタみたいな人がイヴと仲良くなってて、しかもあれ程までにイヴに影響を与えたのか」

若干口を尖らせて言えば、この人は少々目をぱちくりさせていた。「影響?アタシが?」...そう言う時点で、どうやらご自分ではあまり把握なさってないらしい。「トボケないでよ」私は更に刺々しく言った。

「イヴは前まではあんなに明るく笑う子じゃなかった。...いつもどこか、"いい子"を演じてたのよ。感情を表に出すまいとして.........それが急に変わった」
「...美術館に行った直後から?」
「よくわかってるじゃない」
「.........そう......あまり意識してなかったんだけど、確かにそうなのかしら」
「おかげでイヴは今、男子からモテモテ」

元からかわいかったしね、と言うと、彼はクスクス笑って、そうね、と返してきた。茶色のさらさらした髪に大きく丸い赤色の目。あの顔で満面の笑みを見せられたら、男子のほぼ全員がノックアウトされること間違いなし。けど一々きゃいきゃいしたりしないで、どことなく勇敢な面もあるから、女子にも受けは悪くない。もうそこにはすでに一ヒロインができあがってしまっていた。

「何があったのって聞いてもはぐらかされちゃうし。オマケに直後からイヴの口から出てくる単語といえばあなたの名前ばーっかり」
「...あの娘そんなにアタシのこと言ってるの?なんだか照れるわね」
「ロリコン!」
「何で!?」

言っとくけどアタシ、あの娘をそんなふうに見た事は一切ないわよ!?とものすごーく焦って言うこの人。逆に怪しいってわからないんだろうか、結構抜けた人だこと。

「...別にイヴはイヴなんだから、突っ込んで聞くことじゃないんだろうけど...」

冗談は置いといて、私は吐息と共に零した。校門から次々と高級車が出て行く光景を見ながら。多くの生徒はああやって迎えが来るから、尚の事 この人さっきすっごく目立ってたのよね、と呆れる。でもそれでもイヴは躊躇わなかった。本当にイヴは変わったーーー良い方向に。とても。

「ちょっと悔しかっただけ」
「...何が?」
「だって、私はアナタと違ってそれなりの間 一緒にいたっていうのに、イヴにさした影響は与えられなかったんだもの。だから...」
「...アンタも以前のイヴ以上に大人びてる気がするけど、やっぱりまだまだ子供って事かしら?」
「あ、それムカつく」
「ホントに子供ね!」

だってなんか、一番の友達をとられた感じ。クラスでは冷静で大人な秀才(自画自賛で結構)で通ってるけど、私だって9歳のイヴとそう変わらないし。突然横から来られた他人にイヴの笑顔を持ってかれたんじゃ私だって拗ねたくもなる。...なんて、当の本人に言ったりはしないんだけど。
「教えてくれないの?」横目で睨むように言ってみせると、彼は困ったように笑ってから、そうねえと、どっか遠い所を見るような.........というか、死んだ魚のような目つきになった。

「とびきり美人の花占いに立ち会う事になったり個性ありすぎる首無しに追いかけられたりマネキンにとんでもない無言の因縁つけられたり」
「......は?」
「挙げ句の果てには、...可愛らしい少女に存在の交換をふっかけられたり.........したのよアタシたち。・・・っていうと、ティゼは信じる?」
「・・・申し訳ないけど、何を言っているのか全くわからないわ。頭大丈夫?」

本気でこの方を不憫に思って言うと、やっぱり、っていう顔をされた。うわあイラッとくる。

「多分ね、アタシたちの話を信じることができるのは、実際に同じ体験をした人だけなんだもの。ティゼもよく知ってる通り、イヴも頭がいいから言う前からわかってたんじゃない?そうなると、まるでイヴがアナタをからかってるみたいになる。そう思ってほしくなかったのよ、きっと」
「......言ってる意味がよくわからない。でも私は確かに常識人よ」
「そんなカオしてるわ。自分の目で見た事しか信じないってカオ。もしイヴがさっきのアタシの言い分と同じ事口にしたら、アナタどうしてた?」

私はちょっと考えて、ちょっとふてくされた。「...間違いなく、病院を勧める」「あらま」。彼は本気で可笑しそうに爆笑した。...しやがった。だって事実。こんな事を言うからには、もしかしたら、ほんっっとーにもしかしたら、彼が言う事が真実なのかもしれないけど、でもやっぱり心の底からは信じられない。
上っ面だけ信じたフリして内心は馬鹿にしてるなんて事、イヴに対してできるわけがない。

「...笑いは収まった?」
「フフッ...ええ、...失礼、お嬢さん」

お嬢さんなんて言うな、ってキツく言ってから私は再び窓の外を見た。タイミングよくイヴが校門から出てきて、多分私たちがいないことに焦ってきょろきょろしてる。

「...信じはしないけど、アナタは他の理由を言う気はない...んでしょうね」
「そうね。嘘はつきたくないもの」
「.......アナタにも病院をお勧めしても?」
「アラ、費用はティゼが払ってくれるのかしら?」
「死んでも嫌」
「でしょうねえ」

イヴは不安そうに校門の外を見渡してから、もう一度引っ込んで今度は校内を見渡してる。そのうち近くの門衛さんのところへ行って慌てた感じで話しかけてる。気後れなんて一切見せない。行動力があったのは、前から。けどそれは他人に影響を与えない程度だったのに。...本当に、何度思い返しても、やっぱりイラッとくるし。何でこんな人なんかが"ギャリー"なわけ?って感じなんだけど。

「......じゃあもう、追及しないけどさ」
「そお?結構諦めいいのね」
「そんなことはやっぱり信じられないもの。でも、これだけは言っとく」

門衛さんがこちらを指差したところで、ようやくイヴの目が私たちのほうへ向き、赤色の目は無邪気に輝いた。小さな足で全速力で駆けてくる。聴こえないけど、ティゼ、ギャリーって呼んでるのが判る。...私の名前が先だったことがちょっと嬉しいから、やっと私はこの人の前で笑ってみせた。

「イヴを変えたアナタ、......ギャリーの責任」
「?」
「イヴがまた元の"いい子"に戻ったとしたら、私は真っ先にギャリーを疑うからね」

彼。ギャリーは私の言葉にすぐ返せないみたいだった。代わりに急に後部座席のドアが開いて、「ティゼっ、ギャリー、お待たせ!」って明るい声が響く。続いて、「ティゼは私の横っ」って可愛い声も。それに頷きたいところだけど、お生憎様。

「イヴ、私にはちょっとこの変人さんとお付き合いするのにまだ抵抗があるから」
「...って、ちょっと、誰が変人よ!」
「それ以前に、放課後に勝手にどこかに寄ったりしたら家で大騒ぎものだものね。ってことをわかってもらえるかしら、お金なんてない貧乏な独り身さん?」
「うっ......このお嬢様が...」
「そっか...ごめんね、ティゼ、待ってて、なんて言っちゃって」
「ううん。不本意だったけど、イヴの恩人さんの素性が知れてよかったし」

助手席のドアから出て、しょげちゃったイヴに苦笑する。ギャリーはどことなく不満そうだけど、返す言葉もないらしい。

「言っとくけどギャリー、イヴに手ぇ出したりしたら許さないからね」
「手ぇ?」
「出さないわよ!イヴ、ティゼの言葉に惑わされたりしたらダメだからね!?下心なんて一切ないんだから!」
「どーだか。イヴはこれからどんどん可愛く成長するんだから」
「あのねえティゼ!」
「そのうち手を出したくなっても知らないわよ。今確かにギャリーが言った事を盾に脅してやる」
「アンタは悪女なの!?」

大人のくせに吊りやすいったらありゃしない。...って思ってたところで、くすくすと笑う声。ギャリーと二人して見れば、後部座席で花を咲かせて笑ってるイヴ。どうしたの?とギャリーが聞くと、イヴは満面の笑顔で。

「ティゼとギャリー、すぐ仲良しになったね!」って言うイヴに、ギャリーと二人して「どこが!!!」と怒鳴ったのは言うまでもない。


 
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