イタチのその赤い写輪眼は、じっとカブトを捉えていた。
鍾乳洞のような地下の空間で、カブトはもう動けない。幻術に囚われ、写輪眼の瞳力の意のままに動く。

穢土転生の術の解印が、カブトの手によって成されていく。
サスケはその兄の背中を睨んでいた。だが、かつてあったような憎しみの色ではない。双眸が黒に変わる。

「もう…何を言っても無駄なようだな」

サスケは再三、イタチに投げかけた。
穢土転生の解は、そのままイタチが消えることを意味する。各地の穢土転生を止め、世界を…木ノ葉を救うために。

「アンタを見かけた時…トビやダンゾウの言ったことが本当なのかどうか、確かめたいとアンタに付いて来た…だが、確かめられたのはそれだけじゃなかった」

サスケの脳裏に朧げに甦る、幸せだった日々。

「昔のような、仲の良かったオレたち兄弟に近づけば近づくほど…アンタを理解すればするほど、アンタを苦しめた、木ノ葉の里への憎しみが膨れ上がってくる。前にも増して、どんどんそれが強くなる…」

深い愛情は、何度も転じて、憎しみへと変わっていく。

「アンタがオレにどうして欲しいのかは分かってるつもりだ。アンタはオレの兄だからこそ…オレを否定するだろう」
「……」
「でも、オレもアンタの弟だからこそ、アンタが何を言おうとも止まらない。ここで兄さんが里を守ろうとも……」

大切だったカナの笑顔も、まだ遠い。

「記憶を取り戻したカナが、またオレの前に現れようとも…オレは必ず、木ノ葉を潰す」

イタチはそれでも写輪眼の作用を止めなかった。カブトの解印が続く。
印はたったの六つだ。子、丑、申、寅、辰、亥───それが組み終わる直前、サスケはぽつりと、「さよならだ」と呟いた。

イタチの体がボウッと光に包まれる。何かに浄化されていくように、塵がはらはらとその体から上がっていく。
そうなってやっと、イタチの体がサスケに振り向いた。僅かに開いた口から、「少しずつ意識が遠のく感じだ…」と漏れ、ゆっくりとその足がサスケに向かう。

「…さよならの前に…お前が確かめたかったことを教えよう……もう嘘をつく必要はない」
「!」
「お前と別れたあの夜…オレのやったことは、ダンゾウやトビの…言った通りだ」

その瞬間、イタチの写輪眼がサスケの目を捉えた。
どくりと疼いたサスケの目に、過去の映像が流れ始めていた。それは、かつてイタチが見た記憶───

里を守るために自らの眼を託したシスイ。
うちは一族のクーデターに感付き、対策を練る木ノ葉の上層部。
過激ながらも、心から里の存続を願い、イタチに選択を迫るダンゾウ。
うちはを出入りしていたトビに協力を仰ぎ、既に決意を固めていたイタチ。

そして、あの夜───全てを理解し、その上で責める言葉ひとつ言わなかった両親。
父、フガクの最期の言葉。

───お前は本当に優しい子だ…

泣いていた。イタチは、泣いていた。両親の背に刀を向けて。
それでも、イタチは決意を変えなかった。

全ては里を守るために。


「…!」

サスケの目にその全てが映った。
想像を遥かに超えるイタチの想いが、心に残り、響き、サスケはただただ近づいてくるイタチを見つめていた。

「…オレは、お前にいつも許せと嘘をつき…この手でお前のことをずっと、遠ざけていた……お前を巻き込みたくはなかった……」

ゆっくりとその手が近づいてくる。

「だが、今はこう思う…お前が、父と母を…うちはを変えることができたかもしれないと…」

その手がゆっくりとサスケの体へ、頭へと伸びてくる。

「失敗し、死んだオレが今更お前に多くを語っても伝わりはしない…ただ…」

イタチはふ、と笑う。

「お前の大切なカナはまだ生きてる……ちゃんと向き合うんだぞ……」

手がサスケの頭へと届く。頭の後ろへ回り、ゆっくりと引き寄せられる。

「オレからも…今度こそ本当のことを、ほんの少しだけ…」

いつかのように、指で額を弾かれることはない。
引き寄せられ、額同士が優しく触れる。
イタチの顔に宿った笑顔は、そのいつか以上に温かく。

「お前はオレのことを、ずっと許さなくていい…」
「…!」

「お前がこれからどうなろうと、オレはお前をずっと愛している」



ーーー第七十六話 うちはの者たち



紫珀を肩に乗せたまま、光に包まれた北波は、座り込んだままのイギリを抱え、カナのいる地上まで跳躍した。足元にイギリを降ろし、自分を包んでいる光を見る。

「どうも、ゆっくり喋ってる時間はないくせーな…」
「アホ。死人がこの後に及んで長々と遺言のこそうとしてんなや」
「うるせえよ…紫珀」

憎まれ口を叩く紫珀もどこか嬉しそうだ。カナは涙を拭いて、小さく声に出して笑った。
北波も口角を上げてカナを見下ろす。

「……記憶は大丈夫だったか?」
「…うん…色々あったけど、今は大丈夫。多分兄さんのおかげで、刻鈴の効果が定着してなかったんだ」
「そりゃ良かったよ。死んだ甲斐があったってもんだ」
「本当に…ありがとう」
「……ったく、別に、礼を言われるためにやったわけじゃねえって……死んだヤツがまた出てくんのは、ほんと、余計な後付けってやつだろ……カブトのやつ」
「照れんなや」

生前あったわだかまりはもうない。カナの笑顔から顔を背けて頭を掻く北波に、紫珀とカナは顔を見合わせて笑った。

「…なんでだよ」

そのとき、足元からイギリの声が上がる。降ろされた状態で、身動き一つとっていなかったイギリは、悲痛な声を漏らしていた。

「なんで……北波まで、風羽と笑ってるんだ……」

北波がそれを見下ろす。そしてまた頭をかいて、ふーとため息を漏らした。
その手がイギリへと伸び、腕を掴んで、立ち上がらせる。涙を溢しているその目に、北波は顔を近づけた。

「そーいうのはもう、終わってんだよ、オレで」

ズイ、と近づいた北波に、イギリは「は?」と口から漏らした。

「渦木と風羽の話はもう、オレで終わらせたんだ。お前は一足遅かった。オレが生きてる間に会えてりゃあ、そりゃ一緒に復讐もしたかもしれねーけど」

「オイ、北波、お前な」と紫珀がじとりと睨む。北波は悪びれてない。

「コイツらの言った通り、別にオレはカナに殺されたわけじゃねえよ。オレが望んで、自分から死んだんだ」

頓着なさそうに言う北波に、イギリは目を丸める。
その目から溢れた涙を、北波はニッと笑って、自分の腕で思い切り乱暴に拭き取った。かつて二人が初めて会話をした時のように。

「だから、イギリ。もう過去に囚われてんな」
「…!」
「…ずっと探しててくれて、ありがとうな」

イギリはまた、膝を折った。その場に座り込んで、肩を震わせ、必死に慟哭を漏らさないようにしている。───完全に戦意喪失している。
カナはそのイギリを見つめ、唇を噛み締め、また北波を見上げた。
北波から塵の出る量が増えている。光が天へと伸び始めている。きっともうお別れになる。

「北波兄さん…」
「…じゃあな、バカ姫。イギリのこと、嫌わないでやってくれな」
「うん……大丈夫。兄さんのことだって、嫌いにならなかったから」
「ハハ、確かにそうだった」

カナと交わした刃の数を思い出して、北波は笑う。
北波の肩からカナの肩に飛び移った紫珀も、最後に「北波」と強く声をかけた。

「あっちで、親父さんとお袋さんによろしくな」
「……ああ、伝えとくよ」

北波を象っていた線が消えていく。この夜空の遥か高くまで。


カナはじっと天を見つめていた。だが、ドサリと何かが倒れる音が聞こえ、慌てて足元を見る。そして眉を下げる。穢土転生の生贄になった者が倒れた音だった。

しかもそれが、木ノ葉の忍ベストを着ている。腕を伸ばし、力のない肉体を支え、瓦礫にもたれかけさせた。もう完全に死に切った肉体は、残酷なほど重たくて冷たい。

「…酷い術やったな」
「……うん。……でも、さすがイタチお兄ちゃんだなあ……本当に術を解いちゃった」

きっとどこかで、イタチの魂も浄化されているだろう。そう思うと胸が締め付けられる。サスケは会えなかっただろうか、という密かな想いは、口にはしなかった。
夜の闇がカナと、紫珀、うずくまるイギリを包んでいる。

少しの間の静寂を、カナが動きだして破った。

「…まだ終わってない」

自分を奮い立たせる言葉だ。紫珀も頷いた、だがその目でイギリを気にしている。
カナはそれに気づき、微笑んだ。

「紫珀。イギリさん、見ててあげてよ」
「…!けど…」
「知り合いの紫珀がついてくれてたら、心強いと思うし」

カナの目から見ても、今のイギリの状態は危うかった。北波が死んでいたこともそうだし、その北波自らに今の心を否定されたこともある。一人でいると、何をしでかすか分からない。
「(それに、多分この先、もっと酷い戦いになる…)」とカナは思ったが、それは口には出さなかった。紫珀は守られたいわけじゃないだろう。

「私なら大丈夫。まずナルトに合流するつもりだから」
「……」

紫珀が異様にナルトを信頼しているのを盾にする。もちろん紫珀がその意図に気づくのは容易いが、紫珀はかなり迷った顔をしてから、諦めてイギリの肩に飛んだ。

「正直、オレ様もさっきのでチャクラ切れや…足手まといにはなりたくないわ」
「うん。…一緒に戦ってくれてありがとう」
「相棒なんやから、当たり前やろ。…絶対無事でいろよ」

紫珀の真剣な眼差しに、カナはもちろん、と笑って頷いた。




夜の闇の中、休むこともなく走り出す。
まだ少し距離がある場所から、ずっと振動音がしているのは伝わっていた。
それは、まるで地震のような、地響きのような。急く思いは止まらない。

その時、カナの脳内に響いた声があった。


『本部より伝達───』

『増援ポイントにて状況優勢!つまり、うずまきナルトが踏ん張ってくれている!!』

『オレたち連合が守るべきナルトが、ビー殿が!!前線で強い想いを持って戦ってくれている!!カカシもガイも同じくだ!!』

『そして連合のみなもその強い想いに加わってくれ…!』

『その強い想いが、この戦争の勝利への予言だ!』


その言葉を最後に、ぷつっと切れたように声が途切れた。

「……ナルト」

走る足は止めなかった。不思議と高揚感が湧いていた。
きっと他のみなも、同じようにナルトの元へ向かおうとしている。各地の戦場から、急いで駆けつけようとしてくれている。
五大国のみなが、敵も味方もなく、世界が終わるのを防ぐために、同じ想いを胸に走っている。

「(───朱雀)」

カナは走りながら目を瞑った。

「(始めるよ。こういう時のための、チカラだ…!)」

人柱式・有翼変化。カナの背中にチャクラの翼が形成される。朱色の輝きがカナの体全体を満たしていく。膨大なチャクラを一気に練り込み始めた。
大きく深呼吸をする。


『(───トバネをお持ちのみなさん、聞こえますか───)』




夜の闇が均等に忍界を包んでいる。

「一族…里…全てを知る人間に会いにいく!」

合流した“鷹”水月と重吾と共に、兄がここまでして守ったものを理解するために、サスケは再び動き出す。

「よく見ておけ…そして肌で感じろ…十尾復活を!!」

全ての尾獣、そして八尾と九尾の力の一部を取り込んだ外道魔像が、唸り声を上げる。

『(十尾の気配が出てきた!!)』

それを朱雀が察し、カナは全速力で気配の方に向かう。



魔像の元では、トビ一人を相手に、ナルト、ビー、そして合流していたカカシとガイが乱戦していた。
十尾は正確に言えばまだ復活の途中だ。それを阻止させまいと、トビは魔像を背に四人を相手取る。

十尾。
チャクラの始まりであり、国造りの神。
海を飲み、地を裂き、山を運んで、この地を作ったとされる祖そのもの。
そしてそれを取り入れ、人柱力となれば、トビの最終目的である“無限月読”が完成する。

「世界にはもはや、希望も未来も名のある英雄もいらないのだよ!十尾が不完全でも復活すれば、無限月読の術を組めるようになる…そして、現実は終わり、あるのはただ無限に続く、たった一つの終わりなき夢!!」

トビが渇望するのは、痛い思いも苦しい思いもしなくていい、何かを求めなくてよくなる世界だ。
だが、ナルトは違う。

「オレには…父ちゃんがいた!母ちゃんがいた!エロ仙人がいた!ガキは英雄に憧れるもんだ!!だからオレは迷わねーで突っ走れる……オレは、どの先代をも超える火影になる!!」

様々な苦悩を…人から嫌われる苦しみも、自分の弱さも、自分に巣食う九尾“九喇嘛”との軋轢も乗り越えてきたナルトは、自信を持って断言できる。

「それがオレの夢だ、バカヤロー!!!」


夢。ナルトの、そして、里で育つ忍の、誰もが一度は思い描く夢。

火影になる。


「───てめーは、誰だァァア!!」


面が破壊される。
顔が晒される。

うちは───うちはオビト。

オビトもかつて描いた、同じ夢。



そして乱戦の地はもう一つあった。そう、“あった”。
穢土転生であったはずのうちはマダラ。しかし、他の穢土転生が浄化されたようにはならなかった。自力でその枷から逃れたマダラは、自分を囲っていた五影を、まるで赤子を相手にするように、あっさりと瀕死にもたらしていた。

マダラの輪廻眼は冷たくその戦地を見下ろしていた。
五影は誰もが、凄惨な血を流している。

無感情にも顔を上げたマダラの足が動く。
その誰もが目に追えない速度で、他の有象無象には目もくれずに戦場を駆け抜けていく。

戦場を、そして木々の間を。


「……ふむ。懐かしい気配だと思った」


そして次にその目が捉えたのは、同じように木々の間を抜けていたカナの姿だった。
後ろから猛追してきた気配を感じていたカナは、振り向いて目を見開く。

「あなたは、」

『(───マダラ!)』

朱雀がカナの脳内で叫ぶ。マダラの手が伸びる。咄嗟にカナの体が風を纏う。
伸びてくるマダラの手が塵に化していく───だが、それでも。

「穢土転生の体に恐れなどない」

マダラの手がカナの首にかかった。
だが、そこに力は込められていない。大きく口で呼吸をするカナは、このうちはマダラという圧倒的強者の気配に、すぐ言葉を吐くことができなかった。
今は力を入れられていないが、この手は一瞬でカナの首の骨を折れるだろう。

「……風羽の末裔だな。シギによく似ている……」

マダラは小首を傾げてカナを見定める。

「そして、このチャクラは……朱雀だな。お前がこの時代の神人か」
『……マダラ』

何も言えないカナの代わりというように、朱雀がカナの口を使う。マダラが目を細めた。

「朱雀か。この者はシギと同じように、お前の力を使いこなしているらしいな」
『やはり、あの面の男は貴様ではなかったのだな…』
「面……オビトのことか」
『……こいつをどうするつもりだ』
「どうもこうもない。無限月読を発動させるためには、十尾の人柱力になる必要がある。お前の力があればそれが容易くなる。無論、このまま連れていく」

マダラの手が動く。カナは息をのみ、自分を触る手の動きを感じていた。
首にあった手が、つい、と顔へと上がっていく。頬を撫で、瞼をなぞり、額に張り付く髪を払い、銀色を触り、そしてその髪を上へと軽く引っ張る。その小さな痛みにカナは顔を歪めた。
やっと自分の言葉を出せる。

「…なにを」
「……本当によく似ているものだと思ってな。雰囲気はまるで違うが。抵抗もできないか」
「……」
「まァいい……なんであっても、結果は同じだ」
「!」

マダラの手が大きく動き、カナの背に回り、そのままカナの体を抱き上げた。

───おい、カナ!!

その瞬間朱雀が心中でカナに怒鳴るが、同じように「(大丈夫)」とカナは心の中で返した。

「(動けないわけじゃないよ。ただ……私たちは、今ここで全部の力を使うわけにもいかない。このチカラを中途半端にするくらいだったら、このまま連れて行かれよう。どうせ向かう場所は同じだ)」

───本当に信用しているのだな。九喇嘛の人柱力…うずまきナルトを。

九喇嘛?とカナが聞き返すと、朱雀が九尾のことだ、と補足して、カナは頷いた。

「(だって、将来火影になる人だからね)」

マダラに担ぎ上げられる中、景色が急速に変わっていく。自分で移動するよりも遥かに早い速度だ。カナはごくりと喉を鳴らした。

渦中へと飛び込んでいく。


 
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