「長旅ご苦労さまでした。ここから先になります」
水の国から出された案内人の手が数メートル先を指さした。カカシは素直に目をやって、その惨状を目の当たりにした。「こりゃ…酷いもんですね」と口にしたカカシに、案内人もええ、と頷く。
「なにせ水の国の中心部から離れているものですから。一族の人間もいないとなると…特に復興とかの話もなく」
「まあ、珍しいことじゃないですね」
カカシが綱手に言われて派遣された目的地は、ここにあった。
水の国、露隠れの里───というらしい。かつてはそこに、渦木一族という、うずまき一族から派生された一族が暮らしていたという。とはいえ、うずまき一族とは違い木ノ葉の千手から離れたこの国は、木ノ葉とも関わりが浅く、有名どころではない。
長く戦の時代を生きたカカシも、なんとなく聞いたことはあるかもしれないが、深く知り得るところではなかった。
「ここから先は、私一人で大丈夫ですので。帰り道も覚えましたし」
「そうですか。それでは、私はこのへんで」
「ありがとうございました。またお互い、戦の場で…御武運を」
「カカシ殿も」
案内人は礼儀正しく頭を下げ、その場から瞬時に去っていった。残されたカカシは改めて案内された先を見た。
荒れ果てた土地だった。焼け焦げた家々が崩壊寸前まで朽ちている。水の国だけあって水源には豊富で肥えた土地ではあるから、草木が大量に生い茂っている状態だ。滅びた状態からまるで変わっていないそこには、いくつもの戦の跡が残されている。物悲しい風景だ。
「(これを、カナの一族がしたってんだから……いや、根っこは木ノ葉か)」
カカシはやるせない気持ちだった。
「さて……感傷に浸っている場合じゃないな。どこから探すか……」
「誰を探すって?」
そこに、唐突に降ってきた声があった。
カカシはすぐさま声の方向を見上げる。建物の屋根とかですらない。もっと頭上───空。
唐突に降ってきたとはいえ、カカシには警戒心はまるでなかった。むしろマスクの下で笑みが溢れる。
久々に見る姿だが、その紫色の羽と、生意気な声は変わらない。
「探す手間が省けたよ───紫珀」
カナの口寄せ動物・忍鳥、紫珀だった。
紫珀は翼を一度羽撃かせ、高度を下げてくる。カカシとの相性は良くなかったはずだが、この状況、そんなことはお互い言っていられない。
「…ってことは、オレ様を探しにきたんか。ちょうどよかった、こっちも聞きたいことは山積みや」
「カナのことでしょ。こっちもカナのためにお前を探しにきたんだ。けど、ここでゆっくり話してる時間もない。この土地に未練がないのなら、今すぐにでも一緒に来て欲しいんだが」
「未練で残っとったわけちゃうわ。こっちも傷がやっと癒えてきたところなんや」
紫珀はそう言ってもう一度翼を広げて見せると、翼にぐるぐると巻いた包帯を見せつけた。その傷は、カナと北波の戦いの最後、北波の土遁をモロに受けてくらった傷だ。
「なんでここが分かった?」
「お前の得意技のおかげだよ。お前が使ってた封印術は、この滅びた一族、渦木特有のものだったらしいね。綱手様が調べ尽くしたそうだよ」
紫珀はカカシの前で一度だけ自分の術を披露してみせたことを思い出した。サスケが里抜けしようという時に、カナと対峙したカカシに、紫珀は足止めの封印術を食らわせてやった覚えがある。
口寄せ動物は普段は体を真に休められる住処で暮らす傾向がある。他に可能性があった風羽の森にはいなかった。となると、次に紫珀がいると予想されたのが、術を会得するまでのつながりがあると見られるこの土地だった。
「……オレ様のことを、そこまでして探しだすワケがあったってわけやな。カナになにかあったか」
「……まあね」
「カナからこんなに長期間口寄せされんかったのも初めてやからな……そろそろこっちからカナを探そうと思っとったとこや。しかしカカシ、木ノ葉のお前が来たってことは、相当えらい事態になったってことやな」
紫珀が最後にカナに会ったのは、北波と対峙した時だ。そこから先、カナが記憶を失っていることなどさえ知らない紫珀には、今の状況を露ほども予測できないだろう。
だが、紫珀はカナの記憶に深く関わる存在だ。ずっとカナと共に行動してきた。カナが思い出せなくても、紫珀のほうは多くの情報を詰め込んでいる。綱手はだからこそ、最終手段として、カカシに紫珀をここまで探しにくるように命じた。
「ああ……何も知らないお前に全部聞かせるのは骨が折れるんだが。とりあえず、木ノ葉に行ってくれるか」
「それ、オレ様にお前を背中乗せろって言うとるんか?」
「ま!それが一番早いでしょ」
「……」
癪やな、とぼそっと言った紫珀だったが、やはり状況も状況だ。素直に特大サイズに変化をし、カカシを背に乗せる。振り落とされんなよ、とだけ声をかけ、綺麗に上空に上がっていった。
向かう先は木ノ葉。道中、信じがたい話を聞かされながら、二人は最速で進む。
ーーー第六十六話 真実の自分
戦争は一刻一刻と迫っている。五つの里のトップたちと、中立国・鉄の国のミフネは、目前となった戦の前に、幾度となく互いの意見を交換する。各里の戦力の擦り合わせ、忍連合の連合編成、戦闘作戦───そして、この戦争で守るべき、三人の行方。
八尾を持つキラービー。九尾を持つうずまきナルト。そして、神鳥を持つ風羽カナ。
その三人の話になったところで、議論は熱くなった。
「で……人柱力どもはどこへ隠す?」
「隠す!?」
「なんだ?」
「アイツらは大きな戦力だぞ!隠してどうする!?」
反論したのは、つい先日までペイン戦でのダメージで寝ていて、先の五影会談に出席していなかった綱手だった。
土影が宥めるように言う。
「ワシもそう思ったが、今回の戦争はその三人が敵の目的じゃぜ。もしものことを考えて出陣はさせん……前の会議でそう取り決めた」
「敵はうちはマダラだぞ!戦力を出し惜しみして勝利の機を失ったらチャンスは二度とない!全ての戦力をぶつけ───」
「今回はその三人を守る戦争。火影一人が勝手を言ってもダメだ。多数決で決める」
若さなど一切感じさせない物腰で言ったのは風影・我愛羅だ。我愛羅は戦力云々以前に、特にナルトとカナとは繋がりが深い。
「この若造が!ナルトはな、」
「あいつのことはよく知っている……仲間のためなら無茶をしすぎる。だからこそだ」
「綱手様。それに、神人のほうは記憶がまだ取り戻せていないのでは?今の思想で、風羽カナが五大国に味方になる保証もないなら、彼女も戦力と考えるには難しいでしょう」
カナのことも無論五大国内で情報は共有済みだ。元は木ノ葉を大事に思っていた忍、だが今はマダラによって記憶を奪われ、木ノ葉にいるとはいえど不安定な状態。ナルトとビー以上に戦争には出しにくい存在だ。
我愛羅の有無を言わさぬ反論、水影の物静かな意見に、綱手も口を閉じた。
「戦力を問題にする前に…五影がまとまらなければ、それこそ勝機はないでござろう」
「チッ…もういい!」
「減らず口のナメクジ姫は健在だな…元気になった証じゃぜ」
「八尾・九尾・神鳥の隠し場所を決める。異論はないな、火影」
「分かった。さっさと次へ進めろ!」
イライラとしつつも頷く綱手に、雷影が笑った。
「フッ…隠し場所は決めてある。とっておきの場所だ。“暁”メンバーの出ていない、ここ雲隠れにある場所が妥当だろう───ビーと一緒に修行に励んだ、ある孤島だ」
■
五影たちの思惑通りに、ナルトとカナは木ノ葉から連れ出された。無論まだ記憶を取り戻していないカナが、突然ナルトと共に里を出ろと言われたことに、目を白黒させたのは言うまでもない。
聞くと、Sランク任務でナルトがとある島に派遣されるのだが、カナもそれに同行しろという。今のところナルトと最も親しくなったのだから、片時も離れない方が記憶を取り戻せるだろう、無論情報部の人間も共に行く、記憶はあちらでも見れるから───などととうとうと上層部の人間に語られたが、どうにもこじつけられているような感じがした。
とはいえ、カナは今なにか意見を言える立場でもないので、そうしろと言われれば従うまでだし、一方でナルトはといえば、素直の塊のような人間なので全く疑ってないようだった。「一緒に任務に行けるなんて、昔みたいだな!」と無邪気に笑っていたナルトに、カナは苦笑いを返してしまった。
そして、現在。
ナルトとカナ。そしてナルトの九尾の暴走を止めるためのヤマト。
なぜかマイト・ガイと、情報部の山城アオバ。
以上木ノ葉から発った五名は、現在船旅の真っ最中だった。
「…カエル?を?食べた?」
「食べてねえ!!」
「口の中に入ったんでしょ…?」
「食べては!ねえの!!」
「へー…」
「なんかー…蔵入り?っていう儀式なんだってばよ。これで、オレはもうオレの意思で九尾の封印を解いたりできるらしいんだ」
船上、甲板の上。ナルトとカナは風に吹かれながら話していた。初めは景色を見ることに夢中になっていたが、あまりにも霧が深すぎてもう景色を楽しむどころではない。
「そうなんだ……怖くないの?」
「うーん……オレってば、コイツからもう逃げたくねえんだってばよ。だから、ちゃんと自分の意思!それに、カナも同じだろ?神鳥、は、別に封印とかないのかもしんねえけど」
「私は…今は私が一番よく分かってないから…」
初めはなにも覚えていなかったカナも、自分のことを周囲から知らされている。自分が風羽の中でも特異な能力を受け継いでいること、それが莫大な力を持っていること、そしてそれがマダラに狙われる要因であること。
とはいえ、何も覚えていないカナは今、神鳥の力を扱えるわけでもなければ、どこか人ごとのような気分でしかない。
「私、“これ”が暴走とかしても何もできないと思う…まあ、今はチャクラ使えないから、大丈夫だとは思うけど…」
カナはそう言って、現在自分の腕に巻かれている札に触った。自分では剥がせないそれには、“封”と一文字書かれている。貼られている本人には剥がせない代物らしい。
里から出すにしても、術を行使して逃げ出さないよう念のために、という上層部からの手配だった。今のところ何をする気もないカナにはどうということもないが。
「…ま、そんときゃ任せろってばよ!オレがどうにかしてやっから!」
「…うん」
その時、船内へと続く扉が開いた。出てきたのはヤマトだ。ナルトは開いた音に反応して、「ヤマト隊長!」と声をかけた。
「ガイせんせーの船酔いどうだってばよ?」
「ひとまず横になったら落ち着いたみたいだよ。キミたちは大丈夫?」
「ぜーんぜん平気!」
ナルトはニカーっと笑って頭の後ろで手を組む。声をかけられたカナも、無言で頷いた。カナの中で、ナルトのおかげで木ノ葉に対する緊張感は薄れたとはいえ、まだ完全ではない。
“テンゾウ”としてカナに関わったことのあるヤマトは少し切なげに笑ったが、歴の長い忍として、深く情に縋ることもなかった。
「それより、さっき何か話しかけてなかったか?ナルト。タコがどう…とか」
ガイの看病をする直前、ナルトが口にしてた話をヤマトは思い返した。
「あ、そうそう!デカじいちゃん仙人に、予言を受けたっていう話だってばよ」
「えーっと…君の仙人モードを教えたっていうカエルの国の…だったっけ。予言って、どんな予言を?」
「タコがオレを導いてくれるらしい!」
二人の話を聞きながら、タコ?とカナは頭を捻った。ナルトの話には予想がつかない動物がたくさん出てくる。
「タコが…導く?」
「って、デカじいちゃん仙人が言ってたんだってばよ。それも、生き物の楽園でって!」
「タコが…ねえ…」
「そんで、今極秘任務で楽園の孤島に行くことになったから、これは導きなんだってばよ!予言通りだ!」
そこにタイミングよく、この船で共に乗ってきた雲隠れの案内人が「そろそろ陸に上がる準備をしてください」と声をかけてきた。
ちょうどその時だ。船の前方の霧が晴れていく。大きな島が全員の前に姿を表す───おどろおどろしい森で全土を覆ったような島が。
「ら…楽園…?」
「木ノ葉の“死の森”みたいなもんです。こっちのほうがちょっと過激ですがね。なに、安全ですよ、何もしなければ大人しいもんですから。ただひとつ、」
「これのどこが楽園じゃー!デカじいちゃん仙人のアホー!!」
「ただ一つ、なんですか?」
「ここの海岸に住む───」
説明を続ける案内人の背後から、黒い影が覆い始めた。
カナたちの目に映ったのは、巨大すぎる吸盤を連ねた…足。「アー!!タコの足ー!!」とナルトが無邪気に叫んだ。
「さあタコ!!オレを導いてくれってばよー!!」
足だけだった姿が、船の後方からゆっくりずもずもと姿を表す。タコ…にしては色が白いし、何より足の数が───「ナルト…こいつは………」とヤマトがそのサイズに圧倒されながらぼやいた。
「イカだァー!!!」
「え!?」
「でたー!!こいつだけには気をつけないとって言おうとした矢先に出たー!!」
「なにー!?」
姿を表したそれは確実にイカを巨大化したような風貌だった。ナルトが呑気に足の数を数えているのを叱咤しながら、ヤマトはカナを見やる。
「カナ、キミは今チャクラも使えないから、下がって!」
「あ、はい…」
「ナルトやるよ!!」
「でも一応数えないと!!イカなら十本、タコなら八本、」
だが、そのナルトの体を瞬時に捕まえた吸盤が、あっという間に上空に連れ去っていく。ナルト!!とヤマトが叫んだ時、また一際船が揺れた。
別の大きな影。海獣大戦争だ。
「イカはスッこんでろ以下省略!!♪」
「何だァー!?もう一匹ダジャレ喋りながら出てきたァー!!」
「もうむちゃくちゃだー!!」
牛のような赤い巨大生物が、先客の巨大イカを文字通り殴り倒したのだった。船は大きく揺れて、滝のような水飛沫が全員の頭からかかったが、それを気にしている余裕は全員になかった。
牛…のようだが、不思議とその生物の足にも吸盤がついている。頭が追いつかないカナもその本数を数えた。
「…八本だ」
「今度こそタコだァ!!」
イカから解放されたナルトは再び甲板に降り立った。
「タコ…なのか?」
「キラービー様ァ!!」
雲隠れの案内人が嬉しそうに歓声を上げる。それを拾ったヤマトが「キラービー?そしたら、この人が…」と目を瞬いた。
目線の先では、タコの赤い体躯から、その巨大な体躯を吸収するようにして、人間の影が現れ始めていた。
「遅ェじゃねえかバカヤローコノヤロー!」
雲隠れのキラービー、八尾の人柱力。尾獣をコントロール化に置いている彼は、陽気なラップで木ノ葉を出迎えた。
■
雲隠れの世話役・モトイと、人柱力・ビーに連れられ、一行は島へと上陸した。上陸早々多くの巨大な生物が襲い掛かろうとしたが、ビーはこの島の猛獣たちの頂点にいるという。
基本的には獰猛な生物は、ビーがいれば逆に守りの盾になる。加えて、この島全土は雲隠れの忍たちによって結界が張られているらしい。まさに人柱力・神人を囲うのに適した場所だ───ということを知らされていないのはナルトとカナだけだ。
島の中には、不恰好ながらも宿のような建物があり、それぞれに部屋があてがわれていた。カナは使っていいぞと言われた部屋の窓辺からぼうっと外を眺めていた。
何かがおかしいことは感じている。木ノ葉の里から出されたこともそうだし、今この状況。勝手に部屋を出るなと言われたとはいえ、一人部屋があること。この場に女性が一人しかいないため…といえばそうだろうが、今の自分が木ノ葉にとってそこまで信頼のおける存在だとは思えない。
そこまで人員を回すほどの余裕がなくなってきたのだろうか。カナの頭に、ちらりと、戦争という言葉がよぎった。
コンコン
扉から聞こえた音に、カナは振り返った。
「どうぞ」
「どうも、邪魔するぞ」
入ってきたのはアオバだった。
「長旅ごくろうさん。記憶に関して、何か変わったことはあったか?」
「いえ……すみません」
「そうか。ナルトとヤマトさんが出掛けるそうだが、お前は行かなくていいか?」
「出掛ける?」
「モトイさんに連れられてな。九尾をコントロールするための修行に行くらしい」
この島はビーが八尾をコントロールするために使った場所だという。それを思い出したカナは、ああ、と納得した。だが頭を横に振る。
「私がついて行っても邪魔するだけでしょう。ここにいます」
「……そうか。…まあ、あれだ」
「?」
「誰かと一緒なら外に出ても構わないから……オレは部屋にいる。向かいの部屋だ。何かあったら声をかけろ」
言ったアオバは頭を掻いて、カナが何かを言う前にすぐ部屋を出て行った。また一人取り残された部屋で、カナはまた一つ、木ノ葉の人間から優しさを受け取った気がした。
不意に思い出したのは、先日会った香燐のセリフだった。
『ウチもこの里で数日過ごしてるけどさ。なんとなく分かるぜ。ここは、お前が育ってきた里だってさ。カナみたいなヤツができあがる里だって。……思い出すよ。すぐ』
本当に温かい人間が多い。そして、自分もそうだったのかもしれない。今の自分には無いものだと思う。
だが、誰もがそれを取り戻して欲しがっている。“木ノ葉の風羽カナ”であった頃のカナを。当然だとは分かっているが、“ただの風羽カナ”である今、それを取り戻すことは乗り気ではない───と、冷静な今のカナは、そう思えた。
だからこそ、先日、木ノ葉丸と呼ばれた少年に投げた約束が、今の自分を締め付けた。あれは衝動的な言葉だった。
「!」
その時、窓辺にかかった黒い影に、カナはぱっと反応した。
大柄な鳥が、カナのいる部屋を覗き込んでいた。チルル、と鳴いている。
「…こんにちは」
この島に住んでいる鳥は、どうも他の猛獣と同じように巨大化しているらしい。破顔したカナは窓辺に戻り、窓を開けた。嬉しそうに喉を鳴らした鳥の顔に手を伸ばす。
風羽の血は、獰猛であってもやはり鳥にだけは有用なようだ。
「驚いたな」
「!」
声がかかり、カナは窓辺から顔を出した。
たった今建物から出てきた様子の八尾の人柱力・キラービーがカナと鳥とを見比べていた。
「この島の猛獣、あっさり懐柔♪珍しいこともあるもんだ、オーイエー♪」
「え…えっと」
「アンタとは挨拶してないな。ワッツユアネーム?」
記憶があってもこのノリにはついていけなかっただろう、とカナは思った。
「風羽カナ、です。えっと…神人というらしいです」
「! そうかお前がか。ってことは仲良くしなきゃいけねえな。ヨウ、拳を合わせろ、コブシをこめて♪」
ずんずん近づいてくるビーに、カナは狼狽えた。ぐっと突き出された拳を見て、求められていることは分かるが、同時にそれ以上の何かを求められているに違いない。しかし拒否できる空気でもない。
巨大な鳥がビーのほうにも嬉しそうにすり寄っている。それを見て、頭をフル回転させたカナは、ようやっと口にした。
「と、トリ使いがトリ柄の風羽です……ってばよ」
ビーの浅黒い大きな拳とカナの小さい拳が重なる。数秒の沈黙があった。
「……ってばよ、は、いらねえな」
「えっ、すみません……」
「自分の言葉を使え、前半は良かったぜ、バカヤローコノヤロー♪」
既にビーがナルトと一悶着あったことなど知らなかったカナは、それっぽいワードをナルトから貰ったつもりだったが、お気に召さなかったようだった。
カナはぱっと拳を引っ込める。触れた瞬間、何かが通じたような感覚があったが、今は神鳥と繋がっていないカナはそれが何か掴めなかった。だが、ビーのほうは分かったらしい。
「オレの中の八尾と交信、お前の中の神鳥の真意♪お前が記憶を失くして、どうにも困ってる真実♪」
「!」
「拳を突き合わせたら分かる。お前の中の迷いもな。初対面のオレにもバレバレだ。記憶を辿る手がかりを探してるんだろ?」
サングラスの奥の瞳に見つめられ、カナは瞠目した。その問いに一瞬で応えられない。記憶を辿る手がかりを探している───間違いはない。だが、すぐには応えられない迷い。
だが、カナは自分の胸を抑えて、もう一度、先日幼い少年に誓った自分の言葉を思い返した。そして、自分を殺そうとしたサスケのことを。自分の思いとは裏腹に、思いださなければならない要因はたくさんある。
カナがしっかりと頷いたのを見て、ビーは口角を上げた。
「マヨイがあってもヨイってことよ♪───オレ様が助けてやれるかもしれねえ。付いてきな、カナ」
島の奥深くに、凶悪な森には似つかわしくない美しい水面があった。頭上数十メートルから真っ直ぐに落ちる滝と、それを受け止める半径数メートルの湖に、小さな島が浮いている。水が溢れ出さない不思議な神秘さをも感じられる。
先ほどは、ナルトがここにいた。今は、カナが入れ替わるようにして、その浮き島の上に立っていた。
外出する上で声をかけられたアオバは、カナと同じように巨大な滝を見上げている。ここまで案内してきたビーは湖の淵でカナに投げかけた。
「真実の滝だ。オレ様はここで八尾をコントロールするための精神を手に入れた」
「真実の滝……?」
「みなまで言わずとも、そこに座ってみたら分かる。これ以上の助言はしねえ。まあ……やってみな」
ビーはそう言うと、姿を翻した。アオバが慌てて「どこへ」と声をかけるが、「オレ様の力もそこでは通用しねえ、居る意味もねえよ、バカヤロー♪」と愉快なセリフで去っていった。
辺りには、激しい滝の音だけが木霊している。
「(私の……記憶)」
カナは、ゆっくりとその場に座った。あぐらをかいて、目を瞑る。何が起こるか分からずとも、やってみるより他なかった。
周囲の音が変わった気がした時、カナは目を開いた。
目の前には滝。それは変わらない。だが、振り返っても、そこにいたはずのアオバはいなくなっている。滝の音は聴こえているが、物凄く遠くから鳴っているような感覚がする。
警戒心が高まり、カナはその場で立ち上がった。
「初めまして、“今の私”」
それが聴こえた時、カナは思わず口に手を当てた。いや、自分の口は動いてはいない。声が聴こえた方向は、遠い気がする滝の中。
カナの目は、信じられないものを見たかのように見開いていく。
滝の中から、水を遮って出てきた人物は、他でもない。銀色の髪に茶色の瞳───が、暗く染まった、カナ自身だった。
その姿が、タッと、カナがいる浮き島まで降り立った。
「なんで……私……?偽者……?」
「何言ってるの。偽者はそっちでしょ?」
そこにいるのは、カナとは違い、自信で溢れる笑顔を携えた“カナ”だった。自分と同じはずの銀色の髪が眩しく感じるのは怖気付いているからだろうか。暗い瞳がカナを捉えている。
誰だ───という問いを投げかけるまでもなく、カナは思い当たった気がして口を震わせた。
「まさか……記憶のある私?」
「……そうだけど。ねえ、いつまでウジウジ悩んでるの?」
「え……」
「今のアナタは早く出ていってって、みんな言ってるでしょ」
自分と同じ声で紡がれる言葉が、現状についていけないカナの心を深く突き刺した。自分の心の奥底に沈殿している暗闇が、穴を開けられ、吹き上がってくるような感覚。
「そんな…こと…」
「違う?もちろん木ノ葉の人たちは優しいから、そんな直接的な言葉は言わないけど、アナタだって分かってるでしょ?木ノ葉丸も泣かせちゃったし……何より、ほら。サスケは、アナタに死んで欲しそうだった」
「!!」
「ほら……図星。でも、どうしても消えたく無いって言うなら───私と勝負して勝ってみたら!!」
水を被っていた“カナ”が、風をまとって走り出した。カナは慌てて距離を取ろうとしたが、勢いの衰えない“カナ”はそこまで突っ込んでくる。
キィンとなった刃の弾く音。クナイ同士がキリキリとせめぎ合う。“カナ”がチラリと腕に巻かれたチャクラ封印式を見た。
「どうもこの世界でもチャクラは使えないみたいだね。もちろんおあいこだから、風羽の風勝負、かな!」
ぶわっと“カナ”から放出した風に、動揺を抑えきれないカナは押し通される。“カナ”はそのままの勢いで、カナを押し倒す。浮き島の上でせめぎ合う二人───だが、不意に倒されていたカナは“カナ”ごと体を転がした。
大きな水飛沫が跳ねる。チャクラを出せない今の二人は、咄嗟に水面に浮くすべを持たない。水面に行って仕舞えば体は沈み、一瞬は離れられる。
しかし、二人ともチャクラ要らずの風羽の風を操れる。水浸しになった二人は、それぞれの風の上に浮き、数メートルの距離をとった。
「まあ……私たち、同じ力を持ってるから……勝敗は一生、つきようがないんだけど」
水に濡れた前髪を掻き上げながら、“カナ”の闇に染まった瞳がカナを貫く。
カナは、やっと自分の口から冷静なセリフが吐けそうだった。
「ここは、何…?」
「…真実の滝、だっけ。どうも、アナタの心の内面と話せる場所みたいだね」
「私の…内面…」
「そう…記憶をなくしてるアナタにとっては、記憶のある自分だよ。大切な大切な……。アナタは本当は、取り戻したくないんでしょ?」
にっこり笑っているその姿に、カナは悪寒がした。目の前にいる、“記憶のある自分”は、悪意の塊だった。カナの中で動悸が治らない。悪意に対する嫌悪感が膨れ上がる。
これが、本当の自分だったというのだろうか。
「現実逃避?」
ぞっとする。
「心の中で思ったって無駄だよ。だってここは、心の中なんだから」
明け渡せない。
「これが、アナタがなくしてた“私”だよ。どう?───本当に取り戻したい?」
───カナの意識はそこで浮上した。
「カナ!?」
耳元で声がする。カナはふっと顔を上げた。
ぼやっとした視界に、太陽に当たって眩しい髪色が輝く。
「ナルト……」
「すげえ冷や汗かいてるってばよ……大丈夫か?」
どうやら、戻ってきたらしいとカナは悟った。さっきまでの遠のいていた滝の音がちゃんと近く感じる。最初に座った時のように、カナは浮き島の真ん中に座っており、ナルトがその顔を覗き込んでいた。
周囲には他に、ビーが戻ってきており、ヤマトやモトイもいつの間にかいたようだ。
「どうしてここに…?」
「オレも、さっきここに来てたんだってばよ。んで戻ってきたんだ……カナも自分に会ったのか?」
「うん……どうしたらいいか、分からなかった」
「一発目で勝てるほど容易じゃねえぜ、要因探してもう一発チャレンジ♪」
「勝つ……?」
更に後ろからのビーの声に、カナは振り向く。
「あれは……勝つものなんですか?」
「そうだ、己にな。───次、ナルトの番だ。交代してお前は待機♪」
立てるか、とナルトに声をかけられ、カナはやっと腰を上げる。ナルトは再び挑戦するらしい。自信に満ちた表情で、ナルトは滝を見つめている。
浮き島から飛び、カナの足がビーとヤマトの間に着地した。そこに一人になったナルトは、先ほどのカナと同じように、その場にあぐらをかいて座り込む。その体が微動だにしなくなったのを見て、カナはナルトが意識の奥に落ちたのを感じた。
「ナルトは……二度目?」
「オレが先に連れてきてたんだ」
応えたのはモトイだ。
「九尾を操るための前段階でな。もっとも、さっきはお前と同じように、本当の自分に勝てなかった……だがきっと、今度は違う。ビーが背中を押したからな」
横でビーが自信ありげに笑みを作ってナルトを見ている。先ほどカナと別れた後にナルトのほうに行ったようだ。
「……カナ。キミは、どんな自分を見たんだ?」
声をかけてきたのは、ヤマトだった。カナはナルトを見つめたまま眉根を寄せた。
「……記憶のある自分」
「え!?」
「なんで、早く体を明け渡さないんだって、言われました。今の私は誰からも必要とされていない……邪魔なだけだと」
暗い瞳の自分を思い出す。そして、自分の心の中で溢れ出す闇を感じる。それは、誰もが直接カナには言わなかった言葉だ。そして、カナ自身がずっと思っていたことだ。
自分がここにいなければ───サスケは闇に落ちなかった。友人という人たちを泣かせることもなかった。記憶を取り戻すために木ノ葉の人員を割かせることもなく、迷惑をかけることもなかった。
あの“カナ”は、記憶のある自分というだけあって、何もかも見透かしているような気がした。
だがそこに、信じられないことを聞いたというような声色で、ヤマトが再び口を開いた。
「……キミは、そんなことを言う子じゃないよ」
カナはやっとナルトから目を逸らし、ヤマトを見上げた。ヤマトの目に溢れる感情が見えた。
「言ってなかったけど……僕は、キミが里抜けする前に、キミと関わったことがあるんだ」
「え…?」
「キミに水遁を教えた師匠が僕だ。そんなに深いわけでもないけど、浅いつながりでもない。だから、僕には分かる……記憶のあるキミが、そんな、人を傷つけるようなことを言うわけがない」
ヤマトの脳裏に思い出されるのは、一ヶ月にも満たない期間のことだ。まだヤマトという名前がなく、テンゾウという通り名で生きていた時。少女であったカナに、新たな性質変化を教えるべく、カカシに無理やり命じられた、あの時。
あの時、友人を傷つけてしまったことに絶望するまでした、甘くも心優しい少女が、カナだ。そして、大切な人間のために、自己犠牲の里抜けまでした少女が、カナだ。
そのカナが、いくら自分自身であろうと、そこまでの暴言を吐くわけがない。
「で……でも」
「そもそも、それはおかしいな。真実の滝は、今の自分の内面が見れるだけだ。今の自分が知りようもない、記憶のある自分なんてのは出てくるわけがない」
ビーが口を挟む。
「自分の闇の部分の妄想、まんまと引っかかって逃走♪十中八九、お前を四苦八苦させるための罠だ、イエー♪」
「…あの、ビーさん、シリアスな話の途中にラップ挟むのやめません?」
「あれは……嘘……」
カナは呆然と唱えた。だが、そう考えた時、少しだけ前が開けた気がした。───あの“カナ”は確かに存在していた。しかし、過去の自分というわけではない、ならば。
カナは、再びナルトの背中に目を戻していた。今、真実の滝と向き合っているその背中が、ちょうどその時、ぴくりと動いたようだった。全員が息をのむ。
その場ですっと立ち上がったナルトは、笑顔と共に振り返っていた。