ここにおられましたか、と不意に声をかけられ、綱手は風になびく髪を抑えながら振り返った。
場所は火影室ではなくその上、火影邸の屋上。里全体が夕日の赤に染まっている光景が一望できる。その街並みから目を放し、綱手はそこに現れた人物に「お前か」と応えた。山中いのいち、情報班のトップだった。

「良い報告を持って来た......という顔はしていないな」

綱手が先回りをして言うと、いのいちは眉根を寄せて頷く。

「やはり今日も変化は見られませんでした。カナがこの里に戻ってきてから、まるで進歩がないままです」
「......本人の様子はどうだ?」
「実をいうと、記憶に執着する様子も見えないのが現状です」

ここ数日で見たカナの表情を思い起こしながら、いのいちは確信を持って言った。
決していのいちの指示に逆らったわけでもなし、カナは誰の言うことにも異を唱えずきちんと従っている。思い出したくないと口にしたわけでもない。それでもいのいちが自信を持ってそう言えるのには、"今のカナ"が持つ記憶と比較した結果だった。

「木ノ葉に連行される前までは、自分から積極的に記憶を取り戻そうと必死なようでした。既に報告したように、"鬼人の再来"鬼灯水月との会話や、かつての友人である風影・我愛羅殿に自分のことについて教えを乞おうとしていたことなどが顕著な例です」

情報班が上げた報告書を思い返した綱手は頷く。

「だが今は......」
「ええ。ここ数日面会しているナルトたちとの会話も視ていますが、拒絶することはないものの、上の空であまり聞いていない。以前は自ら欲していたはずの過去の自分の話に、今はまるで興味がないかのように。......あのままでは正直、これから記憶が回復する見込みも......」
「お前が言うからそうなんだろう。だが、そうも言ってられんのが現状なんだ」
「......"神人"、ですか」
「雲隠れで再び五影会談が開かれる。そこで人柱力や神人の戦争での処遇が決められることになるだろうが、私としては、この戦争にナルトやカナを出したいと考えている」

固唾を飲んだいのいちに気づいたが、綱手のその思いは強かった。今回の戦争の相手、かつてこの忍界に名を轟かせたうちはマダラを思うと、ナルトやカナの戦力ほど強みになるものはない。しかしナルトはともかく、今の不安定なカナをそのまま戦場に出せるはずもない。記憶を取り戻し、木ノ葉を思っていた以前のカナに戻ってもらうことは必須条件だ。

「それに私たちは知り得なかった、音隠れでの三年間分の情報もこの戦争に役立てたい」

━━━うちはサスケ。戦に敵側として出てくる可能性の高い少年のことも、カナの記憶を通して知るために。

「五影として......火影として、今回の戦争にはなんとしても勝たねばならんのだ」

そう言った綱手はおもむろに顔を上げた。いのいちも自然と綱手の視線の先を追う。
そこにそびえているのは、木ノ葉創設時代からずっと木ノ葉を見守ってきた火影たちの顔。初代から四代目まで、彼らは生きてこの里を興し、育て、愛し、そして死んでもなお里のみなを励まし続けていた。

綱手は五代目。その一端だ。この大戦に負けるということはすなわち、かつての火影たちが繋いできたものの全てが壊されるということ。火影は決してそれを許してはいけない。勝たなければならない。この里の未来のために。

戦争前の束の間の平和を味わう街並みは、夕日に晒され静かに、血の赤という戦争の色に怯えるように黙り込んでいる気がする。

「今夜私は雲隠れへと発つが、その間も......できる限りのことは頼む」

里をその背に追う女性へ、いのいちは深く頭を下げた。


ーーー第六十四話 忍と想い


口には出さずとも、自然といつも脳内で考えてしまう「めんどくせー」も、ここ最近はずっと現れていなかった。

第四次忍界大戦が宣言されてからもう一週間ほどにはなる。当然時間に余裕があるはずもなく、上のほうの人間は連日会議に身を投じていた。食料の備蓄、医療班の配置、戦闘力の振り分けはもちろん、ありとあらゆる地理の確認まで。戦場のことばかりではなく、戦の間の里のことまで心配しなければならない。話し合わなければならないことに限りはなく、終日会議は終わらない。

まさかこんな場に自分が参加することになろうとは、数年前の自分なら夢にも思わなかっただろう、とシカマルは思った。
終日会議は休憩もそこそこに終わらない。そんな日が続いていたが、全ての決定権を持つ火影が里にいない今は、トップに確認するために時間がかかるため、ちょっとした休憩時間が与えられていた。

懲り溜まったものを発散するように、伸び。同じく会議に出席している父の隣を離れ、気分転換に会議室を出て、外の空気を吸いこんでいた。話をする時間は一日中使っても足りないくらいだが、ヒートアップさせすぎるもんじゃねーな、とシカマルは久々にゆったり思った。

会議室の重苦しい雰囲気から解放されると、里の空気は穏やかすぎるほどに思えた。
まるでいつもと変わらない、平和な日。......けれど、きっとそれは厳密には違う。

忍者ではない、一般人たちにも当然戦争のことは伝わっている。もうそう遠くないうちにこの平和が崩されることを知ってしまったからこそ、せめてそれまではと、努めて平和を感じようとしている。そんな雰囲気が、里全体に広がっている気がする。

「シカマル」

不意に声をかけられて、シカマルは振り向いた。厳つい建物の重々しい扉を開けて出てきたのは父の姿。休憩は終わりかと思い、シカマルの足が再び建物に向かったが、シカクは頭を振った。

「なんだ、火影様に連絡がついたんじゃねーのかよ」
「いや、まだだとよ。綱手様も五影で話し合ってる途中だ、そう割り込めるもんじゃない」
「じゃ、なんだ?」
「まだ時間がかかりそうってんで、オレぁ一度家に帰るつもりだが、お前はどうする?つっても、すぐ戻ってくるけどよ」

ボリボリと頭を掻きながら横を通り抜けていった父に、シカマルは苦笑してしまった。はっきりとは言わないが、息子には父の真意が分かる。家に戻るというよりは、父は時間が許す限り、母と共にいようとしているんだろうと。
「母ちゃん、怒るぜ。仕事に戻れって」とシカマルが軽口を飛ばすと、シカクは肩を揺らして笑った。

「ま、母ちゃんもたまには許してくれんだろ」
「......たまには、ね。......いや、オレは気分転換にここらを散歩してくよ」
「そうか。じゃ、また後でな」

ひらっと手を振ったシカクは、あっという間にシカマルの視界から姿を消した。
らしくねえよ、とシカマルはまた苦笑する。だけれど、思っても決して口にしない。戦争前のそういう雰囲気は、一般人だけでなく、忍たちの間にも流れているようだった。

「(らしくねえのは、オレも同じか)」

自嘲。それから、ふらっと足を動かした。平和を装う街並みに感化されるように、目的もなく。

いや、一瞬だけシカマルは目的地を定めようとした。だが結局それは定まらなかった。大きな躊躇が邪魔をしたために。
───銀の色を自分から拒絶したのは、これが初めてだったかもしれない。

ベッドに座ってただぼんやりしているカナが、頭の奥のほうに浮かんでは、振り払うように街を一歩ずつ歩いた。



そんなシカマルから少し離れた場所、木ノ葉を流れる小川にかかる小さな橋の上でも、シカマルと似たような想いを抱きつつ水面を見つめている人影があった。
春の色の髪が風に流れる。戦争が決まってからずっと医療班として動き回っているサクラが、束の間の休息に身をゆだねているところだった。

そしてサクラもまた、今も白い病室にただただ座っているだろうカナのことを思い出していた。
カナがこの里に戻ってきてから一週間ほど。サクラはその間に何度かはその様子を見に行った。それは、ナルトやサイと共にであったり、いのやヒナタと共にであったりした。そうしてもう随分遠い記憶のように感じる昔話に花を咲かせて......聞いているんだかいないんだか分からないカナの前で、精一杯喋り通して。

それでも変化がない様子を察しては、サクラは自分たちとカナとの間にそびえている、底も向こう岸も見えない、巨大で空虚な穴のようなものを感じたのだった。それは、喪失した記憶の穴だった。自分たちの声では、叫んだところで向こう側にいるカナには届かないのだと思っては、胸が痛んだ。こちら側の岸では何人もの仲間たちが一様にカナの名を呼んでいるというのに、自分たちの声は届かないのだ。

そしてサクラは、分かっていた。唯一今のカナにも容易く届く声を持つであろう人のことを。
銀色の髪に代わるように、闇に溶け込みそうな黒髪を思い出して、サクラは強く強く唇を噛み締めていた。

そうして胸中の念に押しつぶされていたためか、川音が耳に響いていたためか、サクラは近寄ってきた足音に気づかなかった。

「サクラ?」

その人物に声をかけられてからやっと振り向いて、一瞬息を呑む。

「シカマル......」
「......あー。お前、仕事は?」

何の偶然か、そこに突っ立っていたのは同期の一人だ。シカマルは数秒棒立ちしていたが、数秒あってサクラの隣へと向かう。お互い口を開き始めは歯切れが悪く、だがすぐにいつも通りを演じて、サクラのほうは肩をすくめて「昼休憩中」と言った。

「といっても、なんかあんまり食欲なくてさ。今日は昼抜きでいこうかなって」
「おいおい、医療忍者がそんなんでいいのかよ」
「......実はさっき、戦争前の心構えってことで、前の大戦での写真を見せていただいてね......覚悟してたつもりなんだけど」

医療関係者が保存している写真といえば、当然負傷者、死傷者のものだ。写真は第三次忍界大戦のもので、長く続いた戦の中で悲惨な死を辿った者たちを垣間見てしまった。過去の大戦については無論アカデミーで習ったこともあるし、優秀だった生徒としてサクラはその時の知識を豊富に蓄えていたが、それでもサクラは想像以上のショックを受けたところだった。

「戦が長引けば長引くほど、忍同士の殺し合いだけじゃなくなるのよね......拷問はもちろん、忍じゃなくても攻め入られて、時には惨い殺し方だって。今回の戦争がどれだけ続くか分からないし......あんな患者を実際に目の前で見た時、私、平気で治療できるかな......」

サクラやシカマルの世代は、平和な時代しか知らない。そもそも、最早 里全体が戦に慣れていない。今度の戦は木ノ葉崩しやつい先日のペイン戦のようなたった数時間の戦いでは終わらないだろう。それに規模も全然違う。一国を挙げて、どころではない、忍五大国を挙げての戦。それだけの戦力を揃えようとも勝敗が分からない敵。一体どれほど酷い戦いになるのか、まだ誰も予想がつかない。
サクラの不安はもっともで、きっとその不安は里全体を包んでいる。

「そうは言っても、オレたちはやるしかねえよ。先を見て怖気づいてても仕方ねえだろ。もうガキじゃねえんだ」
「......分かってる。ごめん、弱音吐いて。シカマルはもっと大変なのに」
「"もっと"もクソもあるかよ、しんどいのはみんな同じだ。仲間なんだから気にすんな」

シカマルの手はぽんとサクラの背を叩き、それから橋の手すりにゆっくりと体重をかけた。いつもなら語尾に「めんどくせー」が付きそうなものを、言わないシカマルを横目で見てサクラは苦笑する。
ガキじゃない、子供じゃない。これは最近の同期たちの言葉の端によく現れる口癖のようなものだった。そう口にすることで、自分たちの背を押すように、奮い立たせているのかもしれない。

「シカマルのほうはどうなの?順調?」
「いや......不安要素はあちこちから出てきてる。けど、それを全部カバーしてる時間もねえから、とりあえず重大なモンからぼちぼち埋めていってるって感じだ。今は五代目がいねえからその作業も滞ってる」
「そっか、綱手様 今 五影会談だっけ」
「ああ。そうそう会議の邪魔をするわけにもいかねーだろ。五影は五影で重要な話し合いがある」

重要な話し合い。各国の戦力の話や、戦力を展開する場所の話や───人柱力や、神人の。

二人の脳裏に同時に同じことが思い浮かび、二人は自然と口をつぐみ、そして不思議と互いに同じことを考えていることが分かってしまった。沈黙の間に、川のせせらぎの音ばかりが響く。川の水面をなぞって吹いてくる風はひやっとしていた。
鳥の声が聴こえる。もたれている手すりに顔を寄せながら、サクラはぽつりと言った。

「こんな時には必ず、アンタと喋ってるのよね」

シカマルはじっと川の流れを見つめていた。太陽光に晒され煌めく水面は、暗がりでも輝く銀色を思い出させた。
あの子のとこに行かないの、とサクラは続けて問うた。お前こそどうなんだよ、とシカマルはそのまま聞き返した。そのやり取りだけで、やはり自分たちは同じ想いを抱えているようだと悟って、互いに自嘲的に笑った。

「一人でなんて、とても行けないわよね」

サクラもシカマルも、あの病室に足を踏み入れたことはあっても、それは必ず隣に誰かがいる時だけだった。

「ナルトたちは平気で行ってんのに。あの子との思い出だって、話しても話しても足りないくらいあるはずなのに。普通なら、話がもたないなんて事、あるはずないのに」

じっと押し黙って聞いているだけのシカマルの隣で、サクラはどんどん口にした。

「記憶を失くしたって仲間は仲間。関わりたくないだなんて、そんな薄情なこと、全然思ってないのに。なのに......あの子と二人っきりなら、あの子の目をきちんと見ないといけないから......それで、その奥に見える人影を」

見なきゃいけないから、とサクラは矢継ぎ早に吐き出した。
"もう子供じゃないんだから"。この呪文は、里に仕える忍としての自分たちにはよく効いた。だけれど、いったん忍の業とは離れた部分へと向かうと、どんなに意地を張ったところでまだ、自分たちは子供だった。

「カナは、サスケくんを......」

核心をついた、二人の名前。シカマルの拳に力が入る。
二人と関係が深い同期として、サクラもシカマルももう聞いていた。記憶を失ったカナは、それでもサスケに何かを感じて、守ろうとしていたこと。そしてサスケはカナが記憶を失ってしまったからこそ、完全な闇に落ちていってしまったこと。

「......初め、サスケが千鳥でカナを貫いたって聞いた時」

シカマルが小さく口を開く。サクラはひっそりとその横顔を見つめた。いつも以上に眉間にしわが寄っている気がした。

「普通に、サスケにむかついた。あの野郎、カナがどんな思いでずっとお前と一緒にいたと思ってんだってよ。記憶をなくしても、カナはカナだって、なんで分かってやらなかったんだってよ......」
「......うん」
「けど。......サクラ、お前と同じようにカナの目の奥にただ一人いるのがサスケって分かった時。むしろ......腹が立った矛先は、カナになっちまった」

これまで一緒にいた記憶も失くして。自分のことを教えてほしいと言われても無視されて、とどめのように殺されかけても、今もまだカナの中にはサスケが中心に居座っている。普通なら、理解しがたい。カナの瞳の中には、憤りなどカケラも感じられなかったのだから。

「......とっくに分かってたはずなのにな。アイツらの間には、切っても切れねえモンがあるってことくらい」

絆、というのか。糸、というのか。アカデミー時代、それよりも前からずっと一緒にいた二人。けれどそのつながりの名前は、これまでは明確じゃなかった気がするのだ。少なくとも、数か月前、カナが一度里に捕らわれた時にはまだ。

しかし今は───。

「やっぱり、気づくわよね」とサクラは静かに苦笑した。「気づかねえほうがおかしいだろ」とシカマルも同じ表情で応えた。

それきり、二人揃って再び口を閉ざしていた。
サクラはゆっくり流れていく小川を見つめて、シカマルは空を見上げた。サクラは冷たい水面に、シカマルは自由に泳ぐ雲に、それぞれの想いが行きつく人を重ねながら。


いつしか二人は歩き始めたが、これといった会話は特にないままだった。
それぞれの仕事場に戻ろうと思いつつも、頭はまだぼんやりと会話内容に引きずられていて覚束ない。仕事場に戻ればきっと頭が切り替わるはずだ。きっとそうはならないことを確信しつつも、この思いをどうすることもできないがために、ただ黙々と歩き続けるのだった。

しかし、その二人の足が不意に止まった。「あっ」という聞き慣れた声が耳に届いたからだった。
二人同時に振り向けば、そこにいたのは何やら小包を手に持った同期だった。

「サクラさん、シカマルくん。こんにちは」
「ヒナタ」

これまた何の偶然か、つい先ほどまで話していた人物ととても関係が深い少女。しかしヒナタはサクラとシカマルとは違い、特別暗い表情をしているというわけでもなく、自然と挨拶を口にしてきた。

「お二人とも、お仕事が忙しいって聞いたけど......今は休憩中?」
「あー、まあ。そんなとこだ」
「ずっと貼り付いてたって集中力切れちゃうしね。ヒナタは?ここのところはネジさんと鍛錬してるって聞いたけど」
「うん、私も休憩をいただいたところなの。それで、カナちゃんのところへ行こうって思って」

シカマルとサクラの動きが一瞬止まったのにも気づかず、ヒナタはがさがさと持っていた紙袋を開いてみせた。「それで、さっきいのさんのところに寄って......これ」と言って出てきたのは、可愛らしく包装された小さな花───スズラン。

「本当はあんまりお見舞いには良くない花らしいんだけど、前にカナちゃんが今と同じように入院してた時......あの、中忍試験の予選の後の。私、知らずにスズランを持って行ってしまって。でも、思い出の花だから、持って行ったら何か思い出してくれないかなあって」

そう言うヒナタは優し気に目を細めてスズランを見つめる。懐かしい思い出を掘り起こすその表情に他意はないようだった。
カナが記憶を失った云々を聞いた時、一番泣いていたのは恐らくこのヒナタだったが、今ではナルトに次いでよくカナに会いに行っている人物だった。純粋に、カナの古くからの友人として。

ヒナタはがさがさともう一度スズランをしまった後、「あの、もしよかったら」とサクラとシカマルを見比べた。

「時間があるなら、一緒にカナちゃんのところへ行きませんか?」

その質問に、サクラとシカマルは顔を見合わせていた。
沈黙、数秒。そして突然同時に噴き出した。それから二人一緒にくつくつと笑いだすものだから、きょとんとしたのはヒナタだった。

「な、何かおかしなこと言ったかな」
「ううん!ごめんヒナタ、何もないの......そうね、休憩時間が終わるまでだけど、私も一緒に行かせてもらって良い?」
「う、うん。シカマルくんは?」
「あー、オレも......ちょっとだけ顔出してく。......ありがとな、ヒナタ」

何でお礼を言われたのかも分からない。「何が?」とおずおずと聞き返しても、シカマルもサクラもゆったりと首を振るだけだった。

純粋にカナへ会いに行こうとするヒナタを見て、二人とも何かが吹っ切れたのかもしれない。一対一でカナに会うのは気まずい、その思いは確かだけれど、カナに会いたいと思う気持ちもまた確かに存在していた。ヒナタに誘われて、お互いの顔を見合って、それに気づいたから、おかしくなって笑ってしまったのだった。色恋のことを考えるから、二人ともどこかで意地を張っていたのかもしれない。

「そういや、カナが病室から抜け出して、全員で心配しあった〜なんてこともあったわね」
「うん......カナちゃんってやんちゃってわけじゃないけど、昔からちょっと無理ばっかりしてたよね......」
「ヒナタ、それは好意的に言い過ぎだろ。周りに心配かけすぎなんだよ、アイツは」

仲間に会いたい、話したい。思い出してもらいたい。自分たちとの楽しかった思い出を。
ヒナタと懐かしい話に花を咲かせながら歩く二人の胸には、一時的かもしれないけれど、暗い陰は消えていた。





次の日のことだった。

天気上々、雲一つない空の下。お天道様に負けず劣らず輝く金色の髪を揺らしながら、ナルトは軽やかに屋根の上を飛び跳ねていた。日課の修行を終えたばかりで、その額には僅かに汗の名残が残っている。
向かう先は、ここ数日ずっと通い続けている建物。しかし、迷いなくそちらへと走っている最中で、ナルトは不意に足を止めていた。

「そっち行ったぞーー!!」

遠くのほうで元気よく響いた声に、思わず大げさに反応してしまったのは、声の主が主だったからかもしれない。路地を通るのが面倒で屋根上にいる現在、視線を向ければその人物がはっきりとよく見えた。
そして、ナルトは遠い記憶でも見るかのように目を細めた。そこにあったのは、デジャヴを感じる光景だった。
見覚えのある猫が、三人の子供たちに追い回されている。どんくさそうなメガネのボウズと、二つぐくりの髪を度々気にしている少女と......それから。

「つっかまえたんだなバカネコ、コレーー!!」

さんざん喚いているイタズラ猫を最早慣れた調子でひっ捕らえた少年。
じっと見続けていたせいか、一瞬こちらに気付いたように目が合った気がしたが、ナルトはその瞬間に顔を背けて足元を蹴っていた。

胸の中に広がる靄。どうしようもできない不快感。それらから逃げるように走って、振り払うように跳ぶ。
そうして辿り着いた先の、とある建物の一室。入る前に、大きく深呼吸をした。いつも通りの顔ができるように、心を落ち着かせて、それからドアを二度叩いた。

コンコン、

すると、ドアの向こうから声。

「はい」
「オレだってばよ、カナちゃん。入っていいか?」

ナルトはなるべく穏やかな声色で問いかけ、返事を確認してから室内に踏み込んでいた。
その視野に広がったのも、ここ数日と何ら変わらない光景......だと思ったが、ナルトは一瞬で硬直した。ベッドにいるカナが今、ドアのほうに背を向けているとはいえど、病院服の上着を羽織っていない状態だったのだ。

「わーーーっ!?」

一瞬で目に入った肌色に驚愕して、ナルトはすぐさま後ろを向いた。

「いいい今カナちゃん入っていいって!!」
「? 後ろ向いてるし......すぐ着ますから」
「そういう問題じゃねーってばよ!大体、何してんの!?」
「傷の状態を見てたんです。もうこっち向いて大丈夫ですよ」

静かな声で淡々と言われ、ナルトはそっと振り向く。平然とした顔のカナはナルトを見るでもなく、包帯を巻かれている自分の腹を上着越しに見つめていた。とりあえずホッと息をついたナルトは、丸椅子を引っ張ってきて座り込む。それからカナの様子を伺い見た。

「......腹の傷、まだ痛むのか?」

忍の業ゆえに、とても綺麗とは言い難い両手で、カナはそっと自分のお腹に手を添えた。

「......治らなければ良い、って思ってました」
「え?」

てっきり頷くか首を振るかのどっちかの反応だと思っていたナルトは、しっかりとした答が返ってきたことにも呆気にとられ、その内容にも頭がついて行かなかった。

「どういう、」
「......あの時、死んでも良い、って思ったから」

この病室で、今ほどカナの声を聞いたのは初めてかもしれない。それでも口少ななカナは、それっきり口を閉ざしてしまった。
ナルトは黙ってその姿を見つめてしまう。すぐさま言おうとした激情の言葉は、しかし、声にはならなかった。死ぬなんて言うな───と言ったところで、"このカナ"にはきっと届かない。今の二人の間には記憶の欠落という深く広がった穴があるがために。

ナルトはぐっと歯を噛み締める。
それでも、そのとてつもない距離をものともせず、"今のカナ"をも突き動かした友を思った。

「......サスケは」

その名前を出すと、カナはぴくりと反応する。淀んだ瞳はようやくナルトのほうへと向けられた。

「サスケは別に、カナちゃんに死んでほしかったわけじゃ、ねーと思うんだ」
「......」
「あの時、オレにはそう思えた。でも、アイツはかなりの意地っ張りだからさ、それで」

だが、ナルトはそこで言葉に詰まってしまう。視点は一点、カナの表情に釘付けにされていた。
それまでほぼ無表情だったカナが、微かに微笑んでいるのが分かってしまった。けれど、嬉しそうなわけでも何でもない。むしろ、その逆であることがありありと伝わってくる、苦しい表情だった。

「安心して下さい。今更自害しようだなんて考えてませんから」

幸せだったあの頃も見えていたサスケとカナの絆。そこに辿り着くのは他の誰でも無理だと、ナルトには分かり切っていた。カナの記憶が戻る兆しは見えない。ここに来る誰もがありったけの話をしているはずなのに、それでも駄目である理由は、サスケがここに居ないからかもしれないと。

だけど、だからといって諦めるわけにはいかねーんだ、とナルトは強く思う。
仲間一人救えねえヤツに、火影になんかなれるかよ。あの時サスケにも言った言葉は、目の前のカナにも言えるから。

「......あのさ、カナちゃん。時間はどれだけかけたっていいけど、やっぱオレってば、カナちゃんに記憶を取り戻してほしい」

カナの瞳の色がまた暗くなった気がしたが、ナルトは真っ直ぐその目を見ながら続ける。

「記憶さえ取り戻したら、死んでもいいとか、んな悲しいこと言わなくても済むようになると思うんだ。だから、その為の手助けならできるだけしたい。カナちゃんもさ、色んなこと思い出してえだろ?」
「......」
「オレ、綱手のばあちゃんに掛け合ってみるってばよ」

ナルトはそう言って腰を上げた。「え?」とぼやいたカナの目がその姿を追う。ナルトは笑ったままドアのほうへと歩きだし、「ちょっくら行ってくっから待ってろ!」とそれだけ言って廊下へと駆けだしていた。

当然この部屋から動けないカナはただ呆然と閉じたドアを見つめるばかり。ナルトはカナに大した説明もせずに、よく分からないことを言って走り出してしまった。
その猪突猛進さにカナはどこか懐かしさを覚えたが、やはりそれまでだった。


 
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