"太陽"の輝きがあの銀色に降り注いでいた光景は、今となってもサスケの脳裏から離れそうもなかった。

深い暗闇の中。冷たく固い台の上に仰向けに寝かされている。傍では一人の男が準備に取りかかっている。その息づかいだけが耳に届いていた。

「これから移植を開始する。兄弟とはいえ他人の目だ、すぐには馴染まないと思っておけ。次にお前が光を見れるのは暫く先だ」

得体の知れない男が近づく。その手にあるのは注射針。麻酔をかけるぞ、と声をかけられるが、サスケはその口を動かさなかった。
深い眠りに落ちる前、瞼の闇の中で思い出す人影。もう今はいない、大好きだった家族、大切だった兄。憎き里の意志によって殺された、血を分けた一族の仲間たち。

その遠くに、明るい人影たちが見えた気がしたが、それを確認する頃にはサスケの意識は消えていた。


「あれで良かったの?」

その直後、男・トビの隣に白い体が地面に生えた。白ゼツは次第に人の体を成して、眠りに落ちたサスケを見下ろす。

「カナのこと。計画、だいぶ狂ったんじゃない?」
「......確かにな。しかし、サスケ......コイツが何を考えていたのかは知らんが、あの場で強硬突破をすれば、今度はサスケに刃向かわれる危険性があった」
「......"ああいう感情"は持てない僕ならともかくさ。サスケが何を考えてるか、本当にトビにも分からなかったワケ?」

白ゼツの目がマダラ───トビに向く。ゼツの人間らしさのない目とは違い、トビの写輪眼は形を歪ませてゼツを睨む。「どういう意味だ」と言うその声には、触れるのを拒む壁を感じられた。白ゼツは肩を竦ませて「悪かったよ。もう言わない」と引き下がり、またズモズモと床に埋まって行く。

「じゃ、僕は今度こそ黒と合流するから......それと、分かってると思うけど、そこに隠れてるよ」
「誰に言ってるつもりだ。さっさと行け」
「はいはい」

トビは白ゼツが消えるのを最後まで見ないうちに、柱の陰の向こう側に目を向けていた。

「隠れているつもりなら出て来い」

一秒、二秒。暗闇に同化しそうな髪色の青年は、そうしてやっとのことで姿を現す。
肉体の力は足りずとも、復讐心だけは培っている瞳。ギラついた意志だけはその目に、トビを睨みつけている色。イギリは深く息を吸い込み、言葉として吐き出した。

「教えてもらうぞ......北波のこと」

人を幻術に落とす写輪眼が、その姿を捉えていた。



───その場のどこにも銀色の姿はない。
"神人"・風羽カナはあの時、あの明るみへと引っ張り上げられ、この暗い場所から姿を消していたのだ。そうして今その姿が在る場所は、言うまでもない。
火の国・木ノ葉隠れの里。ずっと本人が帰りたがっていた場所へ。しかし、そんな場所だと知らぬままに。



ーーー第六十三話 別世界



......そう。まるで別世界にでもいるようだ、と。
まさかこの場所が、数年間もずっと焦がれ続けていたところだと知らぬ私は、そう思ってしまうほどだった。

「へえ、修行?波の国で?」
「そ!任務先でいきなり何言われんのかと思ったらさ、木登りっていうから拍子抜けしたんだってばよ。木登りだぜ木登り!それがもう超カンタンもカンタンで、オレってば、一瞬で登っちまったんだなァこれが。こーんなに高い木を、ギューンって突っ走ってさあ」
「バカ、脳内補正しすぎよ。アンタあの修行こなすのに一週間もかかってたじゃないの」
「え〜、そうだったっけ?」
「本気で補正かかってるわけ?どんだけおめでたい頭よ!」
「じょ、冗談だってばよ、サクラちゃん......さすがにオレだってそれくらい......」

眩しいくらいに白い病室がどこか懐かしい。ここ暫くずっと暗い場所にいたから余計かもしれない。響いているのも明るい声ばかり。同世代に見える三人が、病室の丸椅子に座って、笑い合っている。
桜色の髪の、お姉さんのような物言いの女の子と、黒髪の、落ち着いてるけどたまに天然っぽいセリフを言う男の子。それから一際騒がしいのが、金色に輝く髪で、澄んだ空色の瞳の男の子。

「木登りに一週間か。今では里の英雄だって言われてるのに、ナルトって本当に落ちこぼれだったんだね」
「サイてめえなァ!お前、いい加減オブラートに包んでモノを言うっつーことを覚えろよ!......それに〜、落ちこぼれとか言っちゃうと、他の二人にも飛び火しちまうんだぜ?」
「えっ。......メンバーを考えると、ナルトくらいしか納得できないんだけど」
「ふふっ、まあそうよねえ、確かに」
「だーっ!!あのな、オレだけじゃねーの!一週間もかかったのはサスケも、カナちゃんもなんだからな!」

ぴくりと反応してしまう。だけど口は動かない。とはいえ、変な間が空く前に、また違う声が入る。

「それでも初めててっぺんまで登れた時なんて、アンタが一番ボロッボロだったけどね」
「細かいことまで覚え過ぎだってばよサクラちゃん......」
「やっぱりナルトが一番ダメだったんだ」
「ダメって言うな、ダメって!サイこそ子供の頃はどうだったんだってばよ!」
「少なくともナルトよりは優秀だったよ」
「一々オレと比べんな!そんなオレだって、今じゃあその、英雄ってヤツなんだからな!へへっ」
「自分で言ってりゃ世話ないわね。そういえば、波の国任務の時も英雄だのヒーローだの言ってたっけ?イナリくんとはしゃいじゃってさ、懐かしいわよねえ」

どんどん耳に流れてくる会話は、止めどなく。口が動かない私は口を動かす彼らを眺めるばかりだった。
"ナルト"がちょっと誇張した昔話を、"サクラちゃん"が嗜める。"サイ"が二人に疑問符を投げかけて、また話がますます膨らんでいく。

「あと、あん時はマジでびびったよな。サスケのヤツが血まみれでぶっ倒れた時は」
「死んだの?」
「サイのバカ、あの時は笑えなかったんだからね!その通りサスケくん、本気で死んじゃったのかと思ったんだから。私なんて大泣きしちゃったわよ!」
「カナちゃんもだいぶ参ってたしな。オレもちょっと、我を忘れかけたけど。でもまァ、あの任務はあってよかったって今は思えるってばよ。なんてーか、七班のキズナが深まったってゆーかさ!」
「そう言うワリにはあの任務の後、アンタとサスケくんギスギスしまくってたわねえ、ナルト?」
「ギクッ」
「あの時どんだけハラハラさせられてたか。私が仲を取り持ってあげてたこと、感謝しなさいよねー」
「......どちらかというとサクラは、サスケびいき過ぎて火に油注いでたんじゃって思うのは気のせい?」
「ギクッ」
「そういう仕事ならカナのほうが出来そうだよね」
「え、えー......そうだったかしら?」
「サクラちゃんこそ脳内補正入ってんじゃねーかってばよ!」
「う、うるさいわね!アンタには言われたくないわよ!」

彼らのテンポの良い会話は、ずっとある人物たちに焦点を当てて語られていた。
"第七班"の四人。共に任務や修行に励んで、笑い合って、楽しそうに動き回る登場人物たち。"ナルト"、"サクラ"。そして───"サスケ"と、"カナ"。

そこにある名前に実感は湧かなかった。まるで小説の中のお話を聞いているような感覚しかなく、だけれど、それは本当の話なのだろうという意識はあった。
そう思わされる日が続いている。もう三、四日目にはなるだろうか。


「カナ、何か思い出した?」

内心、ぎくりとしてしまう問いかけ。黒い瞳が私を覗き込んでいた。

「......もう、サイ。そういう焦らすようなこと言いなさんなよ」
「え?焦らせるつもりなんかじゃ......」
「お前はなァ、もうちーっと感情のベンキョーをするべきだってばよ。あとさ、お前いつからカナちゃん呼び捨てにするようになったんだっけ?」
「ついさっきかな。サスケのこともとっくに呼び捨てだったし、まあいっかって」

「ちゃん付けのナルトよりもカナに近づけた気がするよ」とにっこり笑う"サイ"、「そーいうのはキョリナシっていうんだってばよ」と白い目を向ける"ナルト"、「まあサイなりの仲良くする方法なんだから」とフォローを入れる"サクラ"───から、私は目を逸らすしかない。

気まずいのだ。この人たちといると。

時計を見る。もうすぐ午後四時になる。
その時間が待ち遠しい。三人の会話が意識から遠くなって、チクタクチクタクと針が進む音が意識の中心になる。早く、早く、早く......

その時、待っていた音がした。定刻通り病室のドアが開く音。


「面会は終わりだ。風羽カナ、こちらへ来い」


そこに立っているのはここ数日通り、特に温かみのある表情を見せようとはしない男性。
病室内の空気がさっと入れ替わる。彼らの声もぴたっと止まった。私は躊躇することもく、ベッドの上から降りて、ひたひたと男性のほうへ向かって行く。
だけれど、ドアを閉める前に、後ろから声が追ってきた。

「カナちゃん。オレたち、ちゃんと、ずっと待ってるから」
「......」
「焦らなくていいからな」

穏やかな、優しい声。応えることができない声が、背中から。顔だけ振り向けば、笑っている。嘘なんて言ってないって表情でじっとこっちを見つめている。

うずまきナルト。
あの時、橋から落ちた私を迷いも無く受け止めてくれた人。
不思議と、太陽のような温かさを感じる人。

胸が痛くなって、すぐに目をそらして、前を向いてしまった。私を視線で捕らえて離さない男性のほうへ、今度こそ辿り着いて、背中で病室のドアを閉めた。



病室を一歩出ると、視界の向こうまで続いている薄暗さ。
それは病室が在るといえど、ここが病院だってわけじゃないことを証明していた。

当然だ。
だって私は今、自由を許されない身分なのだ───ここ木ノ葉隠れの里では。

初めてこの里で目が覚めた時、初めに突き付けられた話がそれだった。何もかもを忘れた私に、厳格な顔をした人が"風羽カナの処遇"について親切にも説明してくれた。
私はやっぱり特別な反応をすることはなかった。ただ、そういうことなんだな、と受け止めただけだった。

病室が宛てがわれているのは、腹部の風穴をどうにかする必要があったから。それでも常に見張りの忍の気配を感じるし、一人で病室を出ることは許されていない。

ただ一つの異例、こんな罪人に面会が許されている理由は単純だ。


「何か思い出したことはあるか」

通路を歩いた先、とあるドアを開けると途端に声をかけられた。
もう聴き慣れた声だ。長い金髪を携えた男性が、術式の描かれた装置の前でこちらを振り返っている。
この場には他に三人、既にとある装置の準備にとりかかっている二人の忍と、私をここまで連れて来た一人もそこに参加しようとしていた。

「......いいえ」

数時間ぶりに喋って掠れた声。目を細めた男性───山中いのいちという人は、そうかと一言、「今日も同じことをする」と言って私を手招いた。
それに従って、装置の前まで進む。そこまで行くと彼の手が私の背を押した。

「いいか。何度も同じことを言うが、思い出そうとする努力をしろ。頭痛がするだろうが耐えるんだ。オレたちはその手伝いしかできない」
「......はい」
「友人たちに聞いた話も脳内で反芻してみるといい。......じゃあ、始めるぞ」

冷たい装置に押し込まれ、目を瞑れと指示される。その直後、ここ数日に何度も味わった不快感が立ち上り始めていた。
頭を覗かれる。探られる。掘り返される、そんな不快感。


記憶のない"風羽カナ"への処置。全てを思い出させる為のこの時間と、その助けをするための面会許可。
この里で自由を与えられることが有り得ない私は、ただ言われるがままに動くだけ。


この三、四日間、私はそうしているばかりだった。別世界なんじゃないかと思うほど、あの暗かった場所からここへ連れて来られて、特に何も無い病室を明け渡されていた。
そして、代わる代わる部屋にやってくる人たちの話をただ聞いていた。私は何も話さないし、反応しないのに、やってくる人たちはただ"カナ"に関わる話をし続けるばかりだった。

例えばさっきの三人や、銀髪の上忍の人や。
私の顔を見た途端泣き出した黒髪の女の子や、病院だというのにこっそり犬を連れて来た男の子、突然虫を見せ始めた男の子や。真っ先に私の銀色を触った男の子、お菓子を差し出して来た男の子、突然抱きしめて来た綺麗な金髪の女の子や。
他にも、何人か数えてなんていないけど、とにかく人が入れ替わり立ち替わり病室内に入ってくるのを、私はただ呆然と見つめているばかりだった。

何だか、色々な顔をされた気がする。何だか、色々な話をされた気がする。
でもその細部までは正直あんまり覚えられていない。起きること全てが唐突すぎて、話されることの量が膨大すぎて、そして現実味が無さ過ぎるから、私にはどうしようもないことだった。

みんな、"私"を知っているらしい。みんな、"私"を好いていてくれたらしい。
だけど、私は"その私"じゃないから。応えることができなくて、ずっとこうして、時が過ぎるのを待っているだけ。


「(......思い出したかったはずなのに。なんだか、今は)」


『オレが知る"カナ"は、お前じゃない』

あの時の彼の言葉がずっと頭に反響している。



忍界大戦が宣言されたあの五影会談から既に数日。ここ木ノ葉では大きな変化があった。
六代目火影と称して会談に出向いたダンゾウの死。だが火影に空席が出ることはなく、ペイン戦よりずっと床に伏していた綱手が復帰した。それから連日、当然他里と同じように戦に向けての会合が続けられている。数日後には再び五影会談の召集も決定されていた。

ただ、他里にはない特異点が、綱手の頭に戦との二重苦を仕掛けていた。

風羽カナ。記憶を失った"神人"───戦にも関わる重要人物。と同時に木ノ葉の罪人・抜け忍でもある人物の突如の帰還だ。
とにかく今はその記憶を取り戻させるために、戦の準備の一方で、情報班の人員を割いていた。

だが、事はそう簡単に運んでいない。



「あの様子じゃ......やっぱりまだダメみたいね」

カナがいなくなった室内で、呟いたのはサクラだった。目はじっと空のベッドの上に向けている。

「記憶。......いのいちさんが見ようとしても全然見えないって。私たちとの空白の三年間、一体何をしてきたのか」
「カナが憶えてないだけじゃなくて、頭から完全に消えてるってこと?」
「真っ白に近いらしいわ」

カナを木ノ葉の里に連れて帰ることができた。しかしそれは、決して喜ばしいだけのことじゃなかった。罪を問われること自体は先刻承知済みだったが、問題はそれだけじゃなくなっていたのだ。
記憶を失った穴は大きい。それに、この問題は決して身内の間だけのものに留まらない。

大蛇丸の元で過ごした数年間の情報を"里"は得なければならない。少しでも戦に貢献できる情報が欲しいのは当然だ。情報部が毎日カナを連れ出している理由はそれだった。カナが自らの口で語れないまでも、無理やり脳内を覗くことが出来れば。
しかし、それは不可能だったのだ。

「糸口が完全にないわけじゃないみたい。感覚的な話になるけど、小さなヒビは見えるらしいの。だけどムリに外部からは入り込めそうもないって。......とにかく、カナ本人がなんとかしなきゃダメって」

サクラは目に見えて暗い表情をする。それはここ数日のカナの様子にも起因していた。出来る限り喋ろうとせず、居心地悪そうに目を逸らしてばかりの顔。記憶をなくしただけでなく、元のカナがほとんど見えないのだ。

「一体マダラは、カナにどれだけ酷いことをしたのよ......記憶を失うほどのショックって、どれほど......!」
「サクラちゃん......」

カナは"神人"だ。それに、木ノ葉が知り得ない情報を持つ忍でもある。だから"里"もカナが記憶を取り戻すことに助力しようとしている。だが、サクラたちにとっては、"里"の思惑などどうでもいい。

───あの日。様々なことが一日で起こり過ぎた日。
成り行きを知るナルトとサクラは帰還後、同期たちが集まる中で顛末を全て話した。事の流れはサスケとカナのことばかりではなかったが、仲間たちの間ではその二人のことを主軸に。無論、カナの記憶のことも。


『カナちゃんは今......オレたちのことを憶えてねえ』


ナルトがそう言った時の各々の反応は、言うまでもない。
以来、綱手が温情を利かせて"記憶を取り戻す助けとするため"という理由を建前に、事情を知る者たちはカナに面会に来ている。しかし数日経った今もカナに変化が訪れる様子はないままだった。


「サクラ......とにかく今は前向きに行こうよ」

サイが気遣ってサクラの背中を撫でる。

「僕たちが嘆いてたって仕方ないことはあるし、とにかくこうして誰かしらが毎日来て話を聞かせていれば、きっといつかカナの記憶も戻ってくるよ。綱手様も悪いようにしないだろうし」
「......うん。そうね......」
「それに、厳しいことを言うようだけど、僕たちもこうしてばっかりはいられないんだから。サクラは医療班として出なきゃいけないんでしょ?」

戦争は迫っている。平和な時代に生きていたからって実感が湧かないなどと言っていられない。自分たちはもう里に残って守られる子供ではない。出撃を課せられる忍なのだ。
サクラも目尻を拭って頷く。「うん」と言う声は今度こそ覇気を伴い始めていた。そしてすぐ、「よし!」と丸椅子から立ち上がり、パンッと自分の頬を叩く。

「これから医療班の会合に行かなきゃ。そろそろ行かないと遅刻しちゃう」
「......サクラちゃんにはオレらの回復してもらわなきゃなんだからな!頑張ってもらわねーと!」
「あのね、まずケガをしない努力をしてもらいたいんだけど?バカナルト」
「うっ」

僅かに明るさを取り戻したサクラは笑って、「じゃあ二人とも、また」とそのままドアの向こう側に姿を消していった。
廊下の向こうからぱたぱたと小走りする音がナルトとサイの耳に届く。サクラに軽く手を振っていたナルトは静かに手を下ろした。サクラの足音以外、妙な沈黙。

「......ナルト?」

その理由はナルトの表情にあったのかもしれない。サクラが閉じたドアをずっと見続けているナルトの瞳の色。いつもは真昼の太陽の輝きを放つような空色の目が、まるで夜にでも差しかかってしまったかのような。
「どうかした?」と続けてサイは言う。だが、結局ナルトはその色を隠し、何事もなかったかのような笑顔をサイに向けた。

「なんでもねーってばよ!それよりサイ、お前は暇なのか?」
「......いや。僕はこれから、ダンゾウ様が亡くなった後をどうするかについて、先輩方と相談することになってる」
「そっか。お前も大変みてえだな」
「ナルトは?」
「オレは何も。サクラちゃんみてえに仕事も割り振られてねえし......」

「ああそうか、そういえばナルトってまだ下忍だったね」とサイがイイ笑顔で言えば、「うっせー!」とナルトはいつも通り噛み付く。

「......けどそのおかげでオレは、綱手のばーちゃん公認で、できる限りカナちゃんの傍にいられんだ。そのうちオレにも任務与えるから、それまではってさ......」

ナルトの視線がベッドの上に落ちる。サイも同じようにベッドのほうに目を向けて、それからまたナルトの横顔を盗み見た。そうして先ほど感じた違和感の正体を掴もうとしたのだが、複雑な感情を掴みとることほどサイにとって難しいことはない。それにもう、一度はぐらかされてしまっている。

「......じゃあ、僕も行くから」とサイは諦めと共に言い、丸椅子から立ち上がった。ナルトは「おう。またな」と軽く言う。
サイが病室から出て行く最後まで、ナルトはカナが寝ていたベッドを見つめたまま。再びその瞳に夜が侵食しようとしていた。



「ナルトをカナの"監視役"に?」

たった今言われた言葉を反芻したのは、火影室につい先ほど呼ばれたカカシだった。

「ああ。何度も言わせるな」
「しかし......ナルトがそれを言われて、そのまま了承したんですか?」
「もちろん言葉は変えたさ。監視役などと言うと頷かんだろうからな。だが、言葉を変えたところでとどのつまりは監視役、この一言に尽きる」

対するのはもちろん現火影、先日復帰したばかりの綱手である。その傍にずっと控えているシズネはトントンを抱えてじっと黙っている。カカシの反応にハラハラしているようでもあった。

「......監視役......ねえ。けど、わざわざナルトを付けなくても、暗部はいるんでしょう?」
「無論だ。できる限りナルトがいるとはいえ、"監視"という単語を使えない以上、四六時中カナに貼り付かせることはできんからな」

つまりナルトがカナの傍にいれない時を暗部で補っている、という意味になる。「あくまでも監視役の中心はナルト、というわけですか」とカカシは冷静に綱手を見据えた。
上忍、それも里のほとんどの忍に認められるほどの者として、カカシは過去七班の師であったとはいえ、"里"視点で物事を見ることができる。だから無論、カナに重い監視が付くことには批判はない。
問題はその配役だ。

「ナルトが、カナを監視することに意味があるんですか?」
「......お前の言いたいことは分かる。ナルトがもし自分がやってることが監視だと知ったら、ショックを受けるだろうな」

綱手は机に両肘をつき、溜め息を零した。

「ただ、もちろん理由はあるんだ。かつてアイツらの上司だったお前には言っておこうと思ってこの話をしてる」
「......ええ。感謝します」
「まず第一は単なる人員不足。今は里中が戦争に向けて忙しい、これはもう分かっているな。第二に、単なる人員不足じゃない、実力に関する問題だ」
「......カナを監視できるほどの実力を持った人員はそういない、と?」
「ああ。しかもおあつらえ向きに、ナルトのヤツは下忍だろう」

「人柱力だという問題の前に」と綱手は言って軽く笑い、「そもそもこの戦争には下忍クラスは使えない。だから、ナルトには普通、戦争の仕事は出せない」と続ける。ナルトの実力を考慮すると、普通、ではなくなるのだが。

「私が仕事を手配しない限り、ナルトには中忍や上忍にはある仕事は持って来られない。だから戦争前だといえどフリー、しかし実力は里イチ......これほど現状、カナの監視役にぴったりなヤツはいないだろう?」
「......ですが、それはつまり」

綱手が軽く言ってのけたことをはね除けるように、カカシは鋭く言及した。

「カナがまたこの里から抜け出そうとするかもしれない、と考えておられるってことですよね」


───実力云々の問題を出した時点で、当然、最悪の事態を考えているということになる。
綱手は今、"カナの実力"に拮抗できる人員はそういないと言った。つまり考えているのは"マダラが突如現れてカナを捕らえる"可能性ではなく、カナが自ら逃げ出そうとする可能性。

確かに、前科はある。だが、今のカナの状態を考えると、カカシには酷く辛いことのように思えた。


「今のカナに......この里を抜け出して、どこへ行けるっていうんですか」


息を呑んだのはシズネだった。綱手は深く眉間に皺を刻んでいる。カカシには自分の声が震えないようにするのに精一杯だった。

「あの頃の......脱獄した時のカナには、サスケの元に帰らなければならないという意志があった。ですが、今は......何もかもを失くしてるんです。記憶を失ってなお、本能のままサスケの傍にいようとしたってのに、今はその本能でさえも行き場を失くしてる」

千鳥で貫通していたカナの腹の穴。あの時の血の色は、思い出そうとすればいつでも鮮明にカカシの脳裏に甦る。記憶を失って木ノ葉を忘れ、サスケにさえも拒絶された今のカナに、行き場があるはずもない。

カカシはゆっくりと息を吐いた。教え子たちの心情を思うと、痛い。

「監視をつけないで欲しいわけじゃないんです。ただ、カナのことは......」
「......第三の理由があるんだ」
「!」
「それが、私がカナの逃亡を否定しきれない理由になる」

第一と第二は、監視役がナルトでなければならない理由。第三の理由は、そもそも監視役が必要である理由。
カカシは一瞬目を丸めて、綱手の言葉を待つ。既に知っているシズネはひっそりと目を伏せた。綱手もカカシの目を真っ直ぐ見ることはしなかった。
まるで、他の誰かを思い出しているかのように。

「殺されかけたところで......カナはそれでも、サスケを否定なんてできないからだ」


綱手のその目に映っているのは、かつて愛した人。


「愛、と言っていたんだよ。......カナは」


『あなたを、愛してた』───


誰に向かって、など聞かずとも、カカシには当然カナがそう言うであろう相手を思いついた。

「今のカナでも持っている記憶は、いのいちが既に全て視ている。その中にはお前たちが接触する前の、二人の会話もあった......カナが千鳥に貫かれた後のな。そうしてサスケに拒絶された後に、カナは言っていたんだ」
「......愛」
「重いだろう......小娘のくせに」

綱手は渇いた笑いを零す。「けど、あんな小娘が......なんて、笑い飛ばせないんだよ」とぼやいた。
軽い言葉ではないことは明白だった。カナの里抜けからの行動は全てその想いに基づいていた。たった今聞いたカカシでも、あっさり納得できるほど、カナの想いは"愛"の一言に根付いている気がした。

『お願い......彼を殺さないで......』

カカシがサスケと対峙した時の、カナの掠れた声を思い出す。殺されかけようとも、一心にサスケの身を案じていた。

「千鳥で貫かれようとその言葉を口にした......。これを知っても、カナはこの里でずっと大人しくしてるだろうと言い切れるか」
「......ナルトにはそのことを?」
「......言ってある。だから見ててやってくれ、と言っておいた」

あくまでも監視という言葉は使わず、見といてやってくれ、と。
カカシは最早何も言えなかった。カナに監視が要る理由は十分すぎるほどだった。暫く沈黙して、項垂れる。「すみません。出過ぎたことを言いました」と自らの不甲斐なさを白状しても、綱手は「いや。お前の意見はもっともだよ」と苦笑を零すだけだった。

「けど、記憶のこともある。ナルトはカナの記憶を取り戻させる役としても逸材だからな。アイツには辛い思いをさせるだろうが」
「いや......ナルトは仲間のためなら、辛いなんて泣き事は零しませんよ」

カカシの言葉を聞いた後、それもそうだな、と綱手は目尻を下げて笑った。

「お前には当然戦に向けて別の任を与えることになるが、この事はお前の耳にも入れておこうと思ったんだ。言うまでもないだろうが、暇があればお前も気にかけてやってくれ」
「分かりました。......それで、話とは今のことで終わりですか?」
「いや、実は今から話すことのほうが本題だ」

綱手は改めて言い、体制を直した。シズネに首で指示を出し、とある物を受け取る。

「お前には戦争において重要なポジションを与えることになるだろうが、それとは別にもう一つ、戦争前に頼まれてほしいことがあってな」

シズネが手渡した物はこの忍界の地図。綱手はその紙を広げながら、カカシに近くに来るよう手招いた。綱手の指が地図上を辿り、木ノ葉を指していた指が東に動き、水の国方面へと近づく。

「戦に関する会合の決着がつき次第、お前にはここに向かってほしい。幸い水の国周辺だ、水影には案内人を出すよう頼んでおく」
「......ここは?」

訝し気に尋ねたカカシを見上げ、綱手は答を出す。そして目を見張った相手に淡々と任務内容を告げていった。


 
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