「風遁 風波」

銀の色が舞っていた。その瞳は鈍く光り、一瞬にして組んだ印は既に術を発動していた。
それを、誰もが見ていた。重吾も、香燐も、あまりの衝撃に何も言えないまま、その色に目を奪われていた。
何よりサスケは、息が止まるような感覚にまで陥るまでに。


「......カナ......」


やっとのことで漏れた声は、酷くか細かった。
それが、サスケの限界でもあった。

「ッサスケ!!」

重吾が草陰から飛び出る。サスケの体が目に見えるまでにぐらついたのだ。八尾との交戦によって受けたダメージ───いや何より、たった今受けた、精神的な痛みに耐えかねたのか。
今まさに目の前に術が迫っているというのに。

風がぶわりと、吹いた。


「......え?」


しかし、その時何よりもその場に響いたのは、場に似合わないほどの気の抜けた声だった。

銀色の勢いが消える。風がしゅるりと収束し、今にもサスケに襲いかかろうとしていた術は消えた。重吾も香燐もそれに目を見開くも、勢いのままその場に躍り出て、必死に手を伸ばした。

サスケの体がぐらりと落ちていく。

「!!?」

だがそれを受け止めたのは、たった今攻撃を加えようとしていたはずの、その人物だった。


「今......私の、名前」


───風羽カナでしか有り得ないその人物は、呆然としたように呟き、今抱きかかえているその人を見つめていた。

重吾と香燐は息を呑んで、その場に留まる。サスケを受け止めたカナと、重吾・香燐、その距離は数メートル。今この場に誰も冷静な者はいなかった。カナは呆然と、サスケは気絶し、重吾と香燐は混乱が絶えず、暫しその場に落ちたのは異様な沈黙だった。

「......おい、何で攻撃を止めた」

するとその時、がさりとカナの背後の草むらが揺れる。
現れた第三者は、こちらも華奢ではあるし女顔も甚だしかったが、藍色の髪の青年。長い髪から覗く同色の瞳が苛立たしそうにカナを睨み、それから重吾と香燐にも視線を流していた。

イギリさん、と呟いたカナは、困惑した目を青年と香燐・重吾に行き来させた後、もう一度腕に抱えるサスケに目を落としていた。




『刻鈴は記憶に関することを操る、特殊な音色を奏でる楽器だ』

それは、"鷹"が雲隠れへ発って次の夜の会話だった。マダラは相変わらず全てを隠そうとしている面の下で語る。

『過去を見るも......過去を消すも。そして、消された記憶は刻鈴によってしか返らない。事実、北波に関することは、カナは違和感を抱きつつも、結局刻鈴で記憶を戻すまでは思い出せなかった』
『タダ、今回ノ場合ハ注意スベキダロウナ。刻鈴ノ音色ヲ全テ聴カセル前二、北波ハカナヲ飛バシタ』
『だとはいえ、やはり簡単には戻らんさ。それだけ強力な術だ。カナは今───少なくともほとんどを、忘れているだろう』

そして、記憶を失うということは、人格の変貌に他ならない。
マダラは笑う。今まで幾度か対峙してきた銀色の少女の顔が思い浮かんだ。あの、希望ばかり見ている顔が、どうしても気に喰わなかった。甘い考えばかりを胸に抱き、絶望をも包み込んで背負っていこうとする姿勢が気に喰わなかった。
だが、今はどうだろう。

『送り込んだ部下たちは、どうなった?』

マダラが問いかけると、ゼツも笑って言った。

『殺られてたよ』

その脳裏に浮かぶのは、明らかに鋭利な、風のようなもので絶命していた姿の数々。

『最初の何人かには、若干の躊躇と、あと問いただしたような......悪く言えば、拷問したような痕も見えたけど。五人目六人目になると、もう諦めたのか、ばっさり殺られてた』
『フ......飛段と角都の、"渦木イギリ"への接触が功を成したようだな』

渦木一族。うずまき一族から派生した、封印術と結界忍術に長けた一族。体力のない者が多く、その他の忍術も使いこなせる者たちは少なかったが、封印結界だけはうずまき一族と同等の能力を誇った一族だ。うずまき一族との違いは、木ノ葉創設時代、千手と対立したという立場。そして、北波の一族であり、今は死んだとされる一族。

『北波と知り合いだったってところは、出来過ぎだよね』
『かもな。それに、飛段角都がイギリにぶつかった時、カナまでもが立ち会ったというのも良い偶然だった』

それは飛段と角都が火ノ寺を襲撃する前の出来事だ。予め仕組んでいた糸が、イギリとカナの接触によって更に強固なものとなった。

『攻撃力にはならないが、イギリはこれから北波の代わりとなる。アジトを外から見せないためには必要な人材だ。結界忍術の使い手は重宝せねばな』
『トハイエ、未ダ二人ノ現在位置ハ掴メンゾ。部下ノ死体ハ点々トシテイルガ』
『自分たちにも結界を張っているだろうからな。だが、誘導くらいはできるだろう。もっと部下を使い、雲隠れ方面へと誘い出せば良い......そうすれば、帰り際にでも接触するはずだ』

希望という名の光は消えた。今はもう、絶望だけが残っている。

『......これで、サスケも完全に』


ーーー第五十三話 消失


「もしかしてあなたたちは、"以前の私"の知り合いですか?」

そんな言葉を漏らしたのは、カナだった。その視線の先にいる香燐と重吾は、未だにこの事態を上手く呑み込めないでいた。
唐突に再び姿を現したのは、サスケ率いる小隊がまだ"蛇"という名だった頃のメンバー。ここ数年をサスケと共に音隠れで過ごし、他三人のメンバーとも以前から交流を持っていた。それがあの時を境に一度姿を消して、それきり......
それきり所在は不明だった。だが、だからといって当然、こんなさも「初対面です」と言わんばかりの顔をされる筋合いはないはずだ。

「な......なに、言ってんだよ。お前......カナなんだろ!?」

耐えきれず香燐は声を荒げていた。睨む先にいるカナは、その言葉にぴくりと反応する。

「どういうつもりだよ!!今までどこにいたんだ!なんで急にッ......、なんでサスケに攻撃した!?」
「......"サスケ"、というのは、この人の?」
「!?」
「......ごめんなさい。私、記憶が抜けてるんです」
「ッな......ウチらのことを、憶えてないって言ってんのか......!?」

香燐の唇が震える。重吾はその横で、ただひたすら冷静にこの状況を見つめていた。
否定の意を示さないカナと、感情の荒ぶりを抑えきれていない香燐。サスケは意識を失ったまま、その体はカナが受け止めたまま収まっている。先ほどまで隠れていた茂みに目をやるが、水月はまだ起きる気配はない。八尾も大人しく気絶しているから、暫くは気を張らなくても良さそうだ。

そして最後に、重吾はこの場で確かに初対面だと言える青年に目をやった。
藍色の髪から覗く瞳は、大した関心も無さげにカナと香燐のやり取りを見ていた。動く様子はなさそうだ。

「お前は、誰だ?」

重吾の声が響き、香燐もハッとなって止まった。青年の目が動く。その口がゆっくりと開いた。

「それをお前らに教える意味はあるのか?」
「......」
「......と、言いたいところだが。どうもオレはこれから、暫くお前らと行動を共にすることになりそうだ」
「?」

その意味が分からず重吾は眉根を寄せる。青年のほうはさっさと重吾から視線を外し、再びカナに目をやった。カナのほうもそれに気付いて視線を交差させる。

「コイツらがお前の記憶の手がかりになりそうだな」
「......はい。全てを思い出せたら、きっと、イギリさんの目的も......」

兄さんのことも。
そうぼやいたカナは、すっと香燐に目を戻す。その、知っているはずなのに知らない視線に晒され、香燐は胸が鷲掴みにされた気分になった。姿形は何も変わっていないのに、香燐はもうどうしようもなく感じてしまっているのだ。
今目の前にいるこの人物は、自分の知っていた者ではないと。

「突然襲撃してしまって、すみませんでした」
「!」
「あなたたちの羽織るコートを見て、早とちりしてしまったんです。この人も気絶させてしまって......」
「......いや、サスケは元からダメージを負っていた。全てがお前のせいなわけじゃない」

何も言えない香燐に代わって重吾が応える。それでももう一度謝ったカナは、しかしそこで、目の色を変えていた。
香燐も重吾も息を呑む。些細な変化かもしれない。だが今確実に、カナの瞳に冷たいものが過ったのだ。

「あなたたちの知っている私のことを、教えてくれませんか」

その声色もどこか鋭利だ。

「今の私は、幼い頃の記憶以外、全て抜けているんです。それを取り戻したい。もしあなたたちが私を知っているのなら......。お願い、できますか」

───その声を聞きながら、重吾は目を細めていた。やはり、決定的な違和感が重吾にも、そして香燐にも襲っていた。目の前のカナは最早、二人が知るカナではない。記憶を失うと共に人格までも失ったのか。
だがそれでも、正真正銘の"風羽カナ"ではある以上、二人が断る理由はない。

「......それは構わない」
「!」
「だが、オレたちも先を急いでいる。話をしながら付いて来てもらうことになるが、それでもいいか。......それと、こちらもお前のことを聞きたい」
「はい、それはもちろん。ありがとうございます」

そう言ってカナは、笑った。何の拘りもない心からの笑顔だった。

香燐はそれを呆然と見つめていた。誰だお前は、と怒鳴ってやりたいのを必死に押さえ付けていた。香燐が望んでいた、帰って来てほしかった姿は、今目の前にいるこの人物ではなかった。

その目に、今のカナの姿がぼんやりと映り込む。
以前よりも長くなった銀色の髪。瞳の色は変わらないままだが、以前のような意志の強さは薄いような気がする。

それから、見慣れない水色の水晶玉のブレスレッドが腕に巻かれている。
更に何より決定的に違う重大な相違点は、大蛇丸の呪印が消えていることだった。





今のこの頭に残っている、たった数年あまりの短い記憶。
その中でも一番古い記憶は、歌声と、柔らかに笑ってくれる母の顔。

歌の音色は童謡のように優しくて、幼かった私はそれを聞くと、例え泣いていたとしてもあっさりと泣き止んで、じっと聴いていたのだった。最初に夜を詠んだ詩は、主人公であるフクロウの行動に合わせ、朝へと時を進めていく。難しい単語など何一つ使われていない歌は、子供心を引き寄せるには十分で、それを歌ってくれる母も大好きだった。

『カナ、この歌はね。私たち一族のご先祖様が作った歌なのよ』
『ごせんぞ......さま?』
『そう。いつか世界中の誰もが仲良くなって、幸せになれますように......って、そういう優しい歌なの。私たちは代々この歌を伝えて来たのよ。だからカナも、きっと覚えてね』
『うん!わたし、母さまがうたってくれるお歌、だいすき!』

ご先祖というものが何かは知らなかったけれど、その歌のことも好きだった。口伝で引き継がれて来たらしいその歌は、集落中の誰もが知っていて、よく子供たちでも集まって歌っていたことを覚えている。

大切に育ててくれた両親の温かさ、威厳がありながらも全てを包み込んでくれるような長の笑顔。少数一族であったために集落の人たち誰もが顔見知りで、みんなが笑顔で暮らしていた。

まるで昨日のことのように、それらを鮮明に覚えている......と、そう言うには不確かで、突然今になって、全てを思い出したような感覚だった。

私たち一族は、和を慈しみ、平穏を愛した。
血筋でそういう性格になるのが定められているかのように、誰もが同じ信念を持ち、そのために力を得ようとした。

安穏な集落内で笑いながら生きている中、いつか私もそんなふうになれるのだろうかと考えていた。まだ明確な形を掴むには幼過ぎたために、よくは分からなかった。だけれど、どれだけ小さくても私も同じように、一族の血を引き継いでいた。

いつか、自分の住むこの地だけではない。全世界にこの愛すべき平和を実現させねばならないのだと。

そんな時、突然集落に見舞ったのは、業火だった。悲劇の音色は唐突に訪れた。
大きな煙を上げて、一瞬で現れた何匹もの大蛇。その夜も平和を享受していた一族は、突然降り掛かった敵意の塊に対応することができなかった。あちこちで悲鳴が上がって、逃げようともがく人々もあっという間に捕まっていった。
初めて見る血の色と、直に肌で感じる炎の熱さ。瞳の中で揺らめく炎が恐ろしくて、色んな声が飛び交う中で、私はたった一人、一歩も動けなかったのだった。

集落の外にあるらしいという、どの里よりもどの国よりも、平和を求め、平和に暮らしていたはずなのに。
絶望は突然に目の前に立ちふさがり、私は、光が見えない真っ暗闇に包まれた。


逃がさないわよ、


そう言って、誰かが後ろから、私の目を塞いだ。
その暗闇こそが、孤独という絶望なのだと、幼心に知った。

けれど──────けれど?


ふと目を開けると、そこは知っているようでいて、知らない世界だった。

その家の作りはよくよく知っているものだった。当然だ、そこは私の家だった。父と母と、生まれてからずっと過ごしてきた、小さくも温かい家、のはずだった。
だが一方でまったく知らなかった。
酷い風化。やっと燃え残ったというような床や壁、天井。あちこちに蜘蛛の巣が張っている。なにかの動物が侵入したような穴が空いて、自分が今まで寝ていたらしいそこには、見覚えのない薄っぺらい布が敷いてあるだけ。
そして、誰もいない。


真っ暗闇の、孤独。


それと同時に、酷い情報量が頭の中に一気に侵入してくるのを感じた。
知るはずのないたくさんのことが、どこで覚えたかも分からない大量のことが、防波堤が決壊したかのように流れ込んできた。

それは生半可ではない苦痛と共に、押し寄せてきた。

『(痛い......ッ痛い!!!!)』



───そうして"風羽カナ"が発したのは、絶叫だった。痛みに耐えかね、孤独を孕んだ、悲鳴だった。

記憶しているのはたった数年過ごして来た日々のこと、それだけ。一族の集落で生まれ育ち、特殊な能力を持ったこととは裏腹に人並みの子供として愛され、"兄"と慕った人と出会い、一度だけ集落から出てとある里に訪れ、無邪気に笑い、笑い、笑い......そしてそんな幸せに終止符を打つように、酷い業火を目にしたこと、ただそれだけだった。

そう、あの全てを奪った熱い炎。
それはまるでつい昨日のことのように、鮮明に現在のカナの脳裏を駆け巡っていた。

あれは本当はもう、十年以上も前の出来事だというのに。

『おい、どうした!?』

突然耳に割り込んで来た青年の声に反応し、絶叫はようやく止まった。カナの口からは何度も何度も吐息が漏れ、肩を大きく上下させ、焦点が合いにくい瞳をやっとその人物に合わせた。
家屋に踏み込んだその人物は、訝し気な目を向けてきていた。
その髪の色は、深い藍。

『ちが、う......違う、知らない......!』

その藍色を、"カナ"は知らなかった。"カナ"は、銀色に囲まれていたはずだった。
意味をなさないぼやきが続き、震える手を自分の目の前にかざした。その途端、ハッとその目が大きく見開かれる。なにかを確かめるように、何度も何度も閉じたり開いたりし、やがて、呆然とした。


『......だれ。コレ』


記憶に残る幼い手は、もうそこにはない。今目の前にあるその手は、手の平も大きく指も長くなり、そして忍の業を背負ったがゆえの痕も残っていた。

『どうなって......』
『......何も憶えてないのか』
『!!』

静かでいて冷たい声が近づいてくる。カナはゆっくりとその影を見上げ、惚けた顔をさらけ出した。何も知らない少女は、『憶えてない......?』と困惑することしかできない。

『一度以前のお前に会ったことがある。どうも今のお前はあの時とは別人くさい。忍らしさのカケラもない』
『......忍?私が?』
『そこから消えてるのか。......なら、オレが欲しい情報も覚えてないだろうな』

青年は溜め息のつきたそうな顔をして、一応と言わんばかりにその名前を出した。

『北波のことも』
『!!』

だが、青年の思惑に反し、カナは過剰な反応を見せた。

『北波兄さんのことを知ってるの!?』
『!? 兄さん......!?』
『兄さんは......突然、私たちの前から消えて。それで、......あれ?それで、どうしたんだっけ............何で私たち、何もしなかったの......?』

カナは頭を抱える。無作為に現れる記憶が、ますます混乱を増長させる。違和感ばかりが膨らんで、急に頭がズキンと響いた。幼い頃のこと以外は全て真っ白で、わけがわからなかった。

『......なるほど。突然お前がこの集落に現れた時には感づいてたが、やはりお前は風羽の者らしいな。オレたちの一族を殺した』
『え......?』
『勘違いするな、別にお前らを恨んでなんていない。というより、既にお前らは歴史から消えてるから恨む意味もない......お前一人を除いて、らしいが』
『消えた......歴史から......?じゃあ、ここは、』

未来。そう言いかけて、カナは口を噤んだ。直感的に、それは違うと悟った。

『違う。......私の記憶が、抜けてるんだ』

ぽっかりと空いた空白の時を経て、"カナ"は今ここにいる。『そうみたいだな』と青年はどうでも良さそうに呟き、長い前髪を後ろに払った。

『お前から情報を聞き出そうと思って、とりあえずここを動かずに保護してたが、あまり意味もなかったか。だがとにかく、これで以前助けられた時の恩は返した。さて、後はどうするか......』


一人でぼやいている青年の顔を、カナはじっと見つめた。

その心は、今度はおかしなほどに冷静だった。

一族を殺された記憶は、まるで昨日のことのように鮮明に憶えている。目覚めた時に発した絶叫は、あの苦痛に耐えきれずあげたものだと思った。だけど、今はなぜか、ただ事実としてそれを捉えていることに過ぎないことに気付く。それは、この青年の言ったように、"歴史"として認識しているだけのようだった。

『(......だめだ。これじゃ、だめだ)』

理由はない。けれど、頭の奥のどこかが警告を発している。
今まで生きていたはずの"風羽カナ"がどこにもいなくなってしまったことに。
今、ここに別の人格がいることに。

『(思い出さないと)』

青年の顔から目を離さないまま、カナは心中でぼやいた。
この状況で、ついさっきまで幼かったはずのその心は、酷い冷たさを持っていた。

『(どんなことがあろうと)』

───その首には既に、"蛇"のつけた呪印が消えていたが、何も憶えていないカナがその変化に気付くこともなかった。



それからというもの、カナとイギリは共に行動を始めた。

『オレの目的は北波を捜すことだ。以前会ったお前は北波のことを知っているふうだった。お前の記憶が戻ればその手がかりが掴めるかもしれない』

イギリの目的はそれだった。北波を捜すために長い間旅を続けていると言ったイギリだったが、その詳細まではカナに教えようとしなかったし、カナもそれほどはこだわらなかった。
冷めたカナの心は、ただ自分の目的を果たせればいいと思うだけだった。たまたま目的に繋がりがあるために共に行動するだけであり、そこに特別な情はない。それに、幼い頃の記憶しか持たないカナは、いつどこで覚えたかも分からない知識の蓄積は脳内にあれど、それを確認するための相手が必要でもあった。

『(思い出せれば、それでいい。私は私の目的を)』

その心は、まるでただの子供のように。



『......そう言えば、お前』

行動を共にすると決めた時、暗い瞳で切り出したのはイギリだった。

『木ノ葉の忍なのか?』
『......"木ノ葉"?木ノ葉隠れの里、のことですか?』

その里の名はカナにとっては特別だったはずだが、今となってはそれはただの里の名称でしかなかった。『聞いたところで覚えちゃいないか』と溜め息をついたイギリが次に懐から取り出したのは、不可思議な力を感じる水晶玉のブレスレッド。
それは数年前カナが水遁の師、テンゾウから貰ったものだったが、やはり今のカナには何の感慨もなかった。

『それは?』
『お前が持っていたものだ。だがオレの記憶が正しければ、これは木ノ葉のものになったはずだ』
『......そうなんですか。なんでそんなことを?』
『元はオレの父の持ち物だったからだ。父は、かつて木ノ葉に世話になった時に、木ノ葉の忍にこれを渡したと言っていた』
『へえ......それを私が持っていたということは、私は木ノ葉隠れの忍だということでしょうか』
『だがお前はどこの額当ても持っていない』
『そうですね』
『......まあいい』

自分で切り出したのにも関わらず、イギリは早々に切り上げ、ブレスレッドを無理矢理カナに渡した。『本当に木ノ葉の忍なら、胸くそ悪いが』とイギリはぼやいたが、カナはその事にはさほど興味を持たなかった。

だがとにかく、それで多少なりともカナと木ノ葉のつながりは見えた。それが記憶の手がかりになるのなら向かわない手はない。
足を向ける先は木ノ葉。


だが、そう方向性が決まった時、魔の手は伸びた。黒地の赤雲模様のコートを着た輩が何人も襲撃してきたのだ。
まるで二人の行く手を阻むが如く。どこかへ意志を以て向かわされるように。邪魔をするように。理由も言わず、淡々と二人に襲いかかった。
イギリは戦闘が得意でないため、対応するならカナだった。どこで覚えたかも知らない技を、戦い方が染み付いた体を駆使して───カナは戦闘中、自分の中の血が沸騰したのを感じた。

襲撃する正当な理由も提示せず、ただこちらを殺しに来ようとする輩を見て、どくりと蠢いた自分を感じた。

そして、赤い血が舞った。見知らぬ忍が襲い来るたび、血が噴き出していた。
どんな理由があろうと、決して人を殺すことはできなかった自分を、カナは忘れていた。

今のカナの中を蠢いていたのは、ただ、"血"。
和を侵す者を許せない、"血"だった。

その血は無論、"前のカナ"とて持っていた。だが決定的に違うのはやはり、"あの里"で過ごした記憶だったのだ。
それは"前のカナ"にとっては、"全て"とも言えた大切だったものだった。

共に暮らす人々みなを"家族"と呼ぶ、あの温かくてかけがえのなかったはずの場所のことも、
仲間と呼び合い競い合い高め合い笑い合った彼らのことも、
この数年をどんな思いを持って何のために生きてきたのかということも、
そして、

誰よりずっと一緒に生きていたかったはずの、かけがえのない大切な存在のことも。

忘れてしまったから。





「(───なんで、忘れたんだ)」


今そう思ったのは、"その"存在だった。

そしてその存在もまた、カナのことをそういう存在として見ていたはずだった。


「(......お前は、"だれ"だった)」


ぼんやりと浮上していく意識の中で、その存在は今にも闇の底へ到達しようとしていた。

水中だ。目を開けた先には、光を受けている水面がキラキラと光っている。少し前まではその手前、水上に手が届かないギリギリの線で、誰かが手を伸ばしてくれて、落ちていくのを止めてくれていた。引き上げるほどの力を持ってはいなかったようだが、少なくともそれで、それ以上光から遠ざかることはなかった。
だが今は、違った。

ゆっくり、下へ下へと沈んでいく。光など到底到達できようもない水の底へと近づいていく感覚。もう誰の手も引き留めてくれず、自分で浮上しようとも思わず、ただ遠のいていく光を見つめていた。


「(......孤独)」


それは、この世で最も辛いもの。
それは、人をどこまでも狂わせるもの。

それは、人を誰よりも強くするもの。


「(......これが、オレだ)」


光はもうない。だがもう、そんなこともどうでもいい。
凍てつくような冷たい水流が体を心を何もかもを麻痺させていく。

これでいい。温もりも光ももういらない。そんなもの、オレはとうに、あの日に捨てたはずだったのだから。

孤独の痛みで強くなり、目的を果たすと決めただろう。
復讐を成し遂げてやると、誓っただろう。

里を抜けると決めたあの時から、独り。


それが───オレだ。






「───サスケ!?起きたか!」

その声が響いたのは、雷の国の外れ、水に囲まれたとある廃墟の中だった。
サスケはゆっくりと瞼を押し上げた。真っ先に見えたのは赤色だ。珍しく素直に心配そうな顔をしていた香燐は、ようやくほっとしたようだった。サスケはそれをどこか他人事のように思いながら、「どけ」と香燐を押しのけ、あちこち痛む体を無視して上体を起こした。

「早速冷たくされてやんの。香燐」
「うるせえ水月!そっから一歩も動けねえヤツに言われたかねえ!」

見覚えのない石造りの建物。コポコポと音をたてているのは水月が休息をとっている水槽だったらしい。壁の端に座っていた重吾はまだ子供サイズのまま、サスケに近づいてくる。

「大丈夫か、サスケ......」
「......問題ない。八尾は」
「あ、ああ......お前が起きるのを待とうとも思ったが、八尾が先に起きたらオレたちだけでは対応できないと思って、先にマダラに引き渡しておいた。すまない」
「いや、別にいい」

サスケの口からすらすら出る声は動揺の欠片も感じさせなかった。それは最早、異常なほどだった。
言い合っていた香燐と水月もぴたりと口を止める。水月は訝し気に、香燐は不安を滲ませた目でサスケを見やる。重吾はじっと視線を向けるだけ。一方で、サスケはその"鷹"には目を向けず、いち早く異分子を嗅ぎ取ってそちらに目を向けていた。

「......」

サスケから最も離れた部屋の隅に座っているその人物、イギリもまた、サスケを見据えていた。

「......カナと一緒に行動してたヤツか」

寸分狂わない見解。その口から戸惑いもなくその名前が出たことに、違和感を感じ取って目を向けたのは香燐だった。だがサスケは未だただイギリを見ているだけだ。
男にしては長い藍色の髪、同色の瞳。チャクラには力強さはないが、特殊な気配を感じる。警戒心を押し出した表情から、好意を以てここに留まっているわけではないことが推し量れる。

「何をしてる?」
「......マダラとかいうヤツに会って、お前らといろと言われただけだ。結界を張っておけともな」
「何でマダラの言うことを聞く?"暁"の一員か」
「違う。そもそもは関係ない、むしろオレは襲われたこともあった。だがお前らの目的を聞いて、ここに留まることにした。木ノ葉を潰すらしいな」
「......お前になんの関係がある?」
「オレも木ノ葉に恨みがある。その機会があるなら乗っかるだけだ」
「......」
「名は渦木イギリ。別に邪魔する気はないから安心しろ」

藍色の瞳が閉じられる。サスケは暫くそれを見て、フンと鼻を鳴らした。それきりだ。
それ以上、サスケの口からは何も出なかった。相手の正体を定めるための必要なことだけを聞いて、それ以上のことは口にしようとしなかった。
香燐の握られた拳は震えはじめた。水月と重吾も、ひたすらにサスケに目を向けていた。


なぜ、カナのことを知ろうとしない?


全員がそう思った時、ようやく再びサスケの口が開いた。

「そういえば。ソイツがいるということは、カナとも行動を共にしたのか」

そういえば、という前置きが信じられなかった。香燐の口は僅かに上下したが、心中渦巻く思いが強すぎて何も言葉にならない。やっとのことで言ったのは重吾で、「ああ......そうだ」とサスケを伺うように声にした。

「サスケ、お前が倒れる前にカナの名を口にしたから、カナが攻撃をやめたんだ。そして、お互いに情報を交換しながら......。今カナは、マダラのところに」
「僕もその話、聞いたよ。キミらが再会したタイミングでは起きれなかったけど、マダラのとこ行く直前に目を覚ましてね。アイツ、僕のことも全然憶えてなくて」
「ッ水月!!」

飛んだのは香燐の怒声だ。あっさりと核心に迫った水月を強く睨みつけた。「な、なんだよ」と水月は若干口を尖らせて言うが、香燐はもうそんなことよりサスケに目を向けていた。

「サスケ、カナは......!」
「なにも憶えていないんだろうな」
「!!」
「......なんだ、全然平気そうじゃん」

水月が横目でそのやり取りを見て言う。重吾はやはりじっとサスケに目を向けているだけだ。香燐だけは信じられなくて、ふつふつと湧き上がる不安要素がどんどん増えていくようだった。

香燐はサスケに好意を向けている。だからこそ、大蛇丸が死ぬ以前からずっとサスケを見つめてきた。だからこそ、サスケが誰にどんな目を向けているのか、全てとは言わずとも大体は把握していた。
サスケとカナの関係は、本人たちが口にせずとも、暫く見ていれば十二分に伝わってきていたのだ。そこにどんな名前の感情があるのか、はっきりとは言えない、けれど二人は互いに誰よりも互いのことを見ていた。

香燐はそれが悔しかった。だが、漠然と分かっていた。
今のサスケがサスケとしてそこにいるのは、常にそばにいるカナの存在が大きかったからだということを。

だが今は、そのバランスが崩れてしまったはずなのだ。
カナがサスケのそばから消えた。物理的距離だけでなく、カナが記憶を失ったことで心理的距離までもが格段に離れたのだ。
なのに今、サスケは平然とした顔をしている。

それが、信じられなかった。

「サ......サスケ」

香燐はおずおずと口にする。最後の悪あがきのように。

「その、......連れてきてやろうか?カナ......ここに。マダラと会った場所、こっからそんなに離れてねえからさ。さすがにカナももうマダラと話し終わってるだろうし、ウチが」
「別にいい。アイツは"鷹"じゃないだろう」

だが、結果はもう分かり切っていたのだ。
振り向いたサスケの冷えた視線に晒されて、香燐は息を呑んでいた。
兄に───そして木ノ葉に復讐をすると言った時より、深い闇色に染まったその瞳に、もう光はどこにも見えなかった。

「アイツはオレを忘れた。───オレも、アイツを忘れる」


 
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