全てから解放された笑顔が咲いた。
刃を受けても、雷を受けても、何度血反吐を吐いても立ち上がり続けたその姿は今、ゆっくりと冷たい地面に落ちてゆく。

雨が世界を晒し始める。始め弱かったそれは、どんどん強くなり地面を打ち付ける。
たった二人の兄弟は、酷い雨が降り注ぐ中、たった一人だけがこの世に残された。

弟は、足下に倒れている兄をぼうっと見つめていた。消耗からか、それとも他のなにかのせいか、うまく頭が回らなかった。それで不意に顔を上げて、無意識に捜した姿があった。
けれど、今最も傍にいてほしい人は、どこにもいなかった。

がくり、と膝から力が抜ける。兄の横に、対となるように。
サスケは意識を手放した。



ーーー第四十九話 だれがため



雨をその身に一つ受け、それが機となるように、意識が浮上した。

ぐらりと体が揺れる。間一髪のところで倒れるのを防ぎ、両膝でひざまずいた。ぶれる視界の中で、地面がどんどん雨水に侵蝕されていく。ぱらぱら、しとしと、次第にその音はより大きなものへ。それでもその音すら聴こえないほど、耳元で鼓動が刻んでいるようだった。

頭が、痛い。一気に色んなものが返されすぎた。想いも、痛みも、
奪われていた、記憶も。


「北波......にい、さん」


ーーーカナの口から弱々しい、けれど確かな声が漏れた。
雨の中。雨音の中。その声は、掻き消されそうだった、そのはずが、風はちゃんとその人の耳にもその声を届けた。

「思い出した......全部。刻鈴の音色に奪われてた......全て......」

だから。だからだ。
中忍試験で初めて会った時、固まってしまったのは。その名前を聞いた時、脳裏の奥が痛んだのは。一族を殺した原因だと知っても、憎悪が心に残らなかったのは。

「私......何も、何も知らなかったんだ......兄さんのこと、何も」

無知な幼子は、慕うその人の幸せを奪った張本人が自分であったことを知らぬまま、無邪気に、そして残酷に付きまとっていた。何も知らないまま、何年も何年も忘れてーーー今、全てを取り返すまで。

不意に、ハッとする。
刻鈴で記憶を見る前、カナと北波は最後に全力でぶつかり合った。紫珀の言葉でお互い隙が生まれ、北波のほうがより動揺が大きかったが為にカナが打ち勝ったーーいや、今となっては、打ち勝ってしまった、と言うほうが正しい。
全力の風遁を仕掛けたのだ。


「、兄さん!!」


ーーだがそうして、カナがバッと立ち上がった瞬間だった。

胸元に圧迫感を感じた。掴み上げられたまま思い切り押され、背後の木に押し付けれていた。

ポチャリと音をたて、刻鈴が水たまりに転がった。

先ほどまでの戦いの傷がズキリと響く。だがそんなことを気にしている間もなく、カナは息をのんで目前に迫る人物を見つめた。
もうほとんど動ける状態にもないはずだ。それでも、無理矢理に体を酷使してまで、北波は余裕のない表情でカナを掴み上げていた。


「戦えよ」


北波の口から低い声が漏れる。カナはびくりと震えた。

「そんな顔をしてんじゃねえ......オレが憎いだろ?お前の一族を殺したオレが、憎いはずだろ!!」
「ケホッ......、に、いさん、」
「それで呼ぶな!!!」

掴み上げられたまま、乱暴に地面に投げ落とされる。地面に転がったカナは、そのまま北波を見上げた。カナと同じ色のその瞳は酷く暗かった。混沌とした想いを掻き消すように憎悪を懸命に押し出しているようだった。

「立て......」

言われるがままに、カナは痛む体に鞭を打つ。だが、戦意などあるものか。クナイ一つ持つことすらできない。

「兄さん、」
「呼ぶなっつってんだろうが!!」

北波の拳がカナに向かってくるーー。カナは反射的にそれを避けるが、それでもなお北波の体術は続いた。
二人とももう体は限界だ。チャクラは使い果たし、これまでの戦いで負ったダメージは小さくない。北波は殊更、精神力だけで動いているようなものだ。
カナはその攻撃をなんとか防ぎつつも、攻撃に転ずることは決してなかった。

避けきれない、とそう思った時でさえ。

どんどん後方へ追いつめられているうちに、戦闘の初盤で北波の手から離れた短刀が転がっている場所に近づく。ガッとカナの足がそれを蹴り、虚を突かれた頃には北波の手がそれに伸びていた。
その刃は、カナへと向けられた。

それでも。

最後の砦"神鳥"の力を引き出すことはもちろん、身を防ぐために風を使うこともないまま、避けきれないその攻撃をカナはただ、受け止めただけだった。


「......!!」


鮮血が飛んだ。

短刀を突き立てられた前腕から、どろりと赤が流れる。
それで痛まないわけがない。
だが、カナはただ見つめていた。刃を刺したきり動かなくなったその姿をーー北波を。
その、苦渋に満ちた表情を。


「......何でだ」


その声がぽつりと言う。今までに聞いたことがない、細かに震えた声。

「お前は、オレと同じことをされたはずだ......なのに、なんで恨まないんだ。......お前の一族のことだけじゃない......あの選抜試験の時も、木ノ葉崩しの時も......お前はもう、十分にオレを恨む理由があるはずだろ......」
「......兄さん」
「戦えよ。戦って、オレを殺そうとしろよ............憎めよ!!」

復讐者には程遠い表情。北波はこれまでも、いつもそうだった。
憎悪があるのは確かだ。北波は風羽を憎んでいる。幸せを、大切な者を殺した下らない掟を遵守した一族の血を憎んでいる。それは、紛うことなくーーーだが、北波はいつもそうだった。
なにか違う感情との狭間で揺れ動いている。今までの対峙で、カナは何度もそれを見てきた。
その意味が全く分からなかった。だけど、今は。

「兄さんだって......私のこと、本気で憎んだらよかったのに」
「......!」

じくじくと痛む腕。雨に体を冷やされながら、カナは顔を歪めてその人を見つめる。

「分かるよ......私にだって。兄さんがもし憎しみしか見てなかったのなら、今までに何度だって、何度だって......私を殺せたはずじゃない。三年前の弱かった私のことなんて、あっという間に殺せたはずじゃない」

予選の時もそうだ。木ノ葉崩しの時もそうだ。
北波は、わざと最初に思い切り手を抜いて、そして言った。本気で来い、オレを憎め、甘さを捨てろと。なんだかんだと理由をつけて、全力を出し切れないカナを後押ししたのは、他でもない北波だった。

「私の一族が......兄さんの一族を、殺してしまったのに」

言いながら、カナの唇は震える。自分の一族が犯した過ち。そして、それの大きな原因は。

「私がいたせいで......罪のない人々が、たくさん、殺されてしまったのに」

慕った人の幸せを知らず知らず奪っていたのは、自分だった。


「兄さんだって......もっと、もっともっと、私のことを憎めばよかったのに!!!」


あらん限りに叫んだその声は、雨音に吸い込まれるように消えていった。

自分の声が体に響いたのか、ずきり、と唐突に腕が痛んだ。血はどろどろと雨水に沿って流されていく。

「......憎めるわけ、ない......」

振り絞る。


「兄さんのほうが、結局、私を恨み切れてなかったのに。それを知って、恨めると思う......?」




刃が不意に、腕から消えた。
目を見開いたカナは、しかし、すぐに状況を掴めなかった。

水をいっぱいに含んだ銀色の髪が顔に貼り付く。
だが今、その銀色は、カナ自身のものだけじゃない。

いくら雨に冷やされたところで、人の温もりは消えたりしない。

「に、いさん」


その腕の力は弱々しい。だが確かに、その両腕が、カナの背に回されていた。


「だから......記憶を返したくなかったんだ。......バカ姫」


くしゃりと髪が後ろ手に掴まれる。カナはその肩口にぐっと押さえ込まれた。
ーー心臓が一気に締め付けられたようだった。
この匂いを、知っている。その呼び方が、懐かしい。

「風羽が憎い......オレの中にも流れてるこの血が許せねえ。それは嘘じゃない......大前提で......お前のことだって、ホントは憎くて憎くてたまらないはずだった......一番の復讐の相手になってたはずだった......のに、畜生......!」

北波の表情はくしゃりと歪んでいた。
関わってしまった。知らず知らずのうちに関わり、不本意にも心を許してしまった。
そうしてしまった唯一の相手だった。それが、最も憎んで当然のはずの存在だった。

「もしお前があの日、死んでたなら......それで良かったはずなのに」

北波の復讐が実った日。あの炎の中でカナも死んでいたのなら、そこで全てが終わっただろう。そうであったなら、北波もその場で死んでいただろう。何を迷うこともなく。

「けど、お前は、あの場から消えた」
「......うん」
「あの瞬間。......どこかでホッとした自分が、許せなかった」
「......!」

北波の体の震えがカナに伝わる。そのカナの腕もまた、ゆっくりと北波の背に回り、小さく掴んでいた。

「オレは復讐に生きて死ぬ......そう決めて"暁"の誘いに乗ったはずだ。風羽じゃない、お前自身に向けた思いなんて全て無視するべきだ、それ以外に......オレはどう進めば良かった?」

不意に我に返った時、復讐は既に形を成していた。

「事を起こしてから、退けるかよ......オレはもうやり遂げるしかなかった。お前を殺す機会を狙う他になかった。...そして、お前に再会した時、オレはお前に憎まれる結果を選んだ」
「......なんで......」
「お前が、そういう性格だと知ったからだ。その上、オレと戦いたくないだのと抜かしやがった......」

第三の試験、予選会場で対峙した時、カナはあからさまに戦意が薄かった。そして口ではっきり言った。どうしてか、北波と戦いたくないのだと。北波にはその理由が分かっていた。記憶はなくとも、カナは、どこかで北波のことを憶えていたのだ。
決意の奥で迷いが潜んでいた北波に追い打ちをかけるような言葉だった。

「やめるわけには、ならなかったんだ」

自分がしたことにスジを通すためには、情があろうとなかろうと関係無いはずだった。

「お前が殺す気で向かってきたなら、オレだって実行する理由ができる......だから......けど」
「......やっぱり私は、兄さんと、戦いたいだなんて思わなかったよ......」

我を失って見境がなくなった予選の時以来、本来の性格に戻ってからは、一度だって。それが何故かは自分では分からなかった。ただどうしようもなく、北波と対峙する自分に違和感を感じていた。

「今......やっと、違和感が消えた」

強く、北波の服を握りしめる。自分から北波の体に頭を寄りかからせる。

「やっと......やっと、分かった......全部」
「、ハハ......オレを殺す気に、なったかよ」

顔を歪めて苦い笑いを零した北波だって分かっている。カナがそんな結論を出すわけがないことを。ーーカナは、首を振った。その意思は確かだった。

「家族を、一族を殺す原因を作った兄さんを......許すわけじゃない、だけど......私だって兄さんと同じだよ。兄さんが私を殺すことに抵抗を感じてくれたのと同じように、私だって、兄さんを殺したくなんかないよ......」
「.........ホントに、お前は、とことんオレの思惑に沿ってくれねえ......昔から」

「......殺したい?」


確認するように、カナは北波に小さな声で問いかけていた。
一瞬時が止まったようだった。
カナはゆっくりとその身を北波から離す。北波も抵抗なく身を引き、そして二人はようやく、目を合わせていた。

直接の血の繋がりはない。だけれど、どこかでは繋がっている。同じ銀色の髪に瞳の色。もし二人、こんな結末にならなければ、例えば木ノ葉で昔のように一緒にいたならーー紫珀の言ったように、きっと、兄妹と呼ばれたのだろう。


『北波兄さん!』

『......バカ姫』


カナは静かな瞳で北波をただ見つめていた。
死にたいわけじゃない。北波になら殺されてもいいと言うわけでもない。ただ、全てが分かったカナは今、ようやく北波の思いを正面から受け止められる。どんな結論を出されようと。


静かに弧を描いたその手は、音もなく銀色を撫でたのだった。


「ーーーもう、いい」


あの頃でさえ見なかった、少し苦しそうな微笑みと共に、北波は確かにそう言った。

震えたカナは目を丸める。大きく見開いて、そして、徐々に細めていく。堪えるように、歯を食いしばった。今、目元に溜まった涙は、降り注ぐ雨の中でもはっきりと一筋、頬を伝った。

それを見て、北波は苦笑する。

「泣き虫バカ姫」
「だって......っ」

頭から滑り落ちてきた北波の手が、柔らかくカナの涙を掬う。冷たい雨ではない、ぬるい温度をもった雫。

「......オレは、お前には謝らない。お前も、謝ったりしなくていい」
「、うん......」
「ただ、紫珀には......悪かった、って言っといてくれ」
「そ、それなら、今呼び出して」

全てを知りながらそれをずっと溜め込んでいた紫珀の思いは計り知れない。あの小さな体でずっとカナの傍にいてくれた紫珀は、いつもどこかで北波のことを思っていたのだろう。
だが、北波は首を振った。「......合わせるカオがねえからな」と自嘲気味に呟く。口を噤んだカナの、その未だに潤んでいる目を見つめながら。

「もう、止めねえから。......行くんだろ。あの兄弟のところへ」

べしり、と頭を叩かれる。それ以上の涙はぐっと堪え、カナは腕で目を拭った。
じんわりと赤くなった目でもう一度北波を見上げる。返事はもちろん、決まっていた。強く頷く。二人の大切な人たちのことを脳裏に描きながら。


「ありがとう......北波兄さん」


その言葉には様々な意味を含んでいる。それ以上は何も言わないし、北波も何も言わなかった。
カナの足がざり、と一歩退く。最後まで北波の目を見つめてから、姿を翻した。雨が降り注ぐ中、ぬかるんだ地面を歩いていく。
背後の気配が動く様子はない。自分の背中に視線が注がれていることだけは感じた。

だけれど、今は、振り切るのだ。


「(行こうーーー早く、)」


自分にはまだすべきことがある。しなければならないことがある。

あれから、一体どのくらいの時間が経った?

もう二人は激突しているんだろうか。
いや希望的観測はよせ。
とっくにサスケはうちはのアジトに辿り着いたはずだ。
イタチは待っていると言ったのだ。
二人はもう戦い始めている。

......戦い始めてから、どのくらい経った?
私が幻術に落ちていた間、どのくらいの時間が経過した?

焦燥が体を支配する。雨で体に貼り付く服への不快感を唐突に感じる。

早く、早く行かなきゃ。
二人のところへ行って、戦いを止めなきゃ。
サスケにもイタチにも実力で敵うと思ってるわけじゃない。
二人が説得に応じてくれるとも思えない。

だけど、何もせずにはいられない。

二人とも、私の大切な人なんだ。

笑ってくれた、寄り添ってくれた、受け入れてくれた。
木ノ葉に来てすぐの、ぽっかり空いていた私の心を埋めてくれた二人。

サスケ。きっとお兄ちゃんには、理由があったんだよ。
お兄ちゃん。サスケは本当は、ただ寂しかっただけなんだよ。

二人が殺し合わなきゃならないワケなんて、どこを探したってないんだよ。


背の高い木の頂上まで登る。雨に打たれながら、眼下に広がった光景を見渡した。鈍色に染まった世界の中、銀の色を振り乱して探す。
それを見つけるのは決して遅くなかった。ーー雨の中でも揺らがない、真っ黒の炎。


「見つけた......!!」


ぐ、と足元を蹴る初動に入った。


ーーーだがその前に、背筋が凍っていた。
背後から忍び寄るような悪寒。もう、全てが遅過ぎた。


「手遅れだ」


"あの"声が耳に届いた。それに振り返る間もなかった。

「__!!」

ぐるりと世界が渦巻いた。





カナがその視界からいなくなり、北波はずるりと背後の大木に凭れ掛かっていた。体が重く、もう動けない。精神力だけで踏ん張っていたが、チャクラを全て消費し更にカナの風遁も受けた今、これ以上動くのはムリそうだ。木の根元に座り込み、ゆっくりと瞼を下ろす。

「(......結局、中途半端になっちまったよ。父さん、母さん)」

風羽の大半は手にかけておいて、たった一人だけは殺せなかった。スジを通すためだけにあれからずっと生きてきたのに、ついさっき、その思いすら折られてしまった。気持ちで、負けてしまった。

「(オレがしたことは、間違いだった?)」

昔のような幼い心に戻りながら、北波は大好きだった両親を思い浮かべていた。

「(もし二人が生きてたなら、オレを怒ったのかな。......でもさ、それでもやっぱりオレ、風羽が許せないって気持ちだけは本当だったんだ)」

三年前のあの日、紫珀に「後悔はないのか」と問われたことを思い出す。北波はその問いを曖昧にはぐらかし、紫珀を一瞬で退散させた。
ない、とは言い切れないのかもしれない。だが、ある、とは言わない。それだけは嘘じゃない。カナに関することは自分の気持ちに嘘を貼付けることで徹しようとしていたけれど。

「("カナ"は憎くない。だけど、カナにも流れる血だけは憎い......風羽の血だけは、今だって許せないんだ)」

北波はすっと目を開けた。視線の先に、今も雨に晒され続けている、短刀があった。
それに手を伸ばした。手に馴染む感触を確かめて、柄を握り、目の前にかざす。刃から滴り落ちている雨を、暫く眺めていた。
ーーそれから、口元に淡く弧を描く。


「風羽の血だけは、今だって憎いんだ」


刃を、自分に向けた。きっちり胸に狙いを定めた。初動に入るのに、躊躇いはなかった。


だが北波もまた、カナと同じく、その初動で何かが変わる前に静止したのだった。
ぞくり、という悪寒と共に。

「___!?」




違和感を感じて目を向けた先の空間が歪んでいた。ぐるりと渦巻いたその一瞬で、現れた人影は二つ。吐き出されるように地面に転がったのは、ついさっきまで戦っていた少女。
そしてもう一つは、


「トビ......何してやがる、お前......こんなトコで」


渦巻き模様の仮面をつけた、北波と同じ組織の新人は、落ちたカナに目をくれることなく北波に顔を向けた。あの時も見つけた写輪眼が、右目の穴から覗いている。

「ベストタイミングだったようだな。死ぬのは勝手だが、お前には最後の一仕事がある」

いつものふざけた雰囲気はカケラもない。北波の警戒心は初めから最大値に上っていた。だが、不意にトビの足元のその姿が動き、北波の意識はそちらへ向かった。

「カナ!!とっととソイツから離れろ!!」
「兄さん......?ここ......、」

唐突に空間を移動させられたカナは、未だに頭が状況に追いついていなかった。混乱しながらそれでも上体を起こし、そしてようやく改めて、目の前に立っていた人物を把握した。
心臓が警鐘を鳴らす。トビの赤い瞳に見下ろされている。前と同じ、目の前の景色を見ていない瞳の色で。

「やはり、北波。お前はカナを殺せなかったな?」
「!!」
「いや、いい。責めてるわけじゃない。むしろオレは嬉しいよ、思い通りの展開でな。それと、カナ」
「な、なに......」

「お前の行動は、全て手遅れだ」

その一言で、カナの頭は全て真っ白になった。



「イタチは死んだ。サスケの勝ちだ」



北波も目を見開く。だが、その思いはカナとは違う。北波はすぐにカナに目を移したーーー

放心しきっている。何かを考えられる状態にない。ーーまずい。

「何をするつもりだ、トビ......!」
「今のは事実を伝えてやっただけだろう?こうなることは計算の内だがな......北波、お前は自分のすべきことをきちんと見極めろよ」
「......テメェのためにする事なんざもうねえよ。オレはノルマを達成しない。"暁"は抜ける!」
「死ぬことで、だろう?」

"裏切り者には死を"ーーー"暁"の暗黙のルールだ。とはいえ、北波は言われるまでもなく既に死ぬつもりでいる。だが、トビが言っているのはそういうことではないと、北波はどこかで感じた。
何かが、起きる。起こされる。たった今。

「まあ、見ておけ......」

トビの足がじりと動く。その足が雨の中をひたひたと歩いていく。
北波はその姿を見ながら動こうとして、ずきりと体全体が痛み再び木に凭れ掛かる。もう動けない。もう既に十分の無理をしていたのだ。トビが何をしでかそうと、北波ができる事はもう何も無い。

トビの足がようやく止まった。北波はハッとして顔をあげる。
頭に一気に熱が上った。トビが地面に手を伸ばして取ったもの、それはーーー刻鈴。


記憶に関することを操る、唯一の楽器。


「北波......お前は元々これをペインから貰っただろうが、実はオレがペインに渡していたものでな......お前はあの時からオレに操られていただけだったということだ。これを返してもらう」
「......! それでどうするつもりだ!!」
「分かるだろう?」

またトビの歩が戻ってくる。その赤い瞳が見つめているものはただ一点。
濡れた地面に座り込んだまま放心している、カナ。二人の距離はまた次第に縮んでいく。トビはその手に刻鈴を持ったまま。



「ーーー新たな世界を構築するため、お前の記憶を消させてもらう」



その赤い瞳は、いつでも何かを渇望している。
そこには決して他者を踏み入れさせない。他者には分からない、巨大な何かを夢見た瞳。


「......いや、だ」


漏れた声は、カナの唇から。北波はハッとする。力強い目には程遠い、だけれど、カナの意思は確かにあった。「嫌だ......もう、忘れたくない......!」と、吐き出すように言う。写輪眼はそれを見つめている。

「そうか、忘れたくないか。では、オレに協力すると誓うか?」
「しない......絶対に、しない」
「まあ待て、聞け......オレの目的が達成されれば、イタチも帰ってくる。前も教えてやったな。お前ら風羽が望んだ平和だって実現する。お前の両親が、イタチが、アスマや三代目も生き返り、お前はサスケと共に木ノ葉へ帰れる。どうだ、望ましいだろう?」
「......そんなの、全部、まやかしなんでしょう......!そんなのは、私の一族が望んだものじゃない!!私だって、望まない!!!」

死んだ人は、返らない。平和は、そう簡単なものじゃない。身を以てそう知っている。トビが提示してくる言葉は全て虚構のものだと分かる。そんなものが受け入れられるわけがない。

イタチは、死んだ。もういない。辛い、痛いーーーだけれど、その結果を、消して良いはずがない。兄弟の想いが、その結果を生んだのだから。それを全て無かったことにしていいわけがない。

涙は溢れた。だが、カナの強い意志は徐々に戻ってきていた。もう放心なんてしていない。

「絶対に、嫌だ......!!」
「......そうか。ならばやはり、お前の記憶を消させてもらう」



ーーー夜空に広がる星の数のように、私には無数の記憶がある。



「カナ、風を使え!!」

北波の声に促されて、何かを考える前にその感覚を呼び寄せる。トビとの空間を遮るように風が呻き、遮断するーー音。トビは刻鈴を持ったまま、またゆっくり近づいてくる。



ーーー最も遠くにあるのは悲劇。それは他の星よりも輝きが強い一等星。



刻鈴の音色が鳴る。北波も風羽に使った、記憶を奪う音色が響く。風はそれを遮断する。全ての音を遮るように、風を自分の周囲に円形に変形させる。

北波はそれを見ていた。動けない体で、にじり寄る焦燥や悪寒に苛まれながら、歯を食いしばって、見つめていた。



ーーーそれからも点在する哀しみは、それに引き寄せられるように居座っている。



「忘れたくない......!そんなの絶対に、嫌だ!!」

風の暴風音に守られながら、カナは吠える。刻鈴の音色も雨音も、風音以外は何も聴こえない中で、カナの声だけが僅かに抵抗を示す。
それを蝕むように、その声は耳元で響いた。

「悪いな。オレの世界に、貢献してもらう」



ーーーだけど、星は何も一等星だけじゃない。
ーーーどれだけ弱くとも、あんなにいっぱいある星は、全部笑った記憶だった。



空間が歪んでいた。カナを守っていた風の中に、その異様な光景ができていた。
カナのすぐ背後に現れた影。それに反応する間もなかった。息を呑んだカナは、現れた影に引き倒され、地面に押し付けられていた。

それを、北波は見ている。血が滲むほど唇を噛みながら。動けない体で。
自分が唯一、"妹"にできるであろうことを、頭に浮かべて。



ーーー記憶が人格を形成する。
ーーー今の私は、いろいろな記憶をごちゃまぜにして、やっと生み出された存在だ。



「記憶がなくなったところで、お前がお前でなくなるわけじゃない」

低い声で言うトビは、刻鈴をカナの目の前に突き付けている。カナはそれでも足掻こうと、一族の血を借りた攻撃をするもーー当たらない。手応えもなく、すり抜ける。
血の気が引けていく。本当に、逃げられない。

「嫌だ......いや、だ!!」
「安心しろ。気がついたころには、平和な世界だ。誰もが望む......そんな世界に、変わってる」


目の前で、音が鳴り響く。



ーーーでも例えばもし、あの全部がなければ、私は今頃どうなってたんだろう?



音が蝕む。耳を、頭を、脳を、心を。
はぎ取られていく。なにもかもーーーなにもかも。
幸せだった日々の記憶も。大切な人たちと笑い合った日々も。自分がずっと追い求めてきたものも。

私という、人格と共に。



「ーーーーバカ姫!!!」



声。吸い取られるように霞んできた視界の中で、その声に反応できた。
木の根元に力つきたように座っているその姿。唇に血の赤を滲ませた顔。ーーその表情が、笑っていた。


「サヨナラだ」
「にい、さ、ん............?」


その決意を滲ませた顔色に、先ほどとは別の嫌な予感が背を這った。


「オレはーーー願う」


願う?......なにを?


「オレの一族が死んだ原因となったお前に、願う!! 応えろーーー朱雀!!」


朱雀。六道仙人の時代にも生きていたという、"神鳥"。その、能力は三つ。
一つ目は、特定の条件下でのみ発動できるという、"口寄せ"。
二つ目は、"神人"の強い意思や身の危険を感じた時のみ発動する、"風の暴走"。
そして、三つ目は。

カナの両親が、あの惨劇の夜、カナを護る為に使い、死した能力。カナが唯一疎ましくも思ったそれは。
第三者の想いの強さを感じた時のみ発動する、"神移"。

発動の引き換えに、願った人物の生命力を吸い取る、"神人"だけを護る能力。


「や、めて......!」


銀色の風が見えた。それは、カナの腹から蠢くように吹き上がったように見えた。
刻鈴の音色がまた掠れていく。カナの脳内は刻鈴の音と風の音、この二つに支配されるばかりで、もう北波の声なんて聴こえない。トビは未だカナを押し付けたまま離れない。
ただ無言で、北波に視線を向けていた。

「どうせ......死ぬつもりだったんだ。これくらい、やってやるよ......妹の、ために」


北波の顔から急速に血の気が引いていく。
その瞳の中で、風に包まれ始めたカナが何かを叫んでいるようだったが、様々な音に邪魔されて北波の耳には届かなかった。


「やめてーーー兄さん!!!」







そして、銀色の風は、空に吸い込まれるように一瞬にして消えたのだった。


無論ーーそこには、あの少女の姿もない。



それを確認した途端、北波は血反吐を吐いていた。
先ほどの比でなく体が重い。疲弊感という言葉のみじゃ表せない。"神移"を発動した反動ーーー術者に待ち受けるものは"死"であると、その情報を見つけ出したのは、紛れもなく北波自身。


取り残されたトビと北波は、降りしきる雨の中、静かになったそこにいた。


「......ほだされたな。お前も」
「へっ......予想外だったか?なんでもかんでも、てめえの思い通りには、」
「イヤ。予想通りだ」

振り落とされた言葉に、北波は僅かに瞠目するも、過剰反応するほどの力すら残されていなかった。最早生気が薄い北波を目に、「......ただ」とトビは続ける。

「たった一つ予定外だったとすれば......刻鈴が完全にならなかったことか。予想以上にお前の反応が早かった......今のカナの状態がどうなったかは、もうオレにも分からん」
「............もう一つ、あるんじゃねえか」


北波がそう言った時だった。
ぱきり、とトビの手の中でそれが割れた。ーー刻鈴にヒビが入り、砕けちったのだ。

「カナの風に、当てられてたろ......舐め過ぎだ、ぜ。ハ、オレも、扱いが良かったほうじゃねえしな」

ぜえぜえと言いながらも、北波は笑う。虚脱感に抗おうとも思わなかった。


「なんでもいい......ほんの少しでも、お前の意にそぐわなかったことができたんなら、十分だ......」


ゆっくりと。ひっそりと、北波は目を閉じた。


ーーー今行くよ、父さん、母さん。

ーーーオレが犯した復讐のことは怒るかもしれないけど。妹を助けたことは、褒めてほしいな。

ーーーやっと......みんなに、会いにいけるよ。



青年の意識が消える。

浮かんでいる笑顔は、満足げなものだった。


 
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