目が覚めた時、北波は自分の願いは叶わなかったのだと知った。

じくじくと痛む頬にはガーゼが貼られている。ベッドに横たわる自分の体が重い。あの書斎での炎の熱さをまだはっきりと思い出せる。父と母から溢れ出ていた毒々しい赤も目に焼き付いたままで、あれが全て夢であったはずがなかった。

ぼやけた視界に映ったのは見も知らぬ老人。老爺の髪は渦木一族の証である藍色ではなく、銀色だった。あの酷く熱い空間で見た銀色と同じ。そして、北波自身と同じ。

「目が覚めたか...」
「人殺し」

老爺の静かな声に、北波は間髪入れずに返した。自分が思ったよりも温度のない声が出た。老爺の顔が悲痛に歪む。それを見て、なんだそれは、と北波は思った。あれだけのことをしたヤツらが、こんな顔をする資格もあるものか。沸き立つ怒りが目に滲む。

「お前にはすまないことをした...」
「は...?すまない...?そんな言葉で済ませられるとでも思ってんのか...!死んだんだぞ、みんな!一つの一族を、お前らは殺したんだ!父さんも、母さんも!!」
「...ああ。我らは一生お前に恨まれる...恨まれるべきなのだろう」
「......なんなんだお前らは......なんでオレを生かした...なんでオレだけを...!」

気怠い体をなんとか起こす。医務室のように見える部屋には北波と老爺の二人きり。
テーブルの上に敷かれたタオルに寝かされた小鳥の姿がある。北波はベッドの脇に座る老爺の無念そうな顔を何秒だって何十秒だって睨みつけていた。

「...お前の父親は、我々の一族の者だ」

銀色の髪に茶色の瞳。北波のその容姿は丸々父親から受け継いだーーそれは、今目の前にいる老人も同じだった。
言われるまでもなく、北波は頭の片隅では分かっていた。これだけ似ていて無関係であるものか。あの時の父と母の会話が脳内で繰り返される。二人のあの悲しそうな表情。
−−なんで。

「じゃあ、なんでだよ...なんで同じ一族を。父さんは仲間だったんじゃないのかよ!?」
「仲間だった......我々一族とて、好き好んで殺したかったわけではない。お前はまだ子供である上、我らの血を強く受け継いでいるから引き取らせてもらった、それだけだ。殺した理由は...お前には言えん」
「ふざけるな!!なにか理由あるっていうなら、オレに教えろよ!!」
「......お前は一生我ら一族を恨むだろうが......ここで、生きてくれ」

老爺はすっと立ち上がった。北波は咄嗟に掴みかかろうとしたが、思ったよりも力が入らず、老爺に手が届く前にベッドから転がり落ちた。冷たい床の感触に手のひらをつきながら、「許さねえ...」とぼやく。そのまま老爺を睨み上げた。

「お前らは、絶対に許さねえ!!」
「...分かっておる」

老爺は北波の言葉をそのまま受け止める。弁解も何もしないまま。
最後にもう一度だけ謝罪の言葉を口にした老爺は、そのまま部屋から出て行った。入れ替わるようにして入ってきた女性が北波を看護しようとするが、北波は全てを振り切った。
銀色の髪の者たちは、全てが敵に見えていた。



ーーー第四十八話 ただひと時のお前といた



風羽一族。鳥と風を扱う一族。銀色の髪が特徴の、どこの忍里にも国にも属さず森で暮らす一族。

北波はその一族に大切だった家族と里を殺され、その一族に引き取られて生かされることになった。幸せしか知らない子供であった北波は、たった一日で絶望を抱えて生きる子供へと変わった。明るかった表情に笑みは消えた。生かされるがままに生きるが、生きる意味はどこにもなかった。

この集落で目を覚まして初めて話した老爺、オシドリという名のこの一族の長は、たびたび北波に干渉した。それをいくら嫌がったところでまだ自分で生きていくすべを持たない子供は頼るしか道はなかった。だが素直に言うことなど聞くものかーーーそう思う中で、ただ一つ、北波がすぐに頷いた問いがあった。

忍になるか。

頷いた後で、このジジイは正気か、とも思った。あからさまにこの一族を憎んでいる子供に戦うすべを身に着けさせるなど。裏があるのかと思う中、オシドリは申し訳なさそうに笑った。

例え脅威になろうと、お前が自由に生きる道を閉ざしたくないのだ。

そんなことを言われたところで、そのセリフをそのまま受け取るわけがなかった。どうやらこのジジイは、そうやって生易しい事を言うことでオレの憎悪を消したいらしい。だが何にしろ、北波は忍になりたかった。

復讐心は掃いて捨てるほどあった。きっといずれそんな日が来るはずだと信じた。大好きだったあの日常を壊したコイツらを。父と母を、里のみんなを殺したコイツらを、いつか同じ目に合わせてやるのだ。その時の為には力がいる。だから忍者となって、強くなっておく。例えその技術が憎いヤツらに叩きこまれたものであろうと、利用してやるのだーーーと。

そう思った北波は、ようやく生きる意味を見つけた。風羽に復讐する日のために生きるのだ。
忍者になってーーーこの一族を終わらせてやるのだと。

北波は毎日死にもの狂いで修行に励むようになった。仇の者たちに最低限のことを教わりながら、その他の時間も全て修行に充てた。同じように忍を目指す子供たちよりも北波は抜きんでて優秀だった。その子供たちとすら、北波は全くといって良いほど関わらずに日々を過ごした。

孤独だった。だが、北波はそれを甘んじて受け入れた。関わりたくもなかった。例え同じ血を受け継いでいようと。

「(近寄るな...近づくな。オレは、お前らとは違う)」

唯一自ら喋るのは、同じようにこの集落に連れてこられたシハクだった。シハクもまた同じようにここの者たちを良いようには思っていない。よく北波に近づいてくるオシドリに刺々しく話すのがその証だ。

「(オレは渦木北波だ。いくら容姿が似ていようと、風羽北波なんかじゃない。お前ら風羽なんか大嫌いだ。近寄るな...近づくな。オレは、お前らとは違う!!)」



ーーーそんな時、一つの声が頭上から降りかかったのだった。


「ねえ、おにーさん!」


ーーー北波はいつも集落の真ん中を避けて歩いていた。あえて暗がりを歩き、人々の視線から、人々から遠ざかるようにして歩いていた。だから、その日もそうだった。その日はシハクが肩に乗っていたが、いつもと同じように家屋の陰、木々の下を通ろうとしていた。

そこに落ちた一つの声。「...何やあ?」とシハクが先に声を上げる。見上げてもそこには大木の枝しかない。

いや、僅かに動く影を見つけた。

「わあ、その鳥さん、しゃべれるの?びっくりした!」
「......誰だよ」

がさりと茂みが揺れる。葉の陰から人の顔が覗き、ふるふると葉を跳ねのけるように首を振る。それからようやく、木の幹をずり落ちるようにして降りてきたソレ。銀色の髪が顔を覆い隠している。小さな体にはあちこちに引っ掻きキズがついている。
髪を掻き分けてから、少女はやっと顔を上げた。

「あのね、わたしはおにーさんのこと知ってるよ!」

風羽一族の特徴をそのまま受け継いだ顔。爛々と輝いた瞳は濁りなく、真っ直ぐ北波を映していた。

「王子サマ、でしょ?」
「は、王子?」

素直に反応してしまってから、北波は心中舌打ちをした。いつもなら誰かが関わってきた時点で"うるさい消えろ、もう今後一切関わるな"と辛辣に言って追い返すところが、今回は完全にタイミングを失ってしまった。間違いなくこの少女の現れ方がおかしかったせいだ。
その上、肩に乗るシハクが突然ぶはっと吹き出した。笑いだしたのだ。

「...なに笑ってんだよ、シハク」
「いや、お前のそういう子供っぽい顔久々に見たから...!クック、おじょーちゃん、中々大物やな」
「おおもの?...ありがとう?」
「分かっとらんなァ。で、何でこんな仏頂面が"王子サマ"なんや?」
「普通に会話してんなよ...」

苛立ちが沸く。シハクを睨んでから、北波よりもかなり小さい少女を改めて見下ろした。
ふわふわと風に揺れている銀色の髪にはあちこちに葉っぱが付きっぱなしだ。だが少女は気づいてすらいないような顔で、ただその目を好奇心でいっぱいにしていた。その好奇心の対象、今のそれは間違いなく、目の前にいる北波だ。

「だって、みんな言ってるよ。おにーさんはトツゼン森にあらわれた王子サマだって!かっこいいし、忍者きょーしつではいっつも一番だし、ちょっと冷たいけどそこがクールでイイんだって!」
「...下らねえ。その"みんな"に言っとけ。二度とオレの噂するなって」
「ええっなんで?おにーさんはぜーたくだなあ......女の子なんて、みーんな一度はお姫サマって言われてみたいのに」

ぱちぱちと目を瞬いて、本気で驚く少女。それを見てシハクがまた笑いだし、北波は苛立ちをため息に変えていた。
見たところ北波よりもいくつかは年下だ。忍者教室にいる生徒はみんな同い年か少し年上程度で、そこそこ物事が分かっているからこそ刺々しいオーラを放つ北波には寄ってこないが、この少女はまだ本当に何も感じていないのだろう。

「......あーはいはい......じゃあこう言えばいいのか?」

冷たい言葉で追い払っても、コイツには無駄だと悟った。未だに木の根元に座り込んでいるその小さいのに近づいて行く。
きょとんとした丸い目は北波をじっと捉えたまま。北波はすっとしゃがんで、その髪についている葉っぱを払ってやりながら。

「随分お転婆なことで......お怪我はありませんか?」
「!」
「オ、ヒ、メ、サ、マ」

初めは意識して作った表情も、そこまで言う頃には、あからさまにバカにした顔になっていた。
内心イライラが溜まっている。シハクがまた肩の上で震えだしたのを手で払いのけた。黙ってしまった少女の前からさっさと立ち上がって遠ざかる。
さすがに自分がバカにされたことに気づいただろう。さあもう近づくな、と思った。

「う、わあああ...!」

だが、北波の歩みを止める声。ゆっくりと振り返れば、やはり、その少女が。先ほどの比でなく、キラキラした笑みで北波を見つめていた。ぱっと立ち上がった少女はそのまま北波の前まで走ってくる。

「今の!すっごくかっこよかった!やっぱりおにーさんは王子サマなんだ!」
「...あのな。お前、バカにされたって気づかないのか?」
「そうなの?でもいいよ!かっこよかったし。ねえ、もっかい今のして!お姫サマって!」
「ふざけんなよバカ姫。オレはお前に構ってる時間なんてねえんだ、とっととどっか行け。シハク、笑うな」

追い払うように歩きだしても少女はちょこまか付いてくる。なんだかんだと北波に話しかけてきて北波が邪険にする隙すら与えない。その顔に一切の邪気はなく、少し前の北波と同じように、まだ幸せしか知らない子供なのは明白だった。

それが北波にとって尚更、だからこそ鬱陶しく、だからこそ、思い切り辛く当たれなかった。

「王子サマ、王子サマってば!もっとわたしとオハナシしてよ!」
「......」
「ねー、王子サマ!」
「オレの名前は北波、だ」

いつまでもバカみたいな名称で呼んでくる少女に、北波はついに自分から言ってしまった。完全にペースを乱されていた。

「ほくは?ほくは王子サマ?」
「その王子ってのをやめろバカ姫...腹立つんだよ」
「じゃあ、北波おにーさん??」
「オレ様はシハクっつーんやで、お姫サマ」
「シハク!!」

呆気からんと言ってのけたシハクに怒鳴るが、「えーやんただの子供やし」となんとも軽い調子だ。「北波兄さんと、シハク!」と少女はなんとも嬉しそうに笑っている。なにがそんなにお気に召すのだか北波には全く分からない。バカとはっきり言われているのにそれでも頭はカラッポらしい。

北波は小さな少女を置いていくつもりでズンズン歩いたが、てけてけと走ってきた少女はまたもその歩を邪魔した。あのね、とふわふわ笑いながら北波とシハクを見上げて、言う。


「わたしは、カナっていうの!」


カナ。風羽ーーカナ。北波の大嫌いな一族の子供。その名前が、異様に脳内に反響した気がした。
だが北波はすぐに目を逸らす。進行方向にいるその少女、カナの横をすっと通り抜けて再び歩きだす。待ってよ、と声がかかるが待つわけがない。

「お前の名前なんて知るか。お前はバカ姫でいい」
「わたしもそれでいいよ!お姫サマだし!それはそうと、北波兄さん、わたしともっとオハナシしてよ!ねえ、まってったらーー」



突然木から現れたその少女は、それから事あるごとに北波に干渉し始めた。

「北波兄さん!またみんなから聞いたんだけど、兄さんはフシギな術を使えるんでしょ?わたしにも見せて!」
「うるさい。修行の邪魔するな」
「ジャマ?じゃあわたし、ここで見てるね!」
「気が散るから消えろって言ってんだよ」

何を言っても嫌味なほど図太い少女は気にすることなく、北波の姿を目に入れるたび嬉しそうに笑った。

「そういえば、お友達の一人が北波兄さんのことスキって言ってたよ!」
「......興味ない。オレを見んなって言っとけ」
「えっ」
「なんだよ」
「わ、わたしも兄さんのことスキなんだけど...見てちゃダメ?」
「...お前、そのスキの意味分かってないだろ」
「そのくらい分かってるよ。母様も父様も、お友達もみーんなスキ!」
「バカ姫」

初対面の時と同じように、少女は何度も思いもしないところから顔を出した。

「ねえねえ、北波、ってどんな字を書くの?」
「バカ姫には教えたってわかんねえよ」
「こんなチビっ子にバカバカ言うたるなや。こう書くんやで、姫サマ」
「......シハク、お前いつからそいつの味方になったんだ」
「へえ!じゃあシハクは?」
「オレ?オレ様はカタカナ」
「兄さんは漢字なのに?ふうん......あっ!じゃあわたしが漢字つけてあげる!」
「なに勝手なこと言ってんだお前は」

出現する場所が予測できないのでは回避もできない。次第に北波は諦めて、毎日毎日今日も来たと呆れた。

「兄さん、今日も修行?」
「いつでも修行だ。いいから向こう行ってろバカ姫」
「いつも一人で退屈しない?わたし、相手になれるよ!手裏剣とクナイ貸して!」
「ガキがまだ持つもんじゃねえよ。そこにいるとオレの手が滑ってケガするかもな」
「大丈夫だよ。へへ、でも気にしてくれてありがとう!」
「...暗にどっか行けっつったんだよ。ほんっとうにお前はバカだな」

兄さん兄さんと北波を見上げ、なんでもないことをさも重要そうに言ったり、どうでもいいことにすぐ口を出す少女。ふわふわと笑うカナは友達の輪の中でもいつも楽しそうにしていたが、北波の姿を見つけるとすぐに抜け出して駆けて来た。そのたび北波は顔をしかめてため息をついていた。

話す回数を重ねるたび、自分が少しずつ甘い思考に侵されていることなど認めたくもなかった。

「...お前、なんで何もない所でこけてんだよ」
「あいたた...ふ、普段はこけたりしないよ。たまたま、そんな時だってあるもん」
「姫サマはホンマにお転婆やな。血ィ出とるけど大丈夫か?」
「ヘーキ!こんなの痛くないし...!」
「強がってないで、今日は大人しく帰れよ。誰か大人に診てもらって消毒してこい」
「う......はーい」
「なんや、今日はえらい素直やな?」
「えへへ。だって、今日の北波兄さんは追い返したいわけじゃなくて、ただわたしを心配してくれてるんだなってわかるもん!」

そのカナの笑顔に、その時、北波は何も言えなくなっていた。

自分が甘い行動に出たと思うたび、北波は自分の右頬を触った。ガーゼはとっくにとれていたが、あの時の面の男につけられた傷はずっと残ったまま、一生消えないだろうと医師に言われた。その傷痕に触れて、自分の思いを再確認するのだーー。

オレは風羽が憎いのだと。いつか同じ目に合わせてやるのだと。風羽の血を流す人間には例外なく。
カナも、例外なく。

そして、自分自身だって。


「アイツ、ホンマにオレの名前に漢字くれよったわ」
「.........」
「お前ら二人、一緒におると、なんか兄妹みたく思えてきてしゃーないな」

シハクがカラカラと笑って言うのを北波は睨んだ。そのくちばしに挟んである、恐らくその漢字が書かれてあるであろう紙切れを奪い取る。
「なにすんねや」とシハクはすぐに言ったが、有無を言わさずその紙切れを千切って細切れにした。風に吹かれてそれらは紙ふぶきとなってどこかへ飛んだ。

「...なにをイライラしとる、北波」
「シハク。オレはこの一族に、いつか復讐するつもりだ」

その思いはそれまで、シハクにすら言ってなかったことだ。案の定シハクは最大限に目を見開き、慌てて周囲を見回した。木々の茂みの下の暗がり。集落の隅、カナと初めて遭遇した場所。普通なら人が通るような場所ではない。「人はいねえよ」と北波が言うと、シハクはそろそろと北波を見た。

「...本気か」
「冗談で言うと思ってんのか?やってやるさ......この一族には同じ目に合わせてやるんだよ。オレたちの里を潰した張本人たちだけじゃない、全員に知らしめてやる。直接関わってないヤツらだって......子供だって、例外なく」
「カナのことを言うとんのか?」

北波は口をつぐんで何も返さなかった。シハクが口にしたその名が脳内に反響して、あの笑顔を思い出させる。
何も知らない子供。子供たちは全員例外なく、北波がどこから何故やってきたのか知らないようだった。大人たちもわざわざ子供に教えはしなかったのだろう。どこから来たのと何度も問われ、そのたび北波は睨んでやった。お前らの家族がオレの家族を殺したんだ、とは言わなかった。
ただ憎しみが蔓延った。子供だって関係ない。北波の友人たちだって、何も知らないまま殺されたのだ。

「アイツだって同じだ......この一族の子供である限り。それと...オレは」

北波は真っ直ぐシハクを見た。

「オレ自身も例外じゃないと思ってる」
「は...!?お前、」
「同じ血だ...この血を根絶させてやるんだ。オレにだってそれが流れてる...全てが終わった後、オレも死ぬつもりだ」
「なにバカなこと言うとる!!ええか、オレ様はお前の考え全てに反対や!!」
「全て?」
「全てや!この一族に復讐することにもな!!」

バサッと飛んだシハクはすぐそばの枝の上に止まる。それで北波を睨みつけ、北波も同じようにシハクを睨み上げた。シハクだって同じようにあの里で平和に暮らしてきたはずだ。「正気かよ」と北波は低い声で言う。あの日の戦火が甦った。

「復讐に反対...?オレと同じようにあの日を経験したくせに、なに甘っちょろいこと言ってんだよ!!」
「お前の憎しみはそりゃ当然や。オレかてこの一族を許すことはない。やけど、同じことをすることもない!何より...復讐はお前のためにならん。親父さんは、そんなこと望んどらんかった」

北波は眉をひそめる。父とそんな話をした覚えはない。父は北波に何も言わなかったのだ。

「何の話だよ」
「...お前の親父さんがオレに話したことあったんや。その時は曖昧すぎて意味もよう分からんかったけど...」

シハクはぽつぽつと、その北波の父と交わしたという話の内容を語った。北波がまだ何も知らずに平穏な日常を過ごしていた頃、父は渦木の里に久しぶりに戻ってきた時に、不意にシハクを呼び止めたのだという。

『シハク......仮にオレの身に何かがあっても、北波が道を踏み外すような時があれば、止めてやってくれないか』
『...?どういう意味や?』
『争いはなにも生まないんだ。血は流すものじゃない、生かすものだ。火種を生んでしまうかもしれないオレが言えたことじゃないが、誰より、北波には生きて...生きて、幸せになってほしい。その為ならオレは忘れられてもいい...』

その時のシハクに詳細は全く分からなかったが、父親の顔が真剣で深刻だったことに気づかないはずもなかった。分からないながらも頷いて、いつかそんな日が来るのかもしれないと常に思っていた。そしてーーあの事件。

露隠れに起きた異変に気づいた時、だからこそシハクは真っ先に北波を探し、父親の元へ向かわせた。結果として良かったのか否かは、今のシハクにも分からない。だが、今だからこそシハクには分かることもあった。

「道を踏み外す...それはきっと、復讐のことや」

黙りこくった北波を見つめながらシハクは言う。シハクにだって憎しみがないわけではない。だが、その心を原動力として何かを犯してしまうのは違う。

「憎悪を捨てろとかそこまで無茶なことは言わん。こんなトコにもいつまでもおりたくないやろな。...けど、一応オシドリかて好きに生きろって言うたんや。子供のうちは我慢して、大人になれば出ればいい...そんで、全然違うとこで、風羽なんて名前も聞かんところで、幸せに暮らしゃええやろ」
「...簡単に言うな...忘れられるわけないだろ。父さんも母さんも、オレの目の前で死んでいったんだ」
「分かっとるよ。...やけど、親父さんの思いも忘れんな」

シハクはそう言ってどこかへ飛び去って行った。北波はその後姿を歯ぎしりして見つめていた。

父の顔が頭に浮かぶ。父はいつも温和で優しい人だった。平和主義で小さなケンカすら好まない人だった。−−北波はこの森に来て、その性格は風羽一族みなに通ずるものだと知った。子供たちですら滅多なことでは争わない。大人たちもいつも笑っていたーーその笑みは、北波にさえ向けられた。
申し訳なさそうに。けれど、邪気は一切感じられない顔で。

そのたびに、じゃあ何でだ、と北波は思うのだ。
何であんな事をしたんだと。



月日が次第に流れていった。あれ以来、北波とシハクは同じ話題を交わさなかった。

北波は忍者として認められた。風羽一族の家紋が入った額当てを渡されたが、北波は一度も付けたりはしなかった。一国一里制度に属さない風羽一族にとって忍者とは、一族を護るためだけの職だった。だが北波はその出自も相まってだろう、忍者と認められても何か特別なことは言い渡されず、以前と同じように修行に励む日々に明け暮れた。

「北波兄さん!」

カナは相変わらず北波の後をついて回っていた。暇さえあれば北波がいつも修行している場所にやって来る。北波が修行している最中は飽きもせず眺めているか、シハクと楽しそうに喋っている。それで、北波が休憩に入る時には目を輝かせる。

復讐。

その言葉は、カナが笑顔を向けてくるたびに薄れていくような気がした。シハクから伝えられた父親が言ったというセリフもずっと頭に残っていた。どうすればいいのか分からないまま、日に日に過ごしているうちに復讐心が削れていく。
許せるわけではない。未だにカナ以外の風羽一族とは大した会話も交わさないし気を許すこともない。けれど。

「兄さん、ケガしてるよ。おヒザのとこ...」
「問題ない。触ろうとすんな」
「ダメだよ、ほっといちゃ。だって前に兄さんだって言ったでしょ?早く消毒しなきゃ、カノウしちゃう」
「お前みたいにヤワじゃないんだよ」
「ダメったらダメだってば!わたしは兄さんを心配してるの!」
「......チビ姫如きに指図されるか」
「あっ」
「なんだよ」
「バカ姫じゃなくなった!ちょっとマシになった!」

ーーー無邪気に笑うカナを見ていると、自分の気持ちが分からなくなっていった。





だが、その日は訪れた。−−−渦木一族が死んでから、もう一年以上が経った頃だった。


夜。集落が寝静まった頃。一日分の修行が長引いたその日、北波は深夜の集落内を歩いていた。
小さい居住地であるから、いつもはカナがいつまでだってうろちょろしているが、さすがにこれだけ夜が更けると渋々帰って行った。シハクもおらず、周囲に人もおらず、北波は完全に一人で自分の寝床へ帰っているところだった。

北波は不意に、たった一つ未だに灯りがついている家屋を見つけた。

集落の中でも特に立派な外装をしている家屋。一族の長、オシドリの住処。

それを見つけた途端、何かの前兆のように北波の胸は高鳴った。

一瞬止まった足がゆっくり近づいて行く。足音や衣擦れに最大限の注意を払って、北波が足を向けた先は、明かりが漏れている窓の傍。どくりどくりとうるさい心臓を抑えつけながら、そっと耳を寄せていた。
声は小さく、だが確かに聴こえた。


「カナとあの子が仲良くなるのを、いつまでも放っておいてもいいのですか」

北波の身は瞬時に固まった。−−−あの子。それが自分であることは北波にも容易に想像できた。
だけど、なんでカナが。

「長があの子を自由にさせてやろうと思う気持ちは、私どもにも理解できます...しかし、このままではいずれ、あの子は父親の二の舞になるかもしれません」
「...では、無理に引き離せと?あの子たちは二人とも何も知らんのだぞ」
「分かっております。ですが...最悪の場合、渦木を撲滅せざるを得なかった意味がなくなります」
「仮に子供のうちに問題が発生しなかったとしてもです。北波は忍者になったのでしょう。今はまだ子供だから良くても、成人の儀を迎えれば......長、あなたは北波にも例外なく教えるつもりなのでは?」

オシドリを囲むように数人が集まっている。懸念する声色で話を広げている。北波に対する嫌悪の声色ではない、だが、万が一を恐れる声。
渦木を撲滅せざるを得なかった理由。それを北波は未だに教えられていない。オシドリは決して口を開こうとしなかった。−−ぶわり、と体中に熱が集まってくる。呼吸すら留めて、北波は耳にだけ意識を集中していた。


「カナの中に眠る"神鳥・朱雀"のことは、決して他の一族に気取られてはなりません」


我ら一族は一族を護るために、必要以上に他国他里の者と関わることを許さずと掟事項に記していました。

それは何より我らの特異な能力、そして何より"朱雀"のことを知られるわけにはいかないから。

しかし、その掟のことも"朱雀"のことも知っているにも関わらず、北波の父親はそれを犯し、他里の女性と婚約を交わしてしまった...。

あのお方の言葉、圧力もありました。だから、渦木を殺したというのに...。

あの子は当然我ら一族への復讐心を抱えているでしょう。

これからあの子が"朱雀"のことを知ることになって、それ以降に復讐心を爆発させてしまえば...。

"朱雀"の情報は出回るかもしれず、そして我々は一気に各国から、膨大な力を所持する一族として注目を浴びます。

渦木の犠牲は無意味に。そして、我々一族もどうなってしまうか。


「長。どうするおつもりですか」
「......そう引き伸ばしにできる問題でないことは分かっている...。だが、答が見つからんのだ。あの子たちのことを思えば...」
「...あの子を引き取ったのは、間違いだったでしょうか」
「ならん。それだけは言っては駄目だ。あの子は我らの血を引き継いだ、何の罪もない子供だったのだぞーー」



北波は走っていた。集落から風羽の森の中を宛てもなく走っていた。息が切れようと、どれほど苦しくなろうと、北波は立ち止まらなかった。
こんなもの、苦しくなんてあるものか。本当に苦しいのは、本当に痛いのは、北波の心をはちきらんとばかりのーー憎悪、だった。

父親の言葉ももう頭になかった。カナの笑顔だなんて、もってのほかだった。"神鳥"が何なのか、なんてことは知らない、だけど。

ーーーなんだ。渦木が死んだ理由は、カナにあったんじゃないか。

無邪気なあの笑顔が黒に塗りつぶされていく。
なんて、お笑い種だ。風羽が憎い、憎いと思っておいて、その風羽の中で唯一まともに話す子供こそが、復讐の根源だったらしい。
なんて、本当になんて、お笑い種だ。なんて馬鹿げた話なんだ。

『北波兄さん』ーーー


必要以上に他国他里の者と交流することを許さず。

"朱雀"などという秘密を知りながらその掟を破ってしまった北波の父は、父自身だけでなく、一つの里を巻き込んで死んでしまった。
だが、北波は知っている。父は秘密をあちこちに暴露したりするような人じゃない。自分が生まれた一族を潰すことを考えるような人じゃない。ただ愛する人と、北波の母親と、共に生きたかっただけのはずだ。だからああやって悩んでいたのだーーーそれだけだったのに。


「(ゆるせねえ......ゆるせねえ!)」


『おはよう北波兄さん!あのね、今日はわたしーーー』


不意に木の根につまずいて、北波の体は地面に転がった。夜闇の中、途端に静寂が周囲を襲う。

北波は暫くそのままで静止していた。冷えた地面に顔をつけたまま、強く、強く歯ぎしりしていた。爪に泥が入り込むくらい強く地面を引っ掻き、握りしめていた。
この森に来て以来流れなかった涙が、今、ようやく溢れそうだった。だが北波の気持ちがそれを許さなかった。

「オレは...忘れない...。あの日の痛みを、憎しみを......!」

自分に刻み付けるように。


「絶対にーーー忘れない!!」




そしてその時、その声は唐突に落ちたのだった。


「その痛みに、誓えるか」
「!!」


ーー北波の頭上から。
北波が反応する前にガッと手を掴み上げられ、硬直した子供の目を覗き込むようにその男の瞳、藤色の波紋模様が、暗がりの中でも鋭い光を放っていた。

「な、」とようやく北波の口から声が漏れる。感じたことのない恐怖が背を這っていた。圧迫するような男の目が恐ろしい。風羽の者でもないーーー誰だ。

「うずまき一族から派生し、千手と対立した者たちの一族だった"渦木"と...風を操る"風羽"、両方の血を引く子供...」
「...!な、んだよ、アンタ...!何モンだ...!?」
「お前と同じ、痛みを知る者だ」

夜闇に響く声は酷く重く、状況が全く掴めていない北波は既に目前の人物に呑まれようとしていた。

「もしその痛みに誓うと言えるなら、オレがお前に手を貸してやろう。見返りは求めるが、その思いが本当ならワケもないことだろう......お前が受けた痛みを、お前に痛みを押し付けた者共に、叩き返してやりたいか」


掴まれている手首が熱い。
だが、太鼓が鳴るように高鳴っていた鼓動は、次第に小さくなり始めていた。
藤色の瞳に圧倒的な力の差を感じる。とてつもなく高い壁を感じる。手を伸ばしても届かない距離を感じる。

だが、伸ばそうとするなら、掴み上げてくれる。

「(......嘘じゃない)」

黒地に赤色の雲模様のその衣が夜の深く暗い闇に同化している。
この男は北波のように痛みを知っている。抜け出せそうもない闇を知っている。だからこそ、北波の痛みを本当の意味で理解してくれる。


『わたし、北波兄さんのことがね、スキなの!』


ーーその男に返事をする前に、最後。無邪気に笑う少女のことを、思い出していた。



とある日、集落に響き渡った音色があった。
音色は少年の強い復讐心に応えるように、どこまでも、どこまでも鳴り響いた。

「...?」

その日も、小さな少女は大好きな"兄"を探して集落を歩いていた。その時耳に届いた音色に、少女は惹かれるようにして空を見上げたのだった。

何の音だろう。とても、きれいな楽器の声。どこから聴こえてるんだろう?誰が鳴らしてるんだろうーー。

「.........あれ?」

不意に音色が途切れる。それで、少女もハッと我に帰ったのだった。キョロキョロと周囲を見渡して、悩むように首を傾げる。不思議な音は消えてしまった。違和感は感じたけれど、そこまで気にする事じゃあない。
さて、行こうかな。

ーーー行こう?


「わたし.........どこへ、行こうとしてたんだっけ」



少女は首を傾げた。奪われたものには何も気付かずに。

他の風羽の者たちも同じように。今の今まで悩みの種だった少年のことはすっかり頭から抜け落ち、いつも通りの変わらぬ日常としてその一日を迎えた。



紫色の鳥は、集落を出て朝の散歩をしていた。音色をただ一羽聞かなかった者だった。それが何も知らず帰ってきた途端ーー唯一、彼だけに襲った非日常。少年と共にこの集落へやって来た彼のこともまた、忘れ去られていたのだった。

「わあ、あなた、しゃべれるの?」

少女は無邪気に、いつかと似たようなセリフで目を丸めた。
それで、彼は自分が知らぬ間に様々なことが起こってしまったのだと、絶望と共に知った。


復讐を抱えた少年は、復讐を向ける一族の知らぬ間に消え、身をひそめたのだった。

「お前にはこの組織に入り、その能力を組織のために使ってもらう。代わりに、ーー」

"暁色"に染まり、"蛇"の力を利用して。ーー風羽を殺すその時のために。


その日、少年も炎の中に立っていた。一時期過ごした集落が蛇に襲われ、炎に焼かれ、人々が嘆きの叫び声を上げているのをただ黙って見つめていた。蔓延っていた憎しみが形に成っていく様を、少年はその目に焼きつけているだけだった。
ただ一人。

ただ一人の、復讐の根源を見つけるまで、何を思うこともなかった。

少年の視界に入った小さな子供は、腰を抜かしたように座り込んでいた。自分に降り掛かる火の粉も、大蛇の姿も目に止めず、涙が流れる瞳に二人、両親だけを映していた。


「かあさま、とうさまぁっ...!お願い、行かないで、置いていかないで...!」


久々に聞く少女の声は、まだ舌ったらずだった前よりもはっきりしたものになって、両親を何度も何度も呼んでいた。いつか少年もそうしたように、何を成す力もない少女は、何度も何度も意味のないことを繰り返すだけだった。
その様子に目を奪われた少年は、けれど、自分の心に沸き起こった気持ちを無視するしかなかった。

「(...オレはもう、決断した。もう、戻ることはできない)」

事は起こった。既に何人もの人々が死んでいる。亡骸が落ちている。蛇に喰われ、業火に焼かれてーー全ては少年が望んだ通りに。大切だった自分の一族に起こったことの、全てをぶつけ返してやるために。

「(ーーー姫......オレは、)」



少女はしかし、消えた。
"蛇"に捕まる前に、その姿を銀色の風に囚われ、炎の中から姿を消したのだった。
その瞬間少女の両親は、炎に焼かれたわけでも蛇に喰われたわけでもないのに、急に倒れていった。血反吐を吐いて、地面に転がってーーだが最後、その二人は確かに笑っていた。子供を護って、そして、息絶えたのだ。

少年はやはりただ見ているだけだった。少女が捕まらなかったところを、ただ見つめていただけだった。

なんにせよ結果、少年はその場で死ぬことができなかった。
少年の誓いが果たされるまで。"風羽"の血を根絶させるまで、少年は。

唯一 集落の中で心を許した少女を、その手にかけるまで。


 
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