時を数時間ほど遡る。
木ノ葉から離れた土地の地下。入り組んでいる建物の、深い闇に沈んだ多くの部屋の一つで、一人はベッドに腰をかけ、一人は部屋の入り口にもたれかかっている。その一人は手で無線機を弄んでいた。

『───だ、そうよ』
『───それで、オレに───』
『それはアナタの判断に───』

暗い室内で交わされる会話。瞳はどちらも鋭く、闇の中で相手を突き刺すようだった。そうしていつしか部屋には一人が取り残される。
ベッドに座っていた少年は、暫しの間、じっと扉を睨んでいた。深い色の瞳は、ちょうど今の時刻の空のようだった。


『......そういうことなら契約してやってもええで。ただし、条件付きや』

『絶対に、アイツを見捨てんな』


少年の脳裏に甦った声。同時に浮かび上がった銀色のあの姿。
少年はゆっくりとその場に立ち上がる。横に置いていた剣を手に部屋を出た。どこの部屋とも同じく暗い廊下を歩いた先には、長い階段が待っていた。それを登りきり、外を出てもやはり、夜の暗さが少年を襲う。

けれど、外では、星が輝いている。


ーーー第三十二話 対局開始


「お前、まさか......ヒナタを、殺したのか?」
「............は?」

夜はまだ明けない。朝日は顔を出さない。冷たい風が木々を揺らし、その場にいる全員の耳にざわざわと響く。

シノの確信めいた言葉に、キバは身動き一つできなかった。シノは真っ直ぐカナのコートに覆われた背中を見るのみ。ただ、状況判断の為に放たれた一匹の蟲だけが、その手を這っていた。

暗部の者は気絶しているだけだった。だが今、カナが見下ろしているヒナタは。


「......そうだよ」


ヒナタ以外の第八班の耳に届いた声は、大人びたとはいえ、十分に聞き覚えのあるものだった。

「な......カナ、おま......なに、言って」
「......殺したの。私がヒナタを、たった今、手にかけた。シノの言う通りだよ」
「そ、そんな馬鹿みてェな冗談、やめろよ!!」
「......冗談だと本気で思ってるの?」

カナはやはりキバに振り返ることはしなかった。銀色だけがキバとシノ、赤丸の目に突き刺さり、痛いほどだった。震える吐息がキバの口から漏れる。徐々に肩が上下し始める。キバの冷静な精神は急速に遠ざかりつつあった。
アカデミー時代を共に過ごしたカナの顔。

「(......なんでだ)」

ヒナタといつも仲睦まじく笑い合っていた姿は、昔からただの子供ようで、そうでないことをキバは知っていた。

「(なんでなんだ。なんでお前は、そんなに......!)」

時折 遠くを見るような目をしていた時のカナは、すうっと消えてしまいそうな危うさを備えていた。

「......この......」

漏れた声は、擦れていた。



「この......このッ、馬鹿ヤロォオオオオオオオ!!!」



「待て!!」などというシノの言葉も、必死に吠える赤丸の声も、今のキバには聴こえなかった。

キバはもう全速で走り出していた。
思っていたよりカナは"遠く"にいた。
キバは走りながら握りこぶしを作っていた。
相手が女だなんてことは最早どうでもいいことだった。
ただ、ただキバは、腹が立って仕方がなかったーーーそれだけだったのだ。

まさか、それがカナの思惑だなんて、考えもしなかった。

ーーカナはその時、初めて振り向いていた。キバは既に止まることなどできなかった。
拳が、カナの頬に。


バキッ__!


容赦、なく。

どっどっどっと跳ねているのはカナの心臓ではなく、キバのそれのほう。熱くなっていた体温が一気に冷めていく。カナの頬を殴った拳を、キバはすぐにはしまえなかった。その瞳に映ったカナの目の色は、三年前となんら変わりなく、その奥に何かを秘めていた。

「あ......わ、り......」
「どうして謝るの?......無防備だよ」
「う、ガッ!!」
「キバ!」
「ワンッワンワン!!」

一瞬だ。キバの首に、素早くカナの手刀が振り落とされていた。
動揺した者に冷静な判断は叶わない。敢えて殴らせて動揺を誘ったのか、とシノは拳を握りしめる。

カナの目の前でキバの体が落ちていく。だが、何故かどさりと落ちる音はなく、不思議と静かに倒れ込んだようだった。風が吹き、砂埃が俟っていた。
静寂は身を刺すようだった。

「......カナ」

地面に伏せるキバに目を落としていたカナは、シノの声に顔を上げる。筋肉が強ばった頬は、黙ってシノの次のセリフを待っていた。だが、内心渦巻く疑念はあった。

「(......赤丸?)」

シノは昔から人一倍冷静な忍だった。ゆえに、この状況で必要以上に取り乱していなくともそうおかしくはない。だが、相棒が目前で倒されてもなお威嚇すらしない忍犬は、どうしても素直に納得できるものではない。

「その二人をどうにかするつもりか?」
「......そんな必要はないから何もしないよ......といっても、ヒナタの息はもうないけど」
「......」
「怒らないの?仲間が、殺されたのに」

慎重に言葉を選ぶカナ。眼鏡の奥で激情を隠すシノ。赤丸は心細そうに鳴くだけだった。

「......馬鹿だな、お前は」

シノがそう呟き、カナはぎくりとする。

「どうして......」

カナの口から吐き出された問いは、しかし受け止められることはなかった。

「いや、何も言うことはない。それよりも、オレたちはまずヒナタを病院へ連れて行かなければならない」

シノの物言いはあまりにも落ち着いていた。それは最早不自然といえる領域だ。しかし、カナは何を思っても口にはできない。震える足は気のせいだと、カナは思い込む。

「そうだね......もしかしたら、まだ助かるかもね......」

ざっ。シノに背を向けたカナは一歩を踏み出す。真正面から突き刺さる視線にこれ以上耐えられそうもなかった。
「それじゃあ、」と言いかけるカナ。それを一言、「カナ」と遮った声。

だが、シノが何かを言い出す前に、カナは一瞬にして、その場を去っていた。

残された二人。赤丸は力無く首を垂れた。

「......」
「......クゥン」
「......ああ、そうだな、赤丸。早く二人を連れて行こう」

シノは一息ついてから赤丸の頭を撫で、倒れている仲間たちのほうへ足を運ぶ。膝をついて確認すると、キバはただ意識がないだけだが、やはりヒナタの息は無いままだった。シノは眉根を寄せて、しかしそれでも冷静にヒナタを抱き上げ、赤丸の上に乗せていた。

「オレはキバを運ぶ。ヒナタはなるべく動かなさいよう、慎重に頼むぞ、赤丸」
「ワン!」

二人の顔は、何かの確信に満ちていた。



ちかり、と朝日が差し込んだ。光を背中に受ける者たちを後押しするように、空は夜明けを告げる。
木々を跳び抜ける彼らは共通の意志を胸に前を見据えていた。
亡き師の為、仲間の為、"玉"の為。

「(......それと)」

シカマルは一際強く足元を蹴る。瞳の奥に映し出すように、あの日の光景を思い出した。

暗い暗い曇天の下、雨にも紛れぬほど滴っていた涙の数。いのは声が枯れるまで泣いていた。チョウジは頬に赤々と痕が残るまで泣いていた。コテツやイズモたちも、顔を隠しながらも密かに。
そしてカナは、ずっと自分の心を縛っていた鎖をほどいてしまうほどに。

「(それと......仲間が流した涙のために、オレは)」


これから、対局を挑む。


目標を視認する。それぞれ目で合図を取り、頷き合う。大樹の裏に忍んだのは影使い。伸びた影が、目標に迫った。
避けられることなど承知の上だった。作戦はそのまま実行される。放たれた起爆札付きのクナイ、弾かれたそれらは敵にはダメージを与えない、だが、やはりそれだけでは終わらない。

シカマルは自ら敵の視界に飛び出す。再び放たれたクナイにはやはり札が付いている。敵には大きく避ける暇はない。"暁"・飛段、角都は、自らの能力を以てして、爆発を無効化しようとした。

初手。桂馬、前へ二歩、飛車と角行を飛び越える。

「影真似手裏剣の術......成功」

卓越した頭脳を備え持つシカマルは、開始一分で優勢に立った。天才少年は相手の判断から言動、何から何まで考慮に入れて、次の行動を考え抜く。対するは飛段、角都。チャクラ刀によって動きを制限された二人は、眼前のシカマルを睨む。

「オイオイオイ!こりゃはっきり言ってマズいんじゃねェのかァ!?」
「マズい?オレの計算じゃ、この手順でお前らを捕まえた時点で終わりだ」

ーーだが、角行はそのままでは留まらず、自力で桂馬の呪縛から逃れ移動していた。
飛段を使われ跳ねられかけた首はなく、"腕の入っていない"裾のみが鎌によって分断される。

「よっしゃァー!!」

隠れていた手が現れたのは、地中から。チャクラ刀を引っこ抜いた手は黒々しい血管のようなものに操られていた。叫喚を上げた飛段の横で、自由になった角都は静かに腕をしまう。

「終わりだとは言ってもオレの能力は未知数。ならばきちんと距離をとって次の手を仕掛ける......オレの連れと違って賢い」

カチン、ときた相方には気にもとめない。

「だが戦闘中に分析ばかりしていても、全てが計算通りにいくものではない」
「ってオイ角都!!連れと違い、ってのはどーいう意味、!」

とはいえ、相手の飛車は未だ木ノ葉の持ち駒となっている。
影真似によって再び好き勝手動かされる飛段は、鎌でがむしゃらに角都を襲う。

「クソッ体が...!角都、なんとかしろ!!」

飛段が他力本願紛いのことを言っている間にも、角都の背後には大樹、もう後がない。
さらに上空から、木ノ葉側の駒が飛び出した。

「肉弾針戦車!!」

落ちてきた巨体に、もうもうと上がった土煙。飛車は無理矢理後方に下げられ、角行のみがモロにぶち当たる。
だがチョウジが後方に跳んだ時、見えたのは無傷な角都。シカマルはこれまでの戦闘でも目の当たりにしてきた相手の能力を思い返した。

「体を硬化する術か」
「よく分析している。そうだ、オレにはどんな物理攻撃も通用しない」
「よっしゃ、そろそろ反撃といこうぜ!角都、さっさとこの術を...」

だがその瞬間、またも戦況は変動する。この場においては木ノ葉側の王将ともいえる駒が、角行の胸を一突きしたのである。
唸るは雷、飛び散るは鮮血。飛段の叫び声は、千もの鳥がさえずる声に掻き消された。

「"土"は"雷"に弱い......相性が悪かったな。終わりだ」


事は木ノ葉に有利に動く。だが眼前の戦局に集中しつつも、脳内で幾多もの手数を考え抜くシカマルには、未だに最も憂慮することがあった。それは、飛車・角行相手にどれだけ不利な状況に陥ろうとも、更に最悪の状況に成り得るもの。

三人目の"暁"の襲来。

「(そうなりゃ、戦況は一気に動揺する...!)」

シカマルから見ても、飛段よりも角都よりも危険度の高かった"三人目"・トビ。
最初からいなかったのを幸ととるか、後から来る可能性があるのを不幸ととるか、しかし結局は成り行きに任せるしかない。

影真似も限界を迎え、木ノ葉側・"暁"側、両方の戦力が総出し対峙した。



木ノ葉の大門を飛び越える。その背中を追う者は、既に誰一人としていなかった。
少女の背後の隠れ里にゆっくりと朝日が差し込んでいく。長い夜がようやく明け、人々の知らぬ間に、一人の罪人を巡る争いは幕を閉じていた。里の最奥にそびえる顏岩は、銀色を静かに見送っていた。

風が吹き、チャクラを運ぶ。それを感じ取った瞬間、カナは木々の中へ入り突き進んだ。

その脳裏でここ数日の記憶が甦る。雨に打たれる中で泣き、闇の中で縮こまり、白んだ空の下で立ち上がったこと。
再び、カナは"里の意志"に背こうとしている。久々に会話した、同期たちの顔がありありと思い返された。

「(......)」

決して後ろは振り返らずとも、カナの胸は酷く重かった。歯を食いしばりつつ、想いを吹っ切るように思い切り枝を蹴る。未練がないわけではない。だがやはり、今、木ノ葉に甘えるわけにはいかない。
ーーー行かなければならない。

それは三年前の決意の為でもありながら、今だけはもう一つの理由がある。そのためにカナは必死に走る。徐々に増していく速度は、すなわち"神鳥"朱雀の力の現れだった。
金色に染まった瞳に、数時間前の闇が甦った。

『いいことを教えてあげようか......』
『......?』
『キミを捜しにこの里に入るついでに色々と情報を集めてたら、面白そうな話を聞いてね』

そう言われた時点で、カナは気付いていた。その"面白そうな話"とやらが、カナにとって良いものであるはずがないと。

『......何の事ですか』

自然とカナの口から漏れたのは低い声。くつくつとカブトは喉の奥で笑い、"蛇"らしさを滲ませたギラギラとした瞳でカナを見据えていた。


『弔い合戦』


その一言は、カナの心臓に相当な打撃を与えた。

『それ、は』
『キミのほうがよく知ってるだろ?いのシカチョウの彼ら、だったかな。"暁"と交戦してから明日で六日目......今日まで彼らは、復讐の為の作戦を練っていたみたいだよ』

カブトの目に嘘はなかった。その諜報能力は伊達ではない。カナ自身も、"第十班"が動く確率は十分 量れた。予想はしていたことなだけに、無駄な問答は行わなかった。

『三人で......ですか』
『どうも、彼らはそのつもりらしいね』

重々しく言うカナとは裏腹に、カブトは愉快そうに応答する。

『さて、カナ。キミはどうする?』


その問いへのカナの答を既に知った上で、カブトはカナに問いかけていた。

恐らく、脱獄を少しでも迷ったカナへの最終忠告だったに違いない。カブトの狙い通り、カナの答はその瞬間に決まっていた。動かないわけにはいかない理由が、カナにはあった。

あの、おどろおどろしいまでの渇望を滲ませた赤色の瞳のために。




「......どうやら、間に合ったようですね」
「ほう?」

タン。カナの足が、軽やかにとある枝で止まる。その前方には誰の姿もない。
カナの声に返答した声は、カナの背後から響いていた。

金色はまだ振り返らない。ただ、鋭いまでにチャクラを張りつめ、全身を緊張させていた。

「何を以て間に合ったとする?お前の目標は、まだ数キロは先にあるようだが」
「いいえ。私の目標は、最初からあなたでしたから」

だが、恐怖の為のものではない。良い意味での緊張感がカナを支配し、カナの五感のキレは最高潮にまで一気に達していた。ここ数日間、牢に捕まっていたからこそ、疲労も順調に回復し、尚かつ今、最大限の平静を保てている。

カブトから情報を聞いた時、焦燥感を覚えた理由は、ただ一点。それは、"第十班"への不安ではない。

「きっと"彼"は今、詰め将棋をしてるでしょうからね」

思い浮かべるのは、幼い頃から頭脳戦に長けていた、同期の少年。

「再戦となるなら間違いなく、彼なら無策で突撃しない。仲間の為に、里の為に、絶対に全てを無駄にするはずがない」
「......なるほど、ヤツらは今 "対局"の最中ということか。ならばさしずめ、こちらの駒は飛車・角行......ガキ共如きで通用するかな」
「一つ一つの駒の価値さながら、駒の数も重要ですよ」

そう言ったカナは、ようやく振り返っていた。
カナの金色の中でばさり、と漆黒のコートが揺れる。黒地の上に浮かぶは赤雲。不気味な指輪は左手の親指に鎮座する。感情を隠す渦模様の面の奥では、力を秘めた赤色の瞳がギラついた。


「だけど......その一つの駒に、あなたを入れるわけにはいかないと思ったんですよ。......トビさん」


未だに能力が未知数である"暁"の新人の男を前に、カナの顔は殊更厳しく引き締められた。
六日前に、身が凍るほどの恐怖をカナに植え付けたトビ。その脅威を身を以て知っておいて、その牙が木ノ葉に向く可能性がある時に、放っておけるはずがない。

「だから、あなただけは私が相手しておくために、私は」
「ここにやってきた、か。フン......だがそれはこちらとしても好都合。お前さえいなければ、あっちはどうとでもなるだろうからな」

トビは低く唸るように笑う。カナはきゅっと眉根を寄せた。
可能性としては、木ノ葉の勝利が絶対とは言い切れない。それは確かだ、だが、カナは彼らを知っていた。彼らが無謀なことをするはずがないことは、知っていた。

「(チョウジ、いの、シカマル......彼らが再戦の為の備えを怠ったりはしないはずだから)」

私は自分ができることをやるだけだと、カナは目前のトビを睨み据えた。


 
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