ーー曇天は雨天に。
この現実を悲しむかのような空の涙が、アスマの顔を打ち付けていた。

「言いたいことは、全部、言えた......」

雨は、吐血の痕を流し、気持ちの悪い汗を流し、戦闘の痕を流していく。呟くように言うアスマの声は雨音に掻き消されそうだった。

「もう......いいよな。ずっと、やめてたタバコも......」

シカマルが動く。小雨が降り続く中、かちりとライターが音をたて、赤く淡い灯りを点けた。不意に誰の鼻にも届いた慣れ親しんだタバコの匂い。それが一層記憶を引き起こし、すすり泣く声が一際大きくなるーーー。

雨に濡らされ徐々に湿気ていくタバコは、段々と温もりをなくしていく。それは誰の目から見ても、まるで今まさに絶えようとしている命のよう。

そして誰もの願いも虚しく、ふっと灯りを失ったタバコは、ぽとりと、アスマの口から逃れていた。


「先生ッーーーー!!!」


雨が一層強くなる。

ライドウが静かに歩み寄り、自身の黒い外套をアスマの体にかけた。

「忍らしい、最期だった......」

それは今 亡くなった上忍への最大の敬意と、その教え子たちへの慰みの言葉。しかし、チョウジやいのの涙は一層 増えるばかりで、嗚咽は尚もなくならず。

シカマルは一人、アスマが落としたタバコとライターを手に立ち上がり、歩き出した。ひたり、ひたり。止まったその場でタバコを口に含み、なんとかもう一度火をつけて、しかしものの数秒で咳を漏らす。それでもシカマルは、タバコをくわえていた。

「......やっぱり、タバコは嫌いだ......」

独り言のように呟いて。


「煙が目に...染みやがる......」


雨に紛れた涙が落ちる。ぽたりぽたりと流れていく涙は、ーーー少女のそれと重なっていた。

少女は呆然とアスマを見ていた。先ほどまで少女の手を握っていたはずの手は、徐々に温もりをなくしていった。それでも少女はアスマの手を放せなかった。溢れて落ちる涙も気にしやしないで、少女はただ外套をかけられたその体を見つめているばかりであった。

......アスマ、さん。

ぼやくように漏れた声は、力無く。ざああと降り続く雨に掻き消された。


ーーー第二十五話 自失の底に


静けさがあった。あまりの静寂に耳が痛くなるほどの静けさが、そこに存在していた。人や動物の声も鳥のさえずりも虫のさざめきも風の唸りも、あらゆる音という音が無い空間が、そこを支配していた。更にそれに加え、暗闇があった。陽光も月光も人口灯も、あらゆる光もまた、全く存在していなかった。

つまりそこには、何も無かった。何も無く、"個"を許さない場所だった。音もなく、光もない。それは間違いなく、"個"としての生を許すまいとせん空間。紛うことなく、"罪人にぴったりな場所"他ならない。

火の国、木ノ葉隠れの里。この隠れ里は第三次忍界大戦が終結してからは至って平和であった。三年前の"木ノ葉崩し"の際には開戦の危機に陥ったこともあったが、結局 それもほんの数時間の出来事だったところから、やはり今はこの忍界の中で、人々はどの国どの里よりも安穏と暮らしているといえるだろう。

だがしかし、それでもやはり木ノ葉の里は、例え腐っても"忍里"であるのは間違いなかった。
普段は愛想良く笑っている忍たちも、毎日のように血生臭い任務を引き受けているし、木ノ葉にも他里と同じように、一般人にはとても見せられない場所というのが存在するのである。

その一つが、火影邸の地下の地下にある、"罪人にぴったりな場所"。牢獄であった。

その入り口は昔からひっそりと隠されてきた。火影邸という毎日 大勢が出入りする場所であるが、二十四時間態勢で必ず誰かが結界を張っており、その扉を悟られることはあるわけもなく。忍という職に就いていたとしても、ほんの一握りの人間しかこんな場所の存在さえ知らないのである。

しかしそこに、たった今、一人の人間が現れた。

金髪の間に見え隠れする額の紋章、大きな双眸、くっきりと引かれた口紅。その堂々たる様は見た目の若さに反し、威厳までもを振る舞っている。
その雰囲気に感化されるかのように背筋を伸ばした入り口の見張り番は、女性が近づくなり結界を外し、深々と礼をしていた。

「異常は?」
「いいえ。どうぞ」

ほんの一言返したあと、見張りは扉をゆっくりと開け放つ。「ご苦労」と女性は労りをかけ、扉の中へ入っていく。その背後でまた入り口は閉められ、女性は完全に暗闇に呑まれた。

かつん、かつん、かつん。闇の中を女性が物怖じせず進むたびに、ヒールの音が響いていた。
行き先は地下、でなく、地下の地下。扉を入った数歩先から始まる階段はあまりに長く、ようやく最後の段を踏むまで数分。
かつん。
女性はそこで一度止まり、闇の中に密かに存在する棚に手を伸ばした。すると、闇の中に唐突に灯りが現れ、女性の顔が浮かび上がっていた。女性が起こしたマッチの火は次にランプに移され、女性はそれを手にまた闇の中を進んでいく。多少明るくなったとはいえ、それでも三歩先は暗闇だった。

その通路は、一定の間隔は開いているものの、扉ばかりが並んでいた。ここは罪人の中でもとりわけ強者を隔離する為に設置された通路であった。仮に罪人が逃げ出そうと目論んだ時、一番厄介なのが罪人同士で手を組まれることだからである。優秀な忍であればこそ、罪人たちに面識を与えてはならない。

そしてそれ以前に、この個室制が彼らに最も痛烈な処罰を下しているのである。

女性は迷うこと無く足を運んでいた。
そしていつしか足を止めた時、女性の目の前の一つの扉が空間を隔てていた。
大した躊躇もない。女性は前を見据えつつ、嫌な音をたてながら、その扉をゆっくりと開いていった。



「あ......起きられましたか?」

修行僧の青年・庵樹が目を覚ました時、耳に届いた第一声がそれだった。
ゆっくりと意識を上昇させていく。まだ薄ぼんやりとしているが、庵樹は次第に周囲を確認していた。清潔感を思わせる白い部屋に、ベッドに横たわっている庵樹から見たら、九十度だけ反転している黒髪女性。

「......シズネさん......でしたか」
「ええ。ご気分はいかがですか?」
「......少し記憶が飛んでいるんですが........オレは、あ、いえ私は、何故このような病室に......」

五代目火影の付き人であり、また優秀な医療忍者でもあるシズネは、そこで少し笑ってしまう。口調からして、庵樹が修行僧以前の自分を捨て切れていないようだった。だがそれで怪訝な目をされた事に気づき、シズネは慌てて質問に応える。

「いきなり気絶をしてしまわれたのですよ。私に報告を下さった後に......よっぽどお疲れだったんでしょう」
「......そうですか」

庵樹はゆっくりと状態を起こす。その脳裏に過ぎていく、まだ決して遠くはないあの地獄絵図。目が覚めた時 目前に広がった光景に、庵樹は暫し呆然としたことを否めなかった。
だが、その脳裏に響いていたあの声が、庵樹を奮い立たせたのである。木ノ葉への連絡の為、庵樹は走った。そしてシズネへ一通り話し終えた瞬間から庵樹の記憶は途切れている。

「夢じゃ、ないんだな......」

呟く庵樹に、シズネは何も声をかけられない。だが先に吹っ切ったのは庵樹で、強い目でシズネを見た。

「それで、あの"暁"の輩は?私が寝ていた間に、接触はされたのですか」

その視線を受け止め、シズネは僅かの沈黙の後 口を開く。

「......ええ」
「!」
「綱手様......五代目火影が任を命じたある小隊が、その"暁"二名と戦闘を......」
「......それで?」

庵樹はやや言いにくそうに問う。庵樹の目から見ても、シズネの顔色はいいものではない。色好い結果ではなかったことは庵樹も予測し、そしてそれは間違いではない。

「四名のうち、一名が殉職し......"暁"も、捕らえることは......」

シズネはその質素な黒い衣服の上で拳を強く握っている。シズネもまた忍であれど、易々と人の死を受け入れるほど忍らしくはいられない。苦渋に歪むその顔を前に、庵樹は「そうですか」と小さく呟く。庵樹もまた同志たちの死を思い返し、胸にかかる黒雲を払いのけられなかった。
その滞った沈黙を破ったのはシズネのほうだった。

「庵樹さん、お聞きしたいことがあるんです」

火影の付き人であるシズネが、直々にこの修行僧を看病しているのには理由があったのである。

「あなたが最後に、気絶する前におっしゃっていたこと......」

ーーー"銀色の漆黒"。彼女が、救ってくれた。

「そのことについて、もう少し詳しくお聞きしたいんですが。よろしいですか?」

庵樹の瞳に、美しい銀色を漆黒のフードで覆っていた、あの子供とも大人ともとれない顔が思い浮かんだ。



女性はやはり躊躇わず、かつんとヒールで足音をたてて一歩前へと進んだ。

それほど広くはない牢だ。今の今まで真っ暗闇だった空間が、女性の持つランプでぼんやりと照らされていた。
そこは廊下と同じくただ無機質な空間。罪人を詰め込んでおく格子が、佇んでいるだけ。その格子に、女性は話しかけた。

「......ようやく意識が戻ったようだな」

もっと正確にいえば、女性が見据えているのは格子の更に奥だった。
そこには、うずくまっている罪人がいた。

その罪人にはまるで生気が無く、覇気というものが更々感じられない。それでも女性がその罪人の意識の有無を判断できたのは、この罪人は当初は寝台に寝かされていたから。今は牢の隅で俯いている罪人は、女性の声にはやはり反応は示さないが、女性はさほども気にしなかった。

「ここは嫌な部屋だろう。ここにいると、この私でさえとっとと帰りたくなる......何も聴こえない、何も見えないというのは、忍であれど不安なものだ。......だからこその牢獄だがな」
「......」
「この地下に収容されている忍はそれなりに多い。うちの里の忍を殺した他国の者や、里の機密文書を無断で持ち去ろうとした者、とても口では言えないような人体実験を露見された者......その他にも罪名は様々。そのほとんどが上忍以上のレベルの忍だ......」

だが、と女性は強く言う。

「更にそのほとんどが、ここ"個"の生を許さざる場所においては、我を忘れている。防音の壁のおかげで他の部屋の罪人の喚き声などは聴こえないだけで、その様子といったら悲惨なものだ。......さて......お前は、どうだ?」

罪人に向けられる問い。だがそれでも罪人はぴくりとも反応を示さない。できる限り息を押し殺しているのだろう、その存在感は限りなく薄い。しかしどんなに優秀な忍であれ、ここに捕らえられた者はみな等しく、監視下に置かれたただの囚人だった。

「......お前がここに収容されてから、既に三日が経った。丸一日以上寝ていたからあまり実感は湧かんだろうが......といっても私は別に、お前が壊れるのを望んでいるわけじゃないさ。私はお前とは面識はなかったが、理由ならわかるだろう?お前なら......」

女性は強い瞳で暗闇を見据える。

「"アイツら"と私以上に長く過ごした、お前なら」

女性の脳裏に過る記憶。ーーー少年少女が、必死になって汗水を流している。

「......そして私も、"アイツら"が何のためにこの三年間を必死に過ごしてきたか、知っているからな」

「だから」、と一方的でしかない会話を、女性は尚も続ける。

「私はできるだけお前にここにいてほしくない、と少なからず思っている。釈放するとまではいかなくとも、お前の"これまで"を話すだけで、この陰惨な牢から出ることはできるんだ。お前とてこの空間が平気なわけではないだろう......私が単独で今ここにいる理由はそれさ。......"アイツら"に気付かれる前に、お前をここから出してやりたいんだ」

苦々しい声で言った女性は、沈黙の後にゆっくりと格子に近づいていった。そこまで広いわけでもなく、五歩目と少しで歩は止まる。女性の目前に迫った格子の、その奥にいる罪人を、揺れるランプの灯りが一層明るく照らし始めた。

ーーーその髪色が暗闇で浮き上がる。


「私に、全てを話してくれないか」


金髪の間に見え隠れする額の紋章、強い意志が滲む大きな双眸、その唇にくっきりと引かれた口紅。

五代目火影、綱手は、抜け忍・風羽カナに向かって、そう言った。



数日、時を遡る。

薄暗い空間の中にそびえ立っている巨大な像。禍々しい表情のそれは、入ってくるチャクラを歓迎するかの如く大口を開けている。そしてその像の両手の指の上で印を組む影が十。その全員が姿のはっきりしない幻影だった。
その中の一人が、苛立たし気に口を開いた。

「しっかし、ったくよお。やってらんねーぜ。せっかくこのオレが直々に捕らえてやったっていうのに、すんなりと逃がしやがって」
「もー、いい加減にして下さいよう飛段先輩ってばー!」

応えたのは意気揚々と明るい、左手の親指にいる幻影。

「だって僕ってばまだピチピチの新人っスよ、新人!リーダーの命令で渋々だったし、まさかあんな強さだとは思わなくってえ......大したケガがなかったのを褒めてほしいくらいなんですから!」
「なーにが渋々だよトビ、うん!三尾を運ばなくて済む、とかはしゃいでたクセに」

今度は右手の人差し指。最初の発言者、飛段のような刺々しさはないが、明らかに呆れている様子である。「えー、気のせいじゃないッスかァ?」とトビは相も変わらずおちゃらける。どこからともなく溜め息が聴こえてきそうだ。しかしまた飛段が文句を言おうとした時、「口を慎め」と重い声が響いた。

「集中しろ。六日以上かけたくはないだろう」

右手の親指。藤色の瞳が鋭い視線で制し、飛段も渋々といった様子で口を噤んだ。

"暁"は、現在本来の目的である封印作業をしていた。"暁"メンバーの志は様々なれど、メンバーであるからにはこの封印に参加するのは絶対、ゆえに戦闘中であった不死コンビも途中中断させられたのである。
そしてその中には勿論、今回 トビが逃がした"神人"をノルマとする、北波も混じっていた。

「......」

しかし、北波はトビの報告を聞いた時から今まで、押し黙り続けていた。無言で印を組み"暁"の仕事をこなしているのみで、珍しくも"神人"に関しての話に加わろうとしなかったのだ。
その視線はやがて、静かに閉じられる。

仮面の奥の写輪眼だけが、その様子を捉え、歪に笑っていた。


 
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