血飛沫が、飛んでいる。巨大鎌が、空を斬る。
それは敵と見なすものへと突き進み、隙の多い背中へと向かっていた。
しかし結果はどうだったろう。
巨大鎌は、主人の腹へと突き刺さっていた。また血飛沫が飛んで、血反吐が吐き出されて。

しかし、結果はどうだったか。
男は、笑っていた。

二つの争いは申し合わせたかの如く、同時進行であった。


ーーー第二十四話 曇天の下


"......木ノ葉......木ノ葉"

カナはぽつりと呟いていた。
相変わらず両手両足は縛られたまま、力ないその姿はあまりにも無様だった。しかしその声は今までのどれよりも、はっきりとしたものだった。
"木ノ葉"。その言葉は、引き金。


"私の......家族"


銀髪に隠れていた瞳がゆっくりと上げられる。虚ろだった瞳はもうない。何も無い暗闇を睨むようにして、カナはきゅっと眉を引き締めていた。
その脳裏に過っていたのは酷く懐かしく温かい風景だった。大門を抜けた先にある町並み、活気ある商店街、賑やかな忍者学校、その最奥に堂々とそびえる火影邸、そしていつまでも威厳ある眼差しで眼下を見守っている歴代の長たち。火の国、木ノ葉隠れ。
三年も見ていないはずが、カナの中で色褪せたものなど何一つない。


"違うんですよ......トビさん"

ーーー何が違う?

"違うんです......根本から、違うんです。確かに私の一族は、皆は一心に平和や安穏を求めていたし、私もそれを願ってる......けど、今の私が想ってるものは"


カナはゆっくりと上空を見上げた。
そこでは、最後の花弁だけが重力に逆らい、宙に浮いていた。
それを目にカナは再び四肢に力を入れ始める。やはり棘は容赦なく食い込むが、しかしカナはもう何も気にすることなく、躊躇なく腕を引き抜いた。もう片腕、両足も同じように力任せに外していく。その全てが終わった時、カナの皮膚は血だらけであったが、それでもカナは気にしなかった。
血の滲む手が、上のほうの蔦を握った。


"......仲間、なんです"


そうやって体中をどんどん傷つけながら、カナは上へ上へと進んでいく。


"仲間さえいれば、いい。木ノ葉の仲間は、家族は、私の世界なんです。みんなさえいれば......私はやっていける。どれだけ痛くても、傷だらけになって走り抜けた先にみんながいるなら......私は、頑張れる"


花弁のなくなった薔薇。それは最早、トビの言っていた"気高き美しい花"とは言えないだろう。ようやく天辺についた時、カナは若干荒い息を抑えて、そこを見つめていた。
だが、カナが手を伸ばし、先ほどまで花弁があったところを掬うように触れるーーーすると不思議なことに、元と同じ花弁が何事もなかったかのようにすうっと現れ始めていた。やがてそれは一つの形になり、薔薇は見事に息を吹き返したのである。

気高く美しい花。この世界での、カナの希望の化身。

カナはふわりと、三年前のあの日々と変わらない微笑みを零して、それから唱えた。


"私は......"暁"には、染まらない"



途端。

カナの視界は反転した。ぐるりと世界が廻る感覚にカナは不意を突かれた、が、次に視界に映ったのは"現実"だった。
湿っぽい地面に、鬱蒼としている茂み、微かに差し込む日の光。

「もど、った......」

カナはぽつりと呟いた。そうして体が自由になっていることに気付く。いつの間にかに切られているワイヤーは、カナの周囲に落ちているだけだった。
ゆっくり顔を上げたカナは立っているトビを睨む。トビがその体で隠しているために、茂みの向こうの様子は見えなかった。

「......どうして、解放してくれたんです?」
「ああ、それは単純なことですよ!」

立ち上がったカナは慎重に問いかける。仮面の奥の写輪眼は今は闇に隠れていた。またもや胡散臭い声で喋りだすトビ。

「そりゃあ、もしここで簡単に堕ちてくれりゃあ楽だったんですけどー......今んところは、踏ん張られてるところを引っ張る労力を使うくらいなら、放置してたって構わない時期なんスよねえ」
「......時期」
「そ!今はまだもーちょっと早いかなってトコなんで!アナタを堕とす算段は前々からついてるし、今日んとこは手を引いてあげようかなって!」
「......私は、堕ちません。"暁"には......絶対に、屈しない」

カナは強く言い張った。"神鳥"の力の印である金色はもうないが、意志ははっきりと見える。実力云々でいけばやはり目前の相手にカナが敵うかどうかは怪しいが、心情云々でいくならばカナにもう迷いはない。しかし、トビは面白そうに笑った。

「何言ってんスか、カナさん?さっきアナタの精神はギリギリだったじゃないですか!僕の失言のおかげで......僕が"木ノ葉"って言ったおかげで戻ってこれたようなもんだって、アナタだって自分で解ってるでしょーに!」
「そうかもしれない......でも、言い換えれば、あなたのおかげで私はもう、絶対に堕ちないって言い切ることができる」

相反する二つの感情の対峙。トビは冷たい写輪眼で、カナは意志の強い瞳で相手を睨んだ。相容れないお互いの思考。
二人がまた争うことになるのは、必然。

「諦めませんよ」

カナはクナイを手に取った。隙のない構えを作り、揺るぎのない眼差しでトビを見つめる。しかし、対するトビはぴくりとも動かない。
カナはそれを余裕と受け取った。どこからでもかかってこいと言われているようだった。だが相手に構えを促すほど余裕もあるわけもなく、カナは飛び出していた。クナイを片手に、一直線にトビの元へと。


抵抗もなくクナイは、トビの首へーーー



「アスマァーーーーッ!!!!」



ーーーー届く前に......カナは全、停止していた。


「え......?」


カナの瞳が限界まで開く。声になりきらなかった吐息がカナの口から漏れた。どくり、どくりと胸を叩く鼓動。額から流れ落ちた大粒の冷や汗。今の今まで握られていたクナイは、呆気なく地面に落ちて。
くつくつ、と喉の奥で嗤う声がただ聴こえていた。


「見たいか......?」


トビだった。異様に優しい声で言ったトビは、この隙だらけのカナの頭に手を伸ばし、その銀色をくしゃりとまぜた。
カナの体が恐怖で震える。それはトビの力の前に怯えた時のようなものではない。少しずつカナの息が荒くなっていく。また、くつくつと嘲笑う声がカナの耳に届いた。それと同時に、トビは僅かに体を逸らし、今の今まで隠していた茂みの向こう側を見せていた。

ーーカナの目に映った色は、酷く、毒々しいものだった。



首飾りの印を模した円。不気味な体を誇る男はその真ん中で自分の臓を突いている。しかし、男は倒れない。自分で自分を殺したはずの男は、しかし、物ともせずに笑っていた。笑うばかりだった。
何故なら、男は、不死身だった。そしてその能力は、異端だった。

ーーー猿飛アスマが、呪われた。

口から吐き出された毒々しいまでの赤。その体が倒れていく。


「アスマァーーーーッ!!!!」


その教え子は叫ぶ。走り出そうとして、しかしすぐに足がもつれて地面に転がる。
奈良シカマルは小さな嗚咽を零し、神月イズモ、はがねコテツは角都に捕まったまま呆然とするばかり、木ノ葉側に冷静さはなく、ひとしきり笑った飛段がコキリと首を鳴らした。

「こっちは終わったぜ、角都」
「ああ。こっちもすぐに終わらせる」

その途端、角都の腕の力が強まった。首を掴まれているイズモ、コテツの二人はぐっと苦悶の呻きをあげる。完全に二人に自由はなく、...今この場でまだ動くことのできる者といえば、ただ一人しかいなかった。

「っの、ヤロォ......このヤローがァ!!」

ゆっくりと立ち上がり、そして吠えたシカマルが再び走り出すが、その目にいつものような理性はなく、投げつけられたイズモに対応することもできず。
フン、と呆れたように溜め息をついた角都は、しかし次の瞬間の出来事は予期できなかった。
ーーーーカラスの大群だった。

「何だコリャ!?」
「目くらましか」

"暁"二人の視界を阻むほどのカラスの軍勢、飛段は狼狽え、角都は周囲を伺う。その深緑の瞳がカラスに紛れる刃に気付くのは早く、しかし黒刀が頬を霞めた角都の手からはコテツは離れていた。

ーーーそれは、木ノ葉の増援。
コテツをその腕で抱えた並足ライドウはすぐさま退き、山城アオバはカラスを上手く誘導する。秋道チョウジは横たわっていたアスマを抱え、山中いのがシカマルに肩を貸した。

「全員、一旦退け!」

イズモの合図に、二小隊はすぐさま換金所の屋根の上へと上がった。
カラスが未だ"暁"を翻弄している。チョウジが横たわらせたアスマにすぐさま駆け寄ったシカマルは、その胸に耳を宛てがってハッとした。

「チョウジ、すぐにアスマ先生を木ノ葉病院へ!!いのは動向して医療忍術で少しでも回復させるんだ、急げ!!」
「分かった!」
「うん!」

シカマルの耳に届いた脈を打つ音。しかしチョウジといのが返事をした瞬間、木ノ葉の誰の者でもない足音が響いた。
「賞金首は渡さん」と角都が冷ややかに木ノ葉の小隊を見ている。「どれだけジタバタしようと、お前らは神に捧げられる贄だ」と飛段は笑って舌なめずりする。木ノ葉側に走る緊張。

「クソ...!」

シカマルは顔を歪めて歯ぎしりした。増援が来ようと、どちらが不利かは明らかだった。
ザッと飛段が一歩前に出る。チョウジやいのが庇うようにアスマの前に出る。ごくり、と唾を呑み込んだ。

しかし、紅い雲を浮かせた漆黒のコートは、ふいに前進を止めていた。

「......もう少し待ってくんねーかなァ......これからがいいとこなんだ、ホント」

木ノ葉の二小隊は眉をひそめる。突然の飛段の独り言だった。

「だから言ってんだろ、もう少しだけってよ!」
「飛段やめろ」

角都が"誰か"に口答えをする飛段に釘を刺し、それから自身も"誰か"に向かって呟く。

「あの女はトビが捕らえているはずだが、封印するには集中が必要だ。どうしたってその間に逃げられてしまうぞ」
「......つか、ホントにあの間抜けでアイツ捕まえてられてんのか?」
「さァな......とにかく、組織の命令は絶対だ。リーダー、承知した。飛段、ここから離れるぞ」

チィ、と飛段は舌打ちした。木ノ葉の面々はワケが解らないというように眉根を寄せているが、それに説明する親切心を"暁"が持ち合わせているわけもなかった。「行くぞ飛段」、との角都の言葉を最後に、二つの影は瞬間で消える。
それを追いかけるはずもなく、木ノ葉の面々は取り残された。

曇天へとなりつつある空。鳥たちの鳴き声、虫のさざめきが消えていく。




"よく、生きた。"


アスマは、ぽつぽつと教え子たちに言葉を与えながら、自身の中で走馬灯のように色々なものが駆け巡っていくのを感じていた。
シカマル、チョウジ、いのが必死になって木ノ葉病院まで連れて行こうとするのを止めたのは、もう自分には後がないと不思議と感じ、それならば可愛い教え子達に、最期の言葉を残してやりたいと思ったからだった。

「いの......」

口元を上げる程度の笑みが、今のアスマには精一杯だった。はい、といのが涙声で言う。

「お前は気は強いが、面倒見のいい子だ......」

擦れて聴こえにくい声だろうと、いのは細かく、はい、はいと、精一杯 震えを堪えながら、返事をし続けていた。

「チョウジ......」

次に教え子の中で一番の食いしん坊へと目を泳がせた。

「お前は、仲間想いの優しい男だ」

アスマの言葉にチョウジはほとんど吐息に近い返事をする。涙は止まることなく流れ続け、こくこくと必死に頷きつつ袖で拭っていた。

「シカマル......」

三人目の教え子に、アスマはゆっくりと言葉をかけた。はい、と返事をしたシカマルの目には、涙はなかった。だが強く眉根を寄せ、歯を食いしばっている様子は明らか。ぼやける視界の中、アスマはシカマルを見て笑う。誰より頭の切れる教え子は、"玉"を護るべき、火影にもなれる器だった。

「頼んだぞ、シカマル......」


アスマはふっと曇天に目を向けていた。今にも雨が降ってきそうな暗い暗い空だった。

嗚咽が響いて、誰もが震え、泣く者は泣き、耐える者はじっと押し黙って、ぐっと感情を押さえ込んで。その中でアスマは霞がかる目で空を見上げて、ふ、と笑った。

アスマがすまない、と謝る者は数多くいた。第一に最愛の人。その彼女との子供。第二に甥で、まだまだ幼い少年に、また辛い思いをさせてしまうだろうことを悔やんだ。第三に他の仲間で、これは後をよろしく頼む、と言えないことが心残りだった。

そして、第四には......?


この曇天には似合わない、自由な鳥が飛んでいた。

何を確信したわけでもない。けれども、アスマはなんとなく、まだ遅くはないことを感じたのだ。既にアスマの息は弱々しい。
しかし、アスマはまだ、息絶えるわけにはいかなかった。


「シカ、マル......」
「!......なん、スか」
「感の良いお前なら......わかって、くれないか......」

力のない笑み。いのやチョウジが涙を拭きつつ、嗚咽を漏らしながらアスマを見る。目を瞑ってじっと堪えていたシカマルはアスマのその顔に、確かに何かを感じた。
だが、まだ足りない。

「......どういう、」
「......シカマル、お前も、知ってるだろ.........オレには......まだ、"家族"がいるんだ」


ぴくり、とシカマルが反応する。それはあるいは、アスマの恋人なのかもしれなかったし、甥のことなのかもしれなかった。しかし、シカマルもまた何を確信したわけでもないけれど、その頭が思い浮かべたのは、ただ一人のーーー少女、だったのだ。


「オレは......アイツがいくら離れようと、どこへ行こうと......アイツの家族を、やめるつもりはないんだ......」
「それ......って」
「父親面してたんだから、待ってるだけ......とか、かっこつけてはみたものの......やっぱ、最期くらい、顔見てえなあ、って思っちまうんだよなあ......」


ーーー銀色の......漆黒......?


呟いたのは、シカマルだった。それにアスマはーーー笑った。
途端、だった。

シカマルは突然立ち上がった。
アスマ以外の全員が驚いた顔でシカマルを見る中、シカマルはなり振り構わずに走り出し、屋根から地上に降り、左右を見渡す。
けれど視界に何も映らないことを確認してから、すぐさま手近な茂みの中に走りながら入っていく。ガサガサと茂みをかきわけて、必死の形相で突き進んでいった。

いのやチョウジにはシカマルが何をしているのか全く理解できなかった。アスマの言葉にも頭がついていかなかったし、ついていったとしても、この広い空の下のどこかにいる"誰か"へ向けて、シカマルに伝言を託しているとしか思えなかった。だからこそ、シカマルがいきなり何をしだしたのか全くわからなかったのだ。


そして、だからこそ。
二人だけでなくコテツやイズモらも、シカマルの怒声が聴こえた時は目を丸くしていた。


「なにッ......なに座り込んでんだよ、てめェ!!立てよ!!立ちやがれ!!」


唯一、アスマだけが微かに笑っていた。


「アスマが、アスマが呼んでんだ!!お前を、"家族"であるお前を呼んでんだよ!!さっさと、」

「だって、私は!!」


突然ーーー聴こえてきた、女の声。


「私はッ.........」


誰もが耳に覚えのある声が。泣き喚くような、擦れて、精一杯の声が。
それきり、数秒の沈黙。...けれど突然、茂みが揺れた。最初に出てきたのはシカマルだった。

ーーーそして。

漆黒の衣を身にまとい、銀色の髪をなびかせた少女が、引っ張られるようにして、茂みから現れていた。


 
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