青年は洞穴の中で、何もない前だけを見据えていた。静寂ばかりが滞る空間で、深い藍色の瞳に確かな意志が宿る。
後悔するだけの時は終わった。既に失せてしまった少女を最早追いかけるすべはない。諦めなければいつかきっと、などという綺麗事を吐く性分ではなかったが、それでも青年の中でその目的は絶対だった。

一歩を踏み出した青年の遥か頭上で、鳥が羽ばたいた。


ーーー第十八話 囚われ


帰らなきゃ、とどこかで思った。帰りたい、とどこかで思った。
もしも願いが叶うなら、その場所はあの日だまりの真ん中だった。けれど、まだ時期じゃないことを知っているから、今はそこじゃないことはわかってる。
今 帰らなければ、と思う場所は、紛れも無く"彼"の隣。

決意をした。決して"未来"を失わないために、この道を選んだ。だからそれは恐らく、義務にも近い。けれど......同時にこれは、わがままだということはわかっていた。
ただそばにいたい。あるがままでいいから、触れることができなくてもいいから。

あなたさえ無事でいてくれれば、私は。




意識がゆっくりと浮上していく。一定のリズムで揺れを感じ、そのたび朦朧としていた意識が戻ってくる。ぼやけていた視界も徐々にはっきりとし始め、まず認識したのは流れていく地面。
抱えられ、連れられていると、カナが理解するのは遅くはなかった。

捕まった。"暁"に捕われたことは、明白だった。

「起きたか」

隣から声をかけられ、カナは上体に力を入れる。まだどこか霞んでいる瞳に、"暁"のコートを着た巨漢が映った。それに続いて、「やっとかよ」と本気で不満そうな声を漏らした飛段こそが、現在 カナを抱えてだるそうに歩いていた。

「だったら自分で歩きやがれ。人一人運ぶのにどれだけ労力がいると思ってんだ」
「......連れて行け、なんて、言ってません...」
「あァ?負けた分際でほざいてんなよ」

バカにするような含み笑い。だが、カナはそれをほとんど聞いちゃいなかった。
鮮明になり始めた意識で、カナが逐一思ったのは当然、この状況をどうにかしなければならないということ。生憎捕まっているからといって大人しくなれるほど、カナの意志は弱くはない。この"暁"の目的地がどこであろうと、カナは今 易々と捕まっているわけにはいかないのだ。

ーーーゴウ、と銀色を帯びた風が唸りをあげたのは遅くなかった。

同時に、カナの瞳は一瞬にして金色へと変色する。そして、飛段や角都さえもが反応できないうちに、一切の躊躇なく肘に力を込めていた。

「はなしてください!!」

_それは飛段の腹へ完璧に入った。

「ッてめ...!!」

不意打ちを喰らった飛段は受け身もとれず吹っ飛び、近くの木に衝突する。その拍子に何の苦もなく降り立ったカナは次の標的、角都を目に捉える。印を組むのもまた一瞬、唸る風は一遍にカナの拳へと収束する。

「風遁 風車(かざぐるま)!」

そして寸分の狂い無しに、カナはそれを角都の腹へと打ち付けた。ーーが。

「...!?」

カナの口から漏れたのは驚愕の呟き。理由は明白だった。
多少 後方に突き飛ばされたと言えど、角都は飛段のように吹っ飛ぶ事も無く、その場に留まっていたのだ。

呆然としているカナの前で、角都は先ほどから一切 表情を変えていない。深緑の瞳は一際冷静だった。

「打撃はオレには効かんぞ、"神人"」

角都の口布の中で冷めた声が響く。カナは僅かに後ずさりした。

「絶望することはない。"硬化"したオレをこれだけ飛ばせたらいいほうだ」
「......いつ、印を......」
「飛段が馬鹿正直に吹っ飛ばされた時だ」

角都の硬化が解けていく。それとまた、カナの背後から「誰が馬鹿だ、誰が!」と罵声が上がる。振り返ったカナの瞳に、いってェなチクショウ、と腹を抑えながらゆっくりと歩み寄ってくる飛段が映る。
カナはこくりと唾を呑み込んだ。

「(普通だったら、意識が飛んでてもおかしくないはずなのに......)」

その時 顔を上げた飛段は、カナに向かって鼻で笑った。

「おい"神人"、オレらに"普通"っつー言葉を当てはめねェほうがいいぜ。普通じゃねェから、"暁"なんだよ」
「こればかりは飛段の言う通りだな。かかってくるなら手加減はやめておけ」

カナは黙って"暁"二人の話を聞いていた。

角都が言う"手加減"に、カナは自覚がなくも、心当たりはあった。カナは自身の甘さを重々に承知している。どれほどの悪人が目の前にいようとカナは恐らく本当の意味での"本気"は出せない。
人を殺したことがない。人が殺されることに慣れていない。朱雀自身なら安易なことだろうが、カナ自身なら不可能に近い。自身の甘さに反吐が出そうで、しかしそれでもカナは、怖いと思った。

「なんだ、もうやめかよ?もう少しくれェなら付き合ってやったのによォ」
「馬鹿をぬかせ、飛段。ただでさえ出遅れている」
「つまんねェなァ。ったくこの女、チャクラだけは強ェのに、本気出す気がさらさらねェもんな」

ハァ、と溜め息をつきながら飛段は首を振る。「じゃあさっさと行こうぜ」とカナへの一切の興味が失せたように。
代わりに角都の腕がカナに伸び、その腕を掴む。びくりと体を揺らしたカナはまたも一歩下がったが、それを制すように「抵抗するな、行くぞ」と角都は低く言う。無理矢理引っ張られ、カナは前のめりになる。

「(......バカだ、私は......)」

深く俯き、ぎゅっと目を瞑るカナ。
瞼の裏に映ったのは掛け替えのない"彼"ーーー。自身の目的はなんだったか。何のためにこの道を選んだのか。今まで貫き通してきた意地を、あっさり離していいわけがあるのか。

噛んだ唇から、僅かに血が滲んでいた。
再び瞼を上げたその瞳の色は、依然として鬱金を誇っていた。
澄んだ声色が、今暫く角都に引っ張られていたカナの口から漏れた。


「今すぐ、この場から離れて下さい」


角都は眉を潜めてカナを見た。前を歩いていた飛段も異変を感じて振り返った。ーーその途端だった。
再び鋭い銀色の風が巻き起こり、角都は咄嗟に身を退いた。その隙を狙ってカナはすぐさま後方へと跳ぶ。

「おいおい、今度はなんだよ...!?」

飛段は最初こそそう軽口を叩いたが、次第に身を低くしていた。それほどの異質なチャクラで辺りが満たされ始めたのだ。
初め、それはただの風でしかなかった。だがカナが印を組んでいく度にそれは一つに形成されていった。
言うなればそれは、台風のように。

カナの印は今、全て組み終えられた。咄嗟に判断したのは角都。

「飛段!離れろ!!」
「あァ!?」

角都は思い立ったように 走り出していた。その相方に吊られて飛段も後を追っていくーーーその二つの後ろ姿をカナの金色が映しとる。
自分の甘えが抜けきることはないと、カナはわかっている。だからこそ、自身の留め金が気にならないほどのこの術を。

ーーーカナがその術の名を口にする瞬間、無数の鳥たちが大空へ飛び立った。


「風遁 風波流!!」


それはまるで、台風がいきなり四散したような術だった。

カナを中心として爆発した銀色の風は容赦なく周囲のものを抉り、壊していく。木も、岩も、土地までも。それが発動される前に走り出していた角都と飛段でさえ、それから逃れるすべはない。もう数秒も経てばこのとんでもない暴風に巻き込まれて痛手を負うのは確実だった。
飛段は全力で走りながら振り向く。風の壁の向こう側で、飛段と角都を睨んで印を結束している少女。

銀の色は、すぐそこだ。
チィ、と舌打った飛段は、再び前を走る角都を目で追いかけた。そして、

「角都!!」

その精一杯の叫びに振り向いた角都は、目を細めて、了承したように。



ーーどれくらい経ったか。風は、いつの間にか消えていた。

中心で気張っていたカナはふっと力を抜く。瞳の色は戻り、いつものように酷い困憊と苦痛が襲う。唐突に決壊したかのように多量の汗が伝っていた。発揮した力の分だけ疲労する。なんとか膝を折ることだけは免れたが、"風波流"は相当な術だ。

抉られた自然。破壊した木や岩、土砂は隅に追いやられ、見る影もない。"暁"の姿も見えない。

「......帰、ろう......」

カナはぽつりと呟いた。そうすることで、今にも昏絶してしまいそうな状態から自身を奮い立たせようとしているのかもしれなかった。
一歩、を踏み出す。傷つけてしまった土地を踏みしめ、負い目を感じながら、歩き出す。ちゃんと進むことすら難儀だから、今はそれ以上のことはできそうもない。

"暁"に掴まるわけにはいかないのだと、その頭のどこかで思った。殺されるわけには、仲間へと強いられるわけには、いかないのだと。
自身の目的はなんだったか。何のためにこの道を選んだのか。今まで貫き通してきた意地を、あっさり離していいわけがあるのか 。どれほど辛く思おうとも、カナはこれまで、自身の意志から逃げようとはしなかった。三年前から、ただの一度も。

それがその答だ。だから、掴まるわけにはーーー掴まるわけ、には。

「......なの、に......」

ぽつり、とカナは零した。
その足は自然と止まっていた。酷く歪んだ表情で、カナはゆっくりと振り向いた。


「どうして......立ち上がってくるんですか......」


その視線は、土砂に埋もれていた体を起こした、角都へと向けられていた。
その角都の手には、気を失った飛段の腕。がらがらと飛段ごと土砂から抜け出し、土ぼこりを払う。そしてその相方を何の頓着もなく地面に放ったかと思うと、角都はそこで初めてカナを見て、応えた。


「"ノルマだから"、だ」


カナは、哀しそうに笑った。



ヴン、と幻身が暗闇の中に浮いた。現在 そこにいるのはたったの二人。ペイン、そして北波のみがそこにいた。

「何の用だ?」

呼ばれた側である北波はぶっきらぼうに言う。元より他人に干渉はしない組織なので、個人的に呼び出されることは少ない。大方新しい任務の話か、と北波は目星をつけていたが、ペインの藤色の瞳は意味深に陰っていた。

「五尾はどうだ」
「ああ、もう数日前にゼツと行ってしとめたぜ。今運んでる最中だ。無駄に重いから少しは時間がかかるが」
「そうか。......着々と尾獣は集まり始めているな」

ああ、と北波は答える。とはいえ、北波にしてみれば、"暁"の目的がどうのこうの、というのはさしたる問題でもなかった。どのメンバーもそうであるように、北波は自身の利益のためだけにここにいるに過ぎない。

「(......オレは、アイツさえ......)」

だが胸中の想いは確かな形になることなく、北波はぐっと拳を握りしめた。霧がかかったように重くなった胸を、認めるわけにはいかない。
だからこそ、北波は現実に口にした。

「あとは、"神鳥"だけだ。姫......カナさえ捕まえりゃあ、」
「......それならもういい」
「は?」

唐突に耳に届いた言葉に北波は目を丸めた。

「もういい......?どういう、」
「いや、目的に"神人"が消えたというわけではない。既に捕まった、ということだ」
「......つか、まった......?誰に、」
「角都と飛段だ。偶然だが、"神人"と戦闘に入ったらしくてな......危うく術に飲まれるところで、飛段がその能力で身を挺し角都を庇い、"神人"が疲労したところを捕らえたようだ」

北波は自分の脳内がぐるぐると回った気がした。自身の中で巡っていく感情の名前を北波は見つけられなかった。自身で目的を達せられなかった事に、沸き起こる可能性があるのは憤慨または歓喜なれど、そのどちらでもないことは北波自身にも明白だった。

唐突に北波の脳裏に映ったのは、"いつかの銀色"。汚れを知らず、ただただ無邪気だったそれを思い出し、北波は暫く自身の記憶から逃れられなかった。

「......そう......か」

振り絞っても、それだけ言うのが、今の北波には精一杯だった。その様子をじっと見ていたペインは、すっと目を細める。

「......北波。お前にはお前の目的がある。お前は......無事に"神人"がこちらへ到着したら、"神鳥"を抜き次第、仇を殺すのか?それとも......仲間にしたいと願うのか」
「......んだよ、それ。オレにとってはそのなの一択だってことくらい、アンタにはわかるだろ」
「......ならば質問を変えよう。......お前はその目的を果たしたのち、"暁"を抜けるつもりか」

北波の脳内にペインの言葉が木霊する。深い色の瞳はじっと沈黙していた。

答はあった。北波は元より、それを最終目的地に設定し、今の今まで生き続けていた。
憎き一族、"風羽"を根絶やしにするためだけに、"暁"に所属した。ならば答は簡単なのだーーーにも関わらず数秒躊躇った自分自身に辟易し、北波は自嘲した。

「......何言ってやがんだよ、リーダー。やっぱりそれも、アンタはオレの答を、とうに知ってるはずだ......」
「......ああ。そうだったな......」
「...結果を待つ」

ペインが応えたのを耳に、北波の幻身はふっと消える。
その場に残されたペインは、暫し黙想していた。人並み以上の"痛み"を知っている"暁"のリーダーは、北波でも知り得ない北波自身を、なんとなく感じていた。

北波はただの復讐鬼ではない。復讐したいと願う気持ちと同じくらい、望んでいる者なのだと。




「オイ......角都よォ」
「何だ」
「オレの鎖鎌は別に人を拘束するもんじゃねー。オレが気ィ失ってる間に何勝手なことやってくれてんだテメー」
「ごちゃごちゃうるさい。また逃げられると面倒だろう」

前に歩く二人の会話を、カナはぼんやりとする頭で聞いていた。
その両手には飛段の鎌の鎖が縛り付けられ、そう易々と行動を起こせないようにされている。とはいえ、カナには"風使い"という特性がある。こんなもの......しかしそうは思っても、今は歩くことすら辛い体に鞭打つことはできなかった。

「まァ確かに面倒なのは認めるけどよ...オイ"神人"、次暴れてみろ。少しでも変な動きが伝われば、すぐに鎌でたたっ斬るぞ」
「......そう、ですか」
「んだその返答は。なめてんだろてめェ。言っとくけどなァお前、オレに傷一つでもつけられたら終わりだぜ?死亡フラグをへし折ることはできねェ!」
「殺すなバカが。ノルマだ」

角都が呆れた目をし、飛段がそれに突っかかる。この道中ではもう幾度めかとなる光景を、カナは最早どう思うことはない。

飛段の言葉がその頭に蘇る。"暁"は、各々の特異な能力、その突飛た戦闘力ゆえに、嘘をついてまで相手を脅す必要はない。満足に体を動かせないカナが今どうにかしようとしたところで、一瞬で叩き斬られることは必至。ならばここで自分に鞭打ってまで足掻くことはどう考えても得策でない。

「(...ここで死んだら、元も子もない...)」

カナは唱え、自分に言い聞かせる。自分の意志を貫くためとはいえ、死んでしまえばそれまでなのだからーーーと。

突然 角都から黒色のコートは投げつけられるまでは、カナは比較的冷静な頭で、そう考えられていた。

「それを羽織っておけ、"風羽カナ"」
「...? どうして...」
「お前の出身は木ノ葉だろう。木ノ葉の忍に会う度に感動の再会となっては、こちらが鬱陶しいからな」

ーーカナの胸がどくりと音をたてる。だが何を言う事も許されなかった。
その前に、飛段が退屈そうにあくびを零していた。


「それじゃーとっとと行こうぜェ。火の国、"木ノ葉隠れ"へよ」


 
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