『僕はただ一人、ずっと考えていました』

サイはその言葉で切り出した。蝋燭の灯りが揺れて二人の顔の影を揺らめかせる。サイの黒い瞳の中で、カナの額に気持ちの悪い汗が流れていた。

『どうしてあなたが、木ノ葉を裏切り、抜け忍となってまで大蛇丸の元へ行ったのか......あなたは、復讐なんてするような人じゃないのに』

誰かを恨んでなどいなかった。復讐心の欠片など絶対に見当たらなかった。第三者として、感情を持たない者としてカナを見張っていたサイが見紛うはずがない。それは確信だったのだ。断言するサイを前に、カナはようやく震える唇を制御した。

『......な、んですか......それ。例え、あの時はそうでも、今は......!』
『僕には分かる。カナさん、あなたは心から木ノ葉を愛していたんだ。毎日がどれだけ平凡でも、逆に平凡であることが幸せだというように、いつも笑って......サスケくんを、ナルトくんを、サクラさんを、本当に大切に思っていた』

カナの手の中の額当てが震える。俯いたカナの表情をサイは最早捉えることはできないが、カナの体が震えていることは明白だった。
サイは自分の胸に熱くこみ上げるものを感じていた。それは容易に口にできるものではなかった。
サイの目に映るカナは、異様に小さく見えた。

『失いたくなかったんでしょう。崩れていく日常を目の前にして、他にしようがなかったんじゃないですか』
『......違う』
『一族を一度失って、幸せを底から覆されたあなたは、もう二度と繰り返したくなかったんだ。だから決意したんでしょう』
『違う......!そんな勝手な想像を、』
『今すぐじゃなくても、いつかには"幸せ"を取り戻すために。せめてもの可能性を潰したくなくて、サスケくんを護るために、あなたは今も彼と、』

『違う!!!』

カナは一際 大きな声で叫んでいた。

サイは口を噤む。だが、それ以上の言葉はカナの口から漏れない。その華奢な肩は酷く上下して、なのにその双眸は懸命にサイを睨みつけて、でも何も言えずに。まるで、何かに怯えるように。

サイはその様子をじっと見つめて、また静かな声で問いかけた。

『その額当ては......唯一、木ノ葉とのつながりを指し示すものだったから......自分を偽ろうとしているのにも関わらず、捨てられなかったんじゃないですか?』

沈黙が流れる。サイはカナを見つめ、だがカナは目を背けるように俯いていた。
次第に肩の揺れは収まっていく。

『面白い、空想話......ですね』

擦れた声がそう紡ぐ。カナはゆっくりと顔を上げ、静まる瞳にサイを映した。
ーーーそしてカナは、初めてサイの前で笑っていた。


『でも.......。"もし"、それが本当だったとして......どうするつもりなんですか?』


その問いかけにサイは答えられなかった。
何も口にできなくなったサイに、カナが一瞥して、踵を返すのは早かった。失礼します、とその言葉を最後に、部屋にはサイだけが残された。

これが、ナルトたちが部屋に来るまでに、二人が話した内容だった。


ーーー第十五話 全ては過去


小さな病室には痛いほどの静けさがあった。何秒、何十秒とそうしていたか知れない。サイがこれまで淡々と供述してきた内容に、誰もが今まで、一つも口を挟めなかった。
ようやくそれを破って、「嘘...」と呟いたのは、肩を小刻みに震わせるサクラだった。

「嘘......嘘、そんなの......嘘よ!」
「サクラちゃん、」
「カナが......カナがそんなもの、今も抱え込んでるなんて!そんな、そんなの」
「サクラ」

綱手の厳かな声がサクラを止める。

「これはサイの憶測だ」

だが、冷静に言う綱手でさえ、何かを押さえ込むように眉根を寄せている。ナルトもサクラの隣で狼狽を堪えるのに必死で、爪が食い込むほどに拳を握りしめる。カカシやヤマトは瞼を強く閉じて俯いていた。
この中で最も冷静でいるであろうサイが、綱手の言葉を受け止める。

「そうですね。確かに僕の憶測でしかありません。けど......僕がそれをカナさんに告げた時、あのカナさんが異様に動揺したワケは?......それに、サクラさん」
「!」
「あなたはカナさんに、一つも傷つけられていない」

どくりとサクラの心臓が鼓動を打つ。
サイの言葉は真実だ。サスケは躊躇なくナルトやヤマトに攻撃したのに対し、どれだけ接近しようと、クナイを脅すようにサクラに突きつけたとはいえ、カナは結局 誰にも傷一つつけなかったのだ。
サクラの脳内にあの時のカナの言葉が木霊した。

『今のサクラじゃ、私たちを取り返すことなんてできないよ』

カナは一体、どんな想いであの言葉を口にした?
サクラはぎゅっと目を瞑る。

「でも、風遁は......私がサスケくんへ攻撃しようとした道は、風で遮られて...!」

その言葉に返したのはサイではなく、ヤマトだった。「いや...もしかしたら」とヤマトは振り絞るように言う。

「サクラ......キミを、サスケから護るために」
「...!」
「あのままキミがサスケに攻撃を加えようとしたら、確実に切られていた。それを妨ぐために、わざと......風を作って」

ーー最早サクラにも、ナルトにも、反論するすべはなかった。考えれば考えるほど、カナはサイの言葉通りの行動をしていた。

「でも......!そんなら何で、オレたちに何も言ってくんなかったんだ!」

弱々しいほどのナルトの言葉に、サイは静かに言う。

「......カナさんなりのケジメだと思う。里抜けは里抜けだ。どんな理由があっても、そうするからには、サスケくんと同じ立場にいようとしたんじゃないかな......」

ーーーカナが誰より第七班を大切に思っていたこと。それは誰かが気づくこともできないほど、あまりに大きすぎるものだった。
ならば、と誰もが思う。旧七班が全員対面したあの状況で、一番辛かったのは一体誰だっただろう。

「イヤ......イヤよ...!カナがそんな重いものを背負ってたなんて......それなのに、私たちは、誰も気付けなかったの...!?」
「......思い返せば、三年前の......カナのあの時の様子は、明らかにおかしかった...」

サクラが両手で顔を覆い、カカシがぽつりと呟く。カナちゃん、とナルトも下唇を強く噛み、顔を伏せていた。

真実か否かなんて、結局判定は不可能だ。
だが、カナを思えば思うほど、誰もが、サイの言う"仮説"は正しいものと思い始めていた。
仲間には過剰なほど気をかけていたくせに、自分のことなど滅多に語らず、強がってばかりいた、あの少女ーー。


「カナ......!」


そう呟いたのは誰だったろうか。
いつのまにか日は暮れ、赤色が窓から差し込んでいた。

ーー例えサイの仮説が本当であったとしても、カナにはもう罪を逃れる道は残されていない。真実がどうであれ、カナは最早、"木ノ葉を裏切った抜け忍"なのだ。

サクラの瞳から、涙が零れていた。




ーーそこは、温かな世界だった。


『ギニャァアアアア!!!』

「コノヤロウ、大人しく掴まりやがれバカ猫ォーー!」
「ちょっとうるさいわよナルト!気配消して追いなさいよ!」
「だってさァサクラちゃん!あのアホ猫が毎度毎度逃げ出してるからこんなつまんねェ任務にオレ達が狩り出されてるんだぜ!」
『つまらない任務というならさっさと捕まえろ、ナルト』
「〜〜っカカシセンセーは無線から任務の報告聞くだけでいいけどよ、これってば結構しんどいんだぞ!」
「まあまあナルト。これもすごい修行になってる気がしない?」
「ポジティブ過ぎィ!!そんなふうに思えんのはカナちゃんだけだってばよォ!!」
「黙れウスラトンカチ、耳障りだ」
「おめーのがうっせってばよサスケェ、バーカバーカ!」
「ガキかてめーは。脳の無さそうな罵倒ばっかだな」
「んだとコラ!!」

「はぁ......元気でいいわよね、ナルトたちは。カナ、行きましょ。別行動とったほうが早いわ」
「そうだね。二人があんまり退屈で、暴れだす前に」


ーーいつかの記憶だった。
喧嘩が絶えなくて、つまらない任務ばかりで、でも、みんながみんな、心の中で笑っている日々だった。
もう、過ぎてしまった幸せだった。大好きだった。大切だった。愛していた。
だから、私は私なりの道を選んだ。後悔はしていない。これは、私が決めた道だから。

私はサスケを止めたかった。でも、腕っ節でサスケに敵わないのは分かっていたし、説得するには、サスケの中のお兄ちゃんの影があまりにも濃すぎたから。どれだけ願ったところで、あの時、サスケが意志を変えることはなかっただろう。

ーーーだったら。

だったら、せめてサスケを護ろうと思った。せめてもの希望だけは失いたくなかった。サスケも含めて、またみんなで笑える日が来るんだと、信じていたかったから。そして、それなら私もそれなりの覚悟をしなければならないと、悟った。私は抜け忍として、ただの同志としてサスケのそばにいることに決めた。

自分に、甘えるなと戒めた。



『まったく、馬鹿な道を選んだものだな......主よ』

ーーー不意に聴こえた声に、顔をあげた。三年前と変わらない純白の世界に鮮やかな程の紅色の鳥がいた。
"神鳥"、朱雀。
物静かな瞳がカナに苦言を零すのは、そう珍しいことではない。だから、ただ笑う。

「......私は馬鹿だとは思ってないよ。自分で決めた道だから」
『その選択が、余計にあの者たちを苦しめているとしてもか?かつての仲間たちの表情を見ただろう』

カナは口を噤む。あの場で見た一人一人の顔を思い出し、強く目を閉じた。

「それでも......」

ーーカナは今更引き返すことなどできない。その為だけに、カナはずっと手放せなかった額当てを、あの場に置いてきたのだ。

「もう後戻りできないよ。しちゃ、駄目なんだ」

いつかカナが誓った忍道だった。サイに考えを改めさせるために、額当てを捨てたほど、カナの決意は固い。

「いつも、無理に力をひっぱりだしてごめんね......朱雀」
『それはいい。むしろ我が表立ちたいくらいだ』
「......」
『我ならこんな、双方に苦痛を与える道は選ばん。今すぐにでも木ノ葉に向かうだろう......だがそれをしないのは、主の体にそれ以上の負担をかけたくないからだ』

朱雀の金色の瞳がカナを見下ろす。そしてゆっくり細められた。

『...全く"神人"という者は、代々無茶な道ばかりを選ぶものよ......』

途端にカナの意識がそこから薄れていく。顔を上げるカナの目に、珍しくも苦笑する朱雀が映った。

『主を見ていると、"あれ"を思い出す......お前に限って、だ。......不思議なものだな』
「え...?」
『もう行け。......それと......我に謝るくらいなら、あの紫珀とかいう忍鳥にも謝ってやれ』

朱雀がそう言ったのを最後、カナはそこから消えた。




ぼんやりと返ってくる意識をカナは感じた。まず第一に認めたのが、未だに明るい空模様だった。
丸一日以上は寝ていたようだ、と自嘲混じりにカナは思う。こんな場所であるというのに、これほどよく眠れたのは、カナには久々のことだった。

「行かなきゃ......」

ぽつりと零し、カナは這い上がる。落ちた覚えのない洞穴の出口を目に、動こうとした。だが、それでもカナの体は自由にならなかった。ずきりと再び全身が痛み、カナの体の力は途端に抜けた。力無く踞り、無力感が身に染みる。


『その選択が、余計にあの者たちを苦しめているとしてもか?』


胸に痛かった朱雀の声がその頭に反響した。
ーーー後悔はしていない。それは、確かだ。けれど、この選択が正しかったかなんて、誰が分かるはずもない。

だが結局、既に引き返せない道にいる。何があっても進むしかない道に。
カナに課せられたのは、ただただ前を見て、未来を見て、希望を見ることだけ。


「......私は、間違ってますか?」


自分で選んだ。自分で決めた。そして、自分を戒めた。
ーーーけれど、彼らの表情を思うと、責め立てられているように感じてしまった。


 
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