苦しすぎるほどに、カナの息は乱れていた。それだけカナの様子は尋常でなく、その額には大粒の汗が浮かんでいる。だがそこまでしても、その瞳は目的のものを見つけられなかった。宛のない視線はいつしか再び色白の少年を映していた。
サイは一瞬で現れた少女を冷静に見つめる。感情の浮かばない表情に、カナが何かを感づく理由はない。
「なにか探し物でも?」
「......いえ......なんでも......」
動揺が隠し切れていない声。俯いたカナは一つ震える溜め息を零し、懸命に心を落ち着かせて、再び扉の前に立った。
「どうぞ......この部屋です」
小さく言って部屋に入って行くカナにサイは続く。灯りのない真っ暗な部屋。たった一つ置いてあった蝋燭にカナが火をつけ、やっと殺風景な室内の外観が見えた。カナはいかにも興味無さげなサイを振り返って言う。
「......では、用があればこちらから声をかけるので」
しかし、サイは応えない。カナも頓着せず、足早に退散しようとする。すっと通り過ぎて行ったカナをサイはただ目で追った。
ーーその背中でサイは手の中の存在を握りしめた。
「............カナさん」
その一言で、サイはやっとカナを引き止めていた。カナはぴたりと止まって、ゆっくりと無表情で振り返る。
しかし、サイがたった今 目の前に差し出したものには、無表情も崩して、目を見開いていた。
「お探し物は、これですか」
「......返して......」
「どうぞ」
差し出された手の平にそれを乗せるサイ。カナの手が震えていることに気付くのは容易い。顔をあげた黒の瞳に、鋭い視線が映る。それは怒っていることになるのか、サイにははっきり確信は持てなかったが、無感情に「すみません」と吐き出した。そして続ける。
「中身、見ました」
「...!!」
「思った通りだと、僕は今までより確信をもった」
沈黙が流れる。怯んだように目を丸めたカナは、またもサイを睨みつける。ただし、うまい切り返しはその口から現れない。
バタン___
カナはただ背後で扉を完全に閉め、サイの物静かな瞳に負けじと視線を返していた。
小さな空間にいる二人。先に口を開いたのは、サイだった。
ーーー第十一話 つながり
ヤマトの追跡は功を成し、カカシ班は現在大蛇丸のアジトへと潜入し、この妙に長い通路を走っていた。ただし三人が探すのは過去の仲間ではなく、三人を裏切ったサイ。もしサイが大蛇丸に取り入ろうとしている場合、最優先で止めなければならないのはそれだからである。
とはいえ、サクラとナルトがサスケとカナの事を意識してしまうのは仕方がなかった。
「二人は無事なのかしら......」
ぽつりと零したのはサクラ。心細そうな声だったが、ナルトとヤマトの耳には届く。三人の脳裏に浮かぶのは、未だに三年前の幼い姿のまま。一瞬ふっと視線を落としたが、それでもナルトの強気な目の色は変わらなかった。
「大丈夫だってばよ、サクラちゃん」
その確信はどこからか知れず。だがナルトは力強く言った。
「サスケもカナちゃんも昔からすげー強かったし、今はもっと強くなってるはずだ」
「......そうね」
「大蛇丸なんかにゃあ......好き勝手させてねェはずだってばよ」
痛いほど拳を握りしめるナルトを見つめ、サクラはきゅっと口を締めた。その心の中でカナとサスケが笑っている。
ナルトよりもサクラよりも強かった二人。それでも、二人は力を求めて大蛇丸の元へ行ってしまった。サスケは兄への復讐の為に。カナは一族が殺される原因を作った者への復讐の為だと、サクラはカカシから聞いた。
「(......でも、サイはなんであんな......誤解、って)」
不意にサイの台詞を思い出したサクラだったが、ちょうどその時、ヤマトに声をかけられてそれは消え去った。
「カナもサスケも近い。思いに耽ってしまうのも分かる。けど今は集中するんだ。いつ敵が出てきてもおかしくないからね」
「......ハイ」
ヤマトの言う事はもっともだ。こくりと頷いて、サクラはまた真っ直ぐ前を見据えた。
ーーーそうして三人が辿り着いた先は、何の変哲もない扉。カギがかかっていたが、それはヤマトにすれば有って無いようなものだ。得意の木遁で鍵を作ったヤマトは、何の苦もなく部屋の扉を開けた。
「やっぱりここだったね」
ヤマトは、ただ一人部屋にいたサイに、そう声をかけた。
■
カナは既にサイの部屋を出ていた。今はただ、暗闇の中に踞っている銀色が見えた。
アジト内部、カナの自室。とはいえ、数週間で何度も移動を繰り返す拠点で、馴染みがあるも何もない。全ての部屋が一様に殺風景なのだ。本当に最低限のものしか無い室内で、蝋燭もつけずにカナは体を丸めるばかり。
その手には、カナが先ほど躍起になって探していた物が、握りしめられている。
カナがこれまで誰にも見せなかった物はちゃんとそこにある。
だが、それでもカナは震えていた。
カナの中で鎖が外れるのは、まだ"先"のはずだった。
だが"その時"は、唐突に訪れた。
色白い少年の顔がその頭に浮かんで、カナは尚更 縮こまった。
暗い、暗い闇の中。カナはか細い声で、大切な人の名前を呟いた。
■
ただっ広い荒野が広がっている。サイはヤマトの木遁で拘束され、アジト外に連れ出されていた。
「残念だけどサイ。キミはここで僕の分身に見張らせておくよ」
ヤマトが木遁分身を作り出す。焦りもしないサイの瞳にはナルト、サクラ、ヤマトの全員が映っていた。その中で、ナルトが「よし」と一歩踏み出し、拳を片手で受け止める。
「こっから仕切り直しだってばよ......。サスケとカナちゃんを、助け出す!!」
その空色の瞳には強い意志と希望しかない。自分の言葉に微塵の不安も感じていない声だ。
サイはそっと瞼を落とし、「やめたほうがいいよ」と吐息と共に呟いた。相変わらず淡々として、三人を見上げる。
「僕は、その二人に会った」
その二言目で、ナルトとサクラは目を見開いた。
「サスケくんのほうには常に大蛇丸がついてる。すなわち、再び大蛇丸と戦り合わなければならないということだ。カナさんは......そうだな。サスケくんよりは狙いやすいかもしれないけど」
「......なんなのよ」
「戦り合ってキミたちが簡単に勝てる相手じゃない」
サイでも目に追えない速度を誇っていたカナ。精神訓練を十分に受けたサイにさえ、幻術で恐怖を与えたサスケ。サイが言う言葉はどうしようもなく事実だ。ここ数時間のことを思い返しながら、サイはナルトを見上げた。
「......それに、サスケくんはキミのことを何でもないと言った。カナさんは無反応だった。サクラさんは君が二人を兄妹のように思っていると言っていた、それなのに。......それなのに......そんな彼らのことを、キミはどうして。どうして大蛇丸に刃向かってまで、命を賭けてまで連れ戻そうとするんだ?」
サイのその言葉に悪意は一欠片もなかった。感情を置いてきてしまったサイには、やはりどうしても、ナルトとサクラのことがーーーひいてはカナのこともーーー理解できなかったのだ。
そうしたサイが次に見たのは、空色の瞳が細まり、笑うナルトだった。
「昔......オレは、サスケのことが大嫌いだった。そんで、顔合わせたら喧嘩ばっかのオレたちの仲を、いっつも取り持ってくれてたのが、カナちゃんだった」
ナルトが脳裏に思い描く。何かと張り合っていたナルトとサスケ。いつもサスケと一緒で笑っていたカナ。アカデミー時代、いつからかそんな構図が出来上がるのは珍しくないことになっていた。
「別に、オレたちは仲が良かったとか、言えたわけじゃない。けど、サスケもカナちゃんも、サクラちゃんもいた三年前が、オレってばすっごく楽しかったんだってばよ。絶対に、失いたくねえ......二人は誰よりも、オレのことを認めてくれた」
「......」
「サスケとカナちゃんは......オレの友達だ。やっとできた、大切な"つながり"だ」
何かとても大切なことを話すように笑うナルトを、サイは暫く見つめることしかできなかった。
つながり、とその口で呟く。サイは今一歩というところで、それに手が届かない。「だからって、だからって大蛇丸相手に」とサイが自分の気持ちを理解できないまま零すと、ナルトはまた笑う。
「相手が誰だろうと、関係ねェってばよ!」
ナルトの胸に過る様々な想いが、ナルトをそうさせた。
「腕がもがれりゃ、蹴り殺す!」
またサスケと殴り合いの喧嘩をしたい。
「脚がもがれりゃ、噛み殺す!」
またカナのあの柔らかい微笑みを見たい。
「首がもがれりゃ、睨み殺す!」
またサクラとも一緒にみんなでふざけ合いたい。
「目がもがれりゃ、呪い殺す!」
また元のカカシ班で、何も考えずに無邪気に、笑い合いたい。
三年前、やっと確かに手に入れた"つながり"を、ナルトは絶対に失いたくはなかった。孤独という闇に差した光の一欠片も、ナルトは手放したくなかったのだ。
「たとえバラバラにされようが、オレは大蛇丸から、二人を奪い返してやるんだってばよ」
ーーーこれがナルトなのだと、サイは思い知らされた気がした。
後ろでサクラが、ヤマトが笑っている。どこまでも真っ直ぐな少年を見て、希望のある笑みを零している。誰もがナルトに影響される。今、サイが感じているように。
サイは確かに自分の中で何かが揺れ動いた音がした。そうしてそれが、四人を邂逅へと繋げる。