「我愛羅」

少年、我愛羅の耳に声が聞こえた時、我愛羅は既に、外の世界にいた。
青い空に広い草原、我愛羅を囲って涙を浮かべている忍たち。そして何より我愛羅の目に目立ったのは、金髪碧眼をもった少年。

「ナルト、......」

だが、我愛羅は思わず目先の人物と、また違う人物の名まで口にしようとして、それを思いとどまっていた。
有り得ないことだと分かっているから。だが我愛羅はそれでも感じていた。自身の体内に巡る、確実に自分のものではない、温かなチャクラを。

それが本当にあの少女のものだったのかは、定かでなくとも。


ーーー第六話 切望


その瞳は、もう、木ノ葉の忍たちから離れていた。彼らがいる野原から程々に距離のある大木の枝に座り込むカナは、ただ虚ろな目で宙を眺めている。紫珀はその頭上の枝に。
二人はずっと沈黙していた。

"事"は、誰もが想像もしなかった形で終結していた。"暁"の一人は死に、一人は逃亡し、そして死んでいたはずの我愛羅は、チヨの命と引き換えに生き返ったのである。
宙を見つめるカナは、ぽつりと呟いていた。

......ご冥福を。

じんわりと熱くなった目を押さえこむカナは、きゅっと唇を締めた。
今、我愛羅の生を喜ぶ大勢の忍たちの歓声を風に聞いて、チヨの想いだけはカナにもよく分かる気がした。

「ッケホ、...」

その時、カナは唐突に咳き込み、血を吐いていた。
決してそれは少量ではない。敏感に反応したのはむしろ紫珀のほうだった。

「こんの...ッ阿呆!!お前、また...!」

ばさりと舞い降りた紫珀はすぐさま怒鳴りつけていた。だが、カナは無感情に口元を手の甲で拭っているだけだ。それから「大丈夫、だから」と零すカナだが、紫珀は「んなわけないやろ!」と一喝する。

「またずっと休んどらんのやろ......!いつからや!」
「......ちゃんと寝てるよ」
「嘘つけ!!ほんならなんやねんその血ィは!呪印つけられとる状態で、"神鳥"のコントロール修行始めたこの三年間、何回お前が血反吐吐いたと思てんねや!!」

大蛇丸がカナに与えた呪印、"柵(しがらみ)"。それは神鳥の本来の力を抑えつけ、制限している。それに逆らうものだからカナを襲う負担は相当なものなのだ。負担を軽減する方法はただ休養を摂る事しかない。
だが、カナが"あの場所"でなど休めないのは当然であったし、それ以前にカナは普段、そうしようとすらしないのだ。

そしてそれを誰に言おうともしない。カブトはもちろん、紫珀だって、あの時のことがなければ今でも知らなかっただろう。

今も黙りこくるカナを前に、紫珀は俯いて足元を睨みつけた。紫珀の中で入り混じる感情はあまりにも複雑だった。その本心では信頼する相棒を今すぐにでも"苦痛"から逃がしてやりたいと願っているが、それでも紫珀は曲がりなりにもカナを主人とする忍鳥なのであるーー。

思考の末、苦渋の決断をして、紫珀はぼそりと「帰んで」と呟いた。

「帰んで、今すぐ。んでアジトですぐ休め。命令や」

ばさりと紫珀の翼が揺れる。だが今のカナの耳に一番響いているのは、木ノ葉と砂の忍たちの笑い声ばかり。
ちっとも動かないカナを紫珀は「おい!」と怒鳴った。ぴくりと肩が揺れ、やっとカナの目の焦点が紫珀に移った。

「どうしても聞かへんっちゅうなら、脅してやってもええねんで。素直に言うこと聞いてオレ様の背に乗るか、サスケを今ここで逆口寄せするか、どっちがええんや」

紫珀は真剣だ。いつかサスケとも契約を交わした紫珀にとって、サスケを逆口寄せすることは雑作もないことだ。カナは目線を落とす。カナにとって、サスケは一番この状態を知って欲しくない者だった。

「......ごめん、紫珀......お願い」
「.........ホンマもんの阿呆やな、お前は」

紫珀は吐き捨てた。次の瞬間には大きな煙を出し、その体は数十倍に膨れ上がる。
「乗りや」と、それでも幾分か柔らかくなった口調で紫珀が言うと、カナはふらりと立ち上がり跳び乗る。
巻き起こる風。紫珀は大きく翼を羽撃かせ、飛び上がった。


ーーー空は晴れ渡っている。風影奪還成功を祝しているように。



大空を舞う紫色の翼は青色によく映える。

カナは、そして紫珀も、気付かなかった。それがアダとなろうとは。


「(あれは......?)」


斜めにはねた銀髪が風に揺れる。チヨの冥福を祈り、皆が黙想をしている際、唯一微かな気配に気付いた上忍。彼はふっと上空を見上げ、大空の向こうへと消えていく巨大な鳥を見つけた。その上に乗る、"黒"も。

上忍は初めはただ、逃げたか、と思っただけだった。それと、"暁"との戦闘直後に戦うことにならず済んで良かった、と安堵しただけだった。
だが、上忍の中で、唐突に記憶が戻ってくる感覚が巻き起こっていた。

あの紫色の翼ーーー。

そして数秒後。上忍、はたけカカシは、本当に微かな声で「......まさか」と呟いていた。



羽音が耳に残る。
時折、カナはまた咳き込んだ。
吐血こそはしない。だが顔色が更に悪くなっていることだけは確かだ。肩で息をしてじっと黙っているカナを紫珀は横目で見やる。そして心中でクソ、と呟いた。

カナの想いは、切望は、紫珀もよく知っている。だがその為にカナが傷つく、紫珀はそれをどうしても納得できない。納得したくもないーーーもし紫珀が思うままに行動できるならば、紫珀は今アジトへ向かうこの羽の行き先を変えたかった。
カナが心から受け入れ、カナが心から愛した、あの場所へ向かいたかった。
けれど。


『それでも、私は......!』


紫珀の脳内に甦る声が、それを邪魔していた。あの時のカナの表情も体の震えも、紫珀はよく覚えている。

ーーその事の発端は、紫珀がサスケと契約を交わすために呼び出された時だった。
大広間で、カナがいて、サスケもいた。紫珀だけが時折嫌味ったらしい悪態をつくが、サスケは昔のようにただの子供ではなくなってしまったし、カナも特に口を挟まない。
カナの口数が少ないのはもう当然のこととなっていた。だからこそ、紫珀は最初、気がつかなかった。

『......ごめん、先に部屋戻ってる』

俯き気味でそう言ったカナを紫珀はオウ、と言ってカナの背を見送っただけ。
違和感に先に気付いたのは、紫珀には癪なことに、サスケのほうだった。契約の式が終わり、紫珀と一言二言会話したあと、サスケが言ったのだ。

『カナのところに行け』

その言葉の裏に気づき、紫珀はすぐさまカナの部屋へ向かった。そして扉の前で尋常ではない咳き込む声を聴き、紫珀は考えるよりも前に変化し、ドアノブを回していた。

『おい、カナッ!!』

暗い部屋。蝋燭の火が揺れた。カナは力つきたように壁に凭れて踞っていた。その隣にあった、ベッドのシーツが真っ赤に染まっていた。
紫珀が言葉を失っていると、カナは焦点の定まらない瞳で紫珀を捉え、口元を上げる程度の皮肉な笑みを見せていた。

『......ノックくらい、してほしいな』

まるで自分の体はなんでもない、というように。
いつもと変わらない調子で平然と口元を拭うカナを、紫珀は信じられなかった。

『なん...やねん、お前、それ...』
『......ただの血だよ。血くらい、見慣れてるでしょ』
『そうやない!!その血をお前、どうしたんやって聞いてんねや、分かっとうやろ!?』 

怒鳴る紫珀を一瞥したカナは、やがて物静かに立ち上がり、今度はベッドの上に座り込んでいた。強がったって血が一気に体外に出た後だ、気分が良いわけがない。
しかし、カナはその瞬間、幼さを残す顔で妙に大人びた表情をしていた。

『どうもしないよ。血を吐くくらい......忍してたらしょっちゅう経験することでしょ』
『.........』

今更そんなことで騒いだりしないよ。
カナはそう口にして、紫珀を超えた"誰か"を見ていた。
しかし紫珀の背後に誰がいたわけでもない。カナが見つめていたのはーーー過去、または未来の、"望んでいる姿"だった。

紫珀は俯いて、強く拳を握りしめる。カナはその瞳を閉まって立ち上がった。

『......修行があるから、また』

そうして歩き出す。紫珀の背後の扉へと。銀色の髪をなびかせて。

パシ__!

そのカナの腕を掴み、引き止めた紫珀の手だった。自責の念で歪んだ紫珀の目は、無表情を装ったカナを映していた。

『......なに、紫珀』
『なんで、そこまでして......』

相棒を思うあまりに、紫珀はカナを睨みつけていた。


『なんでそこまでして、アイツらなんか!!なんで自分のことを一番に考えられへんねや、お前は!!?』


ーーーだが、その一瞬で紫珀の怒りは吹き飛んでいた。

パンッ___!! 

小気味の良い音。じんじんとした鈍い痛み。紫珀は後方に二、三歩下がり、頬を抑えた。
カナが紫珀に手を上げたのは、これが初めてだった。

『......ご、めん』

ぽつり。ゆっくりと紫珀に近づいたカナは、自分の頬を抑える紫珀の手に手を添える。相も変わらず、顔色が悪いまま。紫珀はまたも何も言う事ができなかった。苦い色に染まっていたカナの表情。震える手。
『でも...』と、そうカナは口にする。

『でも、それでも私......』
『......カナ』
『それでも、私は......!』


それ以上、紫珀は何も言えなかった。カナも無言で立ち去った。
それ以降紫珀を呼び出した時も、カナは顔色一つ変えず何も言わなかった。カナはもう、何も話そうとしないーー。



咳き込むばかりのカナをもう一度見て、紫珀は無念そうに瞳を閉じた。何も言えない自分を、紫珀は殴ってやりたかった。


ザザザッザ___


その時、突然聴こえた無機質な雑音。紫珀も、そしてカナもハッとする。
敵襲ではない。だが、それはある意味、敵襲よりも嫌な音だった。眉をひそめたカナが手を伸ばした先は、自分のポーチ。現れたのは、無線。


『どこにいるのかしら?カナ』


聴こえてきたのは、"蛇"の声。眉根を寄せたカナは、乾いた唇をゆっくり動かした。

「あなたの知ったことではないでしょう......」
『あら、言うわねえ。確かに実際どこにいようとどうでもいいけれど。その様子じゃ戦闘中、ってわけでもないんでしょうし』

不気味な笑い声。紫珀は眉に深く線を刻んでそれを聞いていた。無線機をもつカナの手は汗ばみ、そして表情は険しい。「何の用」とカナは低く手短かに訊く。『ああ、そうだったわね』と大蛇丸は絡み付くような声で応えた。

『分かってるでしょうけど、そろそろアジトを移動する頃よ。私が今いる場所、北アジトへ今すぐ来なさい』
「......」

返事をしないカナの脳内には、反射的に北アジトの周辺の風景を思い描かれていた。岩場に囲まれ、ぽつんと置き去りにされた人体実験場。ある人物の顔を思い出して、カナはただ無言を貫く。

『返事はないのかしら?カナ』
「......」
『フフ、珍しいわね、アナタがそんなに強情になって私に逆らおうとするなんて。何かあったの?』

無線機から響いてくる声を潰すように、カナは前を向いたまま無線機を握りしめる。その胸の奥でなにか黒々としたものが渦巻き、カナの表情にそのまま浮かんでいる。

『......しょうがないわねェ...』

暫くの沈黙の後、大蛇丸の声がまたも雑音の合間に聞こえた。ーーー瞬間。


「ぅ、アぁあッ......!」


ーーカナは首筋を抑え、体勢を崩した。
紫珀がそれに合わせてバランスをとる暇もない。カナは真っ逆さまに地上に落ちていく__

「カナ!!」

咄嗟に悪態をついた紫珀はすぐさま下降し、カナの身を受け止めるため加速した。どさり、と、間一髪で地面と衝突するのは免れ、カナは紫珀の背中に落ちた。

カナはその間身動き一つできない状態であった。「おい、カナ!しっかりしぃや!」と声をかける紫珀。

『あら、紫珀もいるのね。珍しい』

バカにするような笑い声。その声に、紫珀は射殺しそうな視線で無線機を睨みつける。

『今すぐに来なさいカナ。いつも通り、私に力を送ってもらうわよ』

ぶつり。
そこで回線は途絶えた。カナは手の中の無線機を定まらない目で見続け、やがて目を閉じた。

顔を歪める紫珀にできることは、ゆっくりと方向を変えることだけだった。


 
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