▼ 7:ひびわれた
一日、二日と、特に何の変化もない日が過ぎた。何の変化もないと言ってもナルトと一緒に過ごすと一日中密度の高い時間になるんだけど。初めて外出した日はあんなに渋ったのに、次の日からどんどん外に出たがって、学校もなくバイトもやめて暇人な私は徹底的に付き合ってあげた。
『今日はどこに行こうか?』
『ヒコーキ!』
『いやだから、アレはちょっと』
行きはどこへ行くも歩いて、公園だったりお店だったり、あと水族館とか。
公園は、なんとなく初めて出会ったところは避けたんだけど。
『ついたよー、このあたりで一番大きな公園』
『ブランコある?』
『あるよ、好きなの?ほらあそこ』
『! …他のヤツらが…いるってばよ』
『貸切なんてゼータク言わないの。一緒に行ったげるから、一緒に遊ぼうって言ってごらん』
公園では知らない子供たちがいることに異常に怯んでいたけど、さすが子供のコミュ力というべきか。あっちの子たちから声をかけてくれたら、ナルトはあっさり懐柔されて大喜びで遊んでいた。
ショッピングモールでは色んなお店を見て回って、最後までへばりついていたのはやっぱり子供大好きおもちゃ屋さん。
『ねーちゃんねーちゃん、これ、すっげーカッコイイ…!!』
『あー、赤い人専用の。こっちの白いのは?ホラ、"親にもぶたれたことないのに!"だっけ。これは私でも知ってるほど有名だよね』
『?』
『…ごめん、通じるワケなかった』
男の子らしくがちゃがちゃしたロボット的なものとか。すごく欲しそうな顔をしてたけど、さすがにそこまでお金持ちじゃないから諦めてもらうしかなかった。所詮学生の身分だから仕方ないでしょ。ちなみに本屋は全力で避けた...漫画読みたいとか言ってたけど...アウトにも程がある。漫画コーナーには大量に積まれてるだろうよ、この子の名前の漫画がな!
そして、水族館ではカエルが好きだったようで。
ゲーコゲーコ
『……』
ゲコッ
『……』
『…なんでカエルと睨めっこしてるの?』
『……げーこ』
『ヒト語を喋りなさい』
好き......とは何か違ったかもしれないな......なんか自分でも分からない因縁があるぞ、みたいな。
帰りは毎度バスを使った。帽子の下からのぞく目でキラキラ飽きることなく窓の外を見つめていた。昔は自分もこんなんだったっけと、少し懐かしくなったりもして。
『……』
でもこれだけ色んなことがあっても、やっぱり私は度々思うことから逃れられなかった。
どうすれば。
気づけばもう一週間近い。一週間、短いようで、子供がいなくなるには長すぎる期間だ。
私はいいけれど、この子の世界はそうもいかないはずだ。この子が消えて、周りの人たちは大騒動になってるに違いない。
なにより、この子はこの子の世界での「主人公」というヤツなのに。こんなところにいていいわけあるもんか。
どうすれば…
「ねーちゃん?」
もぐもぐ夕食を食べていたナルトが不意に私の顔を見上げて首をかしげる。ちなみに今日のゴハンは子供大好きオムライスとパンプキンスープです。
「…オレの顔になんかついてる?」
「んーん」
なんかこんなやり取りも何度もした気がする。ぼうっとすると、思わずこの子の顔を眺めてしまうのだ。
日本人離れしたキレイな金髪に、大きな空色の瞳。それと、3本のヒゲ模様。
見つめながら、内心、いつも思ってる。この子はこの世界の子供じゃないんだって。違う世界のヒーローなんだって。ここにいちゃいけないんだって。……
そんなこと、この子に言えるわけないんだけど。この子にとって、ここは飽くまでも"夢の世界"になってるんだから。
「なんでもないよ」
にっこり笑う。心配させないように、不安がらせないように。この一週間で何度こんなやり取りをしただろう?多分、両手指で数えると埋まってきてるなあ。
「……」
「ホラ、食べちゃいなよ。今日も疲れたでしょ?また髪洗ったげるから、」
まだ手を止めてるナルトを促す。スプーンを握りしめた手が、テーブルに乗せられたまま。
今その小さな手がコトリとスプーンを置いて、私は目を瞬いた。この世界では見れないような空色の瞳がぱっとこちらを見る。
そこに沈殿する不安げな色を見つけて、無意識にしまった、と思った。
「オレってば…オレってば、やっぱ、変?」
子供のくせに、固い声。
「ナルト?何言って…」
「…ウソなんてつかなくていいってばよ。やっぱ…やっぱオカシイのかな、オレ…他のヤツらと違う…?」
「そ、そんなことないよ。ナルトは、別に」
「……この夢の世界ってば、すっげーオレに都合よくできてる!」
俯いたナルトは突然声を張り上げた。何を言い出すのかと思って私の口は止まる。
「誰もオレのことを変な目で見ねえし!誰かに傷つけられたりもしねえし!それに、アキ姉ちゃんがいるから独りでもねえ!こんなの、今までオレってば、全然知らなかったんだ!」
キンっと私の胸に何かがつっかえた。込み上げてくる感情があった。これは、なに。
「ナルト、やめて」
「わけわかんねー世界だけど、オレ、なんかもうずっとここにいても良いかなって!そんなふうに…ホントに、思ってた…のに、」
「ナルト」
「アキ姉ちゃん、たまによく分かんねえ目でオレを見るようになって、そんでオレってばやっぱり…っどこ行ったって変わんねーんだって!そんなふうに思えてきちまったんだってばよ…!」
ぼろっ、ナルトの大きな瞳から涙。スープの中に、ぽたんと落ちた。一瞬の波紋模様が、私の目に焼きついた。
「ナ、ナル、…」
うまく何も言ってあげられない。何も口から出てくれない。
どうしよう、どうしたらいい、なんて言うべきなんだ。
怖気づいた。
私の一挙一動を、この子はよく見てたんだ。私がこの子は"違う"と思うたび、ナルトはきっと全て感じ取ってたんだ。
「ひっく、オレ、オレってば、」
ぼた、ぼたぼた、とナルトはそれきり泣くばかりで、何かを言おうとしてるけどうまく言葉になってない。
私は何も言えなかった。ほとんど呆然とするばかりで、向かい側で蹲ってしまったナルトをただただ見つめるしかなかった。
「ナルト......ごめん、私」
やっとそう言えた頃には、ナルトは泣き疲れて眠っていた。ローテーブルには二人分のすっかり冷えたオムライスとスープ。
食べさしの自分の分を見下ろす。けれど、もう食べる気がしない、食欲がなくなっていた。
「…ナルト」
向かい側に這って行って、そっとその金色を撫でた。すっかり寝入ってしまったナルトはぴくりとも瞼を動かさない。そのほっぺたに残ってる赤い痕が痛々しい。
さっきのナルトの叫び声が甦ってきた。
私はアニメ漫画に詳しくなくて、この子を一目見た時もすぐには気づかなかったほどだった。
だから、この子のことを何も詳しく知らない。ネットで検索すれば何でもわかる時代だけど、目の前にいる子をそうやって詮索するのが憚られてたから……
ううん、違う。ただ、あまり知りたくなかったんだ。この子とこの世界を断絶する話を。
だけどその思いとは裏腹に、この子はこの世界の子じゃないってはっきり分かってたから。そんな心がナルトにも伝わって、こんな小さな子を傷つけてしまった。
帰してあげなきゃと思っていたのは私なのに、結局中途半端な気持ちばっかりで、夢の世界だの何だのってウソばっかり貼り付けて、この子を傷つけてしまったのも私だ。
「…ごめんね」
寝てるナルトにもういちど謝る。返事をするわけがない子供を抱き上げて、静かにベッドに運んだ。できるだけ優しく掛け布団をかける。すう、すう、と規則正しい寝息。
まだナルトはここにいる。いないはずの世界にいる。さっき、この世界に対する拒絶らしい言葉を吐いたってのに、それでもこの世界はナルトを返してあげないらしい。
私はおもむろにスマホを取り出していた。
あんまり働かない頭のまま、裏腹に指は的確に動いていく。アドレス帳を開いて、見慣れた名前を探して。そのページの電話番号をタップして、スマホを耳に当てた。
プルルルル、プルルルル、そんな音が数回のち、途切れる。はいもしもし〜?って聞きなれた声が耳に届いた。
『アキ〜?どしたの?』
「ちょっと久しぶりだね。どうしたってわけでもないんだけど」
『ははん、さては恋のお悩み?』
「違うって…イコ、酔ってる?」
酔ってない酔ってなーい、って明らかに頼りないほわほわした声が受話器越しに聞こえてくる。それから頼んでもないのにあっちからぺらぺら話し出した。その大半が意味も掴めないようないい加減な話だったけど、むしろそのほうが良くて最初のうちはただうんうん相槌を打っていた。
一方で、私の片手はずっと寝付いているナルトの手を握っていた。確かにここにいる温かい手をずっと包み込んでいた。イコの話が脈絡のない意味もないことなのを良いことに、私の意識のほとんどはナルトの寝顔に寄せられてた。
イコは酔ってる。大丈夫だ、深く詮索はされない。聞いてみるために電話したんだから。
電話をはじめてから五分十分は経過しただろうか。イコの話が途切れた時、私はそこに口を挟んでいた。
「あのさ、イコ」
『んー、なあにー?』
「イコの好きな漫画の、ナルトって子のこと、教えてくれない?」
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