第八十三話 受け継がれゆく火の意志


里全体を巻き込んだ、あの戦いから二日後のことだった。

ナルトが集合場所につく頃には、サクラが既にそこにいた。塀にもたれて空を見上げていたサクラも、今日ばかりは通常の忍服ではなかった。

「......おはよう、ナルト」
「...おはよ、てばよ」

会話はそれ以上続かない。どことなく重苦しい空気と同じように、今日の空は酷く暗い。ナルトもサクラに倣って上空を見上げたが、重い気分に更に重圧がかかったのみだった。
今日はどこからも子供達の声が聴こえてこない。鳥たちの歌も、風の音も。

ナルトとサクラは同時に道の向こうに目を向けた。三人目のチームメイトがそこにいた。
サスケはどちらとも顔を合わさず、すんなりと二人を通り過ぎていく。ナルトとサクラに出発を促すように一度止まったが、再び歩き出そうとする。
しかし、耐えきれずにサクラが「サスケ君」と呼び止めていた。

「カナが......まだ」

四人目のチームメイトが、来ていない。そう、サクラは口を濁す。カナが集合時間に遅れる事は珍しい。だが遅れているからといって、誰が仲間を放っていけるだろう?
しかし、サスケはやはり振り返らなかった。

「アイツは......来ねぇよ」
「でも、」
「サクラちゃん」

やっぱり、待ったほうが。そう言いかけたサクラを止めたのは、サスケではなく、ナルトだった。

「サスケが言うんだったら......間違いねェってばよ」

ナルトの首に下げられている額当てが悲しく光る。それを見て、サクラは反論もできなくなっていた。
サスケがまた一人歩き出し、サクラとナルトもそれに続く。やはりそこに、会話は、なかった。



そこには綺麗な花が咲いていた。
しかしこの曇天の元で花は僅かに俯いているようだった。
一陣の風が草花を揺らしていく。そこに、ぽたんと、唐突に雫が落ちた。
葉がそれに吊られてゆらりと傾く。それらが次々と、延々と......いつの間にか辺りは小雨に包まれていた。

それでも、少女はそこにいた。

空を見上げる顔に幾度雨を受けても、短い銀色に水を滴らせてもなお。草花と共に、風に晒され、雨に濡らされ佇んでいた。銀色の少女には、動く気力が見つからなかった。

一つの事実が少女、カナにそうさせた。


ーーー三代目、猿飛ヒルゼンが死んだ。


それを受け止めきれているのか否か、カナは自分で分からなかった。
ただまた二つ目の事実として確かなのが、カナの頬に伝う涙はこれまで、一切なかったということだけだった。

哀しいのか。
そう問われたら、カナは確かに哀しい。
寒さにではなく、その事実に、体が震えている。喉が乾いている。手先が痺れている。胸に穴がある。だがそれでも、カナは何故かそれを吐き出すすべを忘れてしまったように。

私は今まで、どうやって涙を流してたんだろう?

この丘は、木ノ葉の中で一番空に近い。だから、少しでも三代目に近づけるように、仲間との約束を破ってまで、ここに来たのかもしれない。

一族全員を失った私を真っ先に受け止めてくれた。
孤独を感じる度に塞ぎ込み泣いていた私をいつも無言で抱きしめてくれた。
私が笑う時には共に笑ってくれて、悲しむ時には慰めてくれた。
木ノ葉丸をこの腕に抱かせてくれた。

幼かったカナを、いつも見守ってくれたーーーーその全てが、カナが慕い心の拠り所にした、三代目の大らかな心だった。

際限なく三代目と一緒に過ごした日々が甦ってくる。

おじいちゃんがいなければ、今の私は、ここにいなかった。

......なのに。


『血すら受け継いでいないアナタは、本当に"家族"といえるの?』
『カナちゃんは確かに風羽の血を受け継いでいる。木ノ葉の子供と言われることのほうが辛いんですよ』

あの戦いで、大蛇丸にそう言われた時、カナは咄嗟に言葉が出なかった。それを今、はっきり後悔している。
大蛇丸の言葉は違ったのだ。風羽の血を受け継ぎ、風や"神鳥"に護られ生きている、それは確かなことだ。しかし、だからといってカナが木ノ葉を否定する理由にはならない。カナにとっては木ノ葉もまた最早捨てられない場所。例えば風羽が今還ったとしても、簡単に去れるわけがない場所なのだ。

それを伝えたかった、と、カナは拳を弱く握りしめた。他でもない思慕する人に。

でも、もう遅い。全てが、もう。

本当に三代目はもうこの木ノ葉からいなくなってしまったのだろうか。カナは恐らく、誰かに否定して貰いたかった。気休めでもよかった......それなのに。
戦争が終わってから数日、カナの周囲の誰も彼もが、暗い顔をしていた。

そしてカナも、同じ顔をしていた。


やはり動くことなく、カナは空からの雨を受け続ける。もう何十分も、何時間もそうしていたと思う。
それがようやく動いたのは、その口が僅かに動いた時だった。

「どうか......したんですか」

抑揚のない声が雨の中に響く。それは、カナは背後に現れた希薄な気配に向けられたものだった。

「......別に。どうも......」

返ってきたのは少年の声。本当に、一切の目的もなさそうな声で。
カナはゆっくり振り向く。その瞳は今、暗く沈殿していたが、それでもその人物を綺麗に映し出した。

狐の面を外した、どこかサスケに似ている、黒髪の少年。

「まだ、私を見張っていたんですね」
「...今日でこの役目も終わりです。最後に、なんとなく......」
「......なんとなく?」
「..................キミと話したいと思って」

そう言う少年の意図は全く読み取れない。カナはそう驚いた様子でもなく、数秒後ににこくりと頷いていた。



葬儀は誰にとっても速やかに行われたように思えた。だがそれは、心にかかる重みのせいで経過する時についていけないからかもしれなかった。
雨はまだ降り止まない。ナルトはふっと雨雲を見上げる。空も泣いているのだろうか。この忍世界の為に、誰かに代わって。

銀色の少女が最後まで現れなかったことが、尚更ナルトを暗くさせた。今頃カナがどこで何をやっているのか、ナルトには皆目見当がつかなかった。
カナ、そして、三代目のことを、ナルトはゆっくり思い返す。
ナルトはカナのことをあまり知らない。だが、幼いカナはいつでも、三代目の傍にいたように思う。何故だったのかは知らない、だけど、だからこそ、カナが今どれほど傷ついているのか、ナルトは想像もしたくなかった。

サクラもまた、ぞろぞろと人々が帰っていくのを見ながら、そんなことを考えていた。
カナはここに来たくないわけではないのだろう。ただ事実を受け止めきれず、現実から目を背けていたいのだろう、と。
ここには亡き三代目の写真が飾られてある。それを見ることはサクラにとっても辛かった。見るだけで、サクラの心を抉るようなものがあった。

里の者たちが葬儀場から下りて行く。
そんな中その場に残ったのは第七班と、イルカ、木ノ葉丸にアスマ、紅。
木ノ葉丸は実の祖父の死に始終大泣きをしていた。今もまだ溢れるものが止まらないようだった。だが、やがて木ノ葉丸も、アスマらに連れられて祭壇から下りていく。
ナルトはイルカに小さく手を振る。イルカも手を振り返し、やがて四人も完全に見えなくなった。

葬儀が終わった後 残るように、などということは伝わっていなかった。だが、七班は全員がなんとはなしに、動く気になれなかった。ナルトもサクラもサスケも、顔を見合わせることもせず、ただそこに突っ立っていた。雨で冷える体のことなど考えもしなかった。

「......お前ら、ちょっと来い」

唐突にそう言ったのはカカシだった。何も言わないまま、ナルトが駆け寄っていき、サスケも少し間を空けて歩き出す。一拍置いたサクラも、遅れないようにと小走りした。
三人が集まっても、カカシは暫く何も言わなかった。言わないままに、三人に背を向け、手すりに腕をかけてそこから見える景色を眺めていた。里の中に散らばる黒ーーー喪服色。カカシに倣って下を眺めたナルトの目が未だ泣いている木ノ葉丸を見つけ、ナルトは眉を寄せた。

そしてカカシはまた唐突に。僅かに振り返った頭で、今度はサスケだけを射止めていた。

「サスケ。......お前は行け」

それ以上の言葉はない。だが、ナルトも、サクラも、勿論サスケも、全員がカカシの意図を読み取っていた。
やがて背を向け、サスケは歩き出す。階段に差しかかった所でその目が一度振り向いたが、結局無言で階段を下りて行った。

その姿を目で追うナルトとサクラ。サスケはもう振り返る様子はない。雨に濡れながら、階段を降りきったが最後、サスケは走り出していた。
何かを捜すように。見つけるように。
拳を握り、唇をきゅっと結ぶナルトとサクラ。その二人にまた声がかかったのは、それから随分経ってからだった。

「ナルト。サクラ」
「......なんだってばよ」
「お前らに言っときたいことがある...お前らが知っとかなきゃならないことがある。...カナのことだ」
「!」
「...カナの?それって、どういう...」

並んでナルトとサクラが目を見開く。カカシは露にしている右目を伏せていた。

「お前らも、不思議に思ってたろう...カナに何故両親がいないか。カナが何故、火影様と一緒に住んでいたのか」

ーーーむしろ。
何故、どころではない。その事実すら二人は完璧に知っていたわけではなかった。
カナの背後に両親の影がないことは二人とて薄々感じていたが、それは確信ではなかった。
カナは、何も語らなかった。確かな事は、それでもカナは第七班で過ごすことを好いていたことだけ。それだけのことが、そうしていられるということだけが、何よりの幸福であると知っているように。


「カナは昔、木ノ葉隠れの人間じゃなかった......ある森に住んでいた、特殊な一族だったんだ.........」


そしてカカシは語る。カナの一族のことを。その一族の末路を。更には、カナの中に眠る、巨大な鳥のことを。



「どこへ、行くんですか」

しとしとと降る雨の下、傘を開く人影がちらほらある。住宅街から商店街にさしかかる手前、喪服姿の人々がしばしばカナの横を通っていく。
努めてそれらの姿を目にしないようにしながら、カナは前を歩く少年に問いかけた。

「特に...どこへというわけでも」

少年は本当に目的もない声でカナの疑問に返した。一度振り返った少年はすぐに前を向く。カナは暫くその背中をぼうっと見ていたが、なんとはなしに、少年の隣へと歩調を速めてみた。

無言の二人の耳に届くのは雨音と足音。カナは、今の質問以上に少年に話しかける言葉が思いつかなかった。ただ、少年のほうはといえば、そんなカナをじっと横目で見ていた。
少年にとってカナは、ほんの少しばかりの、興味対象だった。

「泣かないんですね......キミは」

ちょうど二人の横を、涙を隠すように体を丸めた住人が通っていった。カナはその者を一瞬眩しそうに捉えてすぐに目を伏せる。少年の言葉への答はカナが今一番求めているものだった。

「あなただって...泣いてないですよ」
「......僕には感情がないから。悲しいとか嬉しいとか、よくわからないんで」
「...どういう、」

そう続けようとして、カナは黙った。白い肌に黒い瞳、その少年の顔をカナは見つめて、少年の言葉に嘘はないことを悟った。その言葉の"真"は掴めないが、少なくとも少年は"真"としていることを。

「だけど...キミは僕とは違うはずだから」

少年は真っ直ぐにカナを見る。

「キミはどうして泣かないのか、それも僕にはわからない。......何故なんです?」

カナは俯き、流れる地面を見て、「さぁ」、と呟いていた。

「悲しいんです。......おじいちゃん...三代目様ともう会えないんだと思うと、すごく辛い。どうしようもなく、これ以上もなく、悲しい......それこそ、泣きたくなるくらいに...」
「...けどキミは」
「そう...泣いてない。でも、私にだってわからない......なんで、こんなにも溜まってる想いを、重みを、吐き出せないのか。泣いてしまえれば、いいのに......そう、思うのに」

くしゃりと歪められたカナの顔が少年の目に酷く焼き付いた。それは少年には言い表せない、少年には到底真似できない表情だった。名のない少年にはカナのその想いを理解することは到底難しいことだった、しかし、それはきっと辛いことなのだろうとだけは推測した。
ーーーだが少年にはこんな時、相手にかける言葉を知らなかった。

「......ごめんなさい。こんなこと言われたって、困りますよね」

少年の葛藤も知らず、カナは謝る。やはりそれにも少年は何も返事ができなかった。
返事ができないままに、少年は、不意に後ろを振り向いたのだった。


「カナ、ねーちゃん!!」


小さな少年がそこにいた。涙声で呼ばれて、カナも少年に遅れて振り返る。
木ノ葉丸、とその口が動く頃には、泣きじゃくる子供は思い切りカナに抱きついていた。それを受け止めてから、カナはようやく気付いた。

「(あ...)」

今まで隣にいたはずの少年が、気配もなく消えたことに。

「姉ちゃん...ねぇ、ちゃ...!じ、じぃが...!」

カナの腰に手を回す力をぎゅうと強める木ノ葉丸。この状況で動くわけにもいかず、カナは大人しくされるがままになっていた。見慣れない喪服を着て泣いている木ノ葉丸は、カナの目にいつもよりも小さく見える。カナも目尻を下げ、木ノ葉丸の頭を撫でながらしゃがみ、その小さな体を包み込んだ。

「う...うッ...なん...で、じじィ......っねぇ、ちゃん...!」
「......ん......」

カナの手がとん、とん、と木ノ葉丸の背中を撫でる。この温もりがこんなにも儚く感じたことはなかった。
木ノ葉丸の年齢で身近な者の死を知ることがどれほど辛いことか、カナは知っている。それだけになお、カナの心は後悔と悔恨に苛まれた。

その時、視界の端に見えた煙に、カナはハッとして顔をあげた。
だがそれは三代目の煙管の煙ではなく、その息子が嗜む煙草のそれだった。

恐らくついさっきまで木ノ葉丸を連れていたのだろうアスマは、カナと目が合うと決まりが悪そうに頭をかいた。だが、ふっと苦笑して、煙草の煙を吐き出し、その大きな手がカナを呼ぶ。

カナは黙って木ノ葉丸を抱き上げ、腕の中で震える存在を抱きしめながら、アスマのほうへ向かった。



木ノ葉の町並みを走り、商店や茶屋の前を過ぎて行く。通りすがる人々の姿の中に、未だあの銀色は現れない。
サスケは自身の傷も忘れて走っていた。全ては、大切な彼女の為に。

あの戦いが終わった後のカナを思い出し、サスケの手に自然と力が籠る。縋るようにサスケを抱きしめていたあの体は、震えていたのだ。まるでこの事実をあの時既に感じていたかのように。

サスケは一度立ち止まり、顔に滴る雫を手で拭きながら周りを見渡す。数々の商店が並んでいるが今日は開いている所も少ないようだ。そして、やはりサスケの望む姿は見当たらない。
チッと舌打ちして、サスケは再び走り出そうとした。しかしーーー不意にサスケの耳に届いた話し声があった。

「さっきの子たち...見ました?」
「ああ...三代目のお孫様と、お孫様を抱いていた子でしょう?お気の毒に、辛いでしょうね......」
「確か、あの女の子は三代目が引き取った例の...」

"風羽一族の"。

サスケは勢いよく振り返った。主婦らしき二人の人物が声を潜めて話し続けている。いてもたってもいられず、サスケはすぐさまその二人に近寄っていった。

「アンタら、そいつらをどこで見かけた!?」
「え?あ、ああ、お孫様とあの...?あの子たちなら、この角を曲がった公園のほうに...」

動揺した主婦の答を聞いた途端 サスケは礼も言わずに走り出していた。この先の公園のことはサスケも知っていた。サスケがそこに到達するまでには、一分とかからなかった。
息を切らしたサスケは、しかし、公園に入る手前で足を止める。公園に設置されたブランコ、滑り台、砂場、シーソー、そのどこにもサスケの探し人の姿はない。
だが、最後に古びたベンチに目をやった瞬間、サスケは止まった。

アスマがベンチに座り、その前でカナが木ノ葉丸を抱いて立っている。

ーーー出て行ける雰囲気ではない。...いや、出て行ってはいけない。

息を潜めて、目を伏せて、雨に降られながら、サスケは塀にトンと体重をかけていた。



カナは黙ってそこにいた。嗚咽を零す木ノ葉丸の背を撫でながら。
アスマもまた静かに煙草を吹かしている。だが、次第に煙は消えていく。雨に湿気た煙草は自分の役目を忘れていった。やがて完全に煙はなくなり、アスマは無言で煙草を手で潰した。煙の残り香がカナの鼻に残った。
それは、三代目の煙管と同じ香りだった。

「......木ノ葉丸。こっち来い」

ようやく沈黙の幕を下ろす。木ノ葉丸が腕の中で反応したのに気づき、カナはゆっくりと小さな体を放した。僅かにふらついた木ノ葉丸は、それでもアスマの元に確かに向かった。小さな苦笑を零したアスマの大きな体がその姿を包み込んだ。一際大きな泣き声が、この雨の中に響く。

カナはそれを黙って見ている他なかった。自分には何も言えないし、何もできないのだと、そんな想いがカナの脳内を占領した。それは酷く重いものだったが、否定する余地はなかった。
ーーー木ノ葉丸をアスマに預けてこの場から去ろうと、カナは姿を翻す。

それでも、その瞳から涙は零れない。その事に自虐的に笑い、カナは一歩を踏み出した。

「どこ行くんだ、カナ」

だが、その一言にカナは足を止めた。おずおずと振り向けば、アスマが自分の隣に座るよう促していた。
ここを去るよりも、ここに残ることのほうがカナには辛いように思った。だが、断ることもできない。数秒地面に視線を下ろしたが、カナは静かにアスマのほうへ足を運び、腰を下ろした。雫がカナの銀髪を伝った。

「......辛ェか」
「............はい」

次から次へと地面を濡らしていく雨は、里中の感情を表しているようだった。

「葬儀はもう、終わったんですよね」
「ああ。式の途中から降り出しやがった......余計に気分が暗くなるよな」

そう言ってアスマは苦笑する。カナはそれを横目で見て、すぐに目を伏せた。アスマの表情はいつもと変わらないようにも見えるが、それはどこか、カナには違う気がした。

「(忍の心得、第二十五項...)」

カナは内心で呟く。そしてちょうど同時に口を開いたアスマに目を丸めた。

「"忍はどのような状況においても感情を表に出すべからず。任務を第一とし、何事にも涙を見せぬ心を持つべし"」
「!」
「お前は、この心得に従って、涙を見せねえのか?」

ちょうどカナが唱えたことだった。
だが、カナは弱々しく笑んで頭を横に振っていた。
カナが涙を流さないのは、アスマのような強さを持っているからではない。理由はやはり、カナ自身がわからない。だが、そう思ってカナが俯いたとき、その頭に重く、それでいて温かいアスマの手が置かれた。

「なら、強がるな。泣いとけ、カナ」

片腕で木ノ葉丸を抱き、片腕でカナを撫で、アスマは微笑んでいた。三代目に似た大らかな雰囲気と笑顔。
だが、カナには、困ったように笑い返すことしかできなかった。

「違うんです。......我慢してるわけじゃ、ないんです。ただ、涙が......出なくて」

アスマが静かな瞳で視線をくれるのが分かる。カナはすっと目を細めた。

「.......何でなのか、なんて、自分が一番分からなくて。胸に沈殿する重みはあるのに......どうしてもそれが吐き出せない。痛くて、痛くて、どうしようもないのに、全然、わからなくて、」

カナの頭の上にあるアスマの手が、微かな震動を掴んでいた。
カナは、震えていた。泣けないままに、震えていた。
酷く顔を歪めている少女は、誰かを望んでいるのだ。ーーーもう、消えてしまった人を。

「(オヤジ......アンタは、どこまでもカナを支えてたんだな)」

アスマは静かに瞼を下ろした。

感情を吐き出す涙を受け止めてたのも、きっと、猿飛ヒルゼンという誰よりも大きな、"器"だったのだ。

この空を覆い尽くしている雲の向こう側にいってしまった三代目は、カナにとって限りなく大きな支えだった。突如深い絶望に落とされたとき、誰より真っ先に少女に微笑んだのが三代目で、その三代目が誰よりカナの全てを受け止めていたのだ。
アスマはふと笑い、自分の父を思った。

アンタがオレの立場なら、こんなカナになんて言う?

アスマは三代目にはなれない。だがアスマは三代目を誰より知っている。アスマの脳裏に、皺のある顔で笑う父の顔が映った。事あるごとに父に反発してきたアスマだが、それでもやはり、アスマは三代目の子なのだから。
アスマは数秒、目を瞑っていた。震えている少女を隣に感じながら。


「やっぱり......泣けよ」


アスマはくしゃりとカナの髪を撫でた。俯いていたカナが反応して、ゆっくりと顔をあげる。
苦しそうに。誰かを、求めて。

「分かってる。泣けねえんだよな。オヤジはお前の中ですっげえでかい存在だったんだよな.........けどな、カナ」
「......?」
「オヤジだけじゃねえ。一番一緒にいたのはオヤジかもしれねえけど、オレや木ノ葉丸だって、その次くらいにはずっと一緒にいただろ。ずっと、一緒に笑ってきたろ......」

目尻を下げて、アスマは微笑む。


「お前の気持ちくらい、オレらにも受け止めさせてくれよ。......"家族"、だろ」


ーーー雨の中。

「かぞ......く。......家族」

カナの唇から、僅かに漏れた声があった。カナは半ば呆然としていた。
ーーーアスマの顔が、三代目と重なる。

かぞく。

もう一度呟こうとしたところで、カナは目を瞬いていた。
一雫。ぽとり、と。

「え、あ......あれ?どう、して、......」

ぽと、ぽと、......

カナの瞳から。戸惑ってその腕で目をこすっても、いくら拭っても、次々と。

「...ほら。遠慮すんな、バカ」

アスマは片腕をカナのほうに開いてみせる。霞むカナの視界が、その姿を捉えた。
そのアスマの表情が、あまりにも柔らかくて、優しい。

三代目と重なる。いつも朗らかに笑って、幼いカナを受け止めてくれた人。


『......カナ』


ーーー次の瞬間には、カナは思いきりアスマに抱きついていた。

今までの比じゃなく、カナの目からは次から次へと雫が落ち始める。

「う、うぁあ......ッ」

嗚咽が、躊躇いなく、カナの口から漏れる。


「おじい、ちゃんっ...!ひ、っ......おじいちゃ、ん、っずっと、ずっといっしょにいて、ほしかった......!ほんとに、ほんとに、だいすき、だったのに......っ」


あたたかい。
そうだ、私は不安だった。
涙を流したって、受け止めてくれる人がもう、いなかったから。すごく、痛かったんだ。


「ぅあああぁぁあああっ......!!」


小さく、小さく丸まって、カナはアスマに包まれていた。



静かにその場を聞いていたサスケは、何気ない違和感を感じて空を見上げた。
ああ、落ちてくる雫がなくなったと思ったら。
空が泣き止んでいた。雲はもう姿を消している。その後に残るのは、暖かな日差しをくれる太陽だけだ。

空は、もう、笑ってる。






木ノ葉丸は、いつのまにか寝ていた。アスマの腕の中で静かな寝息をたてながら。
ーーカナはその安らかな表情を見て、小さな笑みを零した。未だアスマの手はカナを撫でていたが、カナはもうアスマの横に座っているだけだった。

「すっきりしたか?」

そう言われて、カナは恥ずかしそうに顔を擦る。

「ハハ、ひでェ顔だな」
「う......」

乱雑に髪を乱され、カナは苦笑を零す。アスマのいつもと変わらない言葉がカナには嬉しかった。

「......木ノ葉丸、寝ちゃいましたね」
「......!」

カナはそう言ってから、アスマからの返答がないことを疑問に思い、顔を上げた。アスマは何かに気付いたように、違う方向へ顔を向けていた。

カナはその視線の先を追って、「あ」と漏らした。

「あれって...」
「ったく、タチの悪いヤツだ。盗み聞きしてたみてぇだな」

笑って言うアスマに、カナも笑う。公園の入り口付近ーーーカナの幼なじみが、そこで一人、空を見上げている。カナはその場から声をかけようとして、しかし止まった。カナの肩をポンと叩いたアスマは穏やかな顔でサスケを指差していた。

「行ってやれ」
「! ......でも」
「でも、じゃねーよ。アイツはお前を心配して来てんだ。仲間の気遣いに応えてやれ」

湿気ていない煙草を取り出して火をつけたアスマは、煙を口から吐き出しニッと笑んだ。
カナはそれでも迷ったが、結局、アスマの言葉に頭を下げて応えていた。

木ノ葉丸を腕に煙草を吹かすアスマは、じっと"その様子"を見ていた。

カナがぴょんっと塀から顔を出し、それに柄にもなくサスケは驚いた。それを可笑しそうに笑うカナを見てか、サスケも怒ることなく苦笑する。二人は一度アスマのほうへ会釈をし、通りの向こうへと歩き出す。

そうして角を曲がろうとしたところで、二人は同時に目を見開いた。
突如現れたサクラがカナにタックルをかましたのだ。カナは後ろに尻餅をつき、何故だか豪快に泣いているサクラを、わけも分からないまま宥めて。
その傍で訝しそうにしていたサスケがまたもぎょっとして目を見開く。再び突っ込んでくる影、ナルトが手加減の一切ないパンチを繰り出そうとして、サスケは反射的にそれを受け止めていた。見れば、ナルトも泣いてはいないが涙目だ。

やいやいと喚き立てるナルト、そしてわあわあと泣きまくっているサクラ、の二人をカナとサスケが持て余していると、今度はカカシが姿を現した。
すぐさまカカシに問いつめるサスケだが、カカシはどうも応える気はないらしい。そしてサスケの質問攻めから逃れると、ナルトとサクラを二人から剥がし、カカシはカナの手を引いて立たせる。カナも困ったようにカカシに問うが、それでもカカシは苦笑うばかり。

どういうことだよカカシーーー"どういうこと"はお前だってばよサスケェ!ーーーバカぁっ、カナの、バカぁっ!!ーーーなに、なんなの、どうしたのサクラ!カカシ先生、一体何がどうなってーーーいやあ、悪い悪い......ーーー


騒がしい第七班。
だが、不思議とそれは円になっているようだった。
全員が互いのことを。全員が互いの想いを。

アスマはタバコの煙を空に向けた。
綺麗に晴れきった空には、ほんの一瞬だけ、三代目の笑顔が見えた気がした。


 
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