第八十二話 温もり


全てが終わった。これまで戦闘音に掻き消されていた、平和な自然が戻り始めていた。

地面に横たわる傷だらけの我愛羅は、同じように転がっているナルトを見つめていた。ナルトは、全身を襲う気怠さのせいでもうまともに動けそうもなかった。
だがそれでも、諦めなかった。立てなくとも、ずりずりと這うように、我愛羅のほうへ。

「く......来るな!!」

我愛羅の声は怯えていた。理解できない存在を前に、怖がっていた。
ナルトはそうっと顔を上げた。我愛羅には理解できなくとも、ナルトには、我愛羅がまるで自分自身であるかのように分かっていた。

「独り、ぼっちの......あの苦しみは......半端じゃ、ねえよなあ......」

我愛羅はにわかに目を見開いた。

「お前の気持ちは.......何でかなあ。痛いほど、わかるんだってばよ」

我愛羅の肩の力が僅かに抜ける。我愛羅にも、徐々に分かり始めていた。ナルトの言葉は嘘じゃない。ナルトの表情は、あの地獄を本当に味わったことのある者の。

「けど......けど、オレにはもう、大切な人たちができたんだ...!オレの大切な人たち......傷つけさせねェ......!でなけりゃあ、お前殺してでも!オレはお前を止めるぞ!!」
「......なんで。なんでお前は、他人のためにここまで......!」

ナルトは知っている。もがけばもがくほど蹴落とされる孤独を。他人の、冷たい瞳を。
それならば、我愛羅は尚更分からなかった。何故そこまで他人の為に命を張れるのか。あの地獄を作り出した他人の為に。
ーーーナルトは、笑った。


「独りぼっちの......あの苦しみから救ってくれた。オレの存在を認めてくれた、大切な"みんな"だから......」


その表情を、我愛羅は確かに知っていた。知っていたが、ずっと忘れようとしていたものだった。

「.........愛、情」

我愛羅の口からひっそりと漏れた声は、不思議なほどに、木霊した。


「もういい、ナルト」と唐突に仲間の声が落ちて、ナルトはゆっくり顔をあげた。

「サクラは大丈夫だ...コイツもチャクラが尽きたんだろう。とっくにサクラの砂は崩れたよ」

そのサスケの台詞をぼうっと聞いていたナルトは、ふっと、心底安心したように頭から力を抜いた。「...そっか」。そう呟いた頃にはもう、意識を手放していた。

追うように現れたのは砂忍二人、テマリとカンクロウ。まるで我愛羅を護るように現れた二人は、目の前のサスケを睨みつけていた。しかし、その二人に制止の声をかけたのは、その弟の声だった。姉と兄は驚いて振り返ったが、初めて他人から傷を受けたその姿は、二人が初めて見るほどに、静かに穏やかだった。

そして、三人は消えた。蔓延っていた緊張感がうっすらと緩んでいく。静寂に包まれ、平和な森が戻って来た。

サスケの耳に僅かに聴こえる里内の抗争の音も、心なしか収まりつつあるようだった。その黒い瞳も徐々に警戒心を解き、足元に寝転がるナルトに目を落とす。
仲間の姿。ナルト、そして先ほど砂から解放されたサクラ。ーーだが、まだ一人足りない。

「(............カナ)」


その時だった。
ザッと一つの足音がサスケの背中側に降り、サスケはハッと振り向いた。

「よォ、サスケ。随分 ボロボロじゃねーの」
「キバか」

見慣れた同期の一人であるキバがそこにいた。「赤丸もいるぜ」とその口が言えば、ワンっと私服の襟元から顔を出す赤丸。サスケにとってはどうでもいいが。

「どうしてここに?」
「ああ......いや、つーか、オレもよく分かってねーんだ。とりあえず目が覚めたら先生たちが戦ってて、そんでお前ら捜せって言うモンだからよ」
「...気絶してたのか」
「うっせーな、こちとら暗部に扮装したヤツ相手だったんだぜ。......って、お前、その顔どうした?」

未だに引かない呪印のことだろう。訝し気に首を傾げるキバを前に、サスケは目を逸らして「なんでもねえよ」と返した。眉根を寄せたキバは文句を言いかける、が、その前に周囲を見渡していた。

「アレ?でも、カナのニオイだけねえな。お前ら一緒じゃなかったのか?」
「......今から捜しに行くとこだ」
「は?」

ちょうどいい、と勝手に思うサスケ。ナルトとサクラをどうするか、だけが気がかりだったが、キバがここにいるなら安心だろう。親切に説明する前に足場を均した。

「キバ、悪いがコイツらを頼む」
「え?......オ、オイちょ、待てよサスケェ!!」

キバの叫び声も、追うように吠えた赤丸の鳴き声も無視して、サスケは一直線に駆け出していた。





カナの髪を束ねていた髪紐がほどけていく。

そこら中に舞う、銀があった。
びゅうっと風に吹かれ、銀色は上空へと巻かれていく。その量は決して少なくなく。

爆発から逃れようとしているカナの容貌は僅かに変わっていたーーー髪紐はカナの意思でほどかれたのではない。起爆玉の爆発に巻き込まれ、束ねる髪がなくなっていたのだ。


爆破はもうその背後に迫っている。その両腕には紛れもなく、"敵"が抱え込まれていた。
薄く開いているその瞳に、ぼんやりと、カナの必死な形相が映っていた。

そうしていつしか、カナと北波の体は爆風に吹き飛ばされていた。カナは大きな木の幹にぶつかり、北波は地面に投げ出され。あの爆発は嘘だったかのように、そこには静けさが戻っていた。


ーーーそこにいるのは、もう朱雀ではない。カナは、これまでの戦いで負ったケガと、今の爆風を喰らった火傷を抱えながら、それでもなんとか意識を保っていた。
その銀の髪は先端が焼けこげ、短くなっている。だがカナがそれを気にすることはなく、ただその瞳は、転がっている北波を見つめていた。


「よかった............」


ぽつりと、カナの口から漏れた言葉。心の底から安堵したような、ほとんど吐息のようなセリフ。
北波はぴくりと肩を揺らした。ゆっくりと北波の顔がカナに向く。二つの視線が交差する。カナも北波も、既に限界だった。

「......何で、だ......」
「......何が......ですか」
「何で...何で、オレを助けた......!」

カナは虚ろな目で北波の顔を見つめた。どうしても、何故か憎みきれない青年の顔を。
傷だらけになりながらも必死でカナを睨んでいる北波の表情には、やはり様々な感情が入り混じっている。

「特別な、理由なんて、ないです......」
「...!」
「ただ、私はもう......目の前で死ぬ人なんか見たくない。もちろん、甘いことってわかってます......この忍の世界ではそんなこと、言ってられないってことも。でも、それでも私は、救える人なら、救いたい。だから...」

途切れ途切れにカナは答える。その瞳は、どれほどこの世界の憎しみを理解していようとも、それ以上にこの世界の慈しみや輝きを受け入れていた。
北波は顔を歪める。北波にはどうしても受け止められなかった。受け止めるわけにはいかなかった。自身の身の上や生い立ち、そして、目の前のカナの表情や温もりを。

「オレは...また、お前を狙うかもしれねえんだぞ...!」
「......それでもいい」
「!」
「あなたが、私を狙う理由なんて...私には分からないけど、でも」

カナは目尻を下げて微笑む。

「それなりの理由があるんだってことくらいなら、わかりますから...。それを、私は止められません。......けれど、それを理由に木ノ葉が襲われることだけは許せない」

その目もまた、本気。しかし事実、北波にも勿論カナにももう争える程のチャクラも体力もない。
苦々しい顔をしていた北波は、クソ、と小さく吐き捨て、それでもゆっくりと立ち上がった。先ほど痛めた関節を抑えながら。木に凭れるカナを見下ろした。

「......オレは、ある組織に入ってる......」

前触れのない北波の言葉。カナは北波を見上げる。カナと目が合った瞬間、北波は眉根を寄せる。

「オレみてェに、"自称"じゃねぇ。本当のS級犯罪者の集まりだ」
「......そこに私が狙われて......?」
「...ああ。お前の中の神鳥の力......"安定"のあるその力を求めて、お前を狙ってる。......もちろん、オレもな......」
「......」
「こうなったのはお前の甘さのせいだぜ......」
「......ええ。心してます」

カナの言葉にその言葉以上の想いはない。真っ直ぐな視線に北波は目を逸らした。ーーその後ろ姿を、カナは思わずどうにかして引き止めたくなったがーーーその前に、その姿は消えていた。


北波は確かに、この戦闘の場から去った。闘争はーー終わったのだ。


ふっと気が緩んだカナはがくりと頭を下げ、長い吐息を吐き出していた。そうしてその口元に浮かんだのは、自虐的な笑みだった。
一つは自身の弱さに。一つは自身の無知に。
カナは結局 カナ自身の力で目的を果たせたわけではない。そしてカナはこれまで自身の身の上の危うさをそれほど重要視していなかった。ぱさり、と短くなった銀色が揺れる。

僅かに弱まるカナの瞳の力。だがやはり、その中の輝きだけは、失せることなどあるわけもなく。


ーーー突如 目の前に現れた三人の気配に、カナは動揺もしなかった。


敵ならばオシマイだという考えは無論 カナの頭の中にもあった。だが不思議と、その正体を知る前から、カナの中に焦燥はなかった。
カナの顔が徐々に上がっていく。また、短い銀が揺れ、ちょうど差し込んだ日の光に反射した。温かな光は、ちょうどその三人の真ん中で支えられている者にも当たっていた。

カナは頬を綻ばせ、穏やかに微笑んだ。


「我愛羅くん......」


そして我愛羅を支えているカンクロウと、テマリと。

僅かに息切れをしている我愛羅は、無言で、カナを見つめていた。
カンクロウとテマリも、何も言わなかった。二人は弟に一つ頼み事をされたのだ。"風羽カナを捜してくれ"、と。テマリとカンクロウ、二人は我愛羅の真意を聞くことはせず、静かに頷いていた。

カナにも感じられた。そこにあるのは紛れもなく、昔の我愛羅の表情だった。

ーーその我愛羅の傷だらけの手が、ゆっくりとカナのほうへ伸びた。
カナも驚くことはしない。一層綺麗に口元に弧を描いたカナは、その手に、自分の傷だらけの手で、触れた。

「やっと......もう一度、触れることができた」
「......」
「約束、破ってごめんね。それから.........ありがとう」

温もりが交差する二つの手。それらは幼い頃の温度と一つも変わらない。長い空白の時間ももう二人には関係のないものになっていた。カナのふわりとした笑顔。我愛羅も、ほんの小さな、不器用な笑顔。

「......ありがとう......」

消え入るようなお礼の言葉を呟いた。


「ーーーカナ!」


そして、それはまた第三者の声だった。しかしカナには聴き慣れた声。カナは警戒心なく顔を向ける。既にそうない体力で走って来る影。

「サスケ!」

サスケの目が砂の三人衆を見つけ僅かに見開く。だがサスケがカナへと到達する頃には、三人は、瞬身でその場から消えていた。

あ、とカナが驚くのも束の間。サスケがカナの目の前にしゃがみ込み、眉を寄せていた。

「お前、その髪」
「あ......へへ。焼けこげちゃって」

そして呟くようにサスケは言う。だが、カナはそれに薄く微笑むだけだ。カナに後悔はなかった。髪を犠牲にする意味は十分にあったのだから。
それ以上は何も応えず、そのかわりに、カナはそっとサスケの頬に触れていた。

「サスケこそ、この呪印......また、出ちゃったんだ。......無理したんだね」
「......」
「......お疲れ、さま」

カナの傷だらけの腕が、ゆっくりとサスケの首にまわる。
そうしてーーー抱き寄せて。目を瞑って、零れそうになった何かを隠すように。

「ああ......お前も」

身構えることなく、静かに応えたサスケは、同じように手を伸ばしてやる。
心なしか、カナが小刻みに震えている。それをなだめるように、慰めるように、サスケはカナの頭を撫でた。

カナにとって、それは誰とも違う、安心できる温もりだった。


泣きたくなったのは、何故だろうか。その答えを探しながら、カナは腕に力をこめた。
早く三代目に会いたいと、そう、思いつつ。


 
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