第七十四話 決意


中忍試験での戦の合図を境に、物事は一気に動いていた。
大蛇、音忍、砂忍が木ノ葉を襲っている。木ノ葉の忍がそれに抗戦している。砂の三兄妹が試験会場から去り、サスケがそれを追い、更にナルト、サクラ、シカマル、カカシの忍犬・パックンがそれを追跡している。
予期できていた襲撃に木ノ葉は抗い、里全体が戦場と化していた。

そしてまた、その中の動きの一つである、三代目と大蛇丸の対峙。結界の外で見ているしかない暗部とカナ。カナは手汗を握っていた。自分が入っていったところでどうにもならないことを知りながら、黙って見ているなどカナには耐えられなかった。

「おじいちゃん!!この結界を、解いて!!」

カナはあらん限りの大声で叫ぶ。ーーだが、三代目がカナを振り返ることもなかった。
その代わりに結界を張っている四人が先に動く。カナの声が聴こえたのかもしれない、音忍の四人は内側にも結界を張ってしまったのだ。カナと暗部が息を呑むと同時に三代目はフンと鼻を鳴らした。

「そう簡単には出られそうもないのォ...」
「心にもない。アナタにとっては、足手まといに入ってこられる方がやりにくいでしょう」
「......巻き込みたくないと言ってくれんかの」

三代目は大蛇丸にそう返し、やっとカナに目を移した。カナにはこの場を去ってほしいというのが三代目の本音だった。意図的にカナの声を無視したのもその思いからだ。大蛇丸の手をカナに伸ばすわけにはいかない。
「逃げろ」。三代目の目は、確かにカナにそう言っていた。
カナはしかし、それに頷くことはできなかった。三代目の強さをカナは身を以て知っている、だが、カナの中に募る嫌な予感が消えてくれないのだ。

「......風羽カナ」

三代目の意思を汲み取ったのは暗部のほうだった。カナはあまり良くない顔色で小さく振り向いた。暗部の面がカナに向いている。

「今すぐに逃げるべきだ。お前は大蛇丸に狙われている。三代目は何よりその事を危惧されている。お前とてそんなことは解っているだろう」

三代目を想うなら、ここは退くべきだ。そう言う暗部の面を、カナは無表情を徹して見つめていた。そうでもしなければカナはすぐにでも喚いてしまいそうだった。

「分かってます...でも、それでも」
「風羽カナ、お前が三代目を恩人として見ているのは知っている、だが...」
「そう。三代目様、...おじいちゃんはいつも私を助けてくれた。優しい笑顔を向けてくれた。私を受け入れてくれた...そんな人を放って逃げたりしたくない。ワガママは承知です、でも...!」

徐々に感情的になっていくカナ。暗部は黙ってそれを聞いていた。しかし、それを嘲笑って遮った声があった。
舌なめずりの音がした。

「"おじいちゃん"..."おじいちゃん"って。アナタ、随分猿飛先生に依存しているのねェ?」

その瞬間、カナは震えた。ゆっくりと視線を大蛇丸に戻す。心の中に何かが侵入してくる感覚がカナを襲った。
何を言い出すつもりだ、と三代目が大蛇丸を睨みつけている。だが大蛇丸が今相手にしているのはカナのみで、一方のカナも大蛇丸を目に眉を潜めていた。

「...それが、なにか」
「フフ、つれない子。でも...そうねェ。馬鹿らしい、と思ったのが一番かしら?」
「あなたに馬鹿にされないといけない理由なんてない!」
「そうかしら」

その含み笑いはカナをゾッとさせるのには十分だった。

「血も受け継いでいない...受け継いでいたってさしたるものはないというのに、それさえもないアナタは、本当に"家族"といえると思っているの?」
「...!!」

カナの顔から血の気が失せる。必死で繋いでいたものが急に切れたようだった。瞳が揺れ、今まで保とうとしてきたものが崩れさっていく。カナはついに大蛇丸から視線を外した。馬鹿にしたような笑い声がカナの耳に届いた。

「いい反応ね......実は心の奥底で悩んでいたというところかしら?所詮自分は厄介者、他人でしかないんだ...って」
「ッやめい!!カナは木ノ葉の子供じゃ!」
「あら...言いますねェ、猿飛先生。けれど、分かっていないんですね。いくらそう思ったところで、カナちゃんは確かに風羽の血を受け継いでいる。本当の父と母を想っている。そう言われることのほうが辛いんですよ?」

ーー咄嗟の否定の言葉が、カナの口につくことはなかった。
妙な沈黙が辺りを覆った。それによってカナは更に何も言い出せなくなっていた。カナにとっては、大蛇丸の言葉に否定することも肯定することも、難しい選択だったのだ。

その時不意に、自分の中が"疼く"感覚に襲われ、カナは何かを言いたくとも言えない状態に陥った。体中が熱い。戦えと、"カナの中に潜むもの"が叫んでいた。だがカナには抗うほかなかった。今の状況でこの強固な意思に負けてしまえば、自身の人格が失われてしまう気がした。

「...っう...」
「ほら、言い返せないじゃない...どれだけしょうもないものでも、血に逆らうわけにはいかないものねえ?カナちゃん...アナタにとったら所詮木ノ葉は、」

違う、とカナは脳内で唱えた。それだけは違うのだと。カナにとって木ノ葉は"所詮"で済ませられるものではないのだと。
だが、叫んだのはカナではなかった。三代目が。


「血なんてものは意味もない!!カナは正真正銘、わしらの家族じゃ!!」


カナはふっと顔をあげた。胸の疼きは収まりつつあった。大蛇丸が不快そうに目を眇めるのも視界に入ったが、それよりもカナは早く三代目に言葉を返したかった。

しかし、何を言いたかったのかは、次の瞬間、全て忘れていた。

ーーータンと軽くカナの背後に下り立ったその者は、冷たい瞳で三代目を睨んでいた。


「黙れよ、ジジィ」


一ヶ月前と変わっていない、静かな怒りが滲む声色で、彼は吐き捨てた。


カナは、動かなかった。否、動けなかった。

この時ばかりは、忍としての俊敏な反応を見せることは叶わなかった。

「そこから離れろ!」と、そんな暗部の声もカナは聞いた気がした。だが今のカナにうまく現実を処理することはできない。カナにとって"その存在"は、あるいは大蛇丸よりも恐ろしいものだった。

「案外、遅かったじゃない?」
「まァな。中忍試験に出てたからだろうな、額当てしてなくてもオレが"音"の者だと覚えてたらしい。...どいつもこいつも雑魚だったけど」

大蛇丸のニヤついた声に"その存在"が声を返す。
カナの頬に冷や汗が伝った。嫌になるほどの血の匂いがカナの鼻についた。"この者"が、幾人もの木ノ葉の忍を殺してここまでやってきたのは、十二分に解ることだった。ガチ、とカナの歯が音をたてた。


「どう、して...」


カナはようやく震える唇を動かした。強く拳を握ってもカナの痛覚は反応しなかった。

「どうしてまた、来たんですか...!戦いたくないって言ったじゃないですか!!満足したんじゃなかったんですか...?私に恐怖を味合わせることができて...!ーーー北波さん!!」

ーー音の忍である北波は、無言だった。

北波の静かな瞳はじっとカナの小さな背中を見つめていた。その背中は小刻みに揺れている。
憎しみをもって戦いたくない。それ以前に北波という存在と争いたくない。カナのその不思議な感情は未だに続いていたのだ。

だが、北波は沈黙の後、あからさまな溜め息をはき、ぼそりと「知るかよ」と呟いたのみ。そして目前のカナをお構い無しに結界の中の三代目に視線を移す、のみだった。

「おい、ジジィ」

ピクリと反応を示す三代目。あの予選時のことを思い出しているのか、北波を見る三代目の顔は険しい。

「なんじゃ」
「別にアンタなんかに特に興味はねえけどな。勝手なこと言ってんじゃねえぞ」
「...何の事じゃ」
「何よりも"それ"を重要視してるヤツはいるんだよ。......"血"は、絶対だ......どうしたって無視できるもんじゃねえ」

三代目は眉をひそめる。北波の言葉の意味を理解できる者はいない。大蛇丸の興味深そうな目も無視して、北波は真っ直ぐ三代目を射抜いていた。『血なぞは関係ない』、との三代目の先ほどの言葉は北波の中だけで膨れあがっている。

「もう一度似たようなことを口にしてみろ」

北波は更に続けた。


「大蛇丸がアンタを殺る前に、オレがとっととアンタを殺ってやる」


キイィィィン___!!

ーーーその瞬間、耳が痛くなる程の金属音が鳴っていた。

カナと北波の間に、クナイと短刀。息を呑む暗部らと目を見開く三代目と、愉快そうに微笑む大蛇丸。そうした反応の理由は一つ。
仕掛けたのは北波ではなく、カナだった。

歯を食いしばり瞳を歪めるカナと皮肉な笑みを浮かべる北波。二人の容姿、雰囲気は、相変わらずどこかが似ていた。
カナの脳内には嫌になるほど鮮やかに惨劇の夜が甦っていた。カナ自身が昔体験したものと、一ヶ月前 北波に見せられたものが組み合わさった映像。カナのクナイを持つ手の力が強くなる。思い出すほどに、目の前の青年を見ていられなくなっていた。

ーーだが、その時、屋根を蹴って暗部が唐突に動き出した。

ハッとしたカナはすぐさま飛び退いた。北波のみが悠々とその場に留まったまま...否、正確には、北波は既に動く事は叶わなかったのだ。
"土遁・黄泉沼"が発動していた。

「音の忍なら容赦はしないぞ、貴様!」

キィン、と再び金属音が響いた。北波の短刀にクナイを受け止められた暗部はざっと後ろに下がった。
その合間にも黄泉沼は徐々にだが着実に北波を呑み込んでいるのだが、北波には全く焦りが感じられない。暗部、三代目、カナ、全員がその様子を怪訝に思った。不気味なほどに北波は冷静だ。

「...こんなもんかよ、木ノ葉の暗部ってのは」
「強がりよって!!その黄泉から逃げ出すことは不可能、お前は呑み込まれ、死ぬ...!」
「あーそうかよ......」

暗部が脅しても北波は変わらぬ態度。こき、と首を傾けて鳴らすのみ。緊張感はまるでない。
その様子にカナのほうが体を固くしていた。北波の絶対的な余裕が、カナには意味のあるものに思えた。三代目も視線を鋭いものにしている。北波が勝機もなく見栄を張る男には見えない。

恐らく虚勢ではないのだ。北波は何らかの策を既に講じている。泰然自若とした態度は偽物ではない。
そして、大蛇丸が口元を上げて北波に言った。

「言っとくけど、カナちゃんはダメよ。その周りの者共は構わないけれど」
「分かってる」

やる気のない態度。だがその声は冷めていた。
状況に全くそぐわない、冷然とした態度。だが、"それ"は確かに起こっていた。

「......え?」

ぽつり、とカナは呟いた。カナの目では全てを捉えきることは不可能だった。カナが正確に認識したのは全てが行われた後だった。
ーーーカナの右頬に、ぴっと紅い液体が跳ねた。

「......ああ。悪いな、汚して。......姫」
「あ......あ」
「やっぱ弱えな...というより、甘いんだろうな。ぬるい里だからこうなる......暗部も......お前も」

漂う鉄の匂い。視界に広がる赤。無感情に話す青年。
一瞬だった。黄泉沼に掴まっていた北波が煙となって姿を消した、途端だった。カナの視界がぶれる。屍がごろりと、そこに、三つ__!


「......!!」


カナは強く歯ぎしりして俯いた。

「お主...なんてことを...!」
「何をおっしゃる...北波の言うとおり。甘いですねぇ、猿飛先生」

これが忍の世界。死ぬも生きるも、殺すも殺されるも、全てが自分の実力次第。負けたらそれまで。悪いのは弱い自分。相手を責める、理由はない。

暗部の首を平然と飛ばした北波は、左頬についた返り血をぺろりと舐めた。北波の心臓の鼓動は全く乱れていない。黄泉沼が発動された瞬間に分身と入れ替わっていたのだ。北波が取り乱す理由など微塵もなかった。北波にとって人を殺すことなど雑作もないことだった。

「......いつまでも塞ぎ込んでんなよ、姫。ぬるい里にいるからお前もぬるくなる...相手がどうだこうだとかじゃねェだろ。お前の目の前にいるのは他国の敵忍だ。殺し合うのが当然であり、道理だ。甘いこと考えてんじゃねーよ」

落ち着いた声だ。不思議とその声にはカナへの憎しみは宿っていない。
カナはそれにようやく反応した。「わかって、る...!」と。熱い目頭を感じながらもカナは必死に戦っていた。迫り来る恐怖にも、胸に沸き立つ憎悪にも、そして腹の内側を叩いてくる"脅威"にも。

それはカナが認めた力だった。心から信頼する存在に誓った力だった。仲間の為に使うと決めた力だった。
圧倒的な強さを持つという力だった。
カナは震える唇から長い息を吐いた。全身が既に怒りを感じている。それでも、努めて冷静に、口を開いた。

「私の......胸には」

未だに顔は伏せたままで、言葉を繋ぐ。

「私の胸には..."力"が宿ってる。ずっと前にそう聞きました......もう......ずっとずっと前のこと」

話したのは三代目。風羽の悲劇が起こってすぐなのか、それともそのずっと後のことなのか、カナはそこまでは記憶していない。鮮明にカナの記憶にもあるのは、真剣な三代目の表情と、信じられない思いを抱いた自身の感情。

「それから何年も月日が経った。でも私に実感はありませんでした。私は人よりかなり優れているというわけもなく、特異な能力があるわけでもなかった。あるのは一族の血、のみです。......正直 疑わしくなったくらいだった。思い違いだったんじゃないか、実は私も何ら変わらない風羽の子供だったんじゃないかって...」
「......だが、事実だ」
「......最近になってようやくでした。本当に、私に力が宿ってるんだと思い知ったのは。......でも、それでも私はまだ分かってない......一体"これ"が、どれだけの力なのか......どれほど強大な力を宿しているのか。私の中に宿っている"正体"がなんなのか」
「.........」
「分かっているのはただ一つ......放り出すには、あまりにも危険だということ」

カナはゆっくりと顔を上げた。その表情に滲み出ている苦痛は、それでも今にも決意に呑み込まれようとしている。
長い台詞はカナの本心だった。今の今まで誰にも打ち明けた事のない、"願望"だ。カナはただの子供でいたかった。仲間と共に歩み続けられるのなら、特別でなくてよかったのだ。しかしそれは不可能だった。
カナは最後、最も口にしたくなかった言葉で尋ねた。

「あなたたちが......。あなたが狙っているのは、この力......?私が"神鳥"なんてものを抱え込んでいるせいで、今、木ノ葉はこんな事態に陥ってるの......?」

消えそうな声だ。だが確かに北波に届いた。強い光を放っている瞳も、北波に突き刺さっていた。北波は僅かに目を逸らしていた。静かな呼吸が繰り返された。しかしまたカナに視線を返した時、北波の目に情はなかった。

そうだ、と、北波は返した。

ーーーだが、次の瞬間の出来事は、北波の予想の範疇ではなかった。

クナイが飛んだ。

動けなかった北波の頬に一線。北波は拭うことも臨戦態勢に入ることもせずに、目を丸くしていた。カナをよく知る三代目でさえも、今現在のカナの凛とした態度に驚きを見せていた。

「なら、私は責任を取らなくちゃならない...!私のせいで、今 大勢の仲間が傷つけられているというのなら......私は全力で戦って、アナタたちを追い返す!!!」


それは北波と戦うことを、意味していた。


 
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