第六十五話 露呈


「水遁 篠突(しのつき)!」

途端、空中に多量の水の塊が浮く。数秒の間ごぼごぼと音をたてて留まっていたそれは、急にまるで雨のように、だが普通の雨より更に強く速く地に落ち、地面に無数の穴を作っていた。

それを見ていたカナが歓声をあげる。術発動者であるテンゾウはすっと構えていた印を下ろした。

「これは僕のオリジナル忍術。チャクラコントロールと形態変化さえできれば簡単にできるものだよ」

散水破の的にされた巨大な岩は水が当たった部分だけえぐれている。コントロール次第で威力を変化できるから、もっとチャクラを練れば破壊だってできるとテンゾウが言えば、カナはまた感嘆の声をあげた。

───カナは水遁、サスケは雷遁の修行を始めてから数日。

始めてから二日後には完璧に水のチャクラを練れるようになったカナは、既にいくつかの水遁術をマスターしている。一方でサスケは、カナのように術の数ではなく、一つの雷遁術に打ち込んでいる。二人はやっていることは違えどもどちらも順調に進んでいた。

"篠突"の威力を興味深そうに眺めたカナは、ふっとテンゾウを見上げた。

「テンゾウさん。オリジナルって、どうやって作るんですか?」

その目は異様にきらきらと輝いていた。"僕のオリジナル忍術"と言ったテンゾウのセリフがカナの脳内で大きく膨らんだのだろう。その光線を受けたテンゾウは、きょとんとした顔から一変、頬をかいて苦笑いを零した。

「そっちに興味を持っちゃったか......。そうだね、まず忍術を作るには性質変化と形態変化、この二つが必要になる。形態変化はさっきも言ったけど、カナ、この二つの言葉の意味は?」
「アカデミーで習いました、確か。要するに性質変化はチャクラを火・水・風・土・雷のうちいずれかの性質に変え、形態変化はチャクラの形を自在に操ることですよね」
「ま、大雑把にいえばそんな感じだね。じゃあカナ、なにか風遁の術をしてごらん」

なんでもいいよ、と促すテンゾウに首を傾げつつ、カナはぱっと思いついた印を組む。チャクラがカナの体に纏い始める。「風遁 風繭」と言うと、現れた風は思いのまま、球体に変化した。今はカナの周りでなく、カナのすぐ隣に現れている。
じっとそれを確認したテンゾウはこくりと頷いた。

「うん。その術は、性質変化も形態変化も取り込んだ術だね。つまりキミは既に二つともできてる。オリジナル忍術を作る基礎は、合格ということだ」
「でも、それだけで術を作れるんですか?」
「もちろんこの二つができたからって作れるわけじゃないさ。あと必要なのは、ここね」

テンゾウが指差した先は自身の頭。とどのつまり想像力である。「イメージ、かあ」と、意味を汲み取ったカナは小難しそうな顔をして腕を組んだ。
カナが今扱える風遁術は飽くまでも"風羽"が長い年月をかけて作り出したものであり、カナのものではない。多彩な風の扱い方をカナは真似てきただけなのである。

「なんか悩んでるみたいだけど、カナ。今は考えなくていいんだよ。キミは今、最低限の水遁術を使えるところから始めてるんだから」
「......そうですね」

テンゾウの苦笑混じりの言葉にカナはふっと肩の力を抜いて、笑った。
それから振り返ったかと思うと、テンゾウがいる方向とは反対へと視線を変える。カナの瞳に映ったのは二人の人影、だがじっと見つめるのは片方のみ。カナがずっと共に歩んできたサスケが今 そこで、必死に修行に取り組んでいる。

「......急ぎ過ぎたら、逆に失敗して、サスケに置いてかれちゃう」

ぽつりと呟くカナ。それは無論 テンゾウが耳で拾い、テンゾウもまたサスケを見た。

サスケの手にある雷は、まだ未完成だが、テンゾウが今までに見たことがあるものだ。それがカカシの必殺技であることをテンゾウは知っている。そして、生半可な実力ではできないものだということも。

サスケに備わっているのは天賦の才能。それを更に成長させているのはサスケ自身の努力。
カナは今まで、そんなサスケに大幅に引き離されないよう、必死に走ってきた。

───だが、カナが強くなる努力を続けてきたのは、決してサスケと共に歩み続けるためだけじゃない。

テンゾウの頭に響いた言葉。テンゾウの目に、今度はカカシが映る。ここ数日のうちのいつかに、カカシは真剣に言っていた。

『カナは仲間を誰より大切にしてる、木ノ葉の里の忍の一人だ。......それは三代目の教えばかりから生まれた考えじゃない。アイツ自身の、幼い頃の体験がその意志を作り上げてきた。カナが強くなったのは、周囲とのつながりを護るためでもあるはずなんだ。

───だが今回、それを、アイツは......』


ぐっと拳を作るテンゾウ。
サスケから既に意識を外していたカナが、それを不思議そうに見た。

「テンゾウさん?」

静かな声がかかり、テンゾウはああ、と低い声で返した。屈託の無い顔で、ただただ純粋な瞳をしているカナは、"あの時の"カナからは想像もできない。

あれはカナの意思じゃない。テンゾウは思う。葛藤する。だがカナだった。それは確かだ。やってしまったのは、他でもない。
目の前にいる、この風羽カナだ。

「......カナ」
「はい」
「少し修行を中断する」
「え?」
「......キミに言っときたかったことがあるんだ。その話を、しよう」

暗い声にカナもなにか思ったのだろうか。きゅっと唇を真一文字にして、どことなく不安そうながらも、おずおずと頷く。それを確認したテンゾウが、先を歩き始めた。

徐々に空を覆い始めた雲は、ぴちょん、と静かな雨音を鳴らした。



段々と部屋が暗くなってきていることに気づき、三代目は笠をずらして窓のほうへ顔を向けた。

「雨か......」

嫌な天気だ。空には今にも雷を落としそうな黒い雲が並んでいる。その下の木ノ葉の町並みに目を落とせば、傘をさし始めている者もいれば走っている者もいた。
その走っている者のうちの一人に、三代目は見慣れた影を見つけた。
小さな少年は長過ぎるマフラーを濡れないように持ちながら、一直線に三代目がいる建物、火影邸を目指してきている。どうやら今回は奇襲ではないようだ。

「じじィーー!!雨宿りさせろ、コレー!」

数秒後、今まで静かだった火影室に、ドアが派手に開く音と元気すぎる声が響いた。三代目の実の孫、木ノ葉丸である。火影である祖父に大した敬意も払わない態度は相変わらずで、三代目が声をかける前にずかずかと部屋に入り、側にあったタオルを掴んでわしゃわしゃと自身の髪を拭いていた。
その様子を苦笑しつつ見ていた三代目。

「風邪をひかんように、帰ったらちゃんと乾かすんじゃぞ」
「うるせー。そんなことわかってるぞっ」

口を尖らせ恥ずかしそうに返す木ノ葉丸。まだまだ幼い少年を前に三代目はふっと思う。子供はすぐに成長するものだ、と。
ほんの少し前まで息子であるアスマは素直に話を聞く子であったし、木ノ葉丸はほんの赤子であったし、そして今、行方知れずなカナはずっと近くで笑っていた。

銀色の、元は木ノ葉の生まれでない少女。

カナは木ノ葉丸やアスマとは違い、滅多に反発しない子供だった。あの事件のせいもあってか最初は子供らしさを失っていたが、徐々にそれも乗り越え、捻くれず今も真っ直ぐ育っている。三代目が誰かにカナのことを紹介するたび、誰もがカナのことを、"手のかからない良い子供"だと言っていた。
......だが、三代目は知っていた。カナは、トラウマである蛇を例外としても、虫や暗闇、幽霊の類いで怖がることはなかったが、ただ一つ 異様に避けていたものがあった。

"一人でいること"。

三代目の仕事場まで付いてこなくなったのは、うちは兄弟と知り合ってから、やっとのことだった。

「......じじィ......なあ、じじィ」
「なんじゃ、木ノ葉丸」

三代目の視界の中で好き勝手していた小さな少年がぴたりと止まった。おずおずと振り返る木ノ葉丸の表情を、三代目は予測できた。
木ノ葉丸は、昔からカナを慕っている。

「カナ姉ちゃん、まだ見つかんないのか?」
「......うむ」

木ノ葉丸にとって姉のような存在がカナ。今でこそ会う機会は少ないが、昔は木ノ葉丸とカナは共に走り回る仲であった。故に、血の繋がりはないといえども───"家族"。
三代目も、なるべくカナの失踪については伏せるようにしていたが、いつまでも隠し徹せるものではない。木ノ葉丸はこの件について知ってからモエギやウドンと毎日のように里を歩き回っている。だがそれでも見つからない。その理由の大部分は恐らく。

「(テンゾウもカカシのヤツに毒されよったか......)」

かの暗部から途絶えた連絡は、暗に首謀者がカカシであることを示しているだけだ。
だが、だからこそ安心できる要素もある。

「顔をあげい、木ノ葉丸」
「......」
「大丈夫じゃよ。カナもすぐに戻ってくる。これだけみなが心配しとれば尚更じゃ。目に浮かぶようじゃろう?いつものような笑顔と共に現れ、それから何度も謝るカナの姿が」

三代目は煙管を手に取り、ぷかりと煙を浮かべる。顔をあげた木ノ葉丸の目には、それがカナの表情を現しているようにも見えた。暫く黙ってその煙を見ていた木ノ葉丸は、暫くするとニカッと笑った。

「んなこと分かってるぞ、コレェ!!」

いつもの調子を取り戻した少年は、それだけ言って、部屋を出て行った。たたたっと意気揚々とした足音が聞こえてくる。
三代目は柔らかく微笑み、また外を眺めるのだった。



岩陰の中までも雨のにおいが漂ってくる。天候は今や土砂降り、陰からカナが手を伸ばせば、冷たい雫の感触が走った。サスケとカカシは濡れていないだろうかと思っても、現在はカナにそれを確認するすべはない。

「カナ」
「はい」

静かな声で呼ばれ、カナは促されるがままに岩に座る。テンゾウはカナの前の岩に。ここ数日間で、一番の真剣な面持ちでカナを見ていた。

カナにはなにがテンゾウをそうさせているのか分からなかった。だが一方で、分かることもあった。───なにか、悪いことだと。
もう一度、カナ、とテンゾウに強く呼ばれる。カナには自分の名が酷く重く感じられた。

「これから言うことはキミにとって、最も辛いことだと思う。だがそれでも僕にはこうするワケがある。それは、キミが汲み取ってほしい」
「......」

言葉はすぐにカナの口をつかなかった。のしりと胸に沈み込む靄を感じるカナ。自分にとって最も辛いこと、それは───なに?
知っているはずだ。分かっているはずだ。けれどすぐに思いつかない理由がある。単純なことだ。自分でそれを、察したくないと逃げている。カナは膝の上でぎゅっと拳を握った。

「......わかりました。でも、わからないです。今の私には、テンゾウさんがそんな表情をしている理由は......だから」
「......ああ」
「お願いします。それが、私の為だというのなら」

事実を告げられる前から雰囲気で察したのか。カナの最後の言葉はまさに、テンゾウが言った"汲み取ってほしい"ものであった。カナの瞳はあまりにも真っ直ぐだ。それは子供特有の眼差しだが、同時にまだ12の子供だとは思えない顔をしている。
だからこそテンゾウは目を伏せる。

"師弟"と呼ぶにはまだ早すぎる。深く関わるにはまだ面識が足りない。まだ互いに上辺程度のことしか知りはしない。だというのに、急にこれから、"内部"を抉ろうとしている。
この真っ直ぐな表情が崩れた時、テンゾウはカナにどう対応すればいいのか知らない。間違いなく、言うのならカカシのほうが適任だ。

「(ここまで言っておいてなんだけれど、ここはやはり───先輩に?)」


「後悔は、」
「!」
「きっと......いえ、絶対に、しません......!」


心の中を見透かされたかのように思えたテンゾウは、暫し固まっていた。テンゾウの迷いが見えたのだろう。カナのほうがきゅっと眉根を寄せ、しっかりとテンゾウを見据えている。

「......ああ。分かった」

テンゾウもまた、覚悟を決めた。

「......なにから話そうか。......実は、僕がキミを個人として認識したのは、数日前、自己紹介したときが初めてじゃない」
「......どういうことですか?」
「半月前の、中忍選抜試験。第三の試験、予選」

"暗部"として、テンゾウは会場にいたのだ。目的は無論、任務。
呪印をつけられたという、"うちはサスケ"と"風羽カナ"を見張れという命。もし二人が呪印で暴れ出したら即座に出て行き止めろと言われていた。しかし命を遂行することはなかったとはいえ、その場にいたら嫌が応でも見るものがある。

「僕は担当上忍でもないからね、"忍"としてあの場にいたんだ。そうすると自然と、試合を観戦させてもらうことになったよ」
「......」
「もちろん。キミの試合も」

───カナは喉を鳴らした。嫌な汗が背中を伝った。その時だった。

「ッう......!」

突如、カナは胸を抑えていた。
目を見開き、ハ、と声にならない息を吐き出す。
気持ちの高ぶりのせいなどではない、本当に何かが胸の奥で燃えているかのような感覚、蠢いているようなざわめきがカナを襲っているのだ。

「カナっ?」
「すみ、ま、せ......、......へいき、です」

深呼吸。怖々と肩を上下させ、カナは一息ついた。
茶色の瞳がブレている。嫌な汗はまだ流れているが、熱い感覚は消えていた。静まった空間に、カナはなにも聞いてこないテンゾウを不思議に思った。

「テンゾウさんは、"今の"の意味を......知ってるんですか?」
「......キミがたった今、苦しそうにしていたこと、の意味、ということかな」

返された問いにカナは胸を抑えながら頷く。数秒もなく、テンゾウは「残念だが」と返した。

「キミのことを深くは聞かされてない。"風羽"の一般常識程度のことしか、ね」
「......そうですか」
「ただまあ......キミが、他の人にはないものを持っていることくらいは分かってる」
「!」
「けど聞くつもりもないさ。それはきっとまだ、僕が関わるべきことじゃないしね。......でも。予選の時にあったこと、これだけは、言わないといけないんだ」


テンゾウの目が再び真剣に細められ、どこか戸惑っているカナの顔を捉えた。未だ胸を抑え、カナは口をきゅっと真一文字に閉めている。

テンゾウは、一呼吸置いた。

数秒後に来るであろう空気を既に感じ取っているかのように、眉根を寄せて。ゆっくりと開いた口から零れでた言葉は一瞬だった。


「キミは仲間を、傷つけた」


十分だ。カナの行動を全停止させるのには。
カナの口から漏れたものはただの、ひゅっと擦れたような吐息だけだった。

「といっても......ただのかすり傷だよ。普段の任務と比べたらケガにも入らないだろう、それも事実。けど、キミは確かに」


"仲間を、傷つけたんだ"。


カナは何十秒もの間、呆然と目を見開いていた。


───だれを?だれを傷つけた?

仲間を、傷つけた?
だれが?
他でもない、この、私自身が?

大切な人たちを護るために忍になると決意したのは、一体誰だった?


「わた、し、が、」
「......キミが。目の前の敵に目が眩み、他の仲間のことなんて考えもせずに」

茫然自失するカナを前に、テンゾウは淡々と機械的に事実を口にするのみで、宥める言葉も慰める言葉もテンゾウの口をつくことはなかった。ひたすらに心を徹することで。

「......ここでキミを励ますようなことを言うつもりはない。本来のキミがどうであれ、事実を打ち消すことはできないんだ」

聴こえているのかいないのか、カナは無言だ。地面に視線を落としたカナを前に、テンゾウは続ける。

「乗り越えるんだ。もう二度と、そんなことがあってはならない。仲間を誰より大切にするキミが自我を失うなんてこと、これから二度とあっていいはずがないんだ。......キミの強さはなによりも、仲間を想う心にあるんだから」
「───い......は、い」


カナは、短く返事をした。しかし、その瞳がテンゾウの顔に向くことはなかった。

その様子を目に、テンゾウはすっと立ち上がる。岩陰の外はまだ強い雨が降っている。小さく息をついたテンゾウは、ゆっくりと雨のほうへ歩んでいった。それでもやはりカナは顔を上げることもない。テンゾウとカナの距離は、開いていくばかりだった。

「......雨は水遁使いにとって修行のチャンス。落ち着いたら、僕のところへおいで。それまでは静かなところでゆっくりしてるといいよ」

カナの耳にテンゾウの声が聴こえたのはそれまでだった。びちゃびちゃと雨の中を歩いていく音だけは聴こえたが、カナの顔があげられることは終始、なく。
ありがとうございます、と呟いた言葉もテンゾウに届きはしなかっただろう。
暗く湿気た空気がカナを包み込んでいた。


 
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