第六十四話 事実は事実
カナとサスケの目の前には現在、紫珀と見慣れない男が到着していた。言わずもがな紫珀が連れて来た暗部のことであるが、今、男は面を外しているので人目にはそうは見えない。
カカシの隣でぽりぽりと頬をかいているその男に、固まっていた下忍二人は温和そうな印象を受けた。
「......誰だ?」
先にサスケが口を出すと、男はカカシを見て溜め息をつく。
「僕を呼んだわりには、言ってなかったんですか。カカシ先輩」
「んー?いやあ、お前を呼んだ後のほうが紹介はしやすいと思ってね。テンゾウ」
テンゾウ。そう呼ばれた男は、また一つ溜め息をついてみせた。それだけでマイペースなカカシに振り回されている不憫な男だということはよく分かる。思わず同情の眼差しを向けてしまったサスケの横で、カナは訝しそうに首を傾げる。
カカシとテンゾウは暫く二人だけで喋っていたが、やっと二人の視線に気付いたように向き直った。
「悪いね、キミたち......うちはサスケくんと、風羽カナさん」
「......私たちを知っているんですか?」
慎重に言葉を選ぶカナ。テンゾウは一つ頷き苦笑した。
「第三の試験予選にもいたし、なにより」
そこで一旦切ってカナとサスケの顔を交互に見やる。
「キミたちの捜索を、火影様に頼まれた身でもあってね」
捜索。
すっかりこの場に馴染んでいたカナとサスケの反応は一瞬遅れたが、すぐさまザッと後方に飛び退いていた。
病室から抜け出し四日目、確かにもう手配がされていてもおかしくはない頃だ。だが、悪いことをしているのは自分たちだとはいえ、二人に戻る気は一切なかった。
「どういうことだ、カカシ。オレたちを呼んだのはお前だろ」
「いや、オレカナを呼んだ覚えはないんだけど」
「......」
「とりあえず、ま!コイツに警戒する必要はないから、身構えなくていーよ」
「......つまりカカシ先輩、僕は嫌でも火影様に叱られることになるんですね......」
身構える必要はない=任務を遂行することはできない。テンゾウは脳内でそんな公式を瞬時にたててがっくりと肩を落とした。
カカシの言葉に一応警戒を解き、サスケと元の位置に戻ったカナは、いよいよ申し訳なくなって「すみません......」とテンゾウに謝った。顔を上げたテンゾウは苦笑しつつ、いや、と首を振ったが。
「キミらのせいじゃないよ。ね、先輩」
「なんのことやら」
「......はあ。ところで先輩、彼......紫珀くん?に届けてもらったこの紙に、カナさんの修行を見るように書いてあったんですけど」
「え、私?」
目を丸くするカナ。同様に驚く、サスケに紫珀。
「ちょい待ちィ!なんで修行やねん!オレ様を使うたクセになんも言わんっちゅーのはアカンよなァ!?」
「いやー説明が長いんでめんどくさいし。時間もないんで成り行きで悟ってもらえれば助かるよ」
「めんど......って、バケの皮剥がしやがったな んのマスク野郎!!」
紫珀は短気で頭に血が上りやすいが、今回ばかりは紫珀の言い分も最もである。が、カカシの態度は変わらなかった。「ありがとうね、おつかれさん」と宥めるというよりもただあしらっているような言い草である。それが紫珀には逆効果だ。
どんどん増えていく紫珀の青筋にカナとサスケでさえも身を引く。しかし愛読書片手のご本人が事態の深刻さに一番気付いていない。
「それじゃー修行の説明をしようか」
丸っきり紫珀を無視したカカシの態度に、ついに、ブッチィという音が聴こえた。
「覚悟せェやマスク野郎!!」
久々に本気の紫珀の怒声を聞いたカナだった。
■
「カカシ先生がいる時は絶対に、絶対に口寄せしないようにしよう、そうしよう」
「そうしろ。止めるのが果てしなく面倒だ」
カナとサスケが真面目な顔して下らない話をしていた頃には、紫珀はもういなかった。いるのはその二人と、げっそりしているテンゾウと、やはりイチャパラを読んでいるカカシのみ。カカシのみがけろっとしている現在である。
あの後の紫珀を止めるのに、カナとサスケとテンゾウが三人掛かりに必死になっていたのに、それでもだめだと思った時には呆気なく、カカシが紫珀に軽く手刀をかましたのだ。その途端 紫珀は住処に帰ることになったのだが......できるのなら最初からしとけと思った、他三人であった。
「さて、結局時間をロスしてしまったけど」
そう切り出したカカシに、全員がアンタのせいだと思った。
「言ったとおり、サスケはオレと。カナはテンゾウとそれぞれ修行をしてもらう」
急に真剣な顔になったカカシ。自然とカナもサスケも気を引き締め、真剣にカカシを見る。
カカシはぽんぽんとテンゾウの肩を叩いた。「そういや紹介がまだだったな」と今更ながらにそう言い、如何わしい愛読書をポーチにしまう。テンゾウもまたサスケとカナに向き直り、朗らかな笑顔で挨拶した。
「遅くなって済まないね。僕は......そうだな、カカシ先輩のようにテンゾウと呼んでもらって構わないよ。もう分かってると思うけど、カカシさんの後輩でね」
「忍として、のですか?」
「うーん。ま、そんなところ」
口を濁したテンゾウにサスケは眉をひそめたようだったが、カナはその言葉を鵜呑みして、差し出された右手と迷わず握手を交わしていた。数十分前までは初対面だったが、紫珀の一件で妙な連帯感が......生まれたようなそうでもないような。
「でも、どうして私はテンゾウさんと?」
テンゾウから目を放してカカシのほうを見るカナ。サスケも同様。そんな二人に、カカシは無言でまたポーチに手を突っ込むと、チャクラ感応紙を再び取り出しそれをテンゾウに渡していた。
「ま、百聞は一見にしかずってヤツ?」
「先輩はただ面倒なだけでしょ」
のろのろ口に出したカカシに対し、的確にポイントをつく後輩である。しかしやはり後輩は先輩に逆らえなかった。
テンゾウはふう、と一息ついてから、感応紙を持った手にチャクラを集め始めた。
そして数秒後、現れた反応は。
「テンゾウさんも、私と同じ、水の性質......」
カナのときと同じように、感応紙には水が滴り落ちていた。頷いてみせたテンゾウは「ちなみに」と付け加える。瞬間、ボロっと感応紙の形が崩れた。
「僕は、水と土の二つの性質を持っているんだ。サスケくんが火と雷を、キミが風と水を持っているようにね」
「ということで、だ。今回、カナ、お前の修行相手としてはコイツが適任。相手がオレじゃないからって、手を抜かないよーに」
まさかカナに限って、な話をカカシはのほほんと口にする。カナは苦笑して、それでも、「はい」としっかりと返した。
それからカナとサスケが顔を見合わせたのはなんとも自然なことだった。柔らかいカナの瞳を見て、サスケの顔の筋肉が僅かに緩む。
「......頑張れよ」
「うん。サスケこそ」
サスケが普段口にしないような言葉に、カナはなんの疑いもなく笑って返す。前触れもなくサスケの手がカナの頭に伸びて銀髪を乱雑に撫でていた。
これから数日、二人は別々に強くなる。それぞれが違う力を身につける。それぞれの目的のために。
"一緒に"。
サスケとカナがパンと片手同士を鳴らして別方向に歩んでいく様を、カカシとテンゾウは穏やかな目で見つめていた。
■
場所を移動したカナとテンゾウ。カナが振り返ってみると、サスケとカカシも移動したのだろう、更に遠くに二人の姿が見える。カナの場所からでもサスケが真剣にカカシの話を聞いているのが分かる。カナは思わず微笑んでいた。
「カナ?」
「あ、いえ。すみません。それで、修行ってなにするんですか?」
「そうだね。とりあえずはこれかな」
カナに問われるとテンゾウはポーチからなんの変哲もない紙を取り出した。すぐまた感応紙か、と思ったカナだったが、そうではないことに気付く。テンゾウが持っているのは本当にただの紙だ。
「見てのとおり、何の仕掛けもない紙。それでまず水遁のチャクラを出す練習をするんだ。チャクラ感応紙はチャクラを吸いやすい、だから簡単に反応するけど」
手渡された紙を右手に、カナは迷わずチャクラをこめていく。すると確かに感応紙でないその紙でも反応はした、が。
「普通の紙ならそうはいかない」
テンゾウの言葉と同時に、カナの持つ紙に現れた反応は、"真っ二つ"。風のチャクラだ。縦半分に切れた紙の左側が支える力を無くしてひらりと地に落ちていく。
慣れていないチャクラを引き出そうとすることは難しい。感応紙では解らなかったことである。
「別に紙じゃなくてもいいんだけどね。まずはこれができてからだよ」
「......これができないと、水遁なんて使えないんですね」
「そういうこと」
術を覚えるどころかまずチャクラの捻り方からやらなければいけない。遠い道のりではあるが、カナの表情は暗くはなかった。瞳には力が宿り、口元には僅かな笑みが零れている。
テンゾウはそんなカナを、意味ありげにじっと見つめていた。
■
バチ、パチパチ、バチ...!
サスケの両の手から流れ始めている雷。徐々にそれはサスケの思いどおりに近づいていく。両手の平を合わせ、その真ん中に挟んでいる紙がどんどん焦げていく。修行方法はカナと全く同じである。
さすがうちは一族。それと、兼ね備えている天賦の才能か、とそばで本片手に見ているカカシは横目でサスケを眺めていた。サスケはものの数分でコツを掴み始めている。
「(オレのオリジナル、使えるといいけどね)」
しかし、カカシが悠長にそう思った瞬間だった。
思わぬ突風が二人を襲い、サスケの集中力がふっと途切れたのである。
「うおっ」
「!?」
足を踏ん張らせるカカシ、サスケ。
とんでもない強風でイチャパラは危うくカカシの手から逃れそうになったし、サスケの癖っ毛は乱されていた。
「......収まったか」
「なんだってんだ......」
ほんの数秒の豪風に二人の頭にはハテナマークしかない。二人は同時に風が吹いていた方向を見やり......それから納得した。視線の先にいたのは言わずもがな、風を扱うあの少女。
カカシとサスケ、二人の目の中で、きょとんとした顔のまま尻餅をついているカナ。カナの手から逃れていた紙がひらひらとその頭に舞い落ちる。それから思い出したように辺りを見渡し、見つけた人影に焦って走っていく。どうやらテンゾウのほうは近過ぎて吹き飛ばされてしまっていたようである。
「風のチャクラを抑えきれなかったってわけね」
「ったく......ウスラトンカチ」
呆れた物言いにも聴こえるが、そう言うサスケの顔は柔らかであった。───だが、それは数秒で薄まっていき、最後には真剣な目でカナを見つめていた。サスケの拳が徐々に強く握られていく。
サスケの脳裏に甦ったのは、昨日 カカシと会話した内容であった。
それは、衝撃的な事実。カナに眠っているというもの。"それ"が持つ強大な力と、封印の式が出なかったこと、"金の瞳"のこととの繋がり。
「......カカシ」
サスケはそっと切り出した。
「昨日言ってた話......封印と、目のこと。カナは知ってんのか」
「......いや。少なくともオレは言っていないし......お前が言ってないのなら、他に告げる相手はいなかったろうな。だが、きっといつかは誰かから聞くことになるだろう」
カカシの言葉がずっしりとサスケに凭れ掛かる。転がっていたテンゾウに手を差し伸べるカナを漆黒の瞳が捉え続ける。
いつかは伝わる、というカカシの言葉がサスケの脳内に駆け巡っていく。
「アイツが、それを知れば......」
サスケはしっかりと立っていたが、カカシの目には僅かに揺れているように見えた。サスケの心情を深く揺さぶるのはなにも兄のことばかりではない。カナは、サスケの中に深く入り込んでいる。いつもは冷静沈着であるこのサスケが幼なじみのことになると簡単に揺らぐ。
カカシの瞼の裏側に映像が流れる。第三の試験、予選。目に映るのは北波のことのみで、他のことは一切考えていなかったカナの姿。
あの時のカナは、あと一歩間違えれば、木ノ葉の仲間に大ケガを負わせるところだったのだ。
けれど。
「知らなければいい、というわけじゃないだろう」
「......」
「知らなくても、事実には変わりない。やってしまったことは変わらないんだ。それなら......」
「もう二度とそんなことが起こらないように、伝えておいたほうが良い......か」
テンゾウは再び修行を開始したカナを目に、一人呟いた。
暗部として見張っていた予選、その時のことを思い浮かべながら。