第六十二話 新たな力
『封印の術まで扱えるようになったなんて。成長したわね、カカシくん』
『私も欲しいのよ、うちはの力が。でもそれだけじゃあ物足りない。だから、"神鳥"の力も、全てが欲しい』
『サスケくんにしたその封印。そんなものしてみてもまるで意味ないわ』
『どんな邪悪な力であろうとも求める......彼はその資質の持ち主、"復讐者"なのよね』
『いずれ彼は、必ず私を求める』
『そして、そのサスケくんと深いつながりのあるカナちゃんも』
『二人は、いずれ』
悪夢を見せつけてくるような蛇の目を意識から追いやり、カカシはゆっくりと瞼を押し上げた。しかしそれでも大蛇丸の粘っこい声は耳から離れない。あの時聞いた言葉が脳を侵食していくようだった。
そんなことあるわけがない、と自分の中で湧き出てくる不安要素を無理に否定することしか、現状ではできそうもなかった。
■
カナとサスケがこの岩場に来て、この朝で四日目となった。天気は快晴、雲一つ見えない日和である。寝床としている岩陰から出てきたカナは青い空に向かってうんと伸びをした。そして笑って振り向く。
「いい天気だね」
しかし、カナに返ってくる言葉はなかった。サスケはぼうっとしているようだった。
サスケは昔から低血圧で朝は最も苦手な時間帯ではあるが、どうもそういう様子ではないように見える。「サスケ?」と呼んでみてもぴくりとも動かない。さすがに不審に思ったカナは片眉を下げて幼なじみに近寄った。
「サスケ?」
その距離約10cm。顔を覗き込んでいたカナにやっと気づいたサスケは、その途端ぎょっとして飛びのいた。
「ウスラトンカチ、近ェ!」
「じ、地味に傷ついた......そんなに遠ざからなくても。どうかしたの、ボーッとして」
「......何でもねえよ」
「そう?」
原因が自分だとは蚊ほども思っていないカナは苦笑して、また前へ歩き出す。その際に、ふわり、と銀色の髪が靡いた。顔を腕でこすったサスケは、一つ溜め息をついてから、その後ろ姿を目で追った。僅かに、憂いを帯びた目で。
━━━サスケの脳に反芻するのは、昨日から変わらず、カカシとの会話内容のみだった。
しかし、そんなサスケの肩にぽんと手が乗っけられる。サスケは迷わず振り向いた。
「......何だよ」
「そう思い詰めるなって。オレが昨日お前に話したことは、カナを何も変えてやしない。カナはカナ、そうだろ?」
手の主、カカシは笑んでそう言い、すっとサスケを通り過ぎてカナのほうへ近づいて行った。カナもカカシに気付いて振り向き、いつもと変わらない顔で笑う。それから、いつもと同じように談笑する二人。何も、変わらず。
「(......何も)」
サスケは自嘲するようにふっと笑った。
「(何も変わってない......カナはカナ。オレの、幼なじみだ)」
カナに何かとんでもない秘密があったとして。それを突然知ったとして、だからってカナが変わるわけでもない。サスケとこれまでずっと共に歩んできたのは正真正銘のカナなのだから。作り物でも紛い物でもない、カナ自身なのだから。
「サスケ、移動するって。先生が」
「......ああ」
昨日からずっと思い悩んでいた原因を頭から消し去り、サスケはようやくいつもと変わらない顔で、前を歩く二人のほうへ向かった。
二度目であるが、今日この日はカナとサスケがやってきて四日目なのである。つまり、カナの修行禁止命令が解かれる日であり、そしてサスケには体術修行から次の段階に入ると言われた日であった。
「よし」
ぼすん。
呟いて急に立ち止まったカカシの背に、真後ろを歩いていたカナが勢い余ってぶつかったのはご愛嬌。苦笑いするカカシと呆れた目線をくれるサスケの間で、カナは慌てて数歩後ろに下がった。
「ったく」
「う......」
「ハハハ......ま!カナの安静期間も終了したことだし。サスケの体術修行も粗方終わった。早速新しい修行に入る」
修行。その二文字を聞き、カナとサスケの顔も引き締まる。その二人の前で、カカシはごそごそとポーチに手を突っ込み、ぱっと何かを取り出した。
それは、どこからどう見ても、いくら穴が空くほど見つめても、三枚のただの紙にしか見えなかった。掌サイズである。
「なんですか?それ」
真っ先にカナが聞く。カカシは二枚を左手に、一枚を右手に持ち直した。
「見てろ」
カカシの案外真剣な声に、カナとサスケは言われた通りに紙を見つめる。カカシがまず二人の前に出したのは、一枚のみを持った右手のほう。
ヴン、とその手にチャクラが纏い始めた、その瞬間、
クシャッ__
一瞬にして、紙に皺が入っていたのである。
カナとサスケは目を丸めていた。無論 カカシが握りしめたワケではない。その手から溢れていたチャクラを紙が吸収したかと思うと、途端に皺が入ったのだ。
カナとサスケは、衝撃で開かなかった口をようやく開いた。
「これって確か......」
「"感応紙"、ってヤツか」
「さすが、学年トップのお二人さんはよく知ってるね。そう、この紙はただの紙じゃあない、チャクラ感応紙だ。流し込まれたチャクラに反応して、チャクラ性質の才能を分かりやすく教えてくれる便利ものでね。で、オレは"雷"の性質ってワケ」
軽い調子で言ったカカシは、ひらひらと風に泳がせた感応紙をそのまま目の前の二人に渡した。その間に基本性質のそれぞれの反応の説明をする。
"雷"なら皺。"火"なら発火。"土"なら崩れ、"水"なら濡れ、"風"なら真っ二つ。
この性質を見極めるのが修行の第一段階なのだとカカシは言う。しかし、カナは思わず疑り深く聞いていた。
「でもカカシ先生......私とサスケは今更基本性質を調べなくても、サスケは"火"、私は"風"だということは分かってますよ?なのにどうして」
「カナ。この際だからはっきり言っておくが」
ずい、と近づいて来たカカシの顔に、カナは微妙に後ずさりする。
「お前にもこの感応紙を使ってもらうとはいえ、正直、お前の言うとおり。お前には無駄なことかもしれないんだよね、カナ」
「えっ」
「元々オレはカナまでここに来るとは思ってなかったし、ねーサスケ?」
「......」
「オレは前々から、サスケには"火"以外の可能性もあると見込んでたから呼んだんだけど......カナ、お前は分からない。しかし、とりあえずやってもらおうと思ったんだが。どうだ?」
基本性質にはそれぞれ相性がある。"火"は"水"に弱く、"水"は"土"に弱く、"土"は"雷"に弱く、"雷"は"風"に弱く、"風"は"火"に弱い。この優劣関係は絶対であり、修行したところで完全にカバーできるものではない。だからこそ性質変化を多く持てれば持てるほど相手より優位に立てる可能性が高くなる。
「......やってみます。やらせて下さい、先生」
「よし」
その答を予想していたのだろう、カカシはにっこりと満足げに笑い、カナの頭をぽんぽんと撫でた。
「じゃ、サスケ、カナ。チャクラを練るときはできるだけ、いつもとは違う性質をイメージしろ。いつも通りにやってしまえば恐らく今 扱える性質のほうが出てくるからな」
とりあえずやってみろ、とカカシはのんびりいつも通りに言う。相変わらず真剣なのかそうでないのか分からない担当上忍である。カナとサスケは顔を見合わせ、それからそれぞれ渡された感応紙を見た。
カナは何か、自分の中で沸き起こるのを感じていた。期待と不安がごった返しになっているような感覚。高揚、だ。
「......やるぜ」
サスケがそう言ったのを期に、二人は同時にチャクラを練った。溢れ出たチャクラが感応紙を覆っていく。ゆっくりとだが確実に吸い込まれていく。こくり、と二人は唾を呑み込んだ、直後。
クシャッ__
ピ チョン__
カナは、瞑っていた瞼をそうっと開けた。
「サスケはオレと同じ"雷"......カナは、"水"だな」
サスケの手には、皺が寄った感応紙。カナの手には、水が滴っているそれ。
「カナにも変化があったか」などと言ってくるカカシの前で、カナはふっと自分の中に過っていった記憶を視ていた。死の森でも思い返した、サスケとそしてサスケの兄、イタチとの記憶。
『カナの歌は、どことなく、水遁に近い気がするんだ』
「さて......ん?どうした?カナ」
「......」
「おい、カナ」
「あっはいごめんなさい!」
サスケの訝しそうな声にようやく現実に戻ってきたカナは取り繕うように笑った。驚いていただけ、と言ってもサスケはなおも眉をひそめていたが、本当のことを言えるわけもなかった。言及がくる前にとカナはカカシに目を向ける。
「そ、それでカカシ先生、これからどうするんですか?」
「ん?あーそう、それなんだけどね......これから本格的に修行を始めたいところではあるんだが」
「何だ」
「いやーね、カナでも......というより、風羽一族でも風遁以外の才能を持ち得ているのは意外だったからな。けど水遁も扱えると判断できたのなら、これを伸ばさない手はない。だからカナにもこれから水遁使いとしての修行をしてもらおうと思った、んだが」
「?」
「何ぶんオレの基本性質変化は"雷"。水遁を使えるのは飽くまでも写輪眼の力ってワケなのよ」
つまり、いくら数々の異名を持ち多才なカカシでも、カナの修行相手としては不適であるということ。しかしそれを理解しても、黙って聞いていたカナは焦る。
「じゃあ、私はどうすれば?」
直球な質問を口にしたカナに、カカシはうーんと唸った。その頭には今、数々の顔が浮かんでいた。
例えば、この里の長であり、プロフェッサーとまで謳われ、全ての術を扱えるという三代目。これまでもカナの成長を間近で見て来ただろう三代目ほど、カナの修行相手にぴったりな者はいないだろう。しかし、言うまでもなく却下。
例えば、現在は中忍という地位におり、稀にカカシと同じ任務に就くこともある神月イズモ。カカシの記憶が確かならイズモも水遁術が使えたはずである。しかしイズモも三代目同じく却下。今回の中忍選抜試験官、及び係員に任命されたようなので、修行を見れるほど暇でもないだろう。
「......カカシ先生?」
「アンタのその顔は考えてんのかただ惚けてんのかわからねえぞ」
「酷い言われようだな、オレ......」
サスケからの辛辣な言葉にやれやれと溜め息をついたカカシだが、そういえばサスケはこういうヤツだったと思い出し、諦めることにした。サスケもサスケで酷い思われようである。
そしてカカシは最後に思い当たった顔に狙いを定めていた。「アイツにするか」、と呟かれた言葉に首を傾げるのはカナとサスケだ。
「アイツ?なんのことだ」
「いや、なんでもなーいよ。といっても、これから分かるんだが......そうだな、とりあえず、カナ」
はい?と背の高いカカシをカナは見上げる。
「口寄せ、できるな?」
「は、はあ」
「探知能力的なものは?」
「探知能力というか、鳥なので、人とかは見つけやすいと思いますけど...」
幼い時からの相棒である紫珀を思い浮かべるカナ。鳥目なので暗闇では不自由だが、そうでなければ能力は十分である。...だがそう応えてしまったところで、カナの頭にすぅーっと嫌なものが過った。「それが...どうかした、んですか?」と、思わず慎重になって口にしてしまうが、カナの予感は的中だった。
「ちょっとソイツを呼び出して、ある人物を捜してきてもらって欲しいと思ってね」
それはカナが最も危惧していた言葉である。うっと詰まったカナを見て、カカシはどうしたと言わんばかりの表情になったが、カナはそれに応えることもできず複雑な表情をするサスケと顔を見合わせてしまった。
カナが今、紫珀を口寄せしたくない理由は二つあった。しかしどちらの理由もカカシには想像もつかないことである。
「(......!)」
大げさなことに、決意したかのように握りこぶしを作るカナであった。
「わかりました......口寄せします......」
「(なんでこんなに暗くなったんだこの子)」
「いいよね?サスケ」
疑問しかないカカシの前でカナがサスケに問うと、サスケも渋っているようだったが、しょうがないとばかりに浅く頷いた。それを確認したカナは自身の手を数秒見つめ、それから慣れた様子で親指を噛み、ようやく口寄せの印を組み始めた。
亥、戌、酉、申、未。たった五つの印を数秒の時間をかけて。最後に、カナは意を決したように地面に手を当てた。
「口寄せの術っ」
ボン__!
問題なく現れた白い煙。立ち上がったカナは数歩下がりつつも、そうっとその中を凝視してみる。何故だか三人の中に妙な緊張感が生まれていた(カカシはただ単に二人に感化されただけであるが)。そうしてカナは潔く気付いた。
なんだか、いつも口寄せする時より煙が大きいような?
そう思った時。
「こんのッド阿呆ォォォオオオオオオオ!!!!!」
「ひいっ!?」
ぼふんっと煙を突き抜けてカナに迫ったのは、紛れもなく巨大化している紫珀だった。
「しっしはっ、なんで変化状態!?」
「いつ呼び出されてもこうやってお前を責め立てられるようにずっとでっかいまんまでおったんやこのボケ!!あの森で別れたっきりずぅぅっと呼び出されんかったオレ様の気ィがわかるんか!?あァ!?お前 朝んなったら呼び出す言うたよなァ!?気が気じゃなかったわホンマにあそこには猛獣も毒虫も挙げ句の果てにはお前の苦手な蛇までおったやろうが!!」
「いやっだってそれどころじゃなかったっていうか」
「はァ!?一体何があったんや!!」
「(まさか一族を殺した人に襲撃されてしまったとは言えない......)」
紫珀を今 呼び出したくなかった理由その一。死の森で紫珀を帰したままずっと口寄せしていなかったので、こうやって怒鳴られる自信が山ほどあったから。
カナを思うが故の説教にまさかカナ本人が口を挟めるわけもない。故意ではなかったとはいえ、紫珀にはとてつもない心配をさせてしまったのである。
ずんずん迫ってくる紫珀にカナは徐々に後退し、尚も続く説教を大人しく聞いておく他ない。お前はどっか間ァ抜けとるやろが!方向音痴がようあんなとこ抜け出せたなあ!と罵倒も所々詰まっているが全てそのとおりのことなので、カナは心中で涙を流していた。
そして、そんな一人と一羽を少し離れたところから眺めている二人・サスケとカカシ。二人の眼前に広がっている、忍鳥に責め立てられる主人というおかしな場面をただただ傍観している。サスケは腕を組んで溜め息をつき、カカシは「ほー」と呟いた。
「あれが、カナの口寄せ動物ねぇ。なんというか、カナとは正反対だな」
「......紫珀だ」
「へえ、知ってるの?」
「......」
「ま、幼なじみだから当然か。じゃあアレか。お前とカナが顔見合わせて渋ってたのって、あの忍鳥が騒がしいせいってわけね」
しかしカカシの考えは見事に外れ、サスケは面倒くさそうに首を横に振った。確信を持っていただけにカカシは更に疑問を抱いたが......すぐにその真意が分かった。
紫珀がやっとカナ以外の人影に目を向けた瞬間である。
「って、ああ?サスケのガキやないか」
指を指している、とでもいうのか、片翼をサスケに向けた紫珀。対して、チッと舌打ちしたのがサスケである。そのサスケの反応に苛ついたのか、もうカナに言うこともなくなったのか、「なんやねんその顔は」と紫珀は今度はずかずかとサスケに近づいて行く。
そうして向かい合う一人と一羽。互いに睨み合い、緊迫しているようなそうでもないような空気が流れ。
なんだなんだ、意味が分からないといった様子でそれらを見やるカカシに、解放されたカナはそっと歩み寄って 「ほんとにすみません......」と口にしていた。
カナが今 紫珀を呼び出したくなかった理由・その二。
「んだよ、鳥が」
「鳥ィ?なんやお前、何度も何度も聞いとるはずのオレ様の名前も覚えてへんのかー?おめでたい頭やなあ!」
「あァ?お前なんかにもったいねえ名前だから呼ばねえだけだっつのウスラトンカチが」
「はっはーん、そりゃあオレ様の名前つけたんはカナやもんなァ!そりゃ羨ましいやろうなァこんガキは!」
「フン、滅多に呼び出されねェてめえがなに言ってやがる!」
「それでもカナがこぉーんなちっこい頃から見てきたんはオレ様やけどな!!!」
サスケと紫珀の仲は、とんでもなく、それはもう暫く放っておきでもしたら収拾がつかなくなるくらいに最悪なのである。
「は?」と目を点にして漏らしたカカシの隣で、カナははーあと長い溜め息をついた。その後も続いていく二人のどうでもいい口喧嘩にカカシとカナが口を挟める余裕もない。サスケと紫珀の仲が悪い、というか、紫珀が一方的にサスケに絡んでいるような気もするが。
「......なに、あいつらはお前のことが好きすぎるって事?カナ」
「いや、ただ単にケンカしたいだけだと思います......タネはなんでもいいんです」
「......ふーん」
「はい」
「ま!なんでもいいんだけど。いやーしかし、話が進まないね?」
「......そうですね」
「そうですね、じゃないでしょ?あの忍鳥のご主人様は」
あ、やっぱりですか?とカナは遠い目をしつつ言う。このまま放っておけば更に面倒くさいことになるので さっさと動かなければならないのだが、正直、気が重いカナである。
『ほらお前ら、もうそろそろ落ち着け。サスケ、母さんが呼んでるぞ』
『えっ......ふん、紫珀、続きはまた今度だ!』
『いつでもかかってこいやチビ助!』
『やっと終わったあ。お兄ちゃんが来てくれて本当に良かった......』
『ハハ、お疲れ、カナ』
ふいに脳内に浮かんだ記憶にカナはそっと目を伏せたが、それを表情に見せることはなく、サスケと紫珀を止めるべく足を踏み出した。